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ひとかけの名残と紫苑の刃  作者: 紫木
祈りを
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ささやかな変化

 翌朝、いつも通りの時間に起床し、いつも通りに教会の掃除をこなす。

 横目で祭壇の方を確認するも、シスターの様子に何ら変わった様子はない。

 これじゃあまるで昨夜の出来事が嘘だったかの様にすら思える。


「シスター。掃除、終わったぜ」


 シスターが気にしていないのなら、俺が気にする必要もない。

 だから、かける言葉もいつも通り。 

 

「ご苦労様です、彩霞さん」


 律儀にもシスターは祈りを中断し、こちらに向けて歩み寄ってくる。

 まあこの様子だと、どうせ返ってくる言葉はいつもと同じ、放任とも無関心ともとれるありがたいお言葉だろう。――――と、俺は甘く考えていたんだが――――


「それでは、引き続き外壁の掃除と花壇の手入れをお願いします」


 何故だか今日に限って、いつもとは異なる指示を追加される。

 もちろん、懲罰としてこの教会にやって来ている以上、それを断るという選択肢も存在はしない。

 だから返事は一択。


「了解。掃除道具は……」

「掃除道具は裏手の物置にしまってあります」


 俺の言葉を遮ってまで、シスターは笑顔でそう言ってのける。

 何だ? 昨夜とはまた違った意味で不気味だな。

 いつもならそこにあるはずの無表情が、今は何故だか色味を帯びているような気がする。


「どうかしましたか?」


 いつまで経っても動こうとしない俺に痺れを切らしたのか、怪訝そうな顔でシスターは俺の顔を覗きこんでくる。


「いや、何でもない。とっとと行って、とっとと終わらせてくるよ」


 どうやら俺の気のせいみたいだな。

 今のシスターの顔を見る限り、不審な点は何も見受けられない。

 多方、昨夜の豹変ぶりを見たせいで、俺のほうが意識し過ぎてしまった様だ。


 踵を返し、勝手口へと足を向ける。


「ああ、それと彩霞さん」


 呼び止める声に顔を向けると、そこにはイタズラめいた顔をしたシスターの姿があり、


「くれぐれも、掃除用の刷毛はけは折らないでくださいね」


 俺はその言葉に絶句せざるを得なかった。

 



 古びた物置から長尺の刷毛を取り出し、表門へと足を運ぶ。

 まだまだ日も登りかけの時間。

 人通りも少なく、辺りには少し肌寒い空気までもが漂っている。


「やっぱり、参拝の連中が来るまでには終わらせるべきだな」 


 これも足腰の鍛錬にはちょうど良い。

 刷毛を上下左右に動かし、丹念かつ丁寧に教会の外壁を擦り上げていく。

 

「あれあれ? リッツってばそんな所で何をしてるのかな~?」


 ともすれば揶揄ともとれそうなほどイラつく声をかけられたのは、外壁掃除も残りわずかとなった時。

 その声の主は、足早に俺の方へと駆け寄りってくると、まじまじとその大きな目をニヤけさせる。


「これってあれだよね。罰掃除ってやつだよね。ひょっとしてリッツてば、シスターを怒らせちゃたのかなぁ?」


 真剣に物事に打ちこんでいる時ほど、余計な茶々を入られると腹が立ってくるものだ。

 だから、俺が今からする事は教育的指導といっても差支えはないだろう。


「いやいや~、まさかあの唐変木を絵に書いたようなリッツがねぇ~。これは帰ってすぐに姉さんに報告を……ぷぎゃっ!!!」


 俺が散水用に用意した水をぶっかけると、リナは奇っ怪な声を上げて、その場で転げ回りはじめる。

 大袈裟な奴だな。別に痛くも痒くもないだろうに。


「おいっ、そんな所で転げまわるな。掃除の邪魔だ」

 

 刷毛を使って吐き捨てるような仕草をとると、今度は猛烈な勢いで立ち上がり、こちらに向けて抗議の視線を送ってくる。


「うなぁぁぁぁあ! もう許さないよ。か弱き乙女の顔に水をぶっかけるなんて所業! 誰が許しても私は許さない」

「騒ぐな喚くな暴れるな。昨日の今日で懲りない奴だな」


 お前がはしゃぎ倒すと、そのしわ寄せは絶対に俺にくるんだよ。


「こんなことされて黙ってられるかってーの! リッツはいったい私のことを何だと思ってんのよ!!!」

「……歩く迷惑」

「うがあああああああああ!!! もう許さん!!! 今日という今日はもう許さないよ!!!」

「ういっ。よいしょっと……」

「ああ? 元はといえばお前が先にちょっかいを……」


「ざっ…………ぱあああああああん」


「はあ?」

「え?」


 振り返った時にはすでに時遅し、俺とリナは頭から水を浴びせられ、ずぶ濡れの状態になっていた。


「おおーー。せいこうしました」


 その諸悪の根源たる人物は空の水桶を両手に抱えたまま、しきりに笑い声をあげている。


「作戦せいこうですね。では、こうしゅこうたいです。どうぞ、かかってきてください」


 何を、何をお前はそんなに得意げな顔をしてるんだ?

 ふつふつとした怒りが体の底から湧いて出てくる。

 隣を見ると、リナも俺同様、身体を小刻みに震わせ、ぶつぶつと独り言を呟いている有様だ。


「??? どうしましたか? わたしも水遊びに……おおおおおおおおお!?」

「おい、祈梨。お前、何してんの?」


 俺たち二人に水をぶっかけてくれた祈梨を猫のように持ち上げ、目線を合わせてそう口にする。

 もちろん、そこに一切の笑顔を見せるつもりもない。

 こいつにこそ教育的指導が必要だ。


「律もリナもずるいとおもいます。水遊びならわたしもまぜてもらわないと」

「へぇー。お前にはこれが水遊びに見えたっていうのか」

「イノリたん。いくら何でも、これは反省が必要かなあ」


 さて、どうやってこの馬鹿姫様にお仕置きをしてやろうか。

 いっその事、このままその辺の川に投げ込んでやるのも良いかもしれない、と頭の中で画策を巡らせていたその時、 

 

「いいえ。いい加減にするのは貴女達ふたりのほうですね」


 背後から底冷えのする声がかけられる。

 十中八九その声の主に検討はついていたが、わずかな希望を込め、意を決して振り向く――――だが、やはりそこには昨日と同じく、般若を宿したシスター・ソフィーの姿があるばかり。

 強いてあげるなら、昨日と違うのは、シスターがもう笑顔ですら無いということだ。


「さあ。お二人とも。――――罰の時間です」




「まったく、酷い目にあった」

「いやいや、リッツには言われたくないよ。私なんて完全にトバッチリじゃない」


 あの後、俺達は教会の門前にも関わらず、シスターからその場でさんざん説法を聞かされるはめになった。

 公衆の面前にさらされ、その場で正座させられている俺達の姿が、道行く人達にどう映っていたのかなんて考えたくもない。

 今でこそこうして濡れ鼠になった身体を拭いてはいるが、説法の間はお互いびしょ濡れの状態だった訳だしな。

 

「それにしもさあ、シスターにあそこまで怒られたのなんて初めてだよ。いつもならいくら騒いでも「お静かに」の一言で終わりだったのに」


 確かに、俺も短い付き合いながら、シスターがあそこまで激高している姿は初めて見たし、さっきまでは想像もつかなかった。

 良くも悪くも世情に無頓着だったシスターに、いったいどんな風の吹き回しがあったのやら。

  

「ねえ、リッツ。本当にシスターに何もしてない?」

「……別に、何もした覚えはない」


 可能性があるとすれば昨夜のあのやり取りのせいだろうが、確証もないのにそれをここで口にするのは憚られる。

 それに、あの話をするのなら、シスターの過去についても説明をしなくてはいけない。

 それは、おいそれと口にして良いものじゃないしな。


「そっか。なら信じてあげるよ。――――それじゃあ、そろそろお店に帰るとしましょうかね」


 リナはそう言うと手ぬぐいを俺の方へと投げ捨て、にこやかな笑みを浮かべる。

 コイツは本当に要らんところで気を使う奴だな。

 まあ。今日はその言葉に甘えさせてもらうとするよ。


「おいこら、起きろ」

「ふあ!? だいりょうぶれふよ。しっかりおきてまふのれ」


 何を寝ぼけた声でふざけた事を。


「にゃははっ、やっぱり祈梨ちゃんはリッツの寝床がいちばん安心するんだろうね~」


 祈梨は俺の仮宿である屋根裏部屋についた途端、真っ先に寝台へと上げると、今の今まで横になって眠りこけていた。

 まったく、そんな事をされると言い返す言葉もない。

  


 そうして俺が祈梨やリナと共に屋根裏部屋から降りていくと、何やら聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「ご機嫌如何かなシスター。どうやら今日も相変わらず女神教の布教に勤しんでいるようだが」


 アイツは確か、あの時審問の場にいた……


「お久しぶりで御座います、クラウス様。本日はいったい、どの様なご用件でこのような場所に」


 そうだ思い出した。クラウス中将。審問の場で俺を斬り殺そうとしてくれた厄介な将校だ。 


「そう邪険にするなよ。俺だって騎士だ。教会に足を運んでも、何らおかしいなことじゃないだろう?」

「ええ。しかし将校であるクラウス様なら、城内にある施設をご利用になられたほうが自然かと思いますが」


 どうやらあの会話を聞く限りでは、お互い何らかの面識がありそうな感じだな。

 しかも、あまり友好的な会話とは聞き取れない。


「ふんっ。相変わらず融通のきかなさは一級品じゃねえか。まあいい、今回はちゃんとした用があって、わざわざここまで訪れたんだ」


 そう言うと、クラウスは連れの兵士から一枚の洋紙を受け取る。


「『女神教がシスター。ソフィー・グラネット。此度行われるラグナラ要塞への進軍、御身には是非とも従軍して頂き、騎士の士気向上を願い奉りたく、ここに一筆を記す』 ララーナ王直筆の嘆願書だ」

「!!!」

 

「喜びな。お前にも、お前の両親と同じ道を歩む権利が与えられた。これはその招待状ってわけだ」

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