破れない殻
それぞれが思い思いの日々を過ごしながら、ラグナラ要塞への進軍がいよいよ三日後にまで迫った今日、俺がいったい何をしているのかというと、
「彩霞さん。ここから見て二番目のステンドに若干の曇りが見受けられますが?」
「……了解。こいつを磨いたら、もう一回磨かせてもらう」
いつも通りに教会内で奉仕活動を行い、なおかつ、ここ最近でいきなり厳しくなったシスターに掃除のイロハを叩き込まれている最中だったりする。
だが、おかげさまで日々の鍛錬と変わらない程度には身体を動かすことが出来たので、こっちとしもてそれは望むところだ。
――――それに、クロウにやられた脇腹の傷もずいぶん良くなってきた。これなら多少の戦闘も問題はないだろう。
残された時間に比べ、考えることは山ほどある。
シスターが次の戦争に帯同すること。ララーナ軍の内部で不穏な動きがあること。そして、そのすべての解決を俺が任されたということ。
何が『オレからおまえに直接命じる』だ。厄介事をまるまる人に押し付けやがって。
――――まあ、好きにしていいって言うなら、如何様にもやり方はあるんだがな。
「……腕が止まっているように見えるのは、私の気のせいでしょうか?」
ひどく冷めた声が、俺の思考を現実へと引き戻す。
どうやら少し考え込んでしまったみたいだ。
「いや、大丈夫だ。ちょっと考え事をしてただけだよ」
俺は良かれと思ってそう口にしたんだが、何故だかシスターの顔は、みるみるうちに般若の様に歪んでいってしまう。
「なるほど、よく分かりました。ところで彩霞さん。私の記憶が正しければ、彩霞さんは『懲罰』としてこの教会で奉仕活動をするように命じられたのですよね」
雲行きが怪しくなってきたな。
シスターがこういう顔をした時には、大概ロクな目にあった覚えがない。
「にも関わらず、彩霞さんは掃除の途中で考え事にふけっていたと」
「いや待ってくれシスター。俺は別に掃除をサボって……」
「言い訳は無用です。――――そこにお直りください」
シスターは俺の言い分をバッサリと切り捨てると、今しがた磨いたばかりの床に真っ直ぐと指を向ける。
勘弁してくれよ。またあの長い説法を聞かされるハメになるのか?
まったく、ここに来た当初と比べると、あきらかに説法を聞かされる時間が長くなっている。
最初はあれだけ放置状態だったっていうのに、何なんだろうな、この変わりようは。
「いいですか、彩霞さん。そもそも礼節というものは……」
諦観の念をもって座した俺に向かい、シスターは意気揚々と講釈を述べ始める。
――――ずいぶんとまあ、ご機嫌なようで何よりだ。
クラウスがこの教会に現れてからの数日間、シスターの様子には一切の変化が見られなかった。
休むことなく祈りを捧げ、悩みを聞き入れ、説法を繰り返す。
なあ、あんた本当にそれで良いのか? と何度も聞いてしまいそうになったが、本人が平静を保っている以上、やはり部外者がとやかく口にすることじゃないんだろう。
俺は別にシスターの血縁でもなければ、女神教の熱狂的な信者というわけでもないしな。
あんたが良いなら、それで良い。
「……ということになります。だからこそ女神エルフェリア様は……」
穏やかな声に意識を戻すと、やはりそこにはいつもと何ら変わりのないシスターの顔があり、だからこそ、俺は黙ってその続きを聞き入れる。
――――律。他人の事情には、あまり深入りしないように。刃は常に己のために振るうべきです。
ああ、師匠の言ってた通りだ。こんなゴチャゴチャした感情、戦場では足枷にしかなりようがない。
「……ですので、その様な啓蒙を踏まえ、彩霞さんには未来を見て頂かなくてはならないのです」
どうやら、今日の説法はここまでの様だ。
顔を上げてシスターの顔色を一応確認しておく。
今までの経験上、ここでシスターの顔ががいまだに強ばっているようだと、この先もまだまだ予断は許されない。
そうしてそこで俺が見たシスターの顔は、いままでに見た事もないほど優しく、まるで何かを成し得たかの様な、終わりに満ちた表情だった。
いや、ともすればその顔は、何か大事なものを、上手に自分の中に押し隠しいる様にさえ見受けられる。
「彩霞さん。これで私からあなたに送る説法はおしまいです。そして、教会への奉仕活動も、ここでおしまい」
「……どういうことだ?」
「私、三日後には少し遠出をする予定がありまして。その間はさすがに教会自体を閉めさせて頂こうと考えているのです」
「必要なら俺が……」
「心配には及びません。足しげく通ってくださる信者の皆様にも説明はしていますし、彩霞さんにそこまでして頂く必要はありませんよ」
「そうか。なら、これで俺はお役目御免ってわけだ」
「ええ、彩霞さん。願わくば、あなたの目指す未来に、エルファリア様の目指した未来が重なりますよう、心からお祈りさせていただきます」
シスターは笑顔のままそう言うと、手のひらを目の前で組み、瞑目したまま、祈りの言葉を唱えはじめる。
その姿が何故だか昔日の面影に重なり、俺の胸をひどく締めつける。
――――結局、最後まであんたは、戦争に行くことを俺に言わないんだな。
◇◇◇◇
シスターから暇を言い渡された俺が真っ先に向かったのは、露天の立ち並ぶ中央通りだった。
言うまでもなく、目当てはあの倭国流れの爺が帰ってきているのかどうかを確認する為だ。
まあ、結論から言えば爺はいまだ倭国からこっちには帰ってきてなかったんだけどな。
戦場に出るのなら武器の装備は必要不可欠。
いま手元にある武器は、腰に差したままの折れた黒刀。それに、モフランから借り受けた訓練用の西洋剣のみ。
まあ、その西洋剣にしても修練の最中に叩き折ってしまった、言わばガラクタ同様の代物。
さすがにこれじゃあ死にに行くようなものだ。
仕方ない。また、あいつを頼りにさせてもらうしかないか。
「ハアッ! ヤアッ!!!」
「クッ!!! この程度で!!!」
そういう訳でやって来たのは、騎士養成施設だ。
グッティーからアイツ等の居場所を聞きだしやって来たのは、ちょうど学び舎の裏手に位置する訓練用の広場。
そこではいま、ニーアとモフランが訓練用の刃引きされた剣をもって、互いに剣戟を繰り広げている。
「どうしたの、モフラン。もう息が上がってるんじゃない?」
「はあ、はあ、ボクがこの程度で根をあげるわけ……」
「それじゃあ、まだまだいかせてもらうよ」
「くうううう、望むところだ田舎者!!!」
二人とも目の前の人間に集中しすぎて、俺のことには一切気付いていないようだな。
――――いい機会だ。少し試させてもらおう。
俺は腰の刀に手を置き、その場でゆっくりと腰を落とす。
――――再現するのは、カリズ河にてまみえたあの女の動き。
足は砂を狩らず、身体は空の様に前へ。
力に委ねず、力を出し切る無音の極地。
「えぇ!?」
「なあ!?」
刀を鞘へと戻す鍔鳴りに、二人の剣は半ばからズレ落ちていく。
ふぅ、どうやらうまくいったみたいだな。
「リツ!? どうしてこんなところに、っていうかいきなり何を……」
「わるいわるい、おまえ達があまりにも真面目にやってるもんだから、ちょっとしたイタズラをな」
「イタズラって……これ、訓練用とはいえ、れっきとした鉄剣なんだけど」
「まあ、その辺は俺の修練の成果ってことで見逃してくれ。ところで、ずいぶん腕を上げたみたいじゃないかニーア。型も動きも見違えるようだ」
「僕は僕なりに日々の修練を積んでいるからね。まあ、それもいまのリツの動きを見たら、まだまだだって実感したよ」
「謙遜するなよ。おまえの剣筋も……」
「二人とも、ボクを無視するなああああああ!!!」
いきなりあがった大声に視線を向けると、そこには両手を天に高く振り上げているモフランの姿があった。
何をコイツはまたぞろ叫び声なんて上げやがって。
「リツくん。キミという人間はどうしてそこまでボクを無視したがるのかね! これほどまでに気品に満ちあふれたボクの姿がまさか見えなかったなどと……」
「あいかわらず、うるさい奴だな」
「言うに事欠いてうるさいだって!? それが無二の親友に対してかける言葉なのかね! ボクがキミの為に、わざわざ練習用の剣を見繕ったことまで忘れてしまったというのかい!?」
「ああー、これな。助かったぜ、モフラン。今の技を習得できたのもこいつがあったお陰だ」
何やら喚き散らしているモフランに向けて、背中に背負っていた西洋剣を差し出す。
「……何だい。よく分かってるんじゃないか。そう、ボクは高貴な人間だからね。友の頼みとあればこの程度の剣の一本や二本は……折 れ て る?」
意気揚々と鞘から剣を抜き放ったはいいが、モフランはその折れた刀身をみて、膝から崩れ落ちていく。
ああー、何だかあそこまで落ち込まれると、さすがに良心の呵責が……
「ふっふっふっ……ああ、別に構わないさ。この程度の端剣。ボクにかかればすぐにでも用意出来る程度の代物だ。そうだ、そうだ、この程度でボクは怒ったりはしない。なぜなら、ボク達は唯一無二の友人だから」
何やらブッ壊れてしまったのか。
モフランは高らかにそう宣言すると、俺に向けて異様なほど気持ちの悪い格好で両手を差し伸べてくる。
俺にはモフランの言っていることの半分くらいしか理解は出来なかったが、要するに、コイツを次善策として選んだ俺の目に狂いはなかったって事だな?
俺は差し出されたモフランの手を握り返し、ここに来た要件をはっきりと口にする。
「モフラン。わるいが、それよりも頑丈な剣をひと振り、大至急で用意して欲しい」
「…………はあ!?」




