勅命には直命を
クラウスはそれだけを言い残すと、威風堂々と教会から立ち去ってしまう。
その場に残されたのは、茫然自失のシスターのみ。
「ねえ、リッツ。あれってどういう意味?」
「……さあな。とりあえず今の話は聞かなかったことにしとけ」
疑問符を頭に浮かべいてるリナにそう言い、俺はさも今降りてきたばかりの様子を装って、シスターへと近づいていく。
「シスター。わるい、遅くなった」
しかし、当のシスターはいまだにクラウスが出て行った方向を見つめているだけで、何の反応も示そうとしない。
これは重症だな。仕方ない、今度は少し強めに声をかけてみよう。
「おいっ、シスター聞こえてるか?」
「……彩霞さん。教会内では、あまりその様な大声は出さないでください」
振り返ったシスターの顔は、いつも通りの凛としたそれで、俺は世の理不尽さを噛み締めてならない。
何で俺が怒られるハメに。
「さて、それではいつもの礼拝に戻ろうと思います。彩霞さん、くれぐれもこれ以上のおイタはして頂きませんように」
シスターはそれだけを言い残すと、祭壇の前まで歩み去ってしまおうとする。
ちっ、どこからどう見てもいつも通りを装いやがって。
――――こんな姿を見せられて黙ってられるほど、俺は器用じゃないんだよ。
「シスター、頼まれ事をされといて何なんだか、少し外出させてくれないか?」
「……構いませんよ。私から頼んだ事は、別に急ぎの要件もでありませんし」
「いや、何もそんなに不満そうな顔をしなくてもだな……」
「だから構わないと言っているでしょう? 行くのなら早くお出かけになられてはいかがですか?」
茫然自失しているかと思いきや、今度は何をそんな膨れっ面しているんだ?
シスター、あんたやっぱり今日は何かおかしいぞ。
「シスター、何か都合がわるいっていうのなら……」
「リッツ。何だかよくわからないんだけど、そろそろ私たちはお店に戻るねー」
俺が言葉を発しようとしたその瞬間、リナがそれに割り込むかの様に声をあげてくる。
「うん? ああ、わかった。わるいが祈梨のことは任せる」
「任っかせといてよ。それじゃあリッツも頑張ってねー」
「話はそれだけですか? それでは、なるべく早く戻ってきてくださいね。彩霞さんにして頂きたいことは山ほどありますので」
リナは元気よく祈梨の手を引いて教会の外へと向かい、シスターについても、それで話は終わったとばかりに祭壇の方へと立ち去ってしまう。
しまったな。結局シスターから話を聞きそびれた。
まあ、その辺りは戻っきてからでも良いか。多方、朝の騒ぎが気に食わなかった程度のことだろう。
それよりも今はまず、あの男に事情を聞きに行くのが先決だ。
◇◇◇
『教官室』と銘打たれた扉を、三度ほど拳の裏で軽く叩く。
「どちら様ですか?」
「彩霞律だ。是非とも教官殿にご教授頂きたいことがあって訪問させてもらった」
中から聞こえたきた声に、俺はいつもより幾分固めの言葉を選んで返答する。
これでも一応生徒だっていう認識はある。そのあたりの礼儀は出来るだけ守らないとな。
「どうぞ、入ってきてください」
その言葉に従い扉を開け放つと、そこには予想だにしなかった人物の姿があった。
「よお、久しぶりじゃないか、律。教会のお手伝いは順調か?」
「……おまえ、なんでこの場所に」
「おいおい、つれないこと言うなよ。立場的にオレはライアス殿の上官にあたるんだぜ。オレがこの場所にいても、何ら不思議なことじゃない」
ヴィンは大袈裟な手振りを交えてそう口にするが、俺には到底その言葉を鵜呑みにすることが出来ない。
近衛騎士のおまえが、わざわざこんな場所まで足を運んでるんだ。
要件なんて『特務』絡みの厄介なものに違いない。
まあ、俺はヴィンに助けられた身でもあるし、近衛騎士の補佐としての立場もある。
通常なら、それが例えどんな困難なものであろうと、断るつもりもなければ逃げるつもりもないが……ちょうどいい。この話はこいつにした方が早そうだ。
「なあ、ヴィン。おまえがどんな理由でここにいるのかは後で聞かせてもらう。その前に、俺の質問に答えてくれ」
「ほう。いいぜ、オレで答えられる範囲ならいくらでも」
「近く、ラグナラ要塞って場所に侵攻する予定があるな?」
「なかなか情報通だな。だが、残念ながらその作戦に、騎士見習いの帯同は計画されていないが……」
「そんなことはどうでもいい。俺が聞きたいのはもっと他のことだ。――――その作戦に、ソフィー・グラネットっていうシスターが帯同するのは本当か?」
その言葉を発した瞬間、ほんの僅かだが、ヴィンの顔色に変化がおきる。
どうやら、答えは聞くまでもなさそうだな。
「彩霞くん。その話はいったいどこで?」
そう聞いてくるライアスについても、どこか驚きを隠せないような表情をしている。
「ついさっき、教会にクラウスって将校が現れた。そいつがシスターに向けて懇切丁寧に宣言していったよ。これは勅命だってな」
俺が半ば投げやり気味にそう口にすると、何故だか二人は、呆れ返ったかのような表情で俺の方を見返してくる。
「どうやらアルゴから聞いていたとおり、彩霞くんには何らかのトラブルを引き寄せる才能があるようですね」
「はははっ、さすがだな。それでこそオレが見込んだ男だ。律、おまえは本当にオレを楽しませてくれる」
「ああ? 二人とも何を笑ってる」
「いやいや、まさかオレから呼び出す前に、自分から要件引っさげてやってくるなんて思いもしなかったからな」
ヴィンは何やら馬鹿笑いしているが、俺には意味がさっぱりわからない。
俺が自分から要件を引っさげただと?
「まあ、そんなに怒った顔をするなよ。律、お前の疑問にはオレが答えよう。まず、次の作戦にシスター・ソフィーという人物が帯同するのは間違いない」
「…………」
「もちろん理由はある。戦地において女神教の加護を受けられるというのは、この国の騎士にとっては非常に重要なことだ」
「だから、非戦闘員を戦地に送り出すと? それこそ馬鹿げた話だ」
それでシスターが命を失うことにでもなったら、そんな騎士に存在価値はない。
「いいから落ち着いて聞けよ。それで話を戻すとだな。シスターが軍に帯同するのは決定事項だが、オレにはどうしても腑に落ちない点があった。それは、どうしてシスターが帯同するのに、次の作戦が選ばれたのかということだ」
「そもそも次の作戦っていうのは……」
「殲滅戦だよ。ラグナラ要塞に詰めている敵兵を一兵残らず叩き潰す作戦だ」
ということは、戦力的にはこちら側に分があるってわけか。
待てよ、それじゃあなんでわざわざそんな勝ち戦に……
「その顔、気付いたようだな。そう、次の作戦は前もって勝利が約束された戦争だ。その場に女神教のシスターを連れて行く必要なんて微塵も存在しない」
「……それじゃあ」
「ああ、何者かが何らかの悪意をもって、その案を王に提言した可能性が非常に高い。おそらく、俺も知らない利権や覇権がらみの何かが、そこにはあるんだろうさ」
――――結局はそこに繋がるってわけか。
ふつふつと自分の中から怒りが込み上げてくる。
「そもそも、オレが今日この場所を訪ねたのも、ライアス殿にその件の相談を願おうと思っていたんだが、まさか律の方からその情報を聞かされることになるとは思いもしなかった。――――まあ、ちょうど良いといえばちょうど良いか」
ヴィンはそこまで口にすると、姿勢を正し、あらためて俺の方へと視線を向けてくる。
「彩霞律。近衛騎士ヴィンセント・ロータスの名において命じる。――――その悪意、見事蹴散らせてみせろ。これがオレからおまえに直接命じる、初めての特務だ」