#1 前編
とある路地裏に入ってすぐのところにこじんまりとした店舗があった。
この店は来栖 和が昼はランチ、夜はバーを経営している。
彼女は店舗の在庫確認をしていた。
「そろそろ、白ワインとウイスキーの在庫が切れそうだなぁ……発注しておかなきゃ」
メモ帳に『白ワイン・ウイスキー必ず発注!』と赤ペンで少し丸みのある字で書き込んでいる時、カランカランと店内のベルが鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
「おっ、なごみん! 元気だった?」
「海斗、久しぶりじゃん!」
和が迎えたのは黒背広を着崩し、右の腰には拳銃入りのポーチを装着。
リップチェーンピアスや軟骨ピアスの他にいくつかピアスをつけた茶髪の人物だった。
その人物の名は鳴上 海斗。
彼は月に一回ペースで和のバーに来店していたが、本日は久しぶりの来店らしい。
二人は高校時代の同級生。
鳴上は彼女のことを「なごみん」と呼んでいるのだ。
「なごみんが元気そうでよかった! 最後にここ来てから大分時間が経ってしまったけどな……」
「今まで忙しかったの?」
「ああ。俺の後輩と任務に行ったりしていたから……かなりハードだった。なごみんは?」
彼はカウンター席の中央に腰かける。
その時、和は「海斗の後輩だからきっとハードな任務に耐えられて信頼できる男性のはず……」と思っていた。
「私は変わり映えないかな。うちの直はね、住み込みで良家のお屋敷で働いていて、暗殺者として活躍してるの」
「へぇー。おまえの家族は裏社会の家系だから暗殺者とかスパイとか言っても驚かないけど、おまえが情報屋だと聞いた時は流石に驚いた」
「ちょっとー! 情報屋も立派な裏社会の職業だよー。ハッキングも地味に好きだし!」
来栖家は両親はもちろん、和たちも裏社会の人間。
彼女らの父親である来栖 和正は有名な暗殺者、母親である来栖 早苗は凄腕のスパイ。
彼女は情報屋でもあり、ハッキングもこなすのだ。
「あっ、そうそう。今日、直がここにくる予定だから、そろそろ来ると思うよ」
「おっ、それは楽しみだな。なおちゃん、いい子で可愛くて、凛々しい子だといいな……」
鳴上は鼻の下を伸ばしているが、彼女はどこか違和感を覚え、首を傾げている。
二人は同時に「「えっ!?」」と言い、キョトンとした表情を浮かべていた。
「なごみん。俺、なんか変なことでも言った?」
それが二人の勘違いの始まりだった。
◇◆◇
同じ頃、バーの前には黒ずくめの一組の男女が店内を覗き込んでいる。
「あれ? 誰かいる……」
「先客かしらね。和さんから何か訊いていたりとかは?」
彼らはその中にいる二人に比べ、少し若そうで和のことを知っているようだ。
「いや。特に何も訊いていないのだが……」
「今、とてもいい雰囲気じゃない? お邪魔するのはよくないわ。また日を改めて伺いましょう?」
「姉さんがあの男と付き合っているならば……!」
男性が「姉さん」と呼んだ時点で彼と彼女は姉弟だと推測できる。
しかし、彼の視線はカウンター席にいる男性客に向けられていた。
女性は店内に知り合いがいることは知らない。
知り合いと和が本当に付き合っているとは限らない。
「この中に入るのならば、穏便に。くれぐれも修羅場にならないように。……ね?」
左手の人差し指を彼の口に当て、釘を刺しつつもくすくす笑う女性。
「由佳。何が可笑しい?」
「直にしては珍しく好戦的だからよ」
黒髪のショートボブくらい長さで顔の左側を隠し、爪まで黒く、胸元には蝶の刺青を入れている女性、神永 由佳と黒背広きっちり着こなし、左の腰にはポーチを装着した目付きの悪いイケメンホスト風の男性、来栖 直。
彼らも気がついていないが、この二人も勘違いが発生していた。
◇◆◇
和は「いら……」と言った段階で実の弟である直に「姉さん、この人は誰?」と問われ、鋭い眼光を向けられている。
由佳は「……な、鳴上さん!?」と鳴上と一瞬だけ目を合わせ、両手で顔を隠した。
彼は彼女に「由佳の浮気相手か?」と問い、そのまま首を横に振っている。
状況が分からない鳴上は「男!? なおちゃんは!? 浮気って何!? で、なんでこんなところに神永がいるんだ!?」と声をあげた。
「あー……なんかえらいことになりそうだねー」
和は平和にそのようなことを言っている。
彼女はすでに察していた。
ここにいる全員が揃いに揃って勘違いしているのではないかと――
2026/05/20 本投稿




