間章~夜の闇~
◇◇◇◇
私は両親祖父母を尊敬していません。
――――あの人たちは私を残していってしまったから。
でも、あの人たちがとった行動自体には憧れを抱いてしまったのです。
――――それは私が憧れた女神エルファリアに通じるものがあったから。
そして、私はシスターでありながら自分の感情を優先し、曰く、のこのこと戦場までおもむいてしまった愚かな人間。
馬鹿なことをしたという実感はありません。
でも、自分が愚かな人間だという実感はあります。
だって、こんな私を守ろうと戦場まで帯同し、私の祈りの半分を叶えると言い切ったあげく、その手を血で染め上げた人がいたのですから。
正直な話。それからの出来事はよく覚えていないのです。
私はずっと彼の背中側から戦場を体験していたのに、彼が討ち取った敵兵の姿も、祈りむなしく倒れていった自軍の兵士の姿すらも、よく覚えていないのです。
ただ、――――私はその背中にまたしても憧れを抱いてしまった。
守る為に剣を振るい続ける彼の姿に、私はまた間違えた幻想を見てしまったのです。
彼の道には今まで以上に血が流れるのでしょう。
だから彼の道は、私が思い描く未来とは相反します。
だから、この憧れは私が抱いた両親祖父母へのものと同等。
――――やはり、とても大きな半分ですね。
「しかし待ち人の気持ちを鑑みろと言いながらも、あなたも人の事は言えないではありませんか。帰ったらこの罰はしっかりと受けて頂きますよ」
そう独り言をこぼし、私は瞳を閉じる。
明日からはまた、祈り続ける日々がやって来るのでしょう。
それが私の役目であり、それが私にできる唯一のつながりなのですから。
だからこそ、今日はシスターとしてではなく、一人の人間、ソフィー・グラネットとして、この場で眠りにつかせてほしいのです。
◇◇◇◇
夜も更けた頃、俺はひとり、ラグナラ要塞のある部屋へと通じる道で身を隠している。
殲滅戦を終え、自軍はラグナラ要塞に残る資材や兵糧を確認するべく、この場で一夜を明かすことはが決定事項とされていた。
総数およそ千人程度の兵士がついさきほどまで祝宴を上げていたとは思えないほど、辺りには静寂が満ちている。
――――来るならば、今日を逃す手はないはず。
俺の直感では今夜が山場。
柱のそばで息を殺し、ひたすらその時が来るのを待ち続ける。
隠密行動は苦手な部類じゃない。
いやむしろ、この程度の隠密、あの頃の仕事とは比べるまでもないほど容易になものに他ならない。
神経を研ぎ澄ませ、風の流れと音の反響に耳を傾ける。
――――来たか。
気配の殺し方は十全。
足音は最小限にとどめ、息遣いすら感じないほどにそいつは自分の存在を消し去っている。
だが惜しむらくは、それが所詮は素人の動作だという事だ。
本物、倭国で『忍』と呼ばれていた連中に比べれば、そいつの気配はあまりにも自己主張が過ぎる。
「止まれ」
俺がそう言うと、そいつはいとも容易くその場で足を止めてしまう。
甘いな。隠密行動にしては思い切りが足りない。
やはりこの手のやり方に慣れているほうではなさそうだ。
「月が綺麗な夜だ。こんな夜には鬼が出る。無駄に出歩くのはあまり感心しないな」
この言葉を口にするのも久方ぶりだな。
あの頃の感覚が自分の中で失われていないことに、少し複雑な心境を覚える。
「…………」
どうやらそれでも沈黙を保つつもりらしい。
そいつは俺の言葉に反応することもなく、その場を一歩も動かない。
「礼儀として聞いてやる。おまえの要件は何だ?」
その言葉に、ほんのわずかながら、そいつの気配が揺れ動く。
「この先にあるのは、シスター・ソフィーの仮寝所だけだ。よもやまさか、あんたがシスターに懸想を抱いたとも考えにくい。その辺どうなんだ? なあ、クラウス中将殿」
どれだけ気配を隠そうが俺にはあんたの姿がしっかりと見えているし、いましがた放たれた強い殺気にも覚えがある。
――――化かし合いはおしまいだ。
「キサマ、どうしてこの場所に……」
ようやく口を開いたかと思えば、そんな言葉、それがこの場でいったい何の意味がある。
「言っただろ。俺の役目はシスターの護衛だって」
まあそれとあわせて、俺にはもうひとつ課された特務があるんだが……
「まあどっちにしろ、あんたには関係のない話だ」
夜の闇の中でさえ、クラウスが苦渋に満ちた表情をしているのがよくわかる。
あんたは俺を甘く見過ぎだ。
暫定的とはいえ、自分の配下においた人間の力量くらいは推し量っておくべきだった。
「図に乗るなよ東洋人。キサマ程度が何を気色ばんでいるのかは知らんが、これはオレにとっても悪くない展開だということを知れ」
どうやら取り繕う気持ちもないようだな。
クラウスは今まで以上に心地の良い殺気を放ってくれる。
「よもやヴィンセントの手下にまで噛み付かれるとはなあ。クックックッ、つくづくオレとは反りの合わない野郎だ。どうせこれも奴が仕掛けた茶番のひとつなんだろう?」
自嘲気味にそう笑うのはいいが、その笑いかたは癪にさわる。
一歩前へ出る。
「キサマごとき東洋人をけしかけてくるとは、ヴィンセントの奴も相当な大馬鹿野郎の様だな。騎士見習い風情が正騎士たるオレに適うわけがないだろうに」
二歩前へ出る。
「所詮、あいつも策略を巡らせて近衛の地位を手に入れた愚物。伝統ある騎士の名誉を汚す行為にまで及ぶとはまさにこのことだ」
三歩、これで十分だ。
「その奥に居座った反逆者を消すだけじゃあなく、テメーをもぶっ殺せばヴィンセントの計略も明るみに出すことができる。こいつはオレにとって最良の展開だ」
嗤う嗤う嗤う。
今までにもこういう奴はたくさん見てきた。
だから、あえてこの言葉を口にしょう。
「あんたの望みは何だ?」
「はっ、知れたことよ。全幅の信頼を集めたシスターが討たれたとあれば、軍隊の士気はますます過激に上昇する。そうなればこの戦争、ララーナ側が優位に立つことは明白の事実。そうなれば、俺が戦場で生き残れる可能性も大きく膨れ上がるだろ?」
吐き気がする。
「まったく、地位と名誉だけがありゃあいいのに、誰が好き好んで殺し合いの場におもむくっていうんだ? そんなものはそこいらの傭兵に任せておきゃあ十分だ。オレはオレで『将校』の立場を存分に利用させてもらう。――――頭の弱い奴だけが『騎士』や『女神教』だなんて偶像にすがりゃあいいんだよ」
それにしてもよく喋る奴だ。
別にあんたの価値観なんて、こっちには何の関係も無いっていうのに。
「さあ、お喋りはここまでだ。ぶっ殺してやる。『将校』の名を甘く見るなよ東洋人」
クラウスはそう言うと腰の剣に手を置き、それを滑らかな動作で抜き去ってしまう。
だが、それは悪手以外の何ものでもない。
何故なら……
「クラウス。――――あんたはやり方を間違えた」
「何だと? キサマ調子に……」
キンッという微かな鍔なりとともに、その場でクラウスは力なく崩れ落ちていく。
――――雅流一仭が初伝 《無音》
足元には夜の闇にあいまった『黒』が流れ、そしてそれが今宵のすべてだ。
「あんたはもっと注意すべきだった。剣さえ抜かなければ、その場で大声で助けを呼びさせすれば、俺はあんたを討ち取ることは出来なかった」
そうなれば、俺はこの場から逃げざるを得なかった。
何せ、『将校』と『見習い』の争いだ。
かけつけた人間がどちらの言い分を信じるかなんて、考えるまでもない。
「しかもあんたは俺の力量までをも見誤った。これは致命的だったな」
例え刀身が半分になったとはいえ、それは俺があと数歩前に詰めれば良いだけのこと。
不用意に自分の間合い以上の接近を許したのも、あんたにとっては十分な失策だ。
それに、俺の刀は刀身に漆が塗り込められている。
よほど闇に慣れていなければ、剣閃すら把握できない対処不能の殺人剣。
――――まさかこの国に来てなお、この闘い方をするはめになるなんてな。皮肉にも程がある。
まあ、とりあえず今回の特務はこれで完了。
夜の闇はまだ深い。
後の始末はどこかの誰かに任せるとしよう。
これが俺のやり方――――確かに、ずいぶん大きな半分だ。




