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『勇者などいない世界にて』  作者: 一二三
第一章 二つの世界
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第一章29 三日月の狩人


 闇に覆われた不気味な森の最奥に位置するのは、闇を打ち払うかの如き澄んだ秘境。聖域とも言い表せるだろう湖の上で、両者は激しい戦いを強いられる。

 単独で強大な敵に挑むことは想定しなかった訳じゃないが、そんな状況に陥ったとすれば敗北は明らかとして深く話し合うこともなかった。しかし現状そうなってしまったのだから、やる他ない。


「『新月(ノイモント)』からの『狩りの定義(ヤクト)』」


 いちいち二回の魔法を経ないと武器として扱えないのが効率に欠けるが、切れ味はもう証明済み。大蛇の自慢の首たちも、矮小な小僧が手にした三日月に威嚇を禁じ得ないらしい。

 よって、両者共に動きは迅速だった。


「よっ、ほっ」


 超重量の六つの塊が、今回はグランにのみ集中して雪崩れていく。その幾つかを軽快に回避して——否、回避させられて、両足を湖面から離した一瞬の隙を、不可避の牙がグランを滅多刺しに、


「『オリヘプタ』」


 しない。

 なぜならヘキサアナンタは知らなかった。

 ギュルルルシア! と、発音もクソもない悲鳴が闇の空に響き渡る、そんな事実だけが戦闘の色を一気に変えたのだ。


「俺が刃物を振り回すだけの野蛮なガキだったら負けてたけど……」


 首を刎ねたりしておいて今さらだが、敵が大きいが故に、比例するようにあまりにも惨い抉り傷。綺麗に斬り落とされた断面とは違う、生々しい血と肉の氾濫。

 グランは思いきり顰(しか)めっ面をしてから、


「残念だけど、俺は武器云々(うんぬん)よりも前に、魔法使いタイプなんだ」


 七つの光球。

 攻撃魔法と縁がないものだと誤認させた。厳密に言えば既に一度『オリヘプタ』を使ってはいるが、グランが術者であることを知るのは初めてのはずだ。

 あれだけ削ってしまえば首ひとつ失ったも同然だろうが、万全を期してちゃんと引きちぎっておくのが最適解。


「ちッ——」


 それでも、生物の本能がそれを許さない。

 ズズァ! という大質量の奔流を感じさせる嫌な重低音が魂を揺さぶる。長くて重い尾というムチが、エメラルドグリーンの波を見方にしてグランへの反撃とする。側面からの殺意を察知できることは必ずしも、前もって回避の準備ができることを意味しない。数メートル程度の距離などヘキサアナンタの全長を考えれば価値はなく、つまりは必中の一撃。

 まず、腕が波に飲まれた。

 厳密にはグランには水を避ける空気膜があるので、飲まれたのは三日月の刃だった。先刻にも一度やったように、迫り来る尻尾は切断してしまえばいいと構えたまでは良かった。ただ、さっきはムーンサルトなんてしながら波ごと避けていたから知らなかったのだ。


(武器や魔法には空気膜が張られない!? それか一度手放してから新たに手中に収めたものにまでは適応外? 何にせよ、まず)


 波の勢いに押し戻された腕の力が、そのコンマ数秒後に到着した薙ぎ払いに負けた。想像だにし得ない質量が全身に浸透し、水面ギリギリを水平に飛ばされていく。着水も穏やかではなく、トランポリンのように湖を凹ませて弾むグランは回転を続け、上下も認識できない。

 ようやく静止したときには既に、指先ひとつ動かそうなんて意識すら保てていたかどうか。攻撃対攻撃なら拮抗できても、自分には防御力なんて雀の涙。全身をいまも射抜く痛覚の中に、大蛇の明確な殺意も含まれていることも認知できない。

 仰向けになって呻くだけの人間を見下して大蛇は牙を向ける。様子を窺う必要もない。生きているのも不思議なダメージを受けた目下の肉を食べるだけなのだから。


———本当に?


 本当に、だ。

 そのようになった。

 その戦況を見守るしかなかった仲間たちも、目撃した。駆け出したい気持ちを抑えて、無事を信じるしかなかった仲間たち。目を塞ぎたくなる現実を、見た。


 ボゥ。グラナード・スマクラフティを丸呑みした大蛇は何を思っているのだろう。最大の脅威として躍り出た人間を討伐したはいいとして、それでも首の一本は魔法で大破している。

 数々の失踪者を、魔界に連れ去られて来た実力者たちを亡き者にしてきた試練の門番たる魔物。そんな奴に単独で挑んで時間を稼いだりできるハズもない。十代の小僧が、いくら特殊な魔法を持ち、試練攻略の鍵と呼ばれたからって、慢心でしかなかった。

 勇気とは、時に無謀と呼ばれるべきである。ゲミューゼは判断を間違えた。ブリアナはもっと全力で止めるべきであった。また、視界の先で、同じ敵に仲間を殺された。

 そして、大蛇と遂に目が合った。


「手詰まりだ………俺らは、いや、俺が全ての判断を間違えたのが」


「言うな! いまそんなことを論じていて何にもならない。あたしらはグランが食われる瞬間を見てしまった。そして次に狙われるのはあたしらなんだよ!」


「本当に、済まないことをした。こうなっては、俺がやるしか——」


「ゲミューゼ!!」


「??」


「おい、しっかりするんだ!」


 震える両手の辺りに揺らめく陽炎(かげろう)のような何かをぎゅっと、握りつぶして、ブリアナに叱責されるまでもなく気持ちを落ち着かせて、観察した。


「違う」


 ボゥ。頭を抱えたゲミューゼが見たのは大きな口を開いた魔物の姿だ。単純に考えれば次に狙った獲物を丸呑みするための構えに見えるけれど、まだ互いの距離は数十メートルも離れている。幾ら向こうが巨体とはいえ、そんな距離から大きく牙を向けるか?


『お前を休ませはしない』


 グランはそう言って単身乗り込んだ。つい半月前までただの村人だったのに、そこまでの覚悟をどこから持って来たのだろう。窮地に立たされてから質問が絶えずに湧いてくる。

 休ませはしない。

 もしも、だ。いま、謎に大きく口を開けて静止しているヘキサアナンタの様子すらも、休ませないという宣言通りになっていたとすれば。


「グラン、行け!!!!!」


 拳を握りしめてゲミューゼは叫んでいた。

 それに応えたのは、赤い光だった。


 ボボボボゥ!!!!!!! という爆裂が魔界に輝きを与えていた。


「しゃらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 喉の内側から月弧が躍って断たれた首が落ちる。その断面から射出されたのが、飲み込まれたとばかり思っていたグラナード・スマクラフティ。

 綺麗に湖面に着地(?)するも、実際問題、尾の鞭打ちを一身に受けて全身ボロボロの状況下。火事場の馬鹿力で脱出してみせたはいいものの、膝を付いて、すぐに反撃に転じるには至らない。

 それでも、


「お前もお前で動けないはず、だ。水面下の魚の群れとは違う。弱った獲物を前にしてもそ(・)ん(・)な(・)状(・)態(・)じゃ下手に動こうとは、思えないよな!?」


 大蛇の喉から脱出してみせたとき、グランは返り血を浴びなかったし、断面から大量の赤い液体が噴き出ることもなかった。代わりに噴いたのは赤の爆裂、すなわち、


「『オリロート』。これが魔法の、力、だ!」


 あらゆるものを燃やす炎が喉を起点に、瞬く間に巨躯を荒々しく抱擁する。大蛇を焼き尽くす、ただそれだけを使命に持つ魔の手が伸びる。


「俺ら全員が、お前の光に焼かれた。ブリアナは脚をやられて自ら断つ判断を選んだ」


 目には目を? 歯には歯を?

 いいや、脚には全身を。何倍にもして。


「今度は、そっちが焼かれて断たれる番だ。首をな」


 グルルゥゥシャアァァ!! という大蛇の号砲。湖に頭部を沈めて体躯を湖に擦り、のたうち回る姿は、確実に火の手が敵を苦しめていることを示している。

 戦いを放棄でもしたかのごとく火消しにご執心だ。


「けど『オリロート』は水なんかじゃ消えねえよ……とと」


 一方、グランもグランで、膝をついたまま立ち上がれずにいた。三日月は握っていられるが、全身が気だるいような、溶けたアイスみたいに不可逆なような。

 疲労までは治せない、それが一般的な回復魔法の性質。


「まったく、闖入野郎のおっさんの時といい今回といい、どうして最終的に一人で挑もうとするんだか」


「……やあ、ゲミューゼ」


「はあ、一応だがブリアナの傷は塞いだ。それでも失血量からして油断はできないから、お前を回復させたらすぐに退く。疲れも癒せる特級魔法を唱える技量はないが、お前、さっきの一撃で内部がかなりの損傷を喰らっているだろう」


「そうだな、助かる。自然治癒力を高めただけじゃ回復が追いついてなくって。傷が癒やされるだけでも十分」


 治癒の光に晒されて、ずっと体内で唸っていた嫌な痛みが矛を収める。広いグラウンドを何周も走ったみたいに重いとしても、これなら一応、動ける。

 そうして屈伸で調子を確かめつつ前に出ようとするグランを、拍手が食い止めた。


「——すまなかった。さっきお前が食われて、俺の判断ミスを悔やんだ。だからお前が無事で」


「たぁーーーらしくねえな角刈りさん」


「か、角……」


「俺らはお前の毅然とした態度に救われてんだ。戦うと決めたときからのことは、もう後悔しなくていい」


 ゲミューゼは面食らっていた。でかい炎の明かりで珍しい顔が丸見え状態だ。状況が状況でなければ、珍しい彼の表情にニヤリとしていたかも知れない。


「そうだ、ゲミューゼに頼みがあるんだけど」


 そう言って速やかに伝言を済ませる彼らの死角から、陰。否、燦々と苛烈する光が迫っているのを、二人は気付いて、


「飛ぶぞ!」


「応ッ」


 いる。

 二人の間に割って入る火だるまを寸前のところで見送る。殺意も敵意もない、ただ燃え上がる炎を消化したいだけの大蛇の地団駄だったが、敵意を孕まない危険にも注意を払うべしとは、インティグキラールというおっさんから教訓として得ているのだ。


「俺は退がる。グラン、最後まで独りで戦わせはしない。単独でこいつを抑え込むって言うなら、しっかり自分の身は自分で守れ。代わりに、準備が整えば必ず俺らも戦う。必ずだ!」


「その言葉だけで頑張れる! 任せてくれ!」


 火だるまの妨害を受ける前にゲミューゼは撤退し、彼が何か言いたげに首だけ振り返ったことなど知る由もなく、やっぱり戦況は一対一が続く。


「厄介なことだな、本当に」


 と言うのも、『オリロート』の術者を殺そうとする意思と、少しでも焼かれる痛みから意識を背けようとする意思が絡み合っていた。要は向かってくる猛攻の内、意図してグランを狙ったものは半分ということ。


(観察しろ、見逃すな。敵意を肌で感じるだけじゃ捌けない、周囲の全てを把握して動かなくちゃ致命傷は俺の方)


 今もどこかから観察しているかも知れないシルラプラ・オ・ニ。彼がレパルガの群れを一人で捌いた光景が脳裏に浮かぶ。グランに足りないものは、見て学んでいる。

 限界まで炎で追い詰める。このままコゲてくたばってくれる以上に有難いことはない、なんて希望は一旦脇に置いておく。奴の再生力が覚醒しないとは言い切れない。


『グランのその炎でね、最初から丸焼きにできないのかね』


 残念ながら、味方が複数いる状況では好ましくない。


『ならそれはね、どうしてなんだね』


『お前は莫大な炎の塊が迫ってきても怖くないのか、シンダーズ?』


『も、もちろん怖いよね! でもね、グランのそ(・)れ(・)が何でも燃やせるならね、とっくに世界中に火が燃え移ってるはずだよね』


 確かに『オリロート』は何でも燃やせるし、逆に燃やさないこともできる。生殺与奪の権とやらは常にこちらが握っていることに他ならない、とも言える。


『ならね、おいらたちに火の手が回らないようにすればね、向こうが暴れ回ったとしても火傷しなくて済むよね!?』


 当然に仲間内で思い浮かんだ必勝法。そこには、とある致命的な欠点が存在していた。

 唸り狂って湖に顔面を漬ける大蛇の頭に飛び乗ると、ヂリ……なんて風にして、冷たいのか痛いのか痒いのか、何であれ、皮膚に異常が生じているぞと神経が告げてくる。


「これもこれで制限時間は短い……!!」


 意図して危害を与えるつもりの頭とそうでない頭。不規則に入り混じる渦の中で、頭や胴を飛び移る。

 その度に視界の異常が確かなものになっていく。空気が熱されたからではなく、自身の内側から来る異常だった。


「はあ……はあ、はあ」


 すれ違いざまに一本、また一本と三日月が首を切断する。残りは三本。断面はすぐに焼かれて、失血はごく少量で済んだらしい。

 反面、同時にグラナード・スマクラフティの全身は濡(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)。湖の水ではない。今もブリアナの唱えた空気膜の魔法のおかげで湖上に立てているのに、つむじからつま先までぐっしょりなのは、疑うまでもない危険のサイン。


「もう、駄目だ……我慢比べは俺の負け」


 諦めの声が漏れた途端、局所的に発生していた湖の沸騰が止まった。すなわち、測り知れない量の水を加熱し続ける、その熱源が途絶えたことの示唆。


『それじゃあ、奴を燃やすことは寧ろ、奴が巨体であるが故にあたしたちを苦しめることになるってことか』


『そんなことがね……必殺技って訳にもいかないね』


『何事も上手くできていないものだな、致命的な欠点という訳だ。意図しないものにまで火は伝播しない。ただし、何でも燃やせるそれが、周囲に熱を伝えないとは限らない、か』


 全身を滴るのは灼熱に囲まれた結果の汗だった。呼吸も浅くなってきて、瞼がじんわり降りてくる。


「はあ、はあ、丸呑みされたかと思えば、次は脱水か。けど今の俺が一対一で戦うには、燃やすことが必要な課程だった。ああやって奴の生命力を削ってなきゃ、首を落とす隙も見せてくれなかっただろうし」


 自身のスタミナと相談した結果、残り三つを断ち切ったときが完全に燃料切れとなるタイミングだろうと予測をつける。何事もなくスムーズに進んだら、という注釈付きで。

 熱から解放されたのも、満身創痍なのもお互い様。

 なら、次はどんな窮地がやって来る?


「みんなが回復するまでの時間稼ぎ、と言ったはいいけど、こうして単身乗り込むと実力が知れる」


 波紋は未だ蠢いて、先程までの大暴れの様子を後世に伝えようとしている。その上で攻防は途切れない。休む暇を与えまいと本能から突き動かす。

 先制を仕掛けるつもりのグランの動きは、ヘキサアナンタの大回りな這いずりで挫かれる。今まで見せた直線的な連撃ではない。その全身をもって包囲網を形成したのだ。蛇の全長を利用すれば、人間一人の行動範囲など容易に制限できる。まさに半径三メートルの円形闘技場。


「うおおおおおおおお!?」


 満足に回避もできない狭い水面に三つの頭が乱れ打つ。

 ザブババババォン! と飛沫は噴水になり、水面はグランを先端に円錐形に凹む。上からの大重量がただの人間を容赦なく叩きのめした。

 腹部への強い圧迫で息が詰まり、身体が強張る。三日月で防御するにも限度があるというもの。


「『オ、リヘプ……タ』ァァァ!!」


 物理的にはどう足掻いても蹂躙を受け入れるしかない。けど、グラナード・スマクラフティには魔法がある。両手から青白い光が閃くのを目視した瞬間、大蛇は首を急旋回させたが、ダメージにならなくても問題ない。


(シンダーズは、戦いの最初にこれ(凹み)を利用していた)


 大蛇が上から押し付ければ押し付けるほど、水面は大きく窪む。光球の爆発で連撃が止んだ瞬間にこそ、窪んだ反動が、トランポリンの容量でグランを空中に投げ飛ばす。


「あ、があああああああああああああああッ」


 大蛇が焦げた臭いを漂わせて衰弱していなければグランは死んでいたかもしれない。不幸中の幸いだ。電撃のように走る激痛は寧ろ強く三日月を握る力を与えて、簡単に拳から抜け落ちはしないだろう。


 斬。運動エネルギーが牙を剥く。

 天に向かって首を穿ち、単独で討ち取ること実に四本目の快挙。


「『オリヘプタ』」


 宙に煌めく光は攻撃の為ではなく、もはや力を出し尽くしたグランが空中で襲われるのを回避する為の、緊急脱出だ。大蛇の反撃を喰らうよりも、無理やり軌道修正して湖上に不時着する方が安全と言えるこの状況が恐ろしくてたまらない。


 ここまでやったぞ。

 いま、二週間という短期間で鍛えたグランが単独で抗えるのはここまでだ。故に、残りは仲間に託す。

 十分に時間は稼げたと自画自賛してもし足りない気分で拳を突き上げ、


 シィーーーーーーーィィィィィ!!!!!! と。


 何者をも動くことすら拒絶する甲高い叫びがあった。

 金属音とモスキート音を混ぜたような不快な高音は先刻同様、世界が停止したような錯覚をグランに覚えさせる。

 つまりそれは、厄介なアレが起きる合図だ。


「ッこんの畜生……どこまで絶望させるつもりなんだ、蛇野郎が……!!」


 間に合わない。

 聞くだけで動けなくなる不可思議な悲鳴の後では、もう仲間が最速で動いたとて止められない。罵詈雑言を吐き散らそうとも変えられないものはある。


「ああもう」


 上体を起こそうとするも上手く力を込められず、ただ強大な敵を睨み付けて、


「火傷も、首も、何から何まで再生させやがって!!!」


 綺麗さっぱり復活した外観を見せられたら、大蛇も大蛇で息を切らして動きがノロいとかじゃ気晴らしにすらならない。


 激戦は第三ラウンドに突入した。


 そして、ヘキサアナンタと名のある魔物は学ぶ。

 眼前に転がる人間は満身創痍だが、もしここで完全に仕留めきれないのなら次こそ命の危機であると。魔法での反撃を想定した場合、加えてどこかに隠れている他の人間も一網打尽にしたいとする場合、何をすればいいかは、大蛇の脳内で瞬間的に選択されたのである。


『光と影があればいい(モノトーンソート)』


 奥の奥。

 すなわち、六つの頭から供給され一つに集まる、究極のエネルギー砲がカウントダウンを始めた。


==========


 虚空を見つめるようであった。

 現実逃避をしたいと心が熱烈に叫んでいた。


「どうするつもりだ」


 こんな時だって言うのに我知らぬ調子で投げかけてくるのが憎たらしい。けど、あまりの無力感は反抗する意思すらも冷ましきっていくのだ。

 湖の岸辺の、倒壊した木陰に隠れながら。大きな体格で本当に隠れきれているのかは脇に置いておくとして。

 シンダーズ・アッシュは立ちすくんでいる。


「あれだけ『この戦いの鍵』だのと持ち上げておいて、当の小僧がなす術なく負けそうな時には見殺しか。まあ、あの小僧でも対処できないものを、お前らが今から助けに入った所で同じ目に遭うだけか?」


「うるさい。うるさいんだよね」


「なら黙らせてみればいい」


 手なんてどれだけ伸ばしても届かない距離。そこに、首を再生させた蛇と屈するグランの姿を見て、なおも身体が硬直してしまう。


「少し動けば触れる距離にいる俺にすら何もできないか。それじゃあ、小僧を助けに行くなんて夢もまた夢だ」


「おいらはグランを見ているんだよね。だから黙っててね」


 散々シンダーズに悪態をついて嘆息するのは鉈を携えた青年だった。

 十分前、シンダーズとゲミューゼが漁夫の利を狙う魔物たちの襲撃に遭っていたところ、草むらを掻き分けて合流したのがシルラプラ・オ・ニだったのだが。


「解毒草を覆うルーシャの結界があの光線の余波を受けても無事だからこっちに来たのはいいけどね、上からおいらに指示するならね、そっちが飛び出せばいい話じゃないかね」


「逆に問うが、本当にそれでいいのか?」


「———、」


「この場合の沈黙は肯定とは受け取らない。仮に俺が腑抜けの立場で、キラールさんが俺の立場ならそう言うだろうな」


 人生の全てを洞窟の狭い世界で生きてきたシルラプラは外の世界と、外に住む人間が嫌いだ。その前提を踏まえれば、彼の言葉はただシンダーズを傷つけるだけにも思えるが、さて。


「おいらは、どうするべきなんだね」


 語感の強さ、もとい言い方の問題を抜きにして、見方を変えて青年の言葉を反芻してみれば、だ。

 シンダーズは心底シルラプラが嫌いだけれど、ちゃんと気付いていた。


「そんなものは腑抜けが決めることだ。そんで、腑抜けたその心の中に既にあるものだ」


「おいらの心の中に、既に?」


 青年は外界の人間が嫌いだ。その意味では、彼らは互いに互いを嫌い合っていることになる。

 だがしかし、青年はインティグキラールに師事し、また外の世界には『約束を守る』ことを担保にするイかれた小僧がいることを知った。実際にその小僧とやらは現在も忠実に、約束を果たすために解毒草を守り抜いている。

 シルラプラは常に観察している。

 そして感じたことをそのまま告げる。嫌いだからと言って無視することはない。だから告げている。


「時間はないぞ、腑抜け。すぐさま自覚しろ。心ん中に、自分がどうするべきと考えているのかをな」


 シンダーズ・アッシュは目を瞑る。

 絶望たる特大光線の予兆が現れたことを視認した上で、無力感に苛まれてから初めて戦場を眺めることをやめた。大きな決意が、この数秒に託された。

 すなわち命題は。


「おいらは、何をしたいのか」


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