第13話 メモリア
倒れた巨躯を、俺は見下ろしていた。
赤黒い体躯。
崩れ落ちた四肢。
まだ地面には瘴気の名残が漂っている。
けれど──それは、もはや動かない。
「大丈夫…? アッシュ」
後ろから、ミラの声が届いた。
振り返ると、彼女は足早にこちらへと歩み寄ってきていた。
「……ああ、大丈夫だ」
俺は短く答えながら、彼女の方へ軽く頷いた。
胸の奥にあった熱が、ゆっくりと引いていく。
戦いの興奮が、潮のように遠ざかっていくのを感じた。
──
周囲の音が、戻ってきた。
耳に飛び込んできたのは、かすかな呻き声と、土を蹴る足音。
男たちが声を掛け合い、互いの無事を確認している。
震える声もあれば、力強い励ましの声もある。
戦場に張り詰めていた緊張が、少しずつ解けていくのがわかった。
あちこちで剣戟の音がまだ響いていたが、それも徐々に、遠ざかるように弱まっていった。
残った魔物たちも、もう討ち果たされるだろう。
誰かが息を吐く音。
泣き声のような笑い声。
その一つひとつが、戦いの終わりを告げていた。
血溜まりの中に倒れていた男を、仲間たちが肩を貸しながら運んでいく。
その姿を見つめる村人たちの目には、疲労と痛み、そして深い哀しみが浮かんでいた。
ふと、目の前の巨躯に、変化が起きた。
肉が崩れ、骨が砕け、空気に染み込むように、静かに姿を失っていく。
その崩壊は爆発的でも劇的でもなく、まるで霧が朝日に溶けるように、穏やかで静謐だった。
やがて、その輪郭から、
淡く光る粒子が立ち上り始めた。
舞い上がる光の粒子は、まるで月明かりを纏った花びらのように、風に乗ってゆらゆらと流れていく。
色も匂いもないのに、その流れは不思議と心を捉えた。
あれほど禍々しく、憎むべき存在だったはずの魔物が、まるで世界に祝福されるように、静かに還っていく。
その姿は、美しくて。
どこか、切なくて。
胸の奥に、名もない感情が──熱のように、じんわりと湧き上がっていた。
「魔物はね。死ぬとマナに還っていくの」
ミラが、静かに言った。
その瞳は、どこか遠くを見ていた。
「そうやって、世界はまた循環する」
──この世界では、生も死も、とても近い。
それは、魔物であっても、変わらないのかもしれない。
みるみるうちに、巨躯は霧散していった。
ただ、血の匂いだけを残して──
……いや。
何か、ある。
地面に、ぽつりと残されたもの。
「あれは……?」
思わず、足が動いていた。
吸い寄せられるように、その小さな残滓へと、近づいていく。
「もしかして──」
ミラが、隣で覗き込むように言った。
地面に落ちていたのは、透き通るような結晶体だった。
拳ほどの大きさで、淡い青白い光を帯びている。
どこか冷たいはずなのに、見るだけで胸の奥が熱を帯びるような、不思議な存在感があった。
幾何学的な形をしていて、自然にできたものとは思えない。
それでいて──何か、とても大切なものを閉じ込めているような気配。
ただの鉱石でも、装飾品でもない。
それ以上に、何か本質的な“記憶”のようなものが宿っている気がした。
今はまだ名も形もないけれど、確かに──何かを秘めている。
「……フラグメント」
ミラが、呟く。
昼間、何度か耳にしたその言葉。
だが──その意味を、俺はまだ知らない。
ただ、わかる。
この結晶は、何かを──秘めている。
俺は、ゆっくりと手を伸ばした。
理屈ではない。けれど、触れずにはいられなかった。
その透明な表面に、指先が触れた──
その瞬間、世界が──揺れた。
──意識が、引き込まれる。
―――
砂埃が舞っていた。
地平線の果てまで続く、乾いた大地。
あちこちで剣戟の音が響き、空には炎の渦や雷光が走っていた。
戦場──
そう呼ぶしかない光景。
だが、自分の周囲は妙に静かだった。
まるで、厚いガラスの向こう側から、ただ映像を見ているような感覚。
(──なんだこれ?)
戸惑っていると、すぐ目の前で声が上がった。
「俺のあとに続け! 敵はもうすぐそこだ!」
軍服のような衣装に身を包んだ男が、
剣を高く掲げて叫んだ。
その手に握られていた剣から伝わる気配──
それは、俺がさっき触れた結晶体から感じたものと、まったく同じだった。
呼応するように、数名の男たちが続く。
皆、同じ衣装をまとい、剣を構えている。
(ここは──一体、どこなんだ?)
問いかける間もなく、視界が茶色い砂埃に覆われた。
世界が、音もなく崩れていく。
──
気づけば、白い、何もない空間に立っていた。
果ての見えない白。
音もなく、風もない。
それなのに──どこかで何かに見つめられているような感覚があった。
空間そのものが、自分の存在を確かめている。
静寂なのに、心の奥に微かなざわめきが広がっていく。
ただ、手の中には── さっき戦場で男が手にしていた剣だけが、確かに握られていた。
(……?)
──あなたは、剣の記憶に触れたのです。
声がした。
だが、どこにも姿はない。
「剣の記憶?」
問いかける。
──そう。メモリアの力によって。
その声は音ではなかった。
言葉でもない。
頭の中に直接響くような──いや、心の底から自然に湧き出したような、不思議な感触だった。
「メモリア……?」
その言葉を繰り返した途端、意識の奥底で、何かが弾けた。
──
次の瞬間、剣に刻まれた記憶が、まるで堰を切ったように、奔流となって押し寄せてきた。
胸の奥に圧迫感が広がる。
逃げ出したいほどの重さ。
だが──その中に確かにあった。
何かを掴めそうな、微かな光のような感触。
あの時、神殿で手にした剣からも、同じような感覚が流れ込んできた。
ただ、あの時は流れが激しすぎて、何が何だかわからなかった。
けれど、今ならわかる気がする。
これは“記憶”だ。
剣に宿された、誰かの想いと歩み。
その端に、わずかでも触れられているような気がした。
名前。
力。
宿る想い。
それらが、ぼんやりとした像を結び始める。まだ霧の中にいるような不確かさはあるが──それでも、輪郭は確かに感じられた。
まるで、遠い昔に見た夢の続きをなぞっているかのような、奇妙な既視感だった。
目を閉じれば、刃の重さも、冷たさも、脈動も感じ取れた。
「メモリアってなんだ? どうして俺が──」
言葉は、そこで途切れた。
──
「アッシュ?」
ミラの声が、現実へと引き戻した。
目の前には、消えかけた戦場も、白い空間もない。
ただ、蒸気のように冷えた夜気と、剣を握る自分の手だけが、確かにあった。
「それ……」
ミラが、剣を見つめながら言った。
俺は視線を落とし、そして口にした。
「ラグナブレード……」
ミラの目が、驚きに大きく見開かれる。
「知ってるの?」
「いや──」
俺は首を振った。
「……でも、感じるんだ」
なぜそうだとわかるのか。 どうして名前が浮かんだのか。
その理由は、わからない。
けれど、この剣の名前が──
確かに、心のどこかに刻まれていた。
そうとしか、言いようがなかった。
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