フェリアの懊悩(下)
フェリアの顔には、怒りの色がありありと浮かびあがっている。
こいつにとってモフランの行動は、それほどまでに許しがたいものだったんだろう。
だからこそ、公共の場所で、あのような揉め事を起こしてしまった。
「ニーア・カロラインも聞いたはずだ。あの男は最後まで私の言うことを聞き入れず、自分の栄誉を優先させた」
「でも……でも、モフランだって、勢いで言っちゃった可能性も……」
「ん。それはない。あの人は基本が臆病。フェリアに剣を抜かれてまで、勢いは保てない」
「カエラの言うとおりだ。あの時の私の行動が正しかったとは言い難いが、あの男はそれすらも跳ね除けた。もはや、疑う余地はない」
またしても、俺たちの間に重たい空気が流れはじめる。
フェリアの言っている事は正しい。それは俺にだって理解はできる。
だが、それは正しすぎるとも言い換えることができる。
フェリアのように真っ直ぐとしか生きられない人間には理解できないだろうが、目的のためには手段を選ばないのも、ひとつの方法だ。
日頃から、モフランには手段を選ばない光景が多々見受けられた。
あいつがその方法を選んだとしても、何もおかしなことはない。
それに、――――それは、俺も似たようなものだ。
「フェリア、おまえはその法案に反対なんだな?」
「当たり前だ! 騎士とは鑑であるべきもの、そのような驕り高ぶった精神で務まるわけがない!」
「だが、おまえはこうも言った。この法案は、もうすでに施行されたと。それなら、どれだけその法案がおまえにとって悪法であっても、おまえには従う義務がある」
「見損なったぞ、彩霞律! キサマ、この期に及んで権力に……!」
「落ち着け、別におまえのことを否定したかったわけじゃない。ただ、今後、おまえは、この件について口出しするな」
「何!?」
「頭の固い奴だ。貴族であるおまえが、表立ってこの法案に反対してみろ? ヴィンセントの立場はどうなる?」
「ぐっ……それは! だがしかし……」
「勘違いするなよ、フェリア。俺は別に、この法案を全面的に支持するわけじゃない。ただ、悪法には悪法なりの潰し方もある。ここから先は、俺に任せろ」
フェリアが、いや、ニーアとカエラまでもが息を飲んだのがわかる。
それほどまでに、俺の言っていることは馬鹿馬鹿しいことだ。
一介の、それも異国から来たような訓練生が、法を潰すと宣言したんだ。
正直、自分でもどうかしているとしか言いようがない。
「ん。……、正気? あなたはただでさえ問題児。これ以上騒ぎを起こせば……」
「そ、そうだよ! リツはこの国に来てから問題づくめなんだよ? きっと、次は除籍処分に……」
「おまえ等が、俺のことを、どう思ってるのかはよくわかったよ……」
揃いも揃って問題児扱いしやがって。何度でも言うが、俺は巻き込まれているだけだ。
「彩霞律、キサマ、いったい何を考えている?」
「別に、具体的なことは何も……。だが、この法案が生き残ると、俺にとっても不都合なことが多過ぎる」
この法案が推し進められれば、俺たち異国民の排他は免れない。そうなれば、うちのクラスの連中も黙ってはいないだろう。
――――下手な法案で、無駄に血が流れるのもおかしな話だ。
「とりあえず、俺はフェリアの側につく。だから、おまえは大人しく従順に、その法案の指示に従え」
「……キサマに言われるのも癪だが、今回ばかりはその案に乗ってやろう。いいか? 決して馬鹿な真似だけは……」
「はいはい、それじゃあ、俺はちょっと先に帰らせてもらうぜ。祈梨と昌運のことは……」
「それは大丈夫だけど……、こんな時間にどこに?」
「ん。怪しい、私も付いてく」
「それがいいだろう。私も出来るなら、この馬鹿から目を離したくはないが、……さすがに今日はそのような余力がない」
冗談だろ? 俺って、そこまで信用なかったのか? って、その目を見れば聞くまでもないか。
「ん。ここは……」
「見てのとおり、王城だよ」
俺たちは喧騒冷めやらぬ街を背に、王城の前までやって来ていた。
あいつ等との話を切り上げてまでこの場所を訪れた理由はひとつしかない。
ヴィンセント・ロータス。この国の近衛騎士でありながら、俺の直属の上官でもあるその人物に、面会をするためだ。
こういったややこしい話は、あいつから直接話を聞くに限る。どうせ、あいつのことだ。俺がここに来るのも、ある程度は予想しているだろう。
「よぉ、遅かったじゃねえか」
ほらな、だからこうして、門前で声をかけられても不思議にも思わない。
しかし、芸のない挨拶だ。
「オッサン、いつからそこで待ってたんだ? もしかして、門番にでも成り下がったか?」
「減らず口を叩くな。俺だって好きこうしてたわけじゃねえんだよ。おらっ、とっとと行くぞ……っと、なんだ、カエラも一緒なのかい」
アルゴはそこでようやくカエラの存在に気付いたみたいだ。カエラは普段から気配を殺す癖があるからな。気付くのが遅れても無理はない。さて、しかし、どう説明したものか……
「ん。お目付け役、この人が無茶をしないように見張ってる」
「ああ?」
「ん。それに、私はこの人のパートナー。これはライアスから直接言い渡された命令。いついかなる時も、離れるつもりはない」
珍しいことに、カエラがアルゴに詰め寄りはじめた。
これにはアルゴだけじゃなく、俺まで驚きを隠せない。
普段なら、感情的になることなんてほとんどないのに、いったいどうして……
「……あのカエラがここまで懐いちまうとはねぇ。喜ばしいっちゃ、喜ばしいことだが、今回ばかりは、さすがに俺の一存じゃあ……」
「構わんよ。オレの親友がここまで連れてきたんだ。それだけで、その彼女は信頼に値する」
言い淀むアルゴの背中を押したのは、城門から悠然とした足取りで現れた銀髪の貴公子だ。その姿は、無駄に月夜に映えている。
「……テメーがここまで来ちまったら、俺がわざわざここで待ってた意味がないだろうが、ヴィン!」
そう、その男こそが俺の直接の上官であるヴィンセント・ロータスであり、
「そう固いことを言うな。今日はそこまで寒くもないだろう? それに、おまえのおかげで門番たちを休ませることもできた」
このように、人を手球に取ることに長けた人間だ。
後にも先にも、将校であるアルゴを、ここまでぞんざいに扱う奴もいないだろう。
「ちっ、好き放題言いやがって……」
「お? なんだ、いつもみたいに突っかかってこないのか?」
「ふざけんな、俺にだって、いまがどういう時かくらいは理解できてる。……それで、本当にいいのかい? カエラまで巻き込んじまって……」
「問題ないさ。その子が『特務』を担っていることも踏まえれば、何ら問題はない。ライアス殿にはオレの方からも説明しておこう」
何やら、アルゴとヴィンは好き放題に話を進めているみたいだが、そろそろ俺にも説明をして欲しい。そうでもないと、さっきから隣で俺のことを睨み続けているカエラに、弁明のしようもないからな。
「ん。やっぱり隠しごとしてた」
視線が鋭く突き刺さる。
心持ち、声も低くなっているような気がするのは、俺の気のせいか?
「おい、律。何をボサッとしてるんだ? とりあえず付いてこいよ。その子のことなら大丈夫だ。一緒に連れて来てくれ」
「……説明は俺任せか?」
「あたりまえだろ? おまえのパートナーなんだ、おまえの口から説明しないでどうする。君もそうは思わないか?」
「ん。問題ない。道中で説明は聞かせてもらう。この人から、じっくりと……」
背筋に冷たいものが走りぬける。
俺には新法案の施行がどうこう以前に、目の前にいるカエラのほうを、何とかする必要がありそうだ。
俺たちがヴィンに先導されてやって来たのは、以前にも訪れた、王城内部にある訓練広場だった。
門前からここに来るまでの出来事は、思い出したくもない。
――まさか、カエラがあそこまで鬼のような責め方をしてくるなんて……
いつもは冷静に構えているだけに、意外な一面を垣間見れた。とりあえず、今後はカエラに隠しごとはしないほうが良さそうだ。
「ほらっ、律。受け取れ」
俺が途方に暮れていると、ヴィンからひと振りの模擬刀が放り投げられてくる。
何だ? いきなりこんなもの渡しやがって……
「普通に話をしても味気ないだろ? ここはひとつ、オレと一戦交えてみないか?」
「……ヴィン、おまえ、少しぐらいは真面目に……」
言いかけた言葉を、俺は途中で飲み込むはめになる。
なぜなら、その時のヴィンの顔が……
「頼むよ、律。こんなことは、おまえぐらいにしか頼めないんだ。憂さ晴らしだとでも思って、一戦交えてくれ」
俺の見たことのない、弱りきった顔だったから。




