第42話 それって、辛いよね
どの位の時間、そのままの姿勢でいただろう。
リトはいったい何を考えていたのだろう。
白の館全体が静かになった頃、トントンと扉を小さな音でノックがされたが、返事をしないでいるともう少ししてから、かちゃりと扉が開いた。
「リト?」
リトは呼ばれてやっと振り返る。
ルティだった。
ルティはおにぎりをお皿に入れて持ってきていた。
「お夕食、食べていないだろ? 夜食で作ってもらっていたから、差し入れ」
そう言ってルティは部屋の中に入ってくる。
くう、とリトのお腹が音をたてた。
ルティはくすくす笑いながらリトの机の上におにぎりの入った皿を置く。 そして暖かいお茶を入れる。
どこかで見た光景だった。
それは、あの日の弓だった。
リトの頬を涙が一筋流れた。
ルティが慌てて、「ほら食べて。 疲れてるんだよリトは」と言ってリトを椅子に座らせた。
リトは黙っておにぎりの一つに手をのばす。
そしてそっと口に頬張った。 ふわりと柔らかくて暖かいおにぎりだった。
ゆっくり、ゆっくりかみしめるようにリトは食べた。 ルティはベットに腰掛けた。 そしてベットの上に置かれていた弓の作ったイラクサの布をそっと撫でた。
「……丁寧だね」
そして一言呟いた。
「うん……」
リトも頷いた。
弓の作ったそれはリトのそれと違ってとても丁寧に作られていた。
「私の時も、すごく丁寧に作ってくれたんだ、あの子」
そうだった。 ルティも昔、弓から布を貰ったのだった。
「私の時は1枚だったけどね」
そう言ってルティは笑う。 そのルティの視線が床の一点で止まった。
そこにはリトの隠し損ねたイラクサの葉が一本落ちていた。
「葉が落ちて……」
ルティがそう言って腰を上げたとき。 ベットのカバーがめくれ、隠していたリトの作ったイラクサの布が姿を現した。 ルティの目がそれをとらえる。
リトが黙っているとルティは何も言わずベットの中の布を取り出してまとめて置いた。 そして次に床に落ちていた葉を手に取り、編み始めたではないか。 その手つきは一度は編んだことのある事のある者の手つきだった。
ルティはどういうつもりなのか。 布を作って縁切りにするつもりなのか。 ……いや、今の状況から考えてそれは違うとリトは思った。
「誰にも、言わない、言えない」
ルティは編みながらそう呟いた。
リトがはっとして思わずルティをまじまじと見る。
ルティの視線がリトに向けられる。
「それって、辛いよね」
ルティはそう言った。 リトが何か尋ねようと口を開こうとするがルティは目を逸らして「言わない、言えない、か……」と呟いた。 それ何も言うなという意味だとリトも気づいた。
リトは黙ってルティを見ている。
「最初の同室者って私だったんだ」
弓の名前を出さずにルティは独り言のように呟く。
彼女の視線は一点に注がれている。 勿論、手元の草だ。 手は棘の痛みなど気にしないかのように動きを止めない。
「私、一枚だけだったのにうまくいかなくて。 何度も何度も失敗して。 ……あの子、手先が器用そうだったから」
ルティは編み続ける。
「それにしてもこれって無いよね。 どう受け取ればいいのか分からないから。 ……分からないから」
ルティの言いたいことがリトには分かった。
ルティも前に何の理由かは分からないがイラクサの布が必要になったのであろう。 この草にまつわるきまりなのかそれともあまりにも非現実的で他人に知られたくないという防衛なのかは分からないが、イラクサの布が必要だということを人に言えなかったのだ。 そしてルティもリトと同様、縁切りの意味ではなくただ必要としているからこそ「布が欲しい」と弓に告げた。 しかし詳しく事情を話すことができない以上、弓がどのような意味でリト達の言葉を受け取ったのか、そしてどのような意味で布を作って渡してくれたのか、……確かめようがないので分からないのだ。
「イラクサの布は縁切りの意味だからね」
リトもやっと口を開いた。
「そう。 縁切り」
ルティもくり返す。 そして続ける。
「でも……縁切りであるのは確かだよ。 というよりどっちかを選択というのかな? これで無くすものがあってもこれで得るものがある。 得るもののためにあるものを捨てることになるのだから、どっちと縁を切るかという話だよね」
リトも弓から布を受け取ってからずっと同じ事を考えていた。
仮にイラクサの布が本当にハルザを助けることができたとしても、弓との関係は、布をみんなの前で渡された以上、切れたのだ。 つまりリトはハルザとの縁を選んだのだ。 弓に布を作らせず受け取らなかったら、ハルザとの縁を切ることになったのだ。
私は、弓を利用して、捨てたんだ。
そう考えるとリトは悲しくなってくる。
「私は結局どの意味でとっていいのか分からずに、逃げたよ。 そして今も、逃げ道を作りながら、話してる」
ルティがつぶやく。 確かにルティは逃げ道を作っていた。 自分が同じ立場になったことがあると、リトの作った布で判断できたのだろう。 だからこそ彼女は今、布を作っていた。 しかしそれは、どうとでもとれるように。
ただ静かに時間だけが流れていく。 リトは黙ってルティが布を編んでいるのを見つめていた。 ルティの手も棘にやられてどんどん傷が増えていった。 それでもルティは編むことをやめなかった。 棘の痛みも自分への罰だといわんばかりに黙って受け入れていた。
「仲良くなると……なんとなく分かるね。 相手が本心なのか、嘘をついているのか。 少しずつ、私はやっと、分かってきた」
ルティが何を言いたいのかリトには分からなかった。
ルティは布を半分まで編むとやっと指を止めた。
そしてリトに差し出す。
「続きはリトが編む?」
リトは頷いた。 そして受け取る。 ルティの行動は弓のそれより分かり易かった。 ルティはこれが縁切りの意味ではないと口に出さずに示していた。 だからリトも安心してそれを受け取れた。 これがルティが全部編んで、そしてリトに渡されたのなら、きっと縁切りの意味を含んでいるのかどうかとリトは悩んだことだろう。
リトは指を動かし始めた。
ルティがそれを見ながら話し出す。
「リトはいいね。 素直だから行動にどんな意味があるのかすぐにこっちもわかっちゃう」
「……そう?」
「だから変だなって思った。 でも、信じ切れなかった」
「?」
「あの子はあなたを信じた。 私のことも信じた。 だから何も聞かずに作ってくれたんだよね」
あの子が弓のことを指しているとは思ったがリトには意味が分からなかった。
「でも私は信じ切れなかった。 愚かなのは、あの子ではなく私。 慈悲深いのはあの子。 そして強いのも、あの子。 今回のことで、やっと私は分かったよ。 信じることが、気づくことができたよ。 ……私は神に仕えたいと望む身なのに情けないなぁ」
ルティはそう言うと立ち上がった。 机の上の空になった皿を持ち扉の方へと向かう。
扉に手をかけルティは言った。
「頑張ってね。 おやすみなさい」
「……ありがとう」
リトは答えた。 そして扉は閉められた。
リトはただ黙々と編んだ。 何はともあれあと一枚で12枚になるのだ。 奇跡が起こるか起こらないかは分からないが、ここまできたのだ、やってみる他に手はない。 残り少しだと思うと頑張れた。 弓は8枚も縫ったのだと思うと頑張れた。 これでもし、ハルザが助かるのならばと思えば、頑張れた。
空がだんだん白みを帯びてきたとき、ついにそれは出来上がった。
「できた……」
リトは半分だけ編み方の違う布をかざして言った。
下半分はルティ、残りはリト。 ルティがやってきて手伝ってくれなかったならばきっと完成できなかっただろう。
リトは急いで弓の作ってくれたものも合わせて12枚をしっかりと胸に抱いた。 そして他のみんなに気づかれないように部屋を出て白の館の外に出る。 外はだいぶん光が増してきて少しずつ明るくなっていく。
走って森へと向かう。 しいんとして違う世界の中に迷い込んだような感じがする。 小道を進むと神の樹が見えた。 リトは驚いた。今日で13日、世話をしていなかっただけなのに神の樹は葉が茶色に枯れて変色し、幹も乾燥した老木のように細く今にもぽきりと折れそうだった。 いや、もう枯れているのではないか。 そう思えるほどだった。
リトは神の樹の前に立つ。
ここに布を置けば本当に奇跡は起こるのだろうか。
やはり自分の思いこみ、奇跡は起こらないのだろうか。
布を蒔けば、結果が分かる。
しかしそれはとても勇気のいることだった。
もし何も起こらなかったら、自分はいったい何をしたかったのか。
ハルザは寿命で仕方がないとしても、弓とは縁を切っただけではないか。 こんな事がなかったらリトはイラクサの布を作ってくれと弓には言わなかっただろう。 言わなかったならば……きっといつも一緒に行動することはなくても、弓とは良い友達になれていたのではないか。
リトは泣きたくなるのをこらえて息を止めると思い切って布を樹の根元に置いた。
心臓がばくんばくんと音をたてる。
風がざざざ、と音をたてる。
樹はぴくりとも動かない。
「お願い……」
リトは思わず口にした。
「お願い!」
心からのお願いだった。
しかし樹は大きくなるどころか幹の中程からぽきんと折れて、かさり、と乾いた音をたててイラクサの布の上に落ちた。
まるでイラクサの布を蒔いたことによりとどめを刺したようだった。
「お願い」
リトが再度つぶやいた。
「信じてる」
そう樹に向かってつぶやいた。
「お願い!」
リトがそう叫んだときだ。 折れた幹のまわりのイラクサの布がざわざわざわと音をたてて緑と青色の混じった光を放ち始めた。 たき火のようにめらめらと燃え上がるように光りをはなち、渦を巻いたかと思うと水面に大きな石を投げ込んだ時にできる水しぶきのようにバシャァンと天高く光の壁が上がった。
水しぶきがやがて水面へともどるように光の壁がゆっくりと地面へ降りてくる。 そして地面に溶けるようにすうっと入っていく。 イラクサの布はすべて光になり空気に、樹に、地面にと溶けて消えていく。
リトは一歩後ずさりをした。
ドグン、と心臓が鳴った。
ぐらぐらと地面が揺れる。
ド ド ン
折れた幹の下半分が震えながら光を吸収する。 そして一気に伸び始める。
そしてその勢いは夢でみたのと同じ、大砲のような迫力だった。
リトはぐんぐん大きくなる樹を見て自分がどんどん小さくなっていくような気がした。 樹は光を吸い上げ周囲の樹を押しのけ、ぐんぐんぐんぐん成長する。 幹は太くなり、枝はめきょめきょと四方八方に分かれ、葉はわさわさと枝についた。
リトは樹を見上げた。
どこまで大きくなったのか分からない。
首が痛くなるくらい上を向いた。
すると青々とした葉っぱの中にぽつんと小さな赤いシミのようなものが見えた。それはぼやけた形からどんどんきれいな個体になっていく。
リトの胸が騒いだ。
樹の上にたったひとつ見える赤い個体はふるふるとちいさく震えるとぱちん、と自ら枝や葉から切れて離れた。
重力に従ってそれはゆっくりゆっくり、落ちてくる。
リトが両手を差し出した。
赤い林檎のような実はリトの掌にすとん、と降りた。
樹がまた震えだした。
そして今度は時間を逆さまにするかのようにしゅるしゅると音をたてて小さくなっていく。
それはあっという間だった。
青々とした葉をつけた、リトが最初見たときと同じくらいの生き生きとした若木。
それがそこにあった。
リトは深々と頭を垂れた。