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ひとかけの名残と紫苑の刃  作者: 紫木
祈りを
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独り善がり

「ふぅ、教会の清掃もこのあたりで十分でしょう。彩霞さんに手伝って頂いたおかげで、ずいぶん手間が省けました」


 額に浮かんだ汗を拭いながら、私はこの広い教会でひとり、ささやかな達成感に包まれていた。

 あの話《・・・》を聞かされた時は頭の中が真っ白になってしまいましたが、それも今や遠い昔のようです。

 

 思い返せば、この数週間で色々なことがありました。


 騎士の名誉を傷つけたという罪により、教会で預かることになったひとりの青年。

 彼の事はライアス様に紹介されるまでもありませんでした。

 ほんの数ヶ月前ほどにこの教会を訪れ、そして女神教の、いえ、エルファリアという一人の人間を断罪した、とても稀有な存在でしたので。

 

 そしてやはり思ったとおり、彼は私の両親祖父母と同じように、自分なりの矜持をもち、その為に命を賭けられるような愚かな人でした。

 だからこそ、私はそんな彼を試そうとしてしまった。

 でも、それも杞憂だったようですね。

 彼の矜持は私の想像してたものよりもよっぽど強く、それでいて、私と同じく悲しみに包まれていました。

 残された者の痛みを知る彼ならば、これより先においても、あまり無茶な行動を取らないのではと甘く考えてしまいます。


 さあ、物思いにふけるのもこのあたりでおしまいにしましょう。


 私の両親祖父母は戦地へと激励におもむき、戦地から帰らぬ人になってしまった。 

 『誰もが幸せな世界』を望みながらも、あの人たちは私だけを残してこの場所に帰ってこなかった。

  

 思うことは山のようにあります。

 泣きもしました。恨みもしました。何が女神様だと、何が幸せな世界だと、シスターにはあるまじき考えすらも頭をよぎった事もありました。

 それでも、私は女神教のシスターなのです。


 この声を戦場であげることが多くの騎士の皆様に力を与えるというのなら、その先に彼等の幸せな未来が待ち受けているというのなら、戦地への帯同をを断る理由はありません。

 

 ――――何ひとつ守れなった私にも何かを守れるというのなら、喜んで私は……


 開きなれたこの扉に鍵をかけると、何故だか一気に不安が増していきます。

 見上げれば陽光に輝く壮観な教会の姿がそこにあり、目の前が滲んで見えなくなってしまう。


 ――――ひょっとしたら、もうこれで見納めなのかもしれませんね。


 ここからは思考を放棄しましょう。

 誰の思惑であろうと、誰が望んだことであろうと、そんな事はどうでもいいのです。


 エルファリア様。その昔、あなたはどの様なお気持ちで災厄に立ち向かわれたのでしょうか?

 残念ながら、私にはまだまだ慈愛の精神が足りないようで、雑念ばかりが頭に浮かんでしまうのです。


 だから、ここから先はその一切をかなぐり捨てて、女神教のシスターとしてのみを演じることに注力させて頂きます。




 指定された場所へと向かうと、そこにはすでに多くの騎士様たちが整列しておられました。

 それぞれが綺麗に列をなし、それを統べるかのような位置にはクラウス様のお姿が。


「おいおい、何だって教会のシスターが」

「出発前の激励かもしれん。粋な計らいではないか」


 聞こえてくる声からすると、どうやらこの場所に集まっている皆様は私がこの遠征に帯同することをご存知ではないようですね。

 このあたりはクラウス様のお考えなのでしょうか?


「静まれ、皆の者!」


 クラウス様が声を張り上げたとたん、それまでの喧騒が嘘のように、あたりは静寂に包まれていきます。

 どうやら私が想像していた以上に、軍部というものは厳しい上下関係を強いられているようですね。

 きちんと整列した騎士の皆様方の顔からは、緊張感とほんのわずかの恐怖心が見て取れます。


「貴様ら兵士には黙っていたが、実は今回の遠征、そこにおられるシスター・ソフィーが同行されるということになっている」


 その言葉に、またしても場にざわつきが生まれはじめています。


「大変ありがたいことに、ララーナ王は俺たち騎士団を大変よくわかって下さっている。戦地において女神の加護が得られるということは、俺たちにとってこれ以上ない武運を与えてくれるからな。言わばこれは、王から俺たちに向けられた熱き激励ともいうべき処置だ」


 誇らしげに胸を張ってそういう姿が、私にはどうしてか不気味にさえ思えてしまいます。

 あの方はどうしてそこまで『王』という言葉を過剰なまでに口にするのでしょうか?

 

「おお、俺たちにわざわざ女神の加護を」

「さすがはララーナ王。女神教を崇拝する我々にとって、これほどありがたい事はない」

 

 それでも、騎士の皆様にはその言葉が大きく響いたようで、あちらこちらから感嘆とも祝福ともとれる様な歓声があげられていきます。


「それでは皆の者よ。シスター・ソフィーに挨拶を願おうではないか。これより俺たちララーナ軍が向かう戦場に祝福をもたらして頂くために」


 何やら始めから段取りされていたかのように感じますが、呼ばれたからには前に出ざるを得ないでしょう。

 私は歩みを進め、クラウス様のとなりへと並び立つと、催促されるがままに女神教にもとづく祈りを口にします。


「血で血を洗うような世界は好みません。しかし、次世代にそれを押し与えるのは我々の業となります。願わくば誰もが争うことのない様な世界を、願わくばこの場におられる騎士の皆様に女神エルファリア様の祝福を」


 その言葉をきかっけに、騎士の皆様方は爆発的な盛り上がりを見せ、中には天に祈りを捧げる方まで見受けられます。


 ――――やはり拠り所としての女神教の存在は大きい。誰にも明日を願う権利があるのですから。

 

 これからおもむく先でどれほどの命を奪おうと、騎士の方々にも守るべき何かがあるのです。

 だからこそ、私はこの国に肩入れするかたちではありますが、女神教のシスターであろうとしないといけません。

 間違えても、この場で相手国の心情まで考えるような思想を口にするわけにはいかないのです。


「ご高説感謝する。これで今回の遠征においても俺の軍の士気は底を知ることがない。おまえの祈りはそれだけ(・・・・)で十分価値がある」


 私にしか聞こえないような声で、クラウス様はそのような言葉をかけてこられる。

 やはり、私個人としてこの方は好きになれそうにない。

 女神教という信仰を、そしてそれを信じる騎士の方々を、この方はいったいどう考えておられるのだろうか。


「ああ、安心しろよ。おまえには俺が選んだ寄りすぐりの精鋭を護衛につけてやるからな。おまえの両親のような死に様を晒すことはないだろうさ」

「っ! あなた……」


 言うにことをかいてその様な言葉を。

 一瞬で頭が沸騰してしまい、私がその勢いに任せてクラウス将軍に詰め寄ろうとしたそのとき、 


「よお、シスター。遅くなってわるい」


 この場にいるはずのない青年の声が、私にそれを思いとどまらせた。



◇◇◇◇


 俺が広場へとたどりついた時には、シスターはもうすでに壇上にあがっている状態だった。

 まったく、集合場所を聞き忘れていたせいでギリギリの到着になってしまったな。

 手っ取り早く挨拶に伺うとしようか。


 俺は湧き上がる騎士たちの間をくぐり抜け、一目散に壇上へと足を向ける。


「よお、シスター。遅くなってわるい」


 ようやく声がかけられる程度には近づいたんだが、シスターからの反応はない。

 って、何をそんな間抜けな顔をしてるんだ?


「東洋人、どうしてこの場所にあらわれた。貴様ら訓練生に参加を許した覚えはないぞ」


 代わりに返事をくれたのは、相変わらず怒り心頭状態のクラウスだった。

 まあ、あんたが俺を毛嫌いしてるのは重々理解しているが、何もそこまでのっけから噛み付くなよ。

 そんなことは俺だってもちろん承知の上だ。


「挨拶が遅れて申し訳ありません、クラウス中将。この度、俺はシスターの護衛(・・)としてこの遠征に参加させて頂きたく馳せ参じました」

「何をふざけたことを。そんな話、認めるわけが……」

「中将は知らないかもしれないが、俺は先の戦争の懲罰として教会への奉仕行動を命じられたんだ。残念ながら遠征に帯同するのもその一環なんだよ」

「ほざくな愚物が。そのような与太話で惑わされるとでも思ったのか?」

「じゃあ、俺の帯同を認めないと? その場合、あんたは俺の上役に泥を塗ることになるんだが」


 なるべく穏便かつ挑発的に言葉を重ねる。

 予想どおり、奴は今にも剣を抜き払いかねないほどの激情を醸し出してくれているようだしな。


「またしてもあの近衛の差金か、どこまでも苛立たせる真似を……」

「そんなことは俺の知ったことじゃない。俺はただ、命じられた任務に忠実にあるだけだ」


 まあ、こんな言い方をしていればヴィンに対するコイツの敵愾心が大きくなるばかりだとは思うが、やり方は俺に任せると言った手前、そのあたりは勘弁してくれ。


「……いいぜ。ただし条件がある。さしもの俺も表立って貴様の上官に楯突くつもりはない。だから、シスターの護衛は貴様ひとりに任せてやるよ。なんといっても、近衛殿がわざわざ寄越してくれた逸材なんだ。それぐらいは当然出来てあたりまえなんだろう?」


 非戦闘員を戦場に送り込んでおいて、これが将校の口にする言葉かよ。

 

 ――――吐き気がするな。


「委細承知した。シスターの身の安全は俺ひとりで十分だ。あんたらは精々、殲滅戦に力を入れてくれればいい」

「はっ、戦場に転がる死体がこれでまたひとつ増えたな」


 それだけを言い残すと、クラウスは全体に号令をかけ、その場を後にしてしまう。


「彩霞さん。いったいなぜ……」


 うん? ああ、こっちの説明がまだ済んでなかったな。

 シスターは相変わらず間抜けた顔をしたまま、俺に向かってそう問い掛けてくる。

  

「なあ、シスター。あんたはきっと勘違いしている」

「彩霞さん。それは答えになっていません。いま私が聞きたいのは……」

「俺にはね。どうしてもあんたがこの戦争に死にに行くようにしか見えなかった」

「!」

「あんたが何を思って何を成したいのかは知らない。だから俺は俺で好きにやらせてもらう。――――あんたのことは俺が守るよ。俺が言えるのはそれだけだ」

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