第8話 正解じゃない、ってことだ。
白の館の3階に上がってすぐの右側にある廊下を突き進んでつきあたりの左の部屋。
そこがラムールの事務室だった。
そして事務室の扉の反対側には4階へ続く階段がある。
「この上は私の居室であり、その先は白の館の中から王族居住区へ続くたった一つの通路です」
王族居住区への出入りは普段は白の館の後方の大きな門。 ただ、毎回大きな門を開閉するのが面倒だったりするので、特に王子はこっちの通路で各敷地を行き来するらしい。 警備上問題がありそうだが、実はこの通路には色々しかけもあり、実際のところラムールの目を盗んで居住区に行くことは誰にも不可能だった。
例えば事務室の扉が二つに分かれて事務室と4階へ続く通路を隠してしまい、行き止まりにしか見えなくなる等。
「年に数回、この仕掛けを知らずにこの扉の前で狐につままれる人がいるのですよ」
「これはやっぱり敵が襲撃してきたときに備えてですか?」
「それもありますが……どちらかというとデイの王族居住区脱走を止めるために使ってばかりですね。 簡単には元に戻せませんから。」
ラムールの言葉にデイがぺろっと舌を出す。
そしてラムールは扉を開けてデイとリトを事務室に招き入れた。
そこは奥行きのある縦長の部屋で窓があるのでとても明るく、天井も高いので広々としていた。 奥の窓際にはカラメル色の大きな四角い事務机がある。
その机の前に一回り小さい丸型の机があり椅子が4脚置かれていた。 ソファーがその手前に一つと右側の壁に添って一つ置かれている。
「お掛けなさい」
ラムールはそう言うと丸型机の椅子を一つ引いて自分の机の方に歩いて行った。 引かれた椅子にデイが座ろうとしたが「デーイ」とラムールの声に反応し、座りかけた体勢を奇妙な動きでごまかしながら椅子を引き、リトに「どうぞ」と勧めた。
リトは勧められるがまま椅子に座り、デイはすぐ右隣にラムールの机の方を向いて座った。 ラムールは引き出しから羊皮紙と万年筆をそれぞれ二つ取り出し、一組ずつデイとリトの前に置く。
「リトは<今度からもう少し考えて行動します>を羊皮紙二枚。 いいですね?」
<今度からもう少し考えて行動します>
……確かに今のリトに一番堪える台詞だった。 だが、文章も短いし簡単なものだ。
そして、分からないことがある。
デイは何を書くのだろう?
<洗面器くらいよけられるようにします>だろうか。
デイは思い当たることがあるらしく、ちらちらとラムールを上目づかいに見ている。
「せんせー……」
迷子の子猫のように相手の態度を伺いながらデイが言う。
ラムールはデイの正面にある椅子を引き、足を組んで座ると「ロープ?」と、語尾を上げて、挑戦的に呟いた。
「い……命綱」
デイが言いにくそうに返答する。
「池に落ちたのに?」
「ま、まだきちんと体に結んでいなかったんだよ」
「四階まで登っておきながら? いつ命綱をつけるつもりかな?」
デイが黙る。
リトは訳が分からず二人の顔を見比べる。
「だって仕方ないじゃん! 俺くらいの年頃だったら当然だぁって!」
おお、多分、逆切れだ。
デイが立ち上がって主張した。
すかさずラムールも立ち上がってテーブルに手をつきデイの鼻先まで顔を寄せて言った。
「なら反省文書かせられても当然でしょう?」
余裕たっぷりのラムールの表情にデイはぷう、と頬をふくらませ、椅子に乱暴に座った。
「反省なさい。 あなたの愚かな行動のせいで、まだここに来て右も左も分からぬ少女は相当いたたまれない思いをしたのですよ」
右も左も…の少女は自分だな、とリトは思った。
「だってもう無罪放免だからいいじゃん」
「いいという問題ではなく」
語句を強めてラムールは続ける。
「私が来る前にあなたが皆の誤解を解かず彼女を窮地に立たせたのが一番の注意すべき点です。 一歩間違えれば彼女はいまここには居ませんよ」
確かに。 誤解が何かは分からないけど、落とした相手が王子だったと知ったその時、リトは確かにここを去ることになるだろうと思った。
ラムールが言い終わるとデイはしゅんとなった。
「……ごめんなさい」
「私に謝られても筋違いです」
冷たくラムールは突き放す。
デイがリトの方を向く。 目が合い、慌ててリトは姿勢を正す。
「リト、でいい?」
デイは再度ラムールの方を向いて尋ねるが、「私に聞かない」と一蹴される。
「あっ、リトで構いません」
こちらを向いたデイに尋ねられる前にリトは返答する。
デイがじっと瞳を見つめ、おもむろに立ち上がって深々と頭を下げた。
「ごめん。 迷惑をかけました」
リトも驚いて立ち上がり同じくらい深々と頭を下げ、
「い、いえ。 私こそ、洗面器を投げつけて申し訳ありませんでした。 お許し下さい」
と謝罪し、デイとリトは頭を上げた。
「じゃ、俺のこと許してくれる?」
同じ年のデイだが、その表情は悪気のない幼児のようで思わず許してあげたくなる気持ちにさせられる。
「は、はい!」
リトは迷わず答えた。
ラムールは少しだけ満足そうに微笑んだ。
「よろしい。 ではデイは<勇気を持ちます>を羊皮紙十枚。 ぎっしりと。 そして、リトですが……」
「はい」
「<今度からもう少し考えて行動します>を二枚ではなく四枚♪」
ぴん、と指を四本立てる。
「ええー? せんせー、減らずに増やしちゃうの?」
リトの驚きの声より先にデイが叫んでくれた。
「そうですよ? おやおや、リト。 あなたも予想外だったみたいですね」
当然、間の抜けた顔になっていたのだろう。
「せんせー、何で何で?」
代わりに尋ねるのはデイである。
「知りたいですか?」
デイとリトは二人仲良く、うんうんと首を縦に振る。
その同調がラムールはいたく気に入ったらしい。 まるで謎解きの解説ように楽しそうな顔をする。
「リトは王子が謝罪したので許しましたね?」
「はい」
「リトは王子の何を許したのですか?」
デイが、あ、っという顔をする。
そう言えば何を謝ったのだろう……。 リトは考えて……
「……洗面器を避けきれなかった事?」
真面目に答えてみた。
「あっはっはっはっは!」
それはそれは楽しそうに豪快にラムールは笑った。
「あははははは。 いや失礼。 でも」
くくくくく、と笑いが止まる様子はない。
「ああ、御免ね。 でも私は好きですよ。 リトみたいな子」
うっすらと涙を浮かべてラムールは笑いをこらえる。
「そうきましたか。 いいですねぇ、リト。 うん、好きです」
ラムールに笑われて耳まで赤くなったリトだったが、嫌な気持ちはしなかった。
それはラムールの態度に見下すところや馬鹿にした感じが無かったせいかもしれない。
「それでは説明をしましょうかね。 ふふふ。 リト、あなたはある意味勘が鋭いですよ」
ラムールは立ち上がると机の向こう側にある4枚並んでいる腰高窓の一枚を外し、それを持ってくる。 そしてそれをリトとラムールの間に境界線のように置いた。
「どうですか?」
ラムールが尋ねる。
「どうって……」
磨き込まれた窓は一点の曇りもなく透明で、ガラスの向こうのラムールの体がきちんと見える。
「普通でしょう?」
「はい」
普通ということは正解じゃない、ってことだ。
次にラムールは再び移動して今度はリト側、ガラスの手前に来た。
「ガラス窓の向こう側に行って私を見てご覧なさい」
リトは言われるがまま歩いて、さきほどまでラムールが立っていたガラスの向こう側に行き、振り返って見た。
窓ガラスは変わらず一点の曇りもない。 透き通って床とテーブルがはっきり見える。 窓枠の上に見えるラムールの姿も何ら変わらない。
「え?」
床とテーブルがはっきり見える、ではなくて、それしか見えないのだ。
「ラムール様の体が消えてます!」
「正解です」
ラムールは軽くウインクした。
「うわぁー! すごーい! どうして??」
リトは感動してその窓に寄って内側から見たり外側から見たりする。
片面からは風景しか映らないのだ。
「マジックウインドウですよ。 片面からは普通に見えますが反対面からは人物像が映らないようになっているのです」
「どうしてこうなってるんですか?」
それはプライベート重視で外から中が見えないようにとの配慮だ。 大浴場に使われているが、希望すればどの部屋でもこの窓ガラスにすることができるらしい。
「男性浴場は1階だから普通のガラスだと丸見えですし、女性は何階にいても風呂場が外から見えるのは嫌でしょう?」
「そうですね」
人物が映らないからといって洋服だけ映るかといえばそんなこともなく、背景以外は映らないのである。
「じゃあ、のぞきなんて出るわけがないんですね……」
今更ながら、デイに洗面器をぶつけた理由が無くなってリトは落ち込んだ。 外から見られない、と分かっていればあの時デイを見ても反応したりしないだろう。 お風呂に入っていた訳でもなく、窓だって開いていたのだから。 そう、中に入ってこようとしているのなら話は変わるが、ただ、外にいただけなのだから……
リトが落ち込んだのが分かったのだろう、ラムールは優しく言った。
「気にすることはありませんよ。 あなたは知らないことが多すぎただけなんですから」
そうだけど。
結局何も知らないために大騒動を起こしてしまったではないか。
知らないとはいえ。 <今度からもう少し考えて行動します> その通りだった。
「ところがです」
いきなり大きな声をラムールが出した。
「ロープが1本あったのですよ」
そう言いながら冷めた眼差しでデイを見る。 デイが両手を合わせ、「勘弁して」のポーズをとる。
訳が分からないでいるリトにラムールが尋ねた。
「壁登りにロープが必要かな? リト」
「命綱、としてなら?」
「それなら池に落ちずに済んだでしょうね」
確かに。
「それにいつもは命綱なんて使って登り降りをしないのですよ。 デイは」
それも知らなかった。
「ロープは屋上に固定されていました。 おそらくデイは屋上まで上りロープを固定し、降り始めた。 どうしてロープが必要だったのか、それは落ちない為。 どうして落ちるのか。 両手で壁の突起を掴んでいたら落ちるはずがない。 ならば突起を掴めないから落ちる。 掴めないということは両手を使う必要がある。 さて、何に両手を使うつもりだったのでしょう?」
あのとき確かにデイはロープを伝って降りてきた。
何をするつもりだったのか
「ちなみにこの窓は簡単に取り外しができます」
ラムールが最後のヒントを出した。
「あ」
リトは一つの答えたどり着き、デイを見た。 とてもばつが悪そうにデイは目をそらす。
「正解。 デイは女風呂の窓を内外逆にはめ直そうとしていたのです。 ね? デイ」
それで分かった。 さっきの二人の奇妙なやりとりも。
結局はデイは片方から姿が見えない窓を利用して女風呂を覗く用意をしていたのだ。
「私がいるとすぐにばれると思って、私の休暇中にまさかこんな事をするとは思いませんでしたよ」
ラムールがため息をつく。
リトはふるふると怒りで震える。
「今更怒っても遅いですよ。 さっき王子を許してしまったでしょう?」
ラムールが言う。
だってそんな理由があるなんて知らなかったもんっ!
でも確かに<今度からもう少し考えて行動します>、間違いない。
そして王子の<勇気を持ちます>は、リトが責められているときに真実を告げなかった事だ。
にしてもこの怒りはどこにやればいい訳?
リトが怒りで震えているのでラムールが助け船を出した。
「私が許可します。 どうぞ? お好きな言葉を王子に一言」
そこでリトは思い切り息を吸い込んで思い切り言った。
「こんの、エロガッパっっっ!!!!」
――ぴったりの、台詞だった。




