思想と理想
そう言ってヴィンセントから差し出された右手を、俺はすぐに握り返すことが出来なかった。
だってそうだろう。
一介の訓練生ごときに、近衛まで上り詰めた男がそんな話を持ち出してくるとは、到底考えられない。
ましてや、俺はこの国の人間じゃない。
愛国心も無ければ、命令違反だって平気でする様な人間だ。
そんな俺に、どうしてこの男はここまで固執する。
「・・・納得がいかない」
口から溢れ出た言葉は、そんなチンケな言葉だった。
「腕が立つ連中なら他に何人もいるはずだ。あんたの理想とやらに賛同する奴も、探せば他にいくらでも見つかる。それなのに、どうしてあんたは俺を選んだ」
どうにも上手く言葉を口にする事が出来ない。
先のヴィンセントの言葉が、頭の中でずっと反響し続けている。
「もちろん、理由はある。まず最初にお前に目を付けたのは、『コロン奪回』の報告を受けた時だ」
当然のようにヴィンセントはそう口にするが、それすら承服しかねる。
この男、どうして俺がコロンを解放した事を知っている?
特務の内容はその性質上、命令者と実行者でしか知り得ないはず。
ライアスも軍上層部への報告を行った際、わざわざ俺の名前を報告するなんて事はしていないだろう。
国から命じられた事とはいえ、特務はこの国の闇と言っても過言じゃない。
その闇を実行した人間の名前など、騎士道を重んじるこの国の軍部には必要ないからな。
だが、そうなると自ずと答えが導き出される。
『コロン奪回』の実行者が俺とカエラである以上、残っているのは命令者でしか有り得ない。
その命令者も、そこに佇んでいるライアスに間違いない。だが、そのライアスでさえ、国から命令で動いている。
じゃあ、そのライアスに命令した人間こそ、、、
「おそらく彩霞くんの考えている通りで間違いありません。私に『コロン奪還』の特務を命じたのは、そこにいるヴィンセントです」
俺の予測が正しかった事を裏付けてくれたのは、ライアス本人だった。
「付け加えるならば、特務とはヴィンセントの立案により生み出されたものであり、その事を知るのはこの国でも極一部の人間だけです」
特務の生みの親。
それはさぞかし軍上層部には煙たがられてそうだな。
近衛の身分とはいえ、軍の将校にその様な任務をばらまかれちゃあ、軍部そのものから目の敵にされてもおかしくはない。
どうりで先の老兵がヴィンセントに対して気持ちいい態度をとって無かった訳だ。
「これでも苦労したんぜ。道理だ何だと喚く老人どもを納得させるのは。終いには、「そこまで言うのなら、貴様に賛同する者だけを貸し与える。但し、正規兵の使用は認めん」ときたもんだから、流石のオレもあの時は唖然とするしかなかったね」
過去に行われたであろうそのやり取りは、その言葉だけでも十分に想像がつく。
ヴィンセントの顔がそこまで苦々しいものになってしまうのも、無理はないだろう。
「よほど老人たちには自分の家名が大事なんだろうさ。結局、自分と縁もゆかりもない人間なら、その手をいくら汚したって構わないって決断を下したんだからな」
そう口にするヴィンセントの言葉には、明らかに怒りの感情が含まれている。
「結局のところ、オレに賛同してくれたのはライアス殿とアルゴだけだった。持つべき者はかつての教官と仲間だな。だから特務だ何だと口にしたところで、実際は狭い範囲にしか効果のない下策だよ」
確かに、それでは所詮、この国に降りかかっている火の粉の一部を消し止めるのが精一杯だろう。
どうしてこれまで自分が行ってきた特務が、あれほど苛烈極まるものだったのか。その一端がようやく理解出来はじめた。
「だがその話がどうして俺に繋がる。俺は自分に与えられた任務をこなしただけだ。それ以上の他意はないし、その背景になんて何の興味もない人間だ」
「そこまで邪険にするなよ。オレもコロン奪回の報告を受けた時には驚いたさ。まさか、あの時港で出会った東洋人が、ここまで自分の近くに存在するだなんてね」
「わざわざ俺の事を覚えてたっていうのか? 流石は近衛騎士殿、大した記憶力だ」
「おっと、それは律だって同じことだろ? 先の執務室、オレの顔を見た瞬間のお前の顔といったら」
「・・・あんたは目立ち過ぎるんだよ」
「それは律についても同じだ。この国で東洋人なんてそうは見かけない。結局、オレたちは出会う運命だったんだよ」
「ふざけろ」
どうもこの男と話をしてると調子が狂うな。
「ははっ、その調子だと篭絡は難しそうだな。まあ、友好を深めるのは追々で良い。とりあえず、そんなこんなで、オレは彩霞律という人間に興味を持つようになった。それが最初の一歩だ」
「決め手に欠けるな。先にも言ったが、それなら俺である必要がない」
「もちろん。その時点ではあくまで気になる程度だ。だが、律の行動は徐々にオレの中で燻り始めた。ひょっとしたらという思いが、どんどんどんどん大きくなっていった。そして、先の戦争での報告を受けた時、それはオレの中で確信へと変わったんだ」
「命令違反と騎士への侮辱行為。それのどこに惹かれる理由がある」
「騎士の本質とは何だ? そう聞かれれば、オレは迷わずこう答えるだろう。守り抜くべき者を守り通す意志を持った戦士の事だと。ならばそこに何らかの制限があったとしたら? それでもオレはこう答えるだろう。それすらも凌駕し得る魂を持った者こそが、騎士と呼ばれるに相応しい者だと。お前はそれを成し遂げた。いや、お前自身がそう思ってなかろうと、オレにはそう捉える事が出来た。『この男は、守る為に闘う事が出来る人間』なんだってな」
その目は真剣そのもの。
嘘偽りなく、この男は俺に対してそんな価値を見出している。
「買い被りすぎだ。俺は、、、弱い」
現に、先の戦争においてもライアスの救援がなければ、俺は守り通す事が出来なかった。
俺の背中にはララーナで平穏に暮らす知人・友人が何人もいたにも関わらず、俺は敗北を喫した。
俺は、弱い。
「彩霞くん。ヴィンセントが君に与えた近衛の補佐という立場は、近衛騎士が持つ特権の中でも唯一無二のものです」
「ライアス殿。それは、、、」
「近衛騎士というのは、この国の騎士団において最も高い位に位置しています。その補佐ともなれば、その立場を欲しがる人間はごまんといる」
「オレにとっては不要な特権だっただけの話。所詮こんなものは、世代や家名の為に使われた前例しかない」
ライアスからの説明に、ヴィンセントは苦々しくそう返す。
なるほど、それでようやく合点がいった。
先の審問会でヴィンセントがそう口にした時、どうしてクラウスが、そこまで発狂していたのか。また、大将と呼ばれた老兵が、どうして最後にもう一度念を押したのか。
要するに、あの二人は伝統を覆すような特権の使用方法に苛立ちを覚えていたに過ぎなかったんだ。
「律。勘違いするなよ。オレは別に、いますぐお前をオレの補佐として成り上がりさせようだなんて事は考えていない。お前には、出来ればこの先も騎士養成施設で学ぶべき事を学んで欲しいと思っている」
「それこそ滑稽な話だ。そこまでして、あんたは俺に何を求める」
「時代の改変さ。守るべき人間の為に、その手を、その名を汚す事を厭わない英傑を、俺はこの目で見たいだけだ」
そう言いながら、ヴィンセントは改めて、俺に片手を差し出してくる。
「英傑になんて興味はない。時代を変えるつもりもない。俺はただ、自分のやりたい様にやるだけだ」
「それでも、オレの道と違える理由は無いんだろ?」
「馬鹿な奴だ。せっかくの特権を、たかが一端の東洋人を守る為に使用するなんて」
「何度も言わせるなよ。オレにとって、お前はそれだけの価値がある」
本当に、馬鹿な奴だ。
守るべき者の為に、この手を汚せだと?
守るべき者の為に、この名を汚せだと?
そんなもの、倭国を出た時から覚悟の上だ。
ヴィンセントから差し出された手を、強く握り返す。
「俺は俺の矜持に従う。でもヴィンセント、あんたの思想は嫌いじゃない。精々こき使われてやるさ」
「良い覚悟だ。それじゃあ、精々足掻いてもらうことにしよう」
「彩霞律。改めて、此度の御礼をここに」
「ヴィンセント・ロータスだ。気安くヴィンと呼んでくれ。堅苦しいのは無しにしよう。律、オレ達が向かう先は同じだ。あらためて、よろしく頼む」
「言ってろ」
何故だろうか。自然と顔が綻んでしまう。
ライアスとアルゴも、普段とは打って変わった穏やかな顔をしている様に思える。
仲間意識でも芽生えたっていうのか?
冗談じゃない。馴れ合いは御免だ。
だがそんな形容し難い気分も、次に投げかけられた言葉で、木っ端微塵に砕かれてしまう。
「ああそうだ。律にはこれとは別に、もう一つ礼を言っておかないとな。アルゴから聞いたぜ、どうやらうちの妹と良い関係を築いている様じゃないか」
「はあ?」
「惚けるなよ。大丈夫、オレはその辺には寛容な方だからな」
「ちょっと待て。お前、いったい誰の事を」
「オイコラお前さん。まさか気付いてねえのか? お前さんといっつも一緒にいるあのフェリアって娘。ありゃあ、そこにいるヴィンセントの妹だぜ」