第9話 裸で館一週!
――面白くない。
デイは反省文を書きながら考えていた。
面白くないという事は反省文のことではない。
リトである。
リトは黙々と反省文を書いている。
――確かにさー、のぞこうとしていた俺が悪いのは分かるけどさー?
デイは手を休めた。
――自分の国の王子に向かってエロガッパはないんじゃねーの? カッパってさぁ、あの頭が禿てる奴だろー? 俺はげてねーじゃん。
それに
「やろーとは思ったけど、結局何一つやっちゃいないんだよねー、俺」
デイは口に出した。 リトの動きが止まってゆっくりこちらを向く。 その表情はさっきまでとは全く違ってどこか不安そうに見えた。
当然だろう。 今、リトは王子と部屋に二人きりなのである。
ラムールは休暇中の出先でやり残したことがあるからと言って窓から外へ出て行った。
窓から? そう、3階のこの窓からである。
「例えばさー、盗もうと思っても、思うだけじゃ罪になんないと思うんだよね。 それと同じで俺って窓を入れ替えてた後でも覗いてたわけでもないから、ぜーんぜん悪いトコまで行ってないと思うんだよね」
実はリトもついさっき、それに気づいた。
結局のところ、ラムールがデイの行動を読まない限りは王子は純粋な被害者で終わった話だったのだ。
「どー思う?」
ところがリトは返事をしない。
――せんせーがいなけりゃ、やっぱり俺にものは言えないよな。
なんとなく残念な感じがした。
ラムールはこの国で強大な力を持っていた。
彼は純粋に実力と実績だけで皆の信頼を得て大きくなったのだ。 デイなどはまだまだ結果が伴っていないのでどうしても皆デイの意見よりラムールの指示に従う。
国王に次ぐ権力を持っていると噂されることもある。
実際デイはそれは否定しない。 嫌な気もしない。 なぜならデイも彼を尊敬しているからだ。
だが、ラムールがそこにいれば虎の威を借る狐のように、堂々と王子であるデイに苦言を呈するが、彼がいないと手のひらを返したようにデイに全て従う者もいる。 風見鶏のようなものだ。 本心などなく、ただ風が吹く方に気に入られようと形を整えるだけの者達。
自分の意見など言わず責任を持たない者たち。
リトの返事は来ないだろうと諦めて、デイは再びペンを走らせた。
ところが予想に反して返事はきた。
「悪いことはたとえ実行してなくて、思っただけでも……それを反省してもいいでしょ」
正論である。
「でもさー、エロガッパはないっしょ?」
「だって覗こうとしたんでしょ?」
「この年頃の男だったらみんなそーだっつーの」
「エロガッパじゃん」
「カッパって嫌なんだよ」
「エロ猿?」
「お前なぁ、エロエロエロって言うなよ。 んな言葉使って恥ずかしくない?」
「じゃあ蒸し返さないでよ」
ぴしっ、と話を締め切られてデイは不完全燃焼。
どうにかしてリトを驚かせられないものか
机をペンで小突きながらデイは考えた。 ところが先に話を蒸し返したのはリトだった。
「それに」
「んぁ?」
「王子様はさ、」
「こーゆうとこじゃ「様」つけなくていーよ」
「じゃ、王子はさ、この年頃の男だったらみんなそーだって言うけど、ならこの年頃の女だったら、っていうか、この年頃じゃなくても女の子っていうものはね、お風呂をのぞく男にヒドイこと言っちゃうのも、当然なんじゃない?」
ひどいこと、というのだからリトは言い過ぎたとは思っているらしい。
しかしデイはリトの主張を認めたくないらしい。
「別にいーじゃん。 見られたってさ、減るもんじゃなし。 触ったりする訳じゃないんだぜ?」
「何言ってるの? 減る! 絶ー対減る!」
二人ともすでに反省文を書く手は止まっていた。
「減る? 何が?」
「うーんと、価値っていうか、プライド」
「減らねーよ。 たかが裸だぜ?」
「たかが裸でもこの年頃で他の人に裸見られるのって嫌じゃない? 王子は、じゃ、今から全裸になって館の中とか歩ける? 無理でしょ。 恥ずかしいでしょ。 王子の言い分だとたかが裸なんだもん、できるでしょ、何も減らないんでしょ?」
だんだんリトは腹がたってきて、挑発的な口調で言ったのだが……
デイは立ち上がるとはっきり言った。
「やってやるよ」
「え?」
そして勢いよく服を脱いでいく。 まずは上着。 上半身があらわになる。
「ちょ、ちょっと、本気?」
デイはベルトに手をかけると外す。
「本気さ。 やってやろーじゃん。 全裸で館一周。 ぜーったい俺は平気だから」
王子は幼い頃から身の回りの世話をする第三者がいるせいだろうか、躊躇している感じが全くない。 あれよあれよという間にさっさと靴下もズボンも脱いでパンツ一枚になった。
「ちょ、ちょ、王子?やめて!」
「嫌だね。 俺はやりたいんだ。 リトも一緒にいってもらうぜ? 大丈夫、 リトは脱がなくていーからさ。 恥ずかしいのは最初だけだって」
デイはパンツに手をかけて下ろしながら、リトの側に歩いてくる。
リトは後ずさりをする。
「怖がらなくでいーって。 さっさとやっちゃおう……」
語尾は聞こえなかった。
「デイッ!!!!!!!! 何してるんですかっ!!!!!」
ラムールの声が部屋中に響き渡る。 声のした窓を見ると、開いた窓に手をかけて目の前の光景が信じられないという顔をしたラムールが、空中に浮いていた。
「げ。 せんせー」
デイは慌てて服を脱いだ場所に戻りさっさと服を着る。 リトはびっくりしすぎてその場にへたへたと腰を下ろしてしまった。
ラムールは重さをまったく感じさせない動きでなめらかに空中を進んで部屋の中まで入ってきた。
「まさか、デイ、あなた……」
腰を抜かしたリトを見て真っ青なラムール。
「嫌がる娘を無理矢理手込めにしてしまうような人物に私は育ててしまったのですか……」
「うぉ、すげー、リト、せんせーが落ち込んでる。 っじゃなくて! 違、違うってせんせー!」
「デイ……」
まるで墓場から出てきた亡霊のようにうらめしい雰囲気を背負ってラムールがデイに詰め寄る。
「誤解、誤解だってば、せんせー、な、リト??」
「誤解? やめてというリトの言葉も無視してさっさと服を脱ぎ、リトにさっさとやってしまおう……だなんて……」
そこでやっと、リトもラムールの誤解に気づいた。
「ち、違います、ラムール様、そうじゃなくて……」
このままではデイがとり殺されてしまう、ではなくて!
「説明しますから!」
慌ててリトは起こったことを説明した。
ラムールはそれを聞くと気がぬけたようで、ぺたん、とその場に腰を下ろした。
「安心しました……。 あなたに危害を加えようとした訳ではないのですね」
そして力無く笑う。
「すげーよリト。 俺、こんなにダメージ受けたせんせー見たこと無い」
「バ、バカッ、王子も早くこっち来て一緒に謝ろう?」
「そ、そーだな」
デイは慌ててリトの隣に来ると二人でラムールに対して頭を深々と下げ「ごめんなさいっっ!」と謝った。
ラムールが黙っている。
「まだ怒ってるかな?」
「反省文追加だと思う?」
リトとデイは頭を下げたままヒソヒソと話す。
「……まぁ、お互いにムキになりすぎたよな、俺ら」
「だね。 ごめんね」
「俺もメンゴ」
しかしラムールは何も言わずに立ち上がりテーブルの上の反省文に目を通し、「これを完成させたら二人で私の居室へいらっしゃい」と優しく告げて部屋を扉から出て行った。
「ふー」
「緊張したねー」
二人で顔をあげ息をつく。
そして椅子に座り直し反省文のつづきを書いた。
黙々と。 黙々と。 黙々と。
「あと何回?」
先に聞いたのはデイだった。
リトは数えてまだ半分は残ってる、と伝えた。
黙々と作業しているうちはよいが一言話してしまうと集中力が切れるもので。
手を止めて話を始めたのはリトの方だった。
「そういえば一つ聞きたかったんだけど、空を飛べるのはラムール様だけ?」
「ん? あ、そーだよ」
「すごいね。 本当に飛べる人間がいるなんて。 噂ではきいていたけど、ラムール様って半端じゃないね」
ラムールを褒められて、デイが明るい顔をする。
「だろ? せんせー、人間離れしてるから。 法力がとんでもないんだぜ? 魔法顧問の先生だって足下には及ばないんだ。 飛ぶのもすっげー早いし何でも魔法でできちゃうし。 あ、でも魔法だけじゃないんだぜ?」
「頭もいい?」
「あーったり前だよ。 超なんてもんじゃなくて超超頭良すぎ。 ついでに剣の腕前もすごいし、武術もできる。 料理も上手いし言うことなし!」
なんだかどんどんデイはノってきた。
「楽器もひけるし歌もうまいよ? って滅多に歌ってくれないけどさ」
「出来ないことってないの? そんなに優秀じゃ、デイ王子も大変じゃない?」
デイは立ち上がり手を広げてオーバーなリアクションをしながら嬉しそうに言う。
「分かる? そーなんだよ、大変、もー、大変。 完璧すぎて文句言えないじゃん。 こっちはプレッシャーだよ」
「そうなっちゃうだろうね」
「分かってるじゃんリト! ……でも、せんせー、実は完璧じゃないところが一つあるんだって」
「なになにそれ?」
リトもだんだんノってきたようだ。
「彼女がいないんだよ」
「え?」
予想外の言葉だった。
「変だと思わねぇ? あんだけいー男なのに女がいないんだぜ? 言い寄ってくる女はそりゃぁ数え切れないくらいいるけどさ、一人もつき合った事無いんだぜ? 信じられる?」
確かに。
「内緒にしてるだけじゃない?」
「そーっかなぁ? 何か秘密があるんだって。 昔、女にこっぴどく振られたとか」
「まっさかぁ」
二人は完全に打ち解けて気楽な口調になっていった。
「あ、いけね。 全然反省文進んでないや」
ふと思い出してデイが手元の羊皮紙を見る。
「ホントだ。 話こんじゃったからね。 急がないと。 ラムール様が部屋で待ってるだろうし……」
「よしゃ、ちょっと待って」
そういうとデイは本棚の中段に置いてある緑色の香水瓶のようなものを取り出した。
「手、出して。 手。 右手の人差し指」
リトが言われるまま右手の人差し指を出すと、デイは瓶の液体をしゅっと指先にスプレーした。 なんだかむずかゆい。
「よしゃ。 力ぬいて」
デイはリトの右手を軽く掴むと指を伸ばさせたまま反省文まで持ってくると書かれた文字にリトの指を軽く押しつけ、その指でほこりをはらうかのように文字の上を横滑りさせた。
文字には何の変わりもない。 ただ、インクが指に移り、指先が黒くなっただけだった。
「よしよし」
デイはそれを見てにっこりすると、その指をこれから書く予定の何も書いていない羊皮紙の空白に押しつけ、すーっと横にスライドさせた。
指がスライドした後から文字が浮かんでくる。
<今度からもう少し考えて行動します>
「うわ」
「すげーだろ? コピー薬ってゆーんだ。 結構たっぷり液かけたからまだ写ると思うよ? やってみ?」
リトは言われるがまま再度指を白紙のところですべらせる。 また同じ文字が浮かび上がる。 どんどんどんどんなぞるだけで文字が写っていく。
「うわー」
リトは思わず声に出して喜んだ。
「俺もやろっと」
デイは慣れているのだろう、いきなり手のひらに液をふきかけたかと思うとそこに自分の今まで書いた分をコピーし、どんどんどんどん写していく。
「これさえあれば反省文なんてちょろいちょろい」
確かにあっという間に反省文はできあがったのだった。
「イエイ♪」
すべて終わるとデイとリトはお互いの手でぱちんとタッチした。
それから二人は部屋を出てすぐ正面の階段を上り、4階についてすぐ正面の教育係居室へ入っていった。
「せんせー、終わったよー」
デイがドアを閉めながら大声で言う。
「はい、お疲れさまでした。 お茶を入れましたから飲んでお行きなさい」
部屋の中には暖かい紅茶を用意して待っていてくれたラムールがいた。 出された紅茶は入れたてだ。 まるで来る時間を見越していたように。
そしてその部屋で三人はしばしお茶を楽しんだ。