フェリアの懊悩(上)
俺たちは急遽予定を変更し、大通り沿いの飲食店で腰を下ろしていた。
あんなことがあった後では、さすがにいつも通りカモミールへと行くわけにも行かない。シェリとリナは、何だかんだと気遣いをする奴らだしな。揉め事を持ち込むのは、あまり好ましいことじゃない。
「めにゅーなら、わたしにまかせてください。とっておきをおみせします」
「そこはかとなく胡散臭いんだけど……、まあ、いいや、それじゃあ注文は祈梨っちにお任せしようかな。どうせ、あたしにはよくわかんない食べ物ばっかりなんだし」
「しょうちしました。ではまず、鳥さんからせめることにしましょう」
祈梨の相手は昌運が自ら買って出てくれた。本人に言わせれば、「部外者が立ち入る気も、口出しする気もないよ。まあ、侘びとして祈梨っちは借りてくけどね」だそうだ。こういうところの気の回しようも、じつに昌運らしいといえば昌運らしい。
「順を追って説明しよう。事の発端は、アルゴ少将からの提言だった」
フェリアがようやく口を開き始める。冷静沈着なコイツが、あれだけ取り乱していたんだ。俺たちは神妙な面持ちで、フェリアの言葉に耳を傾ける。
「私たちが呼び出された理由は、今回施行された『軍の再編案』にまつわるものだった。その内容は単純かつ明快なものだ。『名家、あるいはそれに並ぶ貴族の人間を、無条件で一段階特進させる』。簡単にいえば、騎士見習いであり、かつ貴族出身の私たちAクラス在籍の者を、国を挙げてまで『正騎士』に任命しようという話だ」
なるほどね。それなら、フェリアが苦々しい顔をしているのもよくわかる。コイツは人一倍そういう特権的なものを嫌い、過去にはアルゴに楯突いたこともあるぐらいだからな。だが……
「腑に落ちない点がある。『正騎士』っていうのはこの国の象徴なんだろ? しかも『仁』『義』『体』を重んじる以上、訓練課程の人間を、そう易易繰り上げていいものでもない。そんな前例をつくってしまえば、『騎士』っていう制度そのものが破綻し、腐敗する」
血筋がどうとか、繋がりがどうとかっていうのは、倭国でも十分に適用されていた法案だ。だが、あの国でも『侍』というものにだけは決して、それを適用することが許されなかった。それは『侍』というものが、倭国にとっての象徴だったからに他ならない。いかに国が迷走したとはいえ、自分の国の象徴を安売りするような真似をするんだろうか。
「キサマの意見も、もっともだ、私も全く同じことを考え、そうアルゴ少将へと意見を申し上げた。しかし、事態はそう容易いものではなかった。この件は、オブリル卿を含め、名立たる貴族の面々が強引に事を推し進めていたものらしい。言わば、これは、この国における規定事項のようなものだと考えられる」
圧力、か。
いかにも、あのジジイがやりそうなことだ。
「それならあれか? この国は血筋に重きを置くことで、騎士というものに一定の純度を保ち、騎士であるがゆえに、血筋の重さを、より高貴なものにする。――――対外的には十分な理論だが、戦時中の国家とは考えられないほどの愚策だ」
――それに、それが本当に事実だとしたら、俺たち異国民に未来はない。
もとより使い捨ての駒扱いされていたのは承知していたが、その先の未来まで完全に閉ざすような法案を施行するとは……。なかなかに恐ろしいことを考えるじゃないか。この情報が漏れでもすれば、いつどこで内乱が起こっても、おかしくはない状態になる。そうなれば、この国は隣国の侵攻を待つまでもなく、滅びの道を歩むしかない。
「彩霞律、やはりキサマもそう思うか?」
「あたりまえだ。高貴な精神は結構だが、力なき正義もまた無力。戦争ってのは、心持ちだけで戦えるものじゃないんだからな」
「なるほど、やはり、アルゴ少将の慧眼に間違いはなかったようだ」
「ああ?」
「少将はこう仰られていた。「あのクソガキなら、俺と同んなじように憤るだろうよ。何せ、この法案には何一つ、アイツの望む未来が待ってねえんだからな」と」
フェリアの顔にも、どことなく笑いを噛み殺しているような感じが見てとれる。
俺としては見透かされているような感じがして不愉快なんだが、いまはそれについて問答している場合じゃない。
「なあ、フェリア、知ってたら教えてくれ。この国はどうして、いまになってそんな法案を立ち上げたんだ?」
俺にはそれが疑問で仕方がない。
騎士ってのは、建国の時代からこの国を支えてきた象徴だと聞いた覚えがある。ならばこそ、この時期にわざわざこんな法案を立ち上げる理由が見当たらない。
「ふむ、キサマの立場からすれば、そう思っても仕方のないことだ」
「その言い方じゃあ、おまえには……いや、貴族連中には、まっとうな理由があるっていうことか」
俺の問い掛けに、フェリアは身を乗り出しながら、端正な顔を近付けてくる。
ニーアとカエラもそれにならい、幾分、密着した状態まで身体を移動させはじめていた。
ここから先は、どうやらキナ臭い話になりそうだ。
念のため、辺りの気配にも気を配ってみるが、別段聞き耳を立てている人間はいそうにない。
「うがっ! これ、すっごい辛いんだね」
「なるほど、では、わたしはえんりょしたほうがけんめいですね」
「いや、祈梨っち、そんなことよりも水を……」
……若干、うるさい連中がいるようだが、あれはあれで楽しそうにしているようだから、無視することにしよう。
俺は気を取り直して、フェリアの話に耳を傾ける。
「皆も知っての通り、ラグナラ要塞攻略の際に、この国はひとりの将校を失った」
「……確か、作戦成功後に、敵兵によって闇討ちされたって話だよね」
ニーアの言葉にフェリアは頷く。
俺はその時点ですでに嫌な予感がしていた。
「討ち取られた将校は、それなりの名門出の貴族でな。貴族連中たちは現在、そのことに憤りを隠せない状態でいる」
「ん。勝手な発想、戦場に出るなら死は覚悟しておくべき」
「頭の固い貴族連中に戦場の心構えを説いても仕方あるまい。それに、彼らが憤っているのは、それとは別に理由がある」
「もったいぶるなよ、フェリア。その理由ってのはいったい……」
「貴族連中は疑っているんだよ。その討ちとられた将校が、本当に敵兵によって討ちとられたのかということをな」
フェリアの表情からは懊悩している様子がうかがえる。
なるほどね、敵を疑う前に、まずは味方から疑おうって魂胆か。
こいつの性格から考えれば、それはとても許せるものじゃないんだろう。
――だが、今回ばかりは貴族連中のほうが正しい。
クラウスの命を獲ったのは、間違いなく俺であり、やりかた問わずとは言われたものの、俺に指示を下したのも、コイツの兄、ヴィンセント・ロータスだ。
戦時において策略謀略が飛び交うなんていうのは日常茶飯事だ。それは他ならぬ貴族連中がいちばん理解しているはず。連中が謀略の線を疑っても、何ら不思議はない。
「どうした、彩霞律? キサマがそこまで神妙な顔をするのも珍しい」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと考えごとをしてただけだ。……それで、その話がどうやって今回の法案に結びつくっていうんだ?」
そう聞いたはいいものの、俺にはもう、だいたいの予想がついている。
だが、それは俺がラグナラ要塞での当事者であり、真実を知っているからだ。
ここはこのまま、フェリアに話を任せよう。
「この法案の骨子は、貴族の一部が特進することにある。それはすなわち、騎士団の中枢を彼等が掌握することにつながる事案だ。彼等は結局こう言いたいのだよ。高貴なる血族の人間であれば、間違いを犯すようなこともないだろうと」
「ん。傲慢、フェリアはそれに賛成?」
「馬鹿なことを。誇りを重んじるのは結構だが、貴族以外の人間を軒並み吐き出すようなやり方が正しいわけがない。私は断固として、アルゴ少将に辞退を申し上げた」
「ちょっと待ってよ! それじゃあモフランは……」
「ああ、そうだ。あいつはこの法案を受け入れ、騎士への道へとかけ上がろうと考えている」