表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロで聖女試験に落ちましたが、私の作るごはんは魔法より効くみたいです ~味のわからない皇子殿下の専属料理人になりました~  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/65

【41】閑話 猫と賢者の最後の夜

 百年前の話をしよう。


 わしの名前は——もう忘れた。

 エルヴィンがつけた名前は「ネル」だった。

 由来は「ネルケ」——この世界の撫子の花だ。

 「お前の灰色の毛並みが、霧の中に咲く撫子みたいだから」

 くだらん理由だ。

 でも、悪くない名前だと思った。



 * * *



 エルヴィンは、変な男だった。


 平民の生まれで、魔力はほとんどゼロ。

 それでいて、帝都の魔術学院に食い込み、宮廷に招かれ、ついには帝国随一の料理人と呼ばれるまでになった。


 全ては、あいつの舌と手と——食材を理解する、あの異常な才能のおかげだ。


 エルヴィンは食材に触れただけで、その食材の「声」が聞こえた。

 どう切ってほしいか。どう火を通してほしいか。何と組み合わせてほしいか。

 食材が教えてくれるのだと、あいつは笑って言った。


 わしにはよく分からなかった。

 わしはただの使い魔だ。契約によってエルヴィンの魔力の一部を共有しているだけの、灰色の猫。

 ただし、エルヴィンの魔力はほぼゼロなので、わしが得たものも微々たるものだった。

 長寿と、人の言葉を話す力。それだけだ。


 でも、それだけで十分だった。

 エルヴィンの隣で、あいつの料理を食べていられるなら。



 * * *



 エルヴィンの料理は、光った。


 金色の、柔らかい光。

 あいつが心を込めて作った料理は、必ず光った。


 最初は誰も気にしなかった。

 「エルヴィンの料理は魔法みたいだ」と、客たちは笑っていた。


 だが、ある日、魔術師団の調査官が来た。

 エルヴィンの料理から「既知の魔術とは異なる力」が検出されたと。


 エルヴィンは正直に答えた。

 自分は魔力を使っていない。ただ、食材の本質を理解しているだけだ。

 その理解が、食材自身の力を引き出す。自分はそれを「エッセンス」と呼んでいる。


 この発言が、あいつの運命を決めた。


 魔力なしで魔法に匹敵する効果を生み出せる。

 それが事実なら——魔力を持たない平民でも、エッセンスを使えるかもしれない。


 貴族たちは震え上がった。


 この世界の階級制度は、魔力に基づいている。

 魔力の強い者が貴族となり、弱い者が平民となる。

 それが千年以上続いてきた、絶対的な秩序だ。


 エッセンスは、その秩序を根底から覆しかねない。


 クラインヘルツ侯爵家を筆頭とする名門魔術師家が、エルヴィンの研究の「危険性」を訴えた。

 帝国議会はエッセンスを「禁忌」と認定し、エルヴィンに研究の中止を命じた。


 エルヴィンは従わなかった。


 「食材の声を聞くことを、禁じることはできない。それは呼吸を禁じるのと同じだ」


 馬鹿な男だ。

 正しいことを言って、殺されるのは、いつだって馬鹿な奴だ。



 * * *



 逮捕の前夜。


 エルヴィンは、わしのために最後の料理を作った。


 焼き魚だった。

 川で釣った小さなフルーレ。塩だけで焼いた、何の変哲もない焼き魚。


 でも、それは——今まで食べた中で、一番美味い焼き魚だった。


 金色の光が、魚の表面にうっすらと輝いていた。


「ネル。お前にだけは、本当のことを言っておく」


 エルヴィンは、膝の上のわしの背中を撫でながら言った。


「わしはもう、ここから逃げられない。明日、連中が来る」


「逃げろ。わしが囮になる」


「無理だ。お前は猫だろう」


「お前の使い魔だ」


「使い魔にしては、少し太りすぎだな」


 わしの尻尾が、ブワッと逆立った。


「やかましい。お前の飯が美味すぎるのが悪い」


 エルヴィンは笑った。

 穏やかで、少し寂しい笑い方だった。


「ネル。俺が死んだ後、お前は自由だ。契約は解除される」


「自由になんかなりたくない」


「聞け。俺の研究は、フリードリヒが密かに記録してくれている。いつか——百年後でも、二百年後でもいい。俺と同じ力を持つ者が現れたら、その者にフリードリヒの手帳を渡してくれ」


「……そんな奴が、現れるわけがないだろう」


「現れる。俺は信じている。食材の声を聞ける人間は、俺だけではない。いつか必ず、もう一人のエッセンスの使い手が現れる」


「百年も待てるか」


「待てるさ。お前は長寿だろう」


「……馬鹿め」


 エルヴィンの手が、わしの頭を撫でた。

 温かくて、大きくて、料理人の硬い手。


「ネル。ありがとう。俺の料理を、一番長く食べてくれた相手だ」


「……美味かったよ。ずっと、ずっと美味かった」


「そうか。よかった」


 それが、エルヴィンの最後の言葉だった。


 翌朝、兵士たちが来た。

 エルヴィンは抵抗しなかった。

 わしだけが逃げた。エルヴィンに「逃げろ」と言われたから。


 三日後、エルヴィンは処刑された。

 罪状は「禁忌魔法の使用」。

 弁護する者は、誰もいなかった。



 * * *



 それから百年。


 わしは待った。

 エルヴィンが言った「もう一人」を。


 街の厨房を覗いた。村のかまどを覗いた。貴族の食卓を覗いた。

 エッセンスの気配を持つ料理人を、探し続けた。


 見つからなかった。

 十年。三十年。五十年。八十年。


 もう駄目かもしれないと思い始めた、百年目の春。


 帝都の路上で、小さな少女とすれ違った。


 銀白色の髪。琥珀色の目。痩せっぽっちで、ぼんやりした顔。

 何の変哲もない少女だった。


 でも——その少女の周りの空気が、かすかに金色に揺れていた。


 エルヴィンと同じ光だ。


 わしは、追いかけた。

 声をかけた。


「何だ、ただのガキか」


 そう言った瞬間、少女が振り向いた。

 琥珀色の目が、わしを見た。


 その目に——エルヴィンの面影を見たのは、気のせいだろう。

 容姿も性格も、何もかも違う。


 でも、目の奥にある「食材への愛」だけは、同じだった。



 * * *



 百年前の、あの夜。

 エルヴィンが最後に言った言葉を、わしは今でも覚えている。


「ネル。次のエッセンスの使い手は、きっと俺よりも上手くやる。俺みたいな不器用な男じゃなくて、もっと賢くて、もっと人に愛される奴がいい」


 リーゼ。

 お前のことだ。


 お前は、エルヴィンより賢い。前世の知識とやらを持っている。

 お前は、エルヴィンより不器用だ。殿下の前でモジモジしているのを見ると、イライラする。

 お前は、エルヴィンより人に愛されている。殿下も、ソフィアも、マルクスも、ミーナも、フィンも、ヴェルナーも。


 エルヴィンには、わししかいなかった。


 だから——お前は死なせない。

 百年分の後悔を、お前に繰り返させはしない。


 わしの命に懸けて。



 * * *



「ネルー、ごはんだよー」


 リーゼの声が、厨房の窓から聞こえた。


 わしは窓辺から飛び降りて、厨房に向かった。


 今夜は何だ。焼き魚か。

 百年ぶりに、あの味を思い出した夜から——焼き魚は、わしの一番の好物になった。


 エルヴィン。

 お前の後継者は、お前と同じくらい料理が上手い。

 いや——もしかしたら、お前より上手いかもしれん。


 悔しいか。


 ……きっと、喜んでいるな。お前は、そういう奴だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ