【101】わたしは料理人です
辺境の村には嵐の後始末が残っていた。
潮の匂いが濃い広場で、漂着者をどう扱うか、まだ決まらずにいる。
ヨハン村長は眉間に皺を寄せ、「帝都へすぐ送る」と言い張った。若い漁師たちは潮で荒れた手を握り、「修道院で寝かせておけばいい」と返す。食事のたびに漂着者の咳を聞き、皿を持つ手の震えを見てしまったせいで、漁師たちの声は初日ほど尖らなかった。
村の広場に、急ごしらえの集会の輪ができた。長靴が泥をこすり、潮風がシスターたちの頭巾を揺らす。
わたしは、その輪の中に立った。
「リーゼさん。あんたは余所者だ。村の問題に口を出す筋合いは——」
ヨハン村長の声は硬かった。わたしは口を挟まず、言い終えるのを待つ。
「ヨハンさんの仰る通りです。わたしは余所者です。この村の事情を、全部知っている顔はできません」
「なら——」
「ですが、わたしは料理人です。料理人として、これだけは間違えずに知っています」
漁師たちは日に焼けた腕を組み、シスターたちは白い頭巾の端を押さえていた。輪の外では、漂着者たちが肩を寄せてこちらを見ている。
「同じ鍋をつついた人間は、簡単には殺し合えません」
ざわめきが、潮風ごと引いた。
「嵐の夜、修道院の大広間で、わたしは魚介鍋を作りました。村の漁師さんも、シスターたちも、漂着者も、同じ鍋に匙を伸ばしました」
「それは——」
「あの夜は、湯気で前が見えないくらいでした。でも、誰も刃物を抜きませんでした。怒鳴り声もありませんでした。みんな椀を両手で持って、黙ってすすって、体が温まったら、眠りました。料理には、そういう働きがあります」
ヨハン村長は腕を組み直した。目を伏せたまま、何も言わない。
「わたしは、送還そのものに反対しているわけではありません。帝国法に従うなら、従うべきです。けれど、送るなら、腹に温かいものを入れて、傷を塞いでからにしましょう。人として、その順番だけは間違えたくありません」
「……」
「漁師さんたちも、海の上で嵐に遭ったら……たとえ敵国の港でも、温かいものを出してほしいと、思いませんか」
若い漁師が一人、顎を引いた。潮で荒れた手を握りしめている。
「俺は……リーゼさんの言うこと、分かる。飯くらい、食わせてやってもいいだろ」
「俺もだ」
「うちの母ちゃんがよく言ってた。『海じゃ敵も味方もない。海で溺れた人間を助けるのが漁師だ』ってさ」
ヨハン村長は鼻から長く息を吐き、肩を落とした。
「……分かった。修道院で、回復するまで預かれ。回復したら、帝都に報告して、正式に送還する」
「ありがとうございます」
わたしは、腰から深く頭を下げた。
* * *
村の集会から戻ると、殿下が窓辺で待っていた。
「リーゼ」
「はい」
「お前は……いつの間に、あんなふうに人前で話せるようになった」
殿下の目が、まっすぐこちらに向く。驚きの奥で、陽を受けた海みたいな碧がやわらかく揺れていた。
「帝都にいた頃のお前は、厨房の隅で肩を丸めていた。それが今は、村の真ん中で村長を説き伏せている」
「説き伏せたわけでは……」
「説き伏せた。お前の言葉で、村が動いた」
殿下は、窓枠に預けていた手を離した。
「俺の剣は、人を倒す。お前の言葉は、人を動かす。どちらが届くか、俺にはもう分かっている」
「殿下……」
「お前は、すごい料理人になった」
低い声だった。穏やかなのに、胸の奥にすとんと落ちる。
わたしは、耳の先まで熱くなった。
「まだまだです。旅は、まだ途中ですから」
「ああ。まだ途中だ」
殿下が、窓の外の海を見た。波の白い線が、遠くでほどけている。
「だが、旅が終わる頃には、お前は、もっとすごくなっている。俺は、そう確信している」




