第22話「強大すぎる力」
「――疲れた」
言いながら、シンは埋もれるように寝室のベッドに倒れ込んだ。アルゴード城の夜のときのことを思い出したが、それとはまた違う緊張感だった。
客観的にみれば、ただ用意された椅子に座り、イーリスたちの熱弁に耳を傾けていただけだったかもしれない。だが、それらすべてが自分だけに向けられた言葉であることを思うと一瞬たりとも気を抜けなかった。
結局、シンはその場で自分の所属先を決めることができなかった。
ギルドによる審査が終わり、晴れてアインズ・ギルドの一員になれた日にあらためて返事をするということを無理やりのように伝え、ようやくレリウスの屋敷の自室まで戻ってこれたのだった。
とはいえ、月に一度行われているギルドの所属試験を受けたあと、どのパーティに入るか決めなくてはいけない。
なんとか今日聞いた話を反芻しようとしたが、頭が疲弊しきっていてまったく働いてくれなかった。
屋敷に引き上げてくる途中フェイルともおおいに話し合ってみたが、「なるべく金の払いが良く女の多いギルドにしよう」とか、「あいつはなんか顔が気に喰わないからやめておこう」とか、たいした役に立たない助言ばかりしてくるのだった。
⦅ずいぶん収穫があったようだな⦆
シンは一瞬頭を浮かしかけたが、再びベッドに顔を埋めた。
(いきなり共鳴してくんのやめろって何度言ったら)
⦅ならこの窓を開けろ、外にいる⦆
シンはしばらく動かないでいたが、テラの催促する声にうめくような声で応え、ふらふらと立ち上がり、緩慢な動作でテラスへと出た。
「収穫って、なんのことだよ」
テラが、いつものフクロウよろしく首を傾げる。
「ギルドに所属し、組する仲間を選び、あの娘のパレスガードになるべく闘技大会にも出るのだろう。おまえにしては上出来じゃないか」
「それはそうかもしれないけど」つい口を尖らせてしまう。
「まあ今のままでは苦労するのは目に見えているがな」
「どうしてだよ」
「おまえには相手を傷つける、打ち負かすという意志が決定的に欠けているからだ。以前ベイルとかいうやつと相対したとき身に染みて感じただろう」
言い返すこともできず、黙ってうなずく。
「そんなんでよくも闘技大会になど参加しようと思ったものだ。それほどあの娘に惹かれたか」
「そんなんじゃない」
思わず声が強まり、気まずくなって目をそらした。
空には今日も怪しくも美しい巨大な月が浮かんでいる。そんな光景を目にするたびに、自分が異世界にいるということを思い知らされる。
「ギルドに所属できれば食うに困ることも露頭に迷うこともない。おまえはもう一人で生きてゆけるだけの力も居場所も得たはずだ。それなのにここを離れようとしないのは、あの娘がいるからだろう」
「自分でもよくわからないんだよ。一緒にいるって、確かにそう約束したけど……本当におれなんかのことを必要と思ってくれているのか今じゃ自信ないし。けど、ここへ来て初めて出会ったのがラスティアだったこととか、これまでの成り行きや今回のパレスガードのことを考えると、ラスティアのそばにいるのがすごく自然なことのように思えるんだよ。まるで誰かにそうしろって言われているような気がして」
それにもう一つ。口にはしなかったが、ラスティアたちとの繋がりみたいなものを失くしてしまうと、この広い世界にたった一人で放り出されてしまうような気がしていたのも確かだった。
ぽっかり空に浮かんでいる、あの月のように。
テラは羽を大きく広げるようにしながら再び首を傾げた。
「本当におかしなやつだ。己の意志ではなくそのような曖昧な感情で動くとはな」
「いいだろ別に」
「よくはない。明確な意志を持たなければおまえはまた失敗する。ベイルとの闘いで思い知っただろう」
あの、ベイルの腕を握りつぶしたときの感触は消えることなく残っている。そして、一瞬にして塔から消え失せたリリの姿も、目に焼きついたままだ。シンの拳に自然と力が入る。
「いくらエーテライズの業を身に付けてもその軟弱な意志ではまた同じあやまちをくりかえすぞ。たとえ感情や直感で動いたとしても一度決めたことには腹をくくれ、揺らぐな。おまえが守ろうとした相手だけでなく、おまえ自身の身にも危険が及ぶやもしれん」
そうだ。今日自分が飛び込んだ世界、やろうと決めたことは、今まで経験してきたものなんかとはわけがちがう。身の安全など誰も保証してはくれない。自分はもちろん、相手さえも深く傷つけることになるもしれない。
だが、それでも――
「せめてラスティアが安全に暮らせるようになるまでは、俺に出来ることはしてあげたいんだ。おまえの言うとおり、リリのことは俺がしくじったせいだ……ラスティアたちを襲った犯人もまだわかっていないみたいだし、次の王様が決まるまではいろいろあるみたいだから」
「そう思うならこんなところに引きこもってないであの娘のそばへ行ってやればよいものを。今のおまえはそこらのエーテライザーよりよほど強い。そもそもパレスガードになどならなくても護衛くらいいくらでも引き受けてやれただろう」
「フェイルが言ってたこと覚えてないのか、ずっと聞いてたんだろ?」
「私がおまえたちのくだらない話を一から十まで聞いていると思っているのか」
「別にくだらない話ばかりしてたわけじゃない――今ラスティアの周りはいろんな人間が集まってきてるみたいなんだ。だから、おれみたいに素性のわからない人間は近づかない方がいいんだって」
「どういうことだ」
シンは昼間フェイルから聞いた話をそのまま伝えようと慎重に口を開いた。
「いくら他の王子王女より序列が劣っていっても、ラスティアが王位継承権をもつ王族であることに変わりはないから、権力の中枢にいる人たちやその恩恵に預かろうとしている人たちがいろんな理由や目的をもって近づいてくるらしい。しかもレリウスだけじゃなく、リヒタールさんとルノさんもラスティアへの支持を表明したから、王宮がひっくり返りそうな大騒ぎなんだって。俺にはさっぱりわからないけど」
「なるほど。得体の知れないおまえのような人間が王女のまわりをうろついていると良からぬ噂がたち、今後の王冠争いにも影響が出るということか」
「だからフェイルもラスティアには近づかないようにしてるんだって。気にしているのはラスティアじゃなくレリウスたちらしいけど」
「だろうな。あの娘からは権力に対する欲望といったものがまるで感じられん」
「今回のパレスガードのことについて、イーリスさんはラスティアが名乗りを上げたって言ってたけど……ラスティアの性格的にそんなことはしないんじゃないかって思う。だから本当に参加していいものか、実は迷ってる」
「直接本人に聞いてみればいいだろう」
「だから、いま会いに行ったら迷惑なんだって」シンはため息交じりの声で言った。「ちゃんと話聞いてたか?」
「おまえの頭と一緒にするな」テラがさも心外だと言わんばかりに言い返してくる。「これから王宮にあるあの娘の寝室まで行ってこい。ちょうど月も雲で隠れてきている、侵入するにはもってこいの夜だ」
大きく羽ばたいたテラの翼の先には、アインズの王宮が水上に煌々とした明かりを反射させながらそびえ立っている。
「ごめん、ちょっとなに言ってるかわかんない」
「誰にも見つからないようラスティアの寝室へ侵入しろと言っている」
「ばかなの。そんなことできるはずないだろ」
「できなくはない。今のおまえのエーテライズであれば城壁をよじ登ることも塔の上を飛んで歩くことも可能だろう。感知能力を駆使すれば見張りの兵の気配や視線に気づくことも可能だ。つまり、誰にも見つからず王宮のような場所に侵入しようとすれば精密なエーテライズが必要になってくる。実にいい修錬だ」
「おまえなあ……いくら話す機会がないって言っても女の人の寝室に忍びこんだら確実に犯罪だろ。見つかったらどうなるかなんて考えたくもない」
ラスティアやレリウスに土下座して謝っている自分を想像しただけでも冷や汗が出てくる。「ラスティアの寝室に忍び込もうとしていました、すみません」とか、ホント笑えない。
「そんなことするくらいならレリウスから詳しく聞くよ。忙しくてすぐにはつかまらないかもしれないけど」
「まあそれはついでのようなものだ。本当の目的は今言ったようにエーテライズの修練にある。おまえ、闘技大会に参加すると簡単に言っていたが、格下のエーテライザー相手に全力でなんてぶつかってみろ。間違いなく殺してしまうぞ」
思わず言葉に詰まった。いくらテラが介入していたとはいえ、ヘルミット相手でさえ腹を突き破りかねない力の差があったのだ。
「これからあの娘とと共に表舞台へ出て行くつもりなら今まで以上にエーテルを操れるようになるんだな。強大すぎる力は諸刃の剣にもなる。ギルドで測定器を前にしたときのこともそうだ。運よく好意的に迎えられたからいいようなものを、一つ間違えれば化け物扱いだった。いくら闘技大会という場とはいえ、むやみに人を殺せば犯罪者の烙印を押されかねん。良くも悪くも今のおまえにはそれだけの力があるんだ。人々から追われ、恐れられ、孤独のうちにここを去るようなことをしたくなければその自覚をもって修練に励むんだな」




