16. 第一次訓練評価試験
いよいよ『第一次訓練評価試験』が近づいてきた。
クラスの空気も、緊張を含んだものになっている。
みんなどこかピリピリしていて、その張り詰めた空気に、ティニアは日を追うごとに落ち着かない気分になっていた。
ヴァルドはなんでもない顔をして、「いつも通りで大丈夫だから」と言う。
兄オリオンも、「ティニアは可愛いから大丈夫だよ」と、いつもの調子で笑うだけだ。
去年その試験を難なくクリアした二人が、「たいした試験じゃない」と話すなら、そうなのかもしれない。
それでもやっぱり、初めての試験は不安だった。
(もし、私が足を引っ張って、ヴァルドさんが去年より悪い成績になってしまったら……)
そう考えるとティニアは、じっとしていることができなかった。少しでも何かをしなくては、という気持ちだけが募っていく。
本当は毎日、もっと訓練をしたいと思っている。
けれど、「周りに迷惑をかけるから、決められた時間以外に勝手に訓練するな」と先生に釘を刺されているので、朝練や放課後の訓練もできない。
ヴァルドの家に行けば、ガーディン騎士団の演習場を使わせてもらえると分かっている。
けれど、騎士団の皆さんには、休日も訓練に付き合ってもらっているのに、「さらに平日までも」なんて言えるはずがない。
「遠慮しなくていいぞ。うちの騎士たちの練習にもなるし」
ヴァルドの両親はそう言ってくれるが、毎回兄のオリオンに無茶な相手をさせられている騎士たちが気の毒で、その言葉に甘えることもできなかった。
だから、ヴァルドの父エルドから、
「ティニアさんの手作りのお菓子は不思議だな。ご馳走になるたびに、体が軽くなるよ。ヴァルドも同じことを言っていたよ」
――と、貴重な情報を仕入れたので、試験が近づいた今は、ヴァルドのお弁当作りも名乗り出ていた。
少しでも力になりたかったし、とにかく何かをしていないと落ち着かなかったのだ。
そんな緊張の日々の中、ついに試験の日がやってきた。
『第一次訓練評価試験』の試験内容はただ一つ。
〈制限時間内に、指定された魔物の核を破壊すること〉
魔物は、魔力で生成された仮想体だが、姿も質量もあり、本物と同じように攻撃してくる。
体内に埋め込まれた『核』さえ破壊すれば、その幻影は霧のように消え、試験は終了となる。
その中でのティニアの役目は、『ヴァルドが怪我をした場合に、即時に治癒をして回復させること』
―――それはいつも訓練でやっていることだ。
確かにヴァルドが言うように、「いつもの訓練通りに治癒魔法をかければ、大丈夫」な試験内容だった。
驚くことに、ヴァルドとティニアの試験順は―――まさかの一番だった。
「オリオンもヴァルドも、試験は今年二年目だ。みんなに手本を見せてやれ。オリオン……は手本にならんから、ヴァルド。お前が一番最初だ」
無常とも言えるイザーク先生の宣告に、ティニアは他のペアの手本を見ることもできないまま、ヴァルドと演習場へと歩き出した。
(大丈夫。いつも通りで大丈夫)
ドキドキしながら自分自身に言い聞かせていると、少し前を歩くヴァルドが振り返った。
「ティニアの弁当のおかげだな。今日は特に調子がいいよ。治癒魔法もたっぷりかけてもらっているし、試験なんて瞬殺だろ」
ティニアを見るその顔は、いつものヴァルドだった。緊張の影は少しも見られない。
その顔を見て――フッと肩の力が抜ける。
(そっか。いつも通りにしていたら大丈夫よね)
ふうっと息を吐き出して、試合開始の合図が鳴るのを、静かに待った。
ビ―――ッ
甲高い合図の音が響いた瞬間、目の前の空間が揺らぎ、巨大な魔物が姿を現した。
ティニアの体がギュッと強張る。
これは仮想の魔物だ。
魔力で作られた偽物の姿で――本物ではない。
頭ではそう分かっている。
だけどグルルルル………とお腹に響くような唸り声も、その息遣いも、地に足を踏むその振動も本物だった。
幻影だなんて思えない。
ティニア本能が、「今すぐこの場から逃げるのよ!」と叫んでいる。
思わず。ヴァルドの手を引いて逃げようと、ティニアは一歩前に足を踏み出した。
その時―――
ガアアアアアアッ!!
魔物が、空気を震わせるほどの咆哮をあげた。
そこからは頭が真っ白になった。
目の前でヴァルドが剣を構え、迷いなく魔物へと駆け出していく。
その動きだけが、妙にゆっくりと見えた。
まるで世界が、スローモーションになったみたいだ。
気がつけば、ティニアの体が勝手に動いていた。
大地の奥底から、ありったけの魔力を汲み上げる。
(彼を傷つけないで!)
それは願いというより、祈りだった。
理屈も、試験中だということも吹き飛んでいた。
ただその想いだけで、ティニアは巨大な魔力を解き放ち、ヴァルドを包み込んだ。
次の瞬間―――全てが終わっていた。
「ティニア!大丈夫か?!」
両腕を掴まれて、ヴァルドが至近距離で覗き込んでいた。
その声で、ティニアの意識は現実に引き戻された。
「……あ。ヴァルドさん、大丈夫ですか?!」
「俺は何ともない!それよりティニアだ。無理したんじゃないか?苦しくないか?医務室に行くか?」
矢継ぎ早に問いかけられ、ティニアはただ目を丸くする。
自分の体に、不調は何ひとつ感じられない。
「何も変わらないですけど……あ!試験!!」
サアッと顔から血の気が引いた。
そうだ。今は試験中だった。
(私ったら、試験中に何を――)
慌てて演習場に視線を向ける。
そこには、砂煙だけが残っていた。
核は砕け散り、魔物の姿は――跡形もなく消えていた。
―――そう。
全てが終わっていた。
演習場の光景は、一瞬で変わっていた。
さっきまでそこにいた巨大な仮想の魔物は跡形もなく消えている。
その後ろに控えていた、他のペア用の魔物たちも――霧となって散っていた。
そして。
仮想魔物生成装置までも、粉々に吹き飛んでいた。
「……え?」
言葉にならない声が漏れた。
ティニアはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
ヴァルドが、言いにくそうに口を開く。
「あ〜……その、な。少し、力がつき過ぎてたみたいでな。
いつも通りに剣を振り下ろしたら……ちょっと勢いがついたみたいだ」
(ちょっと……?)
ティニアの頭が追いつかない。
そしてヴァルドは全力で首を振った。
「あ!でも! あの装置を壊したのは俺じゃないぞ!オリオンだから!」
「え……?兄さん?」
ティニアはもう何がなんだか分からなかった。
頭が追いつかず、ただヴァルドの言葉をそのまま繰り返す。
「ティニア! もう大丈夫だ! 怖かっただろ?」
オリオンにドン!と突き飛ばしされる形でヴァルドは横に追いやられ、代わりにティニアは兄のオリオンにギュウッと抱きしめられた。
「ティニアを怖がらせるような、あんな装置は――
兄さんが壊したから! 安心して!」
「え………」
兄のその言葉に、安心などできるはずがない。
そのとき。
「……オリオン、ヴァルド、ティニア。お前たち三人、今から学園長室までついてこい」
イザーク先生の声が、演習場に低く落ちた。
静かで、逃げ場のない声だった。
ティニアはびくっと肩を震わせる。
安心できる要素は―――どこにも見当たらなかった。




