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ひとかけの名残と紫苑の刃  作者: 紫木
仮初の守り手
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枠外の宣誓

 時刻は丑三つ――夜の帳が完全に落ち切った街の中、俺たちは一軒の屋敷を目の前にしていた。

 おあつらえむきに雨までもが降り始めている。

 人さらいや闇の仕事には、もってこいの状況だ。 

 

「ここが……?」

「うむ、この屋敷がクロウ・クリエストの持ち家じゃ」


 そびえ立つのは決して豪奢というわけではないが、それなりの敷地面積を持つ屋敷の姿であり、人一人が住むには、あまりにも大きいように感じる。

  

「中の警備はどうなってる?」

「阿呆、一介の将校ごときの屋敷に警備もなにもあるまい……今現在、この屋敷に住んでおるのはネネだけじゃ」

「ん。なら、騒がれなければ問題なさそう」


 言葉とは裏腹に、カエラの顔に楽観の色はない。

 あくまでも、これは闇の仕事(・・・・)、その辺りの緊張感は、俺にもひしひしと伝わってくる。


「さて、ここで突っ立っていても進展せん。――動くぞ」


 そう言うが早いか、女は瞬く間に屋敷の塀を飛び越えていってしまう。


「ん。行こう」


 続くカエラの動作にも躊躇はない。

 もともと身軽なカエラにとって、たかが大人一人程度の高さの塀なんて、あってないようなものだ。

 すぐさまその姿は闇の溶け、音もなくこの場から消え去ってしまう。


(さて、俺も続くか……)


 本来ならば、この塀を乗り越えるのは俺だけのはずだった。

『特務』でありながらも、これは俺の我侭も混じった蛮行だ。

 正体不明のあの女はともかく、出来ればカエラには遠慮してもらいたかったところだが、それをいまさら口にするのも憚られる。


(今はとにかく、何事もないように細心の注意をはらって行動しよう……)


 そう考えながら、俺はその身を闇へと埋もれさせた。




 屋敷の庭へと降り立つと、俺たちは花壇を踏み荒らさぬよう、それでいて最短の距離で屋敷の傍まで身を移す。 


(人の気配は……ない)


 この屋敷にいるのが、標的一人だというなら話は早い。

 さりとて、もしも何らかの要因で第三者がいるのだとすれば、大幅に話はややこしくなる。可能な限り戦闘行為は避けたいところだ。

 

「ふむ。どうやら、曲者は妾たちだけのようじゃのう」

「……正鵠を射すぎてて笑えねえよ」


 そんな軽口を交わしながらも、女は窓枠の下まで移動すると、目に見えぬ速さで腰の得物を一閃させた。


「……あいかわらず、とんでもない腕前だな」


 見れば、窓枠は綺麗にくり抜かれ、下の芝生へと落ちていく。

 まるで音も聞こえなかったし、硝子にヒビが入った様子もない。


 無音の境地――それは俺が修めた雅流一仭(がりゅういちじん)の最果てだ。


(やっぱり、この女は俺の師匠と何処か通じるものがある……)


「間抜け面するでない。――知りたければ鍛えよ。望みがあるなら力で唱えよ」

「……ああ?」

「くっくっ……、深く考えるでないわ。年長者ゆえの戯言じゃ、聞き流せ」


 妖艶に艶かしく笑いながら、しな垂れかかってくる女を無言で引き離し、俺はすぐさまカエラへと目配せする。

 気になることは、それこそ山のようにあるが、今は優先すべきことを先に済ませるべきだ。 


「ん。先行する」


 カエラはその小柄な特徴を生かし、一足飛びで屋敷の中へと飛び込む。

 そして数秒の間を置くと、「ん。大丈夫」とこちらに向かって手の甲を見せてきた。

 ……どうやら、人の姿は見当たらないらしい。


「行くぞ」

「重畳じゃ」


 まずは俺がカエラに続く形で屋敷の中へと飛び込み、その後を女が追いかける形になる。


「……ふむ、いささか拍子抜けじゃが……まあ良い」

「何をあんたは……」


 若干の皮肉を込めた俺の視線も意に介さず、女は先へ先へと歩を進めてしまう。


「ん。大胆というか豪胆。……あまり一緒に任務はしたくない」


 女の後ろへと続きながら、俺はその意見に大きく首肯する。

 この女の行動指針はともかく、自らが危険を望んでいるかのような発言や態度には、俺も辟易していたところだ。


「そう褒め称えるでないわ。照れるじゃろうに」

「ん。やっぱり思考回路が麻痺してる」

「……カエラ、あんまりそいつに関わるな、苦々しくなるだけだぞ」

「はっ、初心(うぶ)な少年少女じゃて、荒事に高揚を覚えるのも、これまた雅な生き方じゃろうに」


 げんなりとした顔をする俺たちに、女は極上の笑みを浮かべながら振り返る。

 

「まあ、今宵ばかりはその雅さも捨てておこう。――着いたぞ、この部屋がネネの寝室じゃ」


 見れば、木製の扉には綺麗な飾り付けがしてある。

 花をあしらったその木片の中には、確かに『ネネ』という文字が刻まれていた。 


「ん。じゃあ、鍵を開ける」

「……待ってくれ」


 早速その場に跪いたカエラを、俺は片手で制止する。

 そして、そのままその手を上まで持っていき、三度ほど強めに手の甲で扉を打ち付けた。

 

「え!?」

「ほう……」


 驚愕と愉悦を含んだ声に挟まれながらも、俺は扉を打ち続けるのを止めない。


「……むにゅ……だれ……?」


 突然の――しかも真夜中の出来事に驚いたのか、扉の向こうからは眠気と不安の入り混じった声が聞こえてくる。

 俺はそれに罪悪感を抱きながらも、部屋の中まで聞こえるように声をかけた。   


「寝てるところ起こしちまって悪い……俺たちはキミをクロウに会わすために、キミを攫いにやって来た」


 自己紹介よりも、まずは要件を――この子がそれを望んでいないなら、俺はこの場で引き返すことすら視野に入れないといけない。


「……お父さん?……あう……ちょっと……待ってくださいね」


 ごそごそとした音が、扉の向こうから聴こえてくる。    

 

「ん。訂正、大胆すぎるのはあなたも同じ……肝が冷えた」

「くっくっくっ、まあそう言うでない。少年の行動は褒められたものじゃろ? なにせ、不法侵入をしておきながら、あの態度じゃからのう」


 粘着くように二人の視線が絡みついてくるが、俺はそれに取り合わず、その場で待ち続ける。

 すると、目の前の扉がそっと開かれ、 

 

「あう……どうぞ……お入り下さいませ」


 と、褐色の肌をした少女が顔を出してきた。

 年の頃は祈梨と同等、浅葱色の洋服が映え、何とも大人びて見える。


(それにしても、警戒心が薄いな……)


「おお、久しぶりじゃのう、ネネ。その様子じゃと元気にはしておったようじゃな」

「あう……ヨウ様まで……お久しぶりで御座います」


 元から顔見知りの女は、何の遠慮もなくネネの頭を撫でつけると、そそくさと部屋の中に入っていく。


(うん? ヨウ様? そんな感じの名前、最近どこかで聞いたような……)


 俺はしばしその場で頭を捻っていたが、「あう……どうぞ……」というネネの再びの催促もあり、考え事を後回しにせざるをえなかった。


「あう……お茶をお淹れしないと……」


 俺たちが部屋に入るやいなや、ネネはバタバタとした足取りで右往左往とし始める。

 何ともその姿は面白かったが、別に俺たちはお客様というわけじゃない。


「いや、お茶はいいから……」

「あう……」


 見るからに肩を落としてしまったネネを見て、女が大げさに肩を竦めている。

 あの顔をみるからに「やれやれ、少年はまだまだ少年よのう……」と思っているに違いない。


「……まあ、いまのは俺が悪かった……ごめん。ただ、今はあんまりノンビリとしている時間はないんだ。まずは、俺たちの話を聞いて欲しい」

「あう……お父さんの話ですね……わかりました……では……失礼しますね」

   

 いったいどういう教育を受けたらこうなるのかは知らないが、ネネはその場で膝を折り、倭国でいう『正座』の体勢をとってしまう。


(クロウ……あんたいったい、自分の娘にどんな躾を……)


 かつての好敵手に戦々の思いを抱きながらも、俺はここへ来た理由をネネへと丁寧に説明していく。『特務』としての側面だけは伏せることになったが、自分たちが敵対国の人間であること、そして、俺自身がクロウと死闘を繰り広げたことまで、つまびらかに説明をする。

 

 ――すべてを知った上で、ネネにこの先の決断を下してもらうように……


 ネネは俺の話を聞き終わると、ぽーっとした様子で視線をさまよわせてしまっている。


「あう……すいません……よく……わかりませんでした」


 その様子に「無理もない」と感じながら、俺が再度、簡略化して説明をしようとすると、


「でも……」


 と途切れそうなほど小さな声で、ネネが先を続けてきた。


「でも……お父さんには……会いたいです。ネネには……お父さんしかいませんから。お兄さんは……嘘吐きですか? そうじゃなかったら……お兄さん……ネネを……どうか連れ去って下さい」


 そう言って正座の姿勢のまま頭を下げようとしたネネを、俺はすぐさま両手で押し止める。

 この場でネネを、そんな格好にさせるわけにはいかない。 


「……あう?」

「頭を下げる謂れはない。俺はその為に、ここへ来たんだ。安心しな……俺が必ず、キミをクロウのもとへと連れて行く。見習いながら、ここから先は、俺がネネの騎士だ。この刀に誓い、キミのことは俺が守り抜いてみせる」


 ネネを立たせてやり、目線をしっかりと合わせ、俺は誓いの言葉を口にした。


「あふっ……!」

 

 何故だかその場でそのまま後方に倒れていきそうだったネネの身体を再度支え、俺は早々に支度をするよう言い聞かす。 

 その間、これからの事を話し合おうと振り向くと、


「……うーん。少年は少し、気障が過ぎるのう。まさか、ネネほどの幼女を誑かしてしまうとは……」

「ん。これは由々しき問題。……帰ったら、祈梨ちゃんに報告」


 とんでもないほどに冷たい視線が、俺のことを待ち受けていた。

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