第40話 望みを断ちたくなかった
その後教場に行くと、見事にイラクサ遊びが流行っていた。 泊まりの者が通いの者に尋ねまわっていたのである。
たしかに滑稽である。
「あなたと縁を切りたい」という意志ではなく「あなたは私と縁を切りたい?」という探りの行為なのだから。
皆がきゃあきゃあ言って騒いでいた。 リトはルティと目が合った。 そういえばルティには言っていなかった。 言わないのも仲間はずれにしているような気がする。 いや、そうではなくてリトは本当に布が必要なのだ……多分。 リトはルティに近寄り告げた。「イラクサ布を作って欲しいんだけど……」
ルティの表情は微妙だった。 考えているような、笑っているような、困っているような。 急にリトはルティが「いいわよ」と言いそうな気がして寒気がした。 「いいわよ」と言われてもそれはどっちの「いいわよ」なのだろう。 布を作ることだけがOKなのか、縁を切ってあげるわよがOKなのか。
「嫌だよ、リト。 作れない」
ルティの返事にリトはほっとした。 残念だったけれどほっとした。
ふしぎなものだ。 確かにラムールの言うとおり、相手との友情を探っている。
教場の扉が開いて弓が入ってきた。
プルルがリトに寄ってきた。
「ねぇねぇリト? 弓にも聞いてみない?」
「え?」
リトの代わりに反応したのはルティだった。
それを聞きつけてラン達もやってきてこそこそと話す。
「私は今回も作る、って言うと思うわ」
「まぁっさかぁ。 リトと一緒で嬉しそうだったよぉ? 久々にできた友達だもの、作れないって言うわよ。ルティの時でこりたでしょー」
「そう? あなたが言うみたいに恩義や義理は全く感じてないと思うの」
そして
「リト、行ってきなさいよ」
と、リトは突き出される。
どうしよう。
リトは弓に近づいていく。
嫌と言って欲しいような、言わないで欲しいような。 でも嫌と言われれば弓と友達ですと誓うことでもある。 そうしたらこれから避けれないではないか。 避ける? 何を?
でも、弓なら作ってくれるかもしれない。
軽く混乱しながらリトは弓の目の前まで行く。
――でも――でも、イラクサの布は、必要なんだし――思いついただけだけど――
机に体が当たりコトン、と音を立てる。 窓の外を向いていた弓が気づいてリトを見る。
「あら、おはよう。 リト」
弓はにこりと微笑んだ。
「……お願いがあるの」
リトは挨拶も返さずに口を開いた。
「……イラクサの布が必要だから作ってほしいんだけど……」
教場がしぃんと静まりかえった。 みんなが弓の言葉を待った。 時が止まったようだった。
イエスか、ノーか。
弓はじっとリトを見つめていた。 いや、リトがそんな気がしただけかもしれない。
「何枚?」
弓の返事で一気に空気が動く。 どよどよ、という地を這う音が部屋中に充満する。
「え、っと、7.8枚……」
リトはとっにそう答えた。 自分で作りきれそうにない数を言ってしまったのだ。
しかしよく考えたらそんな大量に作れというのもおかしな話だった。
自分でもこの短時間ではそんなに作りきれないのに。
弓はちょっと考えて立ち上がった。
「分かったわ」
その言い方は冷たいようにリトは感じた。 すると、なんと言うことだろう、弓は用意してきた教科書など、すべてのものをすべて片づけ始めた。
「早めにあげるわね」
そしてそう言うとさっさと授業も受けずに帰ってしまうではないか。
みんながぽかんと弓を見る。 弓は全く気にせずに教場を後にしようとする。
「お待ちあそばせ!」
呼び止めたのはマーヴェだった。
弓の扉にかけた手が止まる。 そして「何か?」と弓はマーヴェを見つめた。
「イラクサの布を作って渡すということは縁切りですわよ。 本当に分かっていらっしゃるの? 構いませんの?」
マーヴェの口調は強かった。 きっとマーヴェも前回のイラクサ事件の時の弓の事が信じられないのだろう。
ところが、弓は冷静に答えたのだ。
「縁を切りたいとリトが望むのなら。 構わないわ」
そして去っていった。
すこしの間、教場は水を打ったように静かだった。
「やっぱり最低だわ! 簡単に縁切りOKだなんて!」
怒ったランの声で音を取り戻した。
教室中が弓へのブーイングで一杯になった。
そしてその日と翌日の火曜日。
午前も午後も、弓は学校にこなかった。
クララの店の手伝いすら、放棄した。
火曜日、クララの店の手伝いが終わってからリトは館へと帰っていった。 弓がいないのでクララの店はアイロンかけの人手が不足して終始忙しかった。 クララは弓から休むと連絡はあっていたらしく珍しいとは思っていたが特に変だとは思っていないようだった。
みんな月曜日はそうでもなかったが、火曜日まで二日連続で弓がいないとなるとこれまた好き勝手に憶測を飛ばした。
ある者は弓は、怨念をこめてイラクサの布を作っていると言った。
ある者はこれ幸いと男達と遊んでいると言った。
そして大多数の者はイラクサの布を作るとは言ったが7枚も8枚も作れるはずがない。 家に帰ってそれに気づいたけれどもプライドが高いので撤回したくない、それで結局は白の館に学びに来ることもクララの店の手伝いにくる事も放棄したのだろう。 やっと弓がいなくなった、と喜んでいた。
それはリトにとっては何とも言えない感じがした。
弓が来ないことをみんな喜んでいる。 しかしこれで弓が来なくなったとしたら、今まで我慢していた弓に最後のとどめを刺したのはリトではないか。 リトはそういう意図で言ったつもりはない。 しかし、その事を誰に対して明らかにすればいいのか。 そして、弓はリトに対して「縁を切っても良い」と言ったのだ。 それは弓にとってリトが大したこと無い存在だからなのではないか。 もし弓がリトの事を好きならば、友達でいたいならば、きっとイラクサの布を作るのを拒否したであろう。 それをしないということは、弓がリトをどう思っているかは明白であった。
なのにリトは何かがひっかかっていた。
弓が孤児であり、男と一緒に住んでいると聞いたときは弓がとても汚らわしく思えた。 一緒に住んでいる男の中に人を食べるといわれる翼族がいると聞いて、弓も一緒に悪魔の儀式をしているような錯覚にとらわれた。 でも、本人の口から確かめた訳でも自分で見た訳でもない。 きっとその事実を知らなかったらリトは弓と仲がよいままだったろう。 だから弓は自分から言わなかったのでは? いや、アリドや巳白と知り合い(実際は顔見知りだったが)という時点で、リトはすべてを知っていると弓は勘違いしたのではないだろうか。
【弓は一つだけ勘違いしているけど】
アリドの言葉の意味が今なら分かる。
弓が最初にあんなにおどおどして人を寄せ付けない雰囲気だったのも、それらが明らかになるとリトが怖がったり嫌がると警戒したせいではないだろうか。
そうすると、リトの知っている弓は素のままの弓になる。
一緒にいて落ち着ちつく、他愛もない話しかしなかったが気の置けない優しい友人。
道を間違えて危険な地区に入っていったリトを慌てて追いかけてきた弓。 「リト!」と呼ばれたあの時、どんなにほっとしたか。
繋いだ手がどんなに心強かったか。
ただ、弓にはリトとは別に気にかけてくれる人がいる。 気にかける人がいる。 それに嫉妬しただけなのだ。
でも。
弓はリトと縁を切るのを何とも思っていないようなのだ。
でも。
まだ何かの望みを断ちたくなかった。