第12話 夜を裂く刃
村の入り口が見えてきた頃だった。
空気が──変わった。
汗ばむ肌をなぞるような、冷たくざらついた感覚。
胸の奥がじわりと重くなる。
風の流れが一瞬止まり、音が消える。
そこに“いる”と、直感が告げた。
月明かりが差し込む石畳の道。
その先に──いた。
他の魔物とは、明らかに異なる。
漆黒の巨躯。
シャドウ・ハウンドに似た姿だが、その大きさは優に数倍はある。
腐りかけたように崩れた背中と、溢れ出す瘴気。
顎は裂け、うなじのあたりからは骨のような突起が飛び出していた。
咆哮は、まるで誰かの呻き声を混ぜたような、不気味な音だった。
シャドウ・ハウンドの比ではない、異様な存在感。
名前も知らない。
でも、わかる。
これは“ただの魔物”じゃない。
その足元に、村人の姿があった。 既に動かない血の海に沈んだ身体を、魔物は一瞥すらせず踏みつける。
その瞬間、胸の奥が、焼けつくように熱くなった。
その周囲を、数人の男たちが取り囲んでいる。
剣を握り、必死に構えてはいるが──
誰一人、踏み込めない。
膝が震え、肩がこわばり、
絶望の色が、月光に浮かんでいた。
(……これが、群れを率いていた個体か)
胸の奥に、静かに火が灯る。
俺は一歩、前に出た。
その気配に、男たちのうちの一人が声を上げる。
「お、おい、あんた……!」
怯えきった声。
だが、目は俺を捉えて離さない。
魔物もまた、こちらを見た。
赤黒い瞳に、微かな興味を宿しながら。
──ジリ。
魔物が間合いを詰める。
俺も剣を下げ、自然と重心を低くした。
動き出したのは、魔物の方が先だった。
──地を蹴った。
巨体とは思えないスピードで、一直線に間合いを詰める。
前脚が振り下ろされる。
──その直前。
俺も地を蹴った。
爪の一撃を、ギリギリで躱す。
すぐに、背後から尾が薙ぎ払ってくる。
しゃがみ込み、肩すれすれで尾を躱す。
空気が裂ける音。
間合いの中に、わずかな隙が生まれた。
──逃さない。
俺は剣を一閃した。
鋭い音と共に、魔物の脇腹に斬撃が刻まれる。
「──グアアァァァァ!!」
悲鳴のような咆哮。
魔物は激しく身をよじり、周囲の地面を砕きながら暴れ回った。
(悪くない──)
魔物の乱撃をすり抜けるようにして俺は一旦、距離を取った。
剣先を低く構えながら、呼吸を整える。
背後から、ミラの声がかすかに届いた。
「……アッシュ、すごい……」
俺の中でも、確かな手応えがあった。
相手の動きが読める。
体が、自然に反応している。
──まるで、ずっと前からこうして戦ってきたかのように。
(思い出しつつある──何かを)
確認するように、もう一歩踏み込む。
魔物が再び突進してきた。
(確かめてみるか――)
この力が何なのかは、まだわからない。
けれど──確かめたい。
もし、この力の先に、思い出すべき何かがあるのなら。
だったら、受けてみる価値はある。
大人一人分はありそうな巨腕を、
俺は──あえて、受け止めた。
ギリギリと筋肉が軋む。
重圧に膝がわずかに沈み、剣の鍔が手のひらに食い込む。
剣を軸に、全身の筋肉を連動させて踏ん張る。
肩、腰、足元……あらゆる部位が軋みながらも、その力を逃がさぬように一点へと集中させる。
魔物の巨腕が、地を割るような力で押し込んでくる。
骨ごと押し潰されるかのような圧に、意識が削られていく。
それでも──まだ、動ける。
奥底から湧き上がる力が、剣を通して脈打つ。
「──ッ!」
俺は、渾身の力で踏み込み、そのまま魔物を押し返した。
ズリッ、と石畳を爪が削る音がした。
膂力の応酬の果て──
わずかに押し返した、その瞬間に生まれた隙を逃さず、俺は剣を振り上げた。
自分の中に芽生えつつある感覚が、確かに嘘じゃないと──心の奥で確信する。
「──ッ!」
渾身の力で振り下ろした一撃が、魔物の喉元を正確に捉えた。
剣が肉を裂き、骨を断つ感触。
深々と抉られた傷口から、どっと血が噴き出した。
「グウゥゥアアアッ……!」
呻き声と共に、魔物が後退する。
だが、まだ引く様子はない。
赤黒い瞳が、怒りと本能で光っていた。
(このまま、仕留める──)
俺は、剣を握り直し、再び踏み込もうとした。
──その瞬間。
目の前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
歪みはゆらゆらと波打ち、現実の皮を裂くように開いていく。
これは昼間見た――。
「アッシュ!!」
ミラの叫び声が耳に飛び込んだ瞬間、空間の裂け目から、灼熱の火炎が噴き出した。
(ッ──くる!)
熱風が皮膚を裂き、視界を真紅に染める。
逃げる隙間はなかった。
咄嗟に剣を構え、足を地に深く沈める。
目を開いたまま、炎と対峙する。
刹那──意識を極限まで研ぎ澄ませる。
体の内奥、どこか深い場所から、熱とは別の力が湧き上がってくる。
その感覚を、全て剣に乗せた。
(斬る──!)
「──ッ!」
剣を振り抜く──その軌跡が火炎の壁を切り裂いた。
轟音とともに爆風が押し寄せる中、俺は一歩も引かず、その勢いを利用するように前へと飛び込む。
巻き上がる熱気の帳を抜けて、炎を纏った残光のように、一直線に魔物へと突き進んだ。
「……これで終わりだ!」
叫ぶよりも先に、剣が振り下ろされていた。
銀色の弧を描きながら、剣が魔物の頭蓋を、真っ二つに断ち割る。
甲高い音と共に、頭蓋が裂けた。
断ち割られたその巨体が、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
大地が揺れ、地面にひびが走る。
立ち昇った瘴気は風に千切られながら、音もなく霧散していった。
その瞬間、夜の空気が一変する。
それまで肌に纏わりついていた瘴気の熱が、すっと引く。
ひやりと冷たい風が、皮膚を撫でた。
まるで、ようやく夜が本来の静けさを取り戻したかのように。
「……まさか、あれを受け止めるなんて……」
誰かが、呆然としたように呟いた。
その目には、もはや恐怖よりも──希望の色が浮かんでいた。
俺は剣を引き抜き、静かに立ち上がった。
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