祈りを
ラグナラ要塞に詰めている敵兵の数はおよそ五百人。
要塞とは呼ばれているものの、実際の運用は国境線付近の詰所でしかないらしい。
それに斥候からの情報によれば、ラグナラ要塞に上位三傑だなんてふざけた力量を持つ戦士の姿もなく、特筆すべき点も見当たらないとのこと。
ララーナ軍の兵数はおよそ千五百人。籠城を決め込まれても負け戦になるような状況だとは到底考えられない。
これらはすべて事前にヴィンから教えてもらった情報であり、頭の中に叩き込んである。
――――この場にいる人間を俺は全面的に味方だと鵜呑みにするわけにはいかないからな。
何らかの悪意をもって、シスターを戦場まで連れ出した下手人がこの中にいる可能性は極めて高い。
その場合、そいつにとって俺の存在は、計画の邪魔以外の何者でもないと考えていいだろう。
背後から斬りつけられる可能性すら排除するわけにはいかない。
――――あまり目立った真似はしてくれるなよ。こっちにはこっちの都合ってものがあるんだ。
「彩霞さん……彩霞さん、聞いていますか!」
緊張感を保ったまま行軍に付き従う俺に、隣から叱咤の声がかけられる。
まあ、聞こえていながら今まで無視してたんだが、それもそろそろ限界か。
「何をさっきからカリカリカリカリ……」
「聞こえているのなら返事くらいしたらどうなのですか! あなたにはやはり教養以前に道徳というものを一から教え込まないといけないようですね」
勘弁してくれよ。
この特務だけでも目いっぱい気を使わないといけないってのに、これ以上俺の心労を増やすな。
「その顔は全然、話を聞いていないときの顔ですね。はあ、まったくどうしてこんなことに……」
これみよがしにため息をつかれたところで、いったい俺にどうしろっていうんだよ。
口を開けば説教ばかり、かといって黙り込んだら黙り込んだで説教ばかり。
シスターが説教好きなのは重々理解しているが、俺はこれでも譲歩してるほうなんだぞ。
「まあ、心配する気持ちはわかるけどな。これはシスターにとって初めての戦場だ。死を目の当たりにすることもあれば……」
「全っ然わかっていないようですね。何ですかそのわかったような顔は! いいですか、そもそも私はあなたがここに来たことに、いまだに納得がいっていないのです!」
「だからそれは説明しただろ?」
「あんな説明で理解できるわけないではありませんか! 何が好きにやらせてもらうですか! あなたは結局、あの夜私が言ったことをひとつも……」
「はいはい。説教はこれが終わった後だ。――――そろそろ見えてきたみたいだぜ」
怒り心頭のシスターをやんわりと押しとどめ、前方へと視線を向ける。
そこには重厚な石造りの砦が堂々と鎮座しており、ここからでも敵兵の姿が確認できるくらいには万全の警備体制が敷かれている。
風が強い。
前方にはためく旗が、その強さを如実に物語っている。
さあ、意識を切り替えよう。
殲滅戦と銘うったからには、仕掛けはこちらから。
とはいえ、この風の強さじゃあ弓矢による遠距離狙撃は悪手でしかない。
当然、火矢も論外だ。
行軍の先頭には大槌を構えた騎士が数名ほど見える。
まあ、単純に考えればあれで門戸をこじ開けるやり方が一番か。
「全軍! 止まれえええ!」
これも日頃の訓練の賜物か。
騎士たちは隊列をいっさい乱すことなく、等間隔でその声にならい整列していく。
先の戦だとアルゴが率いた兵士たちにここまでの統率は見られなかった。
いけ好かない奴だが、これも中将の貫禄ってことなんだろうな。
「これよりラグナラ要塞への宣戦を実施する。国旗を風上に向けろ!」
人の数倍はあるララーナ国旗が翻るとともに、クラウスはより一層の声を張り上げる。
「聞け! リクセン軍が愚民ども! これより我らは女神エルファリアの名の下に貴様らを粛清する!!!」
「「「オオオオオオオ!!!」」」
随分と派手な宣戦布告だ。
隣を見ると、案の定シスターの顔にも苦渋の色が見てとれる。
まあ、クラウスの言葉はシスターの目指す……いや、女神教の本質とは全く異なっているわけだしな。
「見くびるな! 我が名はリクセン軍が将校カラドバッカス! 偽りの女神を名乗ったところで貴様らに勝利などありはせん!!!」
前方のラグナラ要塞頂上部には、ひたすらガタイの良い戦士が仁王立ちし、こちらに向けて怒号を発している。
どうやらあれが敵大将で間違いなさそうだが……
「……偽りの女神ですって?」
隣から聞こえてきた声に目を向けると、シスターは何やら怪訝な表情で敵大将の方角を見つめ続けている。
何だ? 今のがそこまで気に障ったのか?
「いいねぇ、愚民が吼えるとはまさにこの事だ。いい機会だ、ひとり残らず叩き潰してやるよ」
こっちがこっちで考え事をしている間に、クラウスと敵将校の舌戦は勢いを増すばかり。
これが単純に作戦なら良いんだが、あの様子じゃあ、こっちの大将も頭に血が上っている様にしか見えない。
アルゴとは違った意味で難儀な奴だな。
「はっ、貴様ら不抜けどもにこの要塞を落とせるはずもない。片腹痛いわ若造が!!! 全員、戦闘配置につけ!!!」
その言葉を皮切りに、次々と敵将の周りに弓兵が並び立っていく。
下から射る矢と上から射る矢なら、風の影響を加味しても相手側が有利。
人数の多さを鑑みても、遠距離攻撃は相手方に分がある。
いくら矢が風に流されても、的が大きければ外れる算段は少なくなるということだ。
「おいおい、いきなり戦争をおっぱじめるつもりか? そう急くなよ。もうちょっと楽しもうぜ」
だが、クラウスに慌てる様子はない。
いや、むしろ愉悦めいた顔をしている様に見えるのは俺の気のせいか?
「リクセン軍が将校、カラドバッカス。テメーは今しがたうちの国柱たりえる女神教を『偽り』だと罵ってくれたんだ。それをこのまま見逃しちゃあ、わざわざ戦場にまで出張ってきたシスター様に申し訳がたたねえ――――そうだろ? シスター・ソフィー」
っ! こいつ、わざわざ敵兵にそんな事を!
「ほう、この地に偽りの女神を奉る憐れな聖職者がいるというのか。おもしろい。ならば、そのシスターにご高説でも賜ろうじゃないか?」
敵将校もクラウスの口車に乗せられ、シスターを表舞台に引きずり出そうとそう挑発気味に言葉を口にする。
ちっ、なんだってこんな展開に。
俺は急ぎシスターの腕をつかもうと手を伸ばすが、当のシスターは至って冷静な顔のまま、「大丈夫ですよ」とそう告げ、舌戦が繰り広げられている最前線へと向かってしまう。
「お初にお目にかかります。私の名前はソフィー・グラネット。女神エルファリア様に仕えるシスターで御座います」
シスターがラグナラ要塞に向かい、そう一礼をすると、その場の空気が一変する。
「なるほど、いかにもシスター然とした女子だ。偽りの教えにすがらせておくには勿体がない」
敵将の下卑た笑い声に動じることなく、シスターはいまだ毅然とした態度を崩さない。
「カラドバッカス様と申しましたね。ひとつお聞きしたいことがあります。あなたはいったい、何をもって女神教を『偽り』だとお言いになったのでしょうか?」
その言葉に、にわかに自軍が活気づいていく。
「カッカッカッ! 憐れだな。これまで我々リクセン軍がどれだけの勝利を積み重ねてきたと思っている」
「ならば、勝ち戦を収めたほうが正しく、負けた側はすべて偽りだと?」
「その通りよ! 戦場で勝利をもたらさぬ女神など何の為に存在するというのだ! 所詮、そんなものは力無き者がたよる無意味な道化に過ぎん!」
「……それなら、力無き人々は救われる道すら存在しないと?」
「守られたければ大人しく安全圏にでも閉じこもっていれば良い。それが出来ずに、『祈り』だ『教え』だと戦場にのこのこ現れる愚か者の末路など決まって偽りの行為にしか過ぎん!」
粋の良い啖呵だ。
それに、奴の言っていることはあながち間違いというわけでもない。
――――結局。祈るだけでは、何も為せやしない。
「どうした? もう終わりか? これは拍子抜け以外の何ものでもない。所詮は偶像に支配された無力な人間だということだ」
加護の否定を否定し、祈梨を否定し、信心まで冒涜する。
信仰心の欠片も持ちあわせていない俺だが、その否定はおまえにとって命とりになる。
「女神教の教えは尊いものであり、すべての人々の幸せを願うものです」
「はっ、願うだけでは飯も食えん」
「女神エルファリアは自分の身を挺してまで未来を守り抜いた、この世でもっとも高潔なる人物です!。その存在を否定など、私には絶対に出来うるはずもありません!!! 私の両親祖父母も、そうして生を生き抜いた!! その生き方を、その生き様を、あなたは鼻で笑い飛ばそうというのですか! 訂正なさいこの愚か者が!!!」
「良い度胸だ。ならば、その身もこの場で散らすがいい」
敵将の言葉を合図に、シスターに向けて数え切れないほどの矢が飛来していく。
――――似て……いるのかもしれませんね、私たち
ああ、まったく。俺とあんたは嫌というほど似ているのかもしれないな。
俺は背中に背負った大剣を抜き去るとシスターの前に立ち、飛来するそのすべてをことごとく打ち落とす。
「シスター。これが戦場だ。最後には結局、殺すことでしか解決できない」
「それでも! 私は願わずにはいられないのです! 両親祖父母の生きた証が、確かにここにあったと!!!」
そんな縋るような視線を向けられても、俺にはどうすることも出来ない。ただ、――――、
「なら祈れよ。あんたがそのすべての幸せを願うなら、その祈り、半分くらいは俺が叶えてみせる――――俺はすべてを守ると決めたんだ。それぐらいできなくて、姉さんに顔向けなんて出来るわけがない!」