第7話 私、逮捕?!
時間が戻せたら、とか。
穴があったら入りたい、とか。
今日はどうしようもないなぁ、と思ってみたり。
でもいくらそう思っても起きたことを元に戻せるハズもなく。
南の村から単身上京してきた少女は城に着いてまだ半日も経っていないというのに。
今、謁見の間において多くの重臣に囲まれ、国王陛下の御前に立たされ、うなだれていた。
し、視線が痛い……
リトの正面、国王陛下の隣には毛布にくるまり、ずぶ濡れになった体を家臣に拭かれているデイ王子がいた。 へくちん、と時々くしゃみが放たれるたびに王子の姿とリトの姿をみんなの視線が行き来する。
濡れた頭をきちんと整えると、確かにそこにいるのは凛々しきデイ王子だった。 しかしゴシゴシと頭を拭かれてぼさぼさの髪になると、これまた王子の風格のかけらもないただの掃除夫のような少年がいた。
教えてよぅ……
うらめしそうにリトはデイ王子の顔を見る。
この館の所有者も同然の王子様に入っていけない場所などない。
そういえば階段で会ったとき、彼は私の名前を呼んだではないか。
礼服に身をつつんだ王子様が着替えて掃除夫みたいな姿をしたって何ら悪いことはない。
更に白の館の池側の壁はあちこちに凹凸の石が埋め込まれており、ロッククライミングとして昼間は体力造りに王子様が使用しているそうで。
5階まで登れば結構良いトレーニングになるそうで。
って、知るかぁっっ!
「知らなかったからと言って、王子に怪我をさせた事実に代わりはありません」
と、こんこんと説教してるのは髪が薄いカッパみたいな姿をした法務大臣。
「これは……どのように処分をすべきですかな」
「裁判をしないと」
「一昔前なら即打ち首」
「王子が悪さをしていたのならともかく、今回はトレーニング中の出来事……」
「ここは城外追放が妥当かと……」
「いや国外追放では……? 下に池が無ければ暗殺ですよ、これは」
「暗殺に失敗しただけかもしれません。 これはやはり警察の方で調べて背後で糸を引いているのが誰か調べて……」
リトを囲む大臣達の話を聞いていると、事はどんどん大事になっているようだ。
女官長がリトと一緒に頭を下げてくれている。
ふと、大騒ぎになったとき、ロッティ達が「まぁ、誰?あの子、新人?見たことも話したこともないわぁ。何という子?」と周囲に聞こえよがしに叫んでいるのを思い出した。
関わり合いになりたくありません、ってことか。
その点、女官長は「私の監督不行届です」と平謝りして下さるのでありがたいやら申し訳ないやら。
王様は怒るというより、心配そうにリトを見ている。
「……しかし万が一、暗殺者という可能性もあるのですぞ。 純真無垢な乙女を装い、暗殺者の顔を隠しているだけかもしれませぬ」
カッパ法務大臣の声が響く。
純真無垢という表現は嬉しいが、法務大臣のように言われると、暗殺者かもという可能性は否定できないだろう。 とすると、
私、逮捕?
背筋につう、っと冷たい汗が流れ、心臓はパクンパクンと太鼓のように体中に鳴り響く。
王子様あたりが「もう気にしないでいいよ」とでも言ってくれれば少しは良い方向に進みそうな気がしないでもないが、王子様といえば落とされたことにご立腹なのか、くしゃみをしながらソワソワして心ここにあらず、という感じだった。
その時、国王陛下が困ったように口を開いた。
「確かに、この娘が王子を危険な目に遭わせたのは事実じゃからの。 とすると……」
「陛下! しかし……」
女官長が懇願する。 が、それに答えるのは国王ではなく法務大臣だった。
「しかし、ですな、女官長。 仮にこの娘を無罪放免にした場合、万が一この娘が暗殺を企てていたとき、その後に起こるすべての責任をあなたは負うことができるのですかな?」
そう言われれば女官長も返す言葉がない。
何しろリトは今日来たばかりの娘で詳しい素性も性格も何も知らない。
「ともすればこの娘は今日来るはずの娘と入れ替わって来た別の娘である可能性もある訳です
しな」
その追い打ちの一言で重臣達が一斉にざわざわと話し始める。
「では署へ連行のち取り調べということで……」
沢山バッチのついた制服を着て、鼻ヒゲを蓄えた警察署長が一歩前に出た。 その背後には兵士が3人槍を持って立っている。
ああ、もうダメ……
リトはぎゅっ、と目をつぶった。
「お待ち頂けますか? 皆様」
後方の扉から聞こえたそれは、柔らかに広がるチェロの音色のように美しく、落ち着いた暖かみのあるハスキーボイス。
一瞬にして部屋の中にいるものすべてが話すのを止め、その声の主に視線を注いだ。
リトがそっと目を開けると視界の端で女官長がほっと胸をなでおろすのが見えた。
声の主の足音が近づいてくる。 海が割れるように部屋中の者が道をあける。
ゆっくりと、足音は近づいてくるとリトの隣まで来て止まった。
「おお、ラムールよ」
陛下が安堵した声を上げた。
「本日はそちが休暇であるから危惧しておったのじゃが」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。 王子の身に異変がございましたので駆けつけましたが、こちらに来るまでに思った以上に時間を取ってしまいました。 以後気をつけます」
丁寧な口調だった。
「いやいや十分間に合ったぞよ。 事の成り行きはもう知っておるのか?」
「はい」
声の主は王子付教育係、ラムール。 リトは俯いているので彼の足しか見えない。 その足が陛下の方から向きをかえ、リトの正面に来た。
「初日から散々な目に遭わせてしまって申し訳なく思います。 リトゥア=アロワ嬢。 顔をお上げなさい」
ラムールはそう言うとそっとリトの顎に触れた。 その動きに導かれるようにリトは顔を上げる。
ラムールは艶やかでサラサラの亜麻色の前髪を右半分だけ垂らし、残りは首の後ろで一つに結んでいた。 瞳は虎目石のように知的で深い輝きを放ち。 絹のようにきめ細かくつややかな肌と、彫りが深く鼻は高く、うっすらと桜色に染まった唇は僅かに微笑んでいる。
雷に打たれた感じがした。
恋に落ちた、等の感覚ではなく自然の絶景を見てそこに神を感じるような衝撃だった。
凛々しい青年なのに、その姿は女性かと思えるような、いや女神と例えるにふさわしい美形。 しかし線が細く弱々しい感じではなく凛として力強く美しい、そうとしか表せない人物だった。
この方が、教育係、ラムール様……
微かに香る甘いようなスパイシーな香りにぽうっとなりながら、リトは肩に入っていた力がすうっと抜けていくのを感じた。
水晶玉を覗き込むように、彼はリトの瞳を見つめる。
そして、ゆっくりと周囲を見回しながら皆に告げた。
「彼女はリトゥア=アロワ。 南のオルガノ村パーティス通り51番地、シュウ=アロワとミチルダ=アロワの娘に間違いありません」
周囲がざわめく。
「間違いないのかね? ラムール教育係」
「ええ。 法務大臣。 騒ぎを聞きまして教会で彼女のプロフィールを調べ、また、オルガノ村まで出向きましてご両親とも面会してまいりました」
堂々と答えるラムールに、「はやっ」とデイ王子だけが一声あげた。
「間違いありませんね? リトゥア=アロワ?」
リトはラムールの問いにただ頷くだけである。
「更に今、彼女に特殊な暗示がかかっていないか、王子に危害を加えんと謀っていないか術で確かめてみましたが何の異常も感じられませんでした。 とすると、です」
ラムールは陛下の方に向き直って続けた。
「今回の件は、まだこの場所に来て不慣れな少女が館に忍び込まんとしている少年を見て防衛の為に出来ることをしたまでのこと。 不審者から館を守ろうとした行為は国への忠誠の証であり決して天に唾を吐きかける行為ではありません」
「うむ」
「たまたま、勘違いされた相手が王子だっただけの話です」
たまたま、ってこれまたえらく軽く言うものだ。
そこに法務大臣が猛々しく口を挟む。
「しかし! 王子が池に落ちたという、王族に身の危険を与えたという事実は間違いないのですぞ? 一歩間違えぱ王子の御身に一大事が起きたかもしれないのですぞ?」
動ずることなくラムールは苦笑した。
「王族に身の危険を与えたと言われると、いつも厳しく躾けている私は立つ瀬がないのですが……」
どっ、と皆が笑う。
「勿論、法務大臣のおっしゃることは尤もなのですが、ご存じの通りあの池は王子が壁登りの訓練中に落ちても怪我をしないようにと作ったものですし、池がなければ王子もあの壁を登ってリトゥアと会うこともなかったでしょう。 ……池のアイデアは確か――法務大臣ではありませんでしたか? おかげで王子は大きな怪我もせずに済んだのですから本当にありがたい事です。 実際に、今までも洗面器を投げつけられなくても壁から離れて池に落ちた事は多々あることですしね。 そうそうそれに、投げつけたものが刃物などではなく洗面器というのも突発的かつ偶然に起きた事故だと現していますね」
「む、むう」
法務大臣は池の事で持ち上げられたのが嬉しかったのか表情を緩める。 ラムールは少し首を傾げて顎に手をあて考えるようにして続けた。
「とはいえ洗面器を当てたのは事実ですから、これについてはやはり放置という訳にはいきませんね。 そこで私の部屋で反省文を書かせることで処罰は十分と思います。 ……当然、後々の責任は私が負います。 いかがですか? 皆様」
反論を唱える人なんて誰もいるはずがなかった。
丸く納まって良かった助かった、と皆が安堵しているのがリトにもわかった。
「儂もラムール教育係の意見に賛成じゃの」
国王が太鼓判を押してくれたので完璧だった。
「そんじゃ解散ですな」
「良かったな、娘さんよ」
「一昔前なら今頃首は切り落とされていたな」
広間に集まっていた重臣が好き好きに言い部屋を出て行く。
「ラムール殿。 ありがとうございました。私一人ではどうする事もできませんでした」
女官長がラムールに深々と頭を下げていた。
「いえいえ。 私が留守にしていたので色々と説明できなかったのも原因ですから……それより感謝しております。 罪もない彼女を守って頂いて……」
ラムールは困って中腰になり、女官長に頭を上げさせた。
「それで、女官長。 とりあえずリトゥアは反省文を書かせますので私が連れて行ってもよろしいですか?」
女官長は当然頷く。
「良かったわね。 リト。 行ってらっしゃい」
「はい。 ……あの、女官長……。 本当にご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。 そして、ありがとうございました」
リトはお礼を言った。 ラムールのおかげで身軽にはなれたが、それまで女官長はたった一人でリト側についていてくれたのだから。 それがどんなに嬉しかったか。
一つ頷いてラムールがリトを見た。
「では行きましょうか? リト、でいいのかな?」
「はい」
「分かりました。 リト。 ……でー、」
ラムールの語尾が強くなった。
「デーイー」
服を着替えてこそこそと部屋から出て行こうとしていた王子がびくっと固まる。 それを見ていた国王陛下はやれやれといった感じで片眉を上げた。
「あ、あはは? 何? 先生」
デイは額に汗を浮かべて乾いた笑いをしながら振り向いた。
「あなたも来ます、よ、ね?」
「え」
「来ますよ、ね?」
嫌とは言わせない口調だった。
「……はい」
「では行きましょう」
颯爽と歩くラムールを先頭に、がくっ、と下を向いて足取りの重い王子、そしてその後ろをリトはついて行った。