フェリア・ロータス
「国旗を掲げよ! この戦にて我等は、かの国を蹂躙する!」
宰相がそう叫んだとたん、周りの兵士達が口々に歓声を上げていく。
これまで多くの辛酸を舐めさせられ、苦渋に満ちた決断を余儀なくされてきた私達からすれば、それも当然の事のはずなのに、私はそれを何の感慨も無く受け止めてしまっていた。
国の為にと尽力し、研鑽を続けていたあの日々は何だったというのだろうか。
それもこれもあの馬鹿が……あの大馬鹿者のせいだ……
「……フェリア、大丈夫? やっぱり無理はしないほうが……」
いつの間に傍に来たのか、私の隣には心配そうな顔をしたニーアとカエラが立っていた。
「心配は無用だ。この戦に賭ける意思は何人にも負けはせん」
――嘘だ
私の頭にはもう、この国の未来さえ描けてはいない。
今の私が戦地に赴くなどと、あの馬鹿が知ったらどう思うだろうか。
「無理は禁物だよ。死んじゃったら意味が無い。名誉ある戦死なんて……もう、僕はたくさんだからね」
「ん。無駄死は許さない」
二人は目を伏せながらそう告げてくる。
私はそれを肯定することも、否定することも出来ずにいた。
――彩霞律の訃報
それはこれほどまでに私達に衝撃をもたらした。
いったい何がどうなってこのような結果になってしまったのか。
私達は何も知らされてはいない。
兄様にどれだけ詰め寄ろうと、あの人は何も教えてはくれなかった。
彩霞律は一人で敵地に赴き、名誉の戦士を遂げたと――そんな話を聞かされて納得をするとでも思ったのだろうか。
あの馬鹿は無謀で、どうしようもなく頭の悪い奴だが、大一番の戦を前にして愚行に及ぶような人間ではない。
それはこの数ヶ月を共にしただけの私ですら判断できる。
おそらくは何らかの陰謀に巻き込まれた――いや、足を突っ込んでしまったのだろう。
そしてその首謀者は間違いなく私の兄――ヴィンセント・ロータスに違いない。
あの人はこの戦に勝利するなら手段を選ばない。
たとえその結果、誰を失うことになろうとも。
「……覚悟の違いか」
常日頃から剣の腕を磨き、祖国のためにと邁進してきた私が、まさかここまで脆く甘い考えをもっていたなんて……
私はどこかで安心していた。
私はどこかで慢心していたんだ。
誰一人として失くすことはないと思っていた。
誰も欠けずにこの戦を乗り切れると考えていた。
――俺はもう何も失わない。その為にこの国で『騎士』になる
奴の言っていたことが……その重みが今になってようやく染みこんでいく。
私は本当の意味で、決意も覚悟も足りなかったということだ。
「ニーア・カロライン、祈梨嬢はどうしている?」
「うん……それなら、カモミールの二人に任せてきた。ごめん、リツのことはまだ……」
「そうか……」
私たちはまだ、彩霞律の死を祈梨嬢に告げられずにいた。
これまで何度も迷い、告げようとしては心が拒んだ。
それは私だけではない。
ニーアはもちろんのこと、カエラも同様だ。
彩霞律の死について知っているのは極少数の人間に限られる。
兄様――ヴィンセント・ロータスはもちろん、直属の上司であるライアス・ゴア中将、アルゴクライン少将、それに私を含めた奴に近しい見習い騎士のみ。
もちろん、大戦の前に姿をくらますなど『騎士道』に反する行為だ。
理由もなく姿を消した以上、中には、あの馬鹿が逃げ出したなどとのたまう輩も山程いる。
それでも、大半はきっと同じ思いを抱いているんだろうと考えてしまう。
そしてその理由こそが、心が拒む理由。
――あの男は帰ってくる
甘い幻想と希望かもしれないが、その可能性を捨てきれないのだ。
現に、この一件に関しては不可解が過ぎる。
得体の知れない死因。
発見できない遺体。
それに……
「カエラよ、今一度問う。そなたは本当にあの男の件について何も知らないのだな?」
「止めなよ、フェリア。それはこれまでに何度も……」
ニーアが私とカエラの間に割って入ってくる。
このやり取りはこの二週間で何度も繰り返されたものだ。
私はカエラを疑っている。
カエラは常日頃からあの男と行動を共にすることが多く、その全てが謎めいていた。
もしも私の考えているとおり、あの男が何らかの特殊な任務についていたのだとしたら、カエラが無関係だとは思えない。
現に今回の一件、あの男の失踪した日時、この国でカエラを見たものはいないのだ。
となれば、自ずと疑いの目を向けてしまう。
「そなたは何かを隠しているんじゃないのか?」
だが、カエラの顔色は変わらない。
「……ん。何も」
ただそうやって、言葉少なに否定を繰り返すばかりだ。
まるで、内に秘めた何かを無理矢理押し止めているかのように、無表情なまま……
「もう止めようよ、フェリア。僕達は仲間じゃない。リツだって言ってた、仲間内で揉め事なんて……」
「分かっている……分かってはいるが!」
思わず激昂してしまう。
大戦を前にして何たる醜態か。
それもこれも、すべてはあの男が原因だ。
「すまない、少し感情的になり過ぎた」
「ううん、大丈夫。感情的になっているのはフェリアだけじゃないよ……その気持ちは僕にだってよく分かる」
「ん。私のことを疑ってるのはそれでいい。でも、この戦だけは負けるわけにはいかない。あの人の為にも……」
二つの双眸が私を射抜く。
(ああ、やはりおまえは大馬鹿者だ)
こんなにもキサマのことを思う仲間がいて、どうしてキサマはそうなのだ。
剣の柄に手をかける。
それだけで、揺れ動いていた様々な感情が一つにまとまり始めた。
「私達は勝たなければならない。そして、必ず生きて帰ってくる」
勲功や名声のためでなく、ただ一人のフェリア・ロータスという戦士として、これ以上、あの男に負けるわけにはいかない。
「うん、僕も同じ気持ちだよ、これほどまでに戦うことに意味を見出したのは初めてだ」
「ん。絶対に負けない」
歩みを進める。
――女神エルファリアよ、どうか我等に勝利の加護を……




