18.兄のような彼と、妹のような私
「ティニア!」
ガラッ!と勢いよく扉が開いた。
突然の声に、ティニアの肩がびくりと跳ねる。
「……びっくりした。ロイク?珍しいね、ひとりなの?エリシアさんは?訓練は終わったの?」
早口になる自分に気づきながらも止められなかった。
落ち着かない気持ちを誤魔化すように、言葉ばかりがあふれた。
教室に駆け込んできたロイクは、額にうっすらと汗を滲ませ、息を切らしている。
演習場からここまで駆けてきたようだ。
ロイクはティニアの問いに答えることなく、まっすぐに歩み寄る。そして、そっと覗き込むように、ティニアの目を見つめた。
「ティニア……泣いていたのか?試験が中止になったのも、仮想魔物生成装置が壊れたのも、ティニアのせいじゃない。気にすることはないよ」
――違う。
慰めるように、ロイクは優しい声をかけてくれた。
自分では気づかなかったが、もし涙目になっているなら、それは落ち込んでいたからではない。
責任を感じて、泣いていたわけでもない。
ヴァルドへの気持ちを自覚して、涙が滲んでしまうくらいに、どうしようもなく恥ずかしかったからだ。
「…あ、うん。ありがとう」
だけどそんなことをロイクに説明できるはずもなく、ティニアは誤魔化すように、曖昧に頷いた。
「……戻ったんだね」
「あ、うん。オリオン兄さんとヴァルドさんは、まだ学園長室なんだけどね」
続けてかけられた言葉に、ティニアも言葉を返す。
「いや、そういう意味じゃなくて……あ、いや。そんなことより、ティニア。
やっぱりヴァルドさんとのペアは解消した方がいいんじゃないか?
ヴァルドさんは元々ペアの必要がない人だし、あの人に合わせた訓練は、ティニアに危険があるよ。
もしペアを組むなら、オリオンさんの方が安全だ。オリオンさんなら、どんな危険があっても、真っ先にティニアを守ってくれるよ。だから僕が卒業するまでは―」
「ロイク!」
鋭くも、柔らかい声でロイクの名前を呼んだのは、教室の入り口に立ったエリシアだった。
彼女も息が乱れている。
ロイクを追いかけて、演習場から走ってきたのだろう。
「……もう、ダメじゃない。そんなことを言って、ティニアさんを困らせちゃダメよ」
エリシアは真っ直ぐにロイクを見つめながら、話しかける。
「ロイク。ティニアさんの、せっかくの成長の機会を奪っちゃダメよ。さっきの試験、ロイクだって見てたでしょう?
ティニアさんは、ヴァルドさんと共に、成長していくべきよ。そんな過保護じゃ、いいお兄さんとは言えないわ。
ねえ?ティニアさん、妹さんのあなたからも、ちゃんと言ってあげて?」
「あ、はい」
振られた言葉に、ティニアは思わず頷いた。
もう長い間、ずっと挨拶することもなかった二人だった。
こうして長く距離を置いたあとに話してみると、ずいぶん上の存在に思えた二人に、ティニアの心はもう騒つくことはなかった。
エリシアが、ロイクを『ティニアのお兄さん』として呼ぶことも、ティニアを『年下の子ども』のように扱うことも、今は全く気にならない。
(これって……ヴァルドさんのおかげかも)と、気がついた。
いつも一緒にいるヴァルドは、ティニアを『年下の妹』扱いすることはない。
4歳年下で、訓練初心者であるはずのティニアを、いつも対等な相手として見てくれる。
それは訓練の最中も、はっきりと感じられている。
休日に訓練に付き合ってくれているカーディン騎士団の騎士たちに、兄のオリオンが容赦く剣を振り下ろすたび、ハラハラするティニアの代わりに、ヴァルドはいつもほどほどのところで、兄の暴走を止めてくれる。
ティニアの立場に立って、兄を見てくれる人だ。
確かに、剣の才能があるヴァルドのペアになるということは、それだけ危険な魔物と対峙することになるかもしれない。
だけどティニアはヴァルドの剣を信じている。
それに、もしティニアに危険が迫ったとしたら、ヴァルドは迷わず駆けつけてくれるだろう。
もちろんティニアだって、ヴァルドに危険など寄せ付けるつもりはない。
ティニアは頭の中を整理するように、ゆっくりと言葉にした。
「ヴァルドさんも、真っ先に私を守ってくれると思うわ。……でも私は――。
守られるんじゃなくて、もっと強くなって、私がヴァルドさんを守りたいの。
だから大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
話しながら恥ずかしさに耐えられなくなって、ティニアは急いで話題を変える。
「あのね、さっき学園長に言われたの。明日から、オリオン兄さんとヴァルドさんと、四年生に上がりなさいって」
ロイクの表情がわずかに揺れたような気がした。
妹だと思っていたティニアが、気づけば追い越していたのだ。
ロイクの動揺が分かる気がしたが、それは口にするべきことではない。
「魔物について勉強はしていたつもりだけど、実際に見るのは違うのね。私、これからは魔物を怖がらないための訓練をするわ。
ロイク兄さん、エリシアさん、今日は本当にごめんなさい」
『ロイク兄さん』という言葉が、自然と口から出た。
ロイクはティニアの呼びかけに、目を見開いた。
初めての呼びかけに驚いたのだろう。
ティニアは少しおかしくなって、謝りながらも笑ってしまった。
「守る、って言われるのは、すげえ嬉しい言葉だな。
……ありがとう。俺ももちろん、『真っ先に』ティニアを守るつもりだ」
「!!……ヴァルドさん!」
突然背後からかけられた低い声に、ティニアの心臓が跳ね上がる。
今の言葉は、間違いなくロイクとの会話を聞いていた。
「あ、あのっ……。あ――オリオン兄さんは?!」
慌てて話題を変えたティニアに、ヴァルドは少し遠い目をした。
「オリオンはなんか学園長にゴネてたよ。『僕も正式にティニアのペアに入れてほしい!』って。長引きそうだから、俺だけ先に抜けてきたんだ」
「兄さん……」
正式にペアを認めるも何も、兄オリオンは、そもそもティニアの仮ペアでも何でもない。
カーディン騎士団との訓練で、兄がティニア側に立っているのも、どう考えてもおかしい配置だった。
ヴァルドの顔を見て恥ずかしくなって、会話を無理矢理変えたつもりだったが、これはこれで恥ずかしい。
(本当に兄さんったら……!!)
羞恥心で言葉を失くしたティニアに、ヴァルドが半ば呆れたように言葉を続けた。
「あいつ、『剣士のペアがひとりしか認められないなら、魔法師になって三人でペアを組む!』って言ってたぞ。剣士と治癒師のこのアストラ学園で、今度は何を目指すんだか……。
学園長に怒られていたが、アイツ本当に魔法師になって、ペアに入ってきそうだな。
――そうなったら、しょうがないから入れてやるか?」
破天荒な兄オリオンに呆れながらも、兄を認めてくれるヴァルドは、やっぱりティニアにとって、最高に大切なパートナーだ。
「ありがとうございます……」
そんな事が可能なのかは分からないが、胸がいっぱいになって、ティニアはお礼の言葉を伝えた。
「じゃあな、ロイク。……と、そこのペアの女。俺たち、『今日は家に帰って反省しろ』ってイザーク先生に言われてるんで、もう帰るわ。試験を潰して悪かったな」
ロイクたちに向かって軽く手を上げるヴァルドに、悪気はないのかもしれない。
だけど、エリシアは誰から見ても、美しい人だ。
その整った顔が、悔しさで歪んでいるのが、ティニアの視界の隅に映った。
視線を移すことはできない。
だけど、空気に緊張が走ったことを感じる。
「ヴァルドさん……。あの…エリシアさんです……」
「ああ、そんな感じだったな。じゃあ、行くか」
ティニアは小さな声をヴァルドにかけたが、ヴァルドのその返事に、さらに空気がピンと張りつめて、ティニアの心臓がギュッと縮んだ。




