第六話
歩美は積極的に自分から、また会いたいと、連絡を取った。
それから週に一度、道生とカラオケに行くようになった。
歩美は、道生と歌ったり、楽器を弾いたり、他愛のない話をして過ごすだけで、楽しかった。味気ないバイトの日々が、少しづつ色彩を帯びてゆくように感じた。道生に会う日が待ち遠しかったし、服装や化粧にも気を使うようになった。道生は物真似が得意で、歩美をよく笑わせた。歩美も対抗して、物真似をしたが、全く似ていなかった。それでも道生は、「似てねー」とツッコミ、笑ってくれた。
軽快するにつれ反動が襲ってくる事もあったが、歩美は、ひたすら日々の雑事に集中する事で、それに耐えた。
カラオケの他に、散歩や食事にも行くようになり、歩美は、ちょっとした事にも、よく笑うようになっていった。
道生は歩美の身上を聞かなかったし、歩美も、そういう話題は避けた。しかし、道生が自分の生い立ちを話した事が一度だけあった。
道生を最初に見た時から気づいていたが、一緒にカラオケに通うようになり、ますます英語の発音がいいと感じた。それを歩美は、ほめたのだった。その理由を道生は話し出した。
道生は米軍基地のある町に生まれた。
父は、基地の厨房でコックをしていた。母は、二歳のときに事故で死んでしまった。道生には母の記憶が全く無かった。近くに親戚は居らず、父親の手ひとつで育てられた。父は母の分まで愛情を注いでくれた。道生は幼い頃、母がいない事で、寂しい思いをした記憶が無かった。小さかった道生には、母親というもののイメージがまるで無かったのだ。父にならって仏壇の前で手を合わせたが、母の遺影を見ても特別な感情は、わかなかった。
基地の近くにあった道生の家の隣には、米軍家族が住んでいて、同じ年の男の子がいた。ジョンという名だった。ジョンは、心臓が悪かったのだろう、家で遊ぶことが多く、道生は彼の家でよく遊んだ。彼のママも、母親のいない道生を不憫に思ったのか、親切にしてくれた。
日曜礼拝にも一緒に行った。聖歌隊に入り、英語で讃美歌を歌った。聖歌隊のリーダーは、道生の発音をきびしく修正した。
道生はジョンの家で遊ぶうち、優しくしてくれる彼のママに、母親のイメージを重ねるようになっていったようだ。
しかし、ここで道生は、しばらく黙ってしまった。先を言いたそうだったが、ジョンの一家がアメリカに帰国するまで、三年間、聖歌隊で歌い、発音をしぼられた、と言って話は終わってしまった。
人には触れられたくない記憶がある。話せば、少しは楽になるのだろうが、それもなかなか出来ない。話そうと始めても、結局話せないまま終わり、尻切れトンボになる。それが道生にもあるのだろう。もちろん、歩美にもあった。
こんな事もあった。道生がいつも店の支払いをしてくれるので、何かお返しをしたいと思い、誕生日を聞いたことがあった。
道生は、オレの誕生日は九年前、慰霊の日に変わった。それから誕生日を祝う事はやめた、と言った。
三月十一日だと思った。幼なじみに、歩美と二日違いの一月十七日生まれの子がいた。その日は阪神淡路大震災の日で、朝、テレビをつけると、決まって慰霊祭のニュースで、誕生日のテンションが下がってしまうと嘆いていた。歩美は道生に、それ以上何も聞かなかった。
歩美と道生のカラオケ通いは、それから三ケ月ほど続いた。歩美は、未だに手さえ握ってこない道生に不満を感じていた。大体、バンドをやっている男は手が早いものだ。高校時代、チケットやスタジオ代を払ってくれる親父バンドと親交があったが、こいつらは、すぐに手を出してきた。歩美たちは対抗策として、いつも頬にビンタをくれてやったが、オヤジ達はそのビンタにも喜んでいたくらいだ。
歩美は道生のことが、もっと知りたかった。もう少し先に進みたかった。しかし、何か突破できない壁があるように感じた。歩美はそれが何なのか知りたかった。他に好きな人がいるのだろうか。
そんな折、いつものカラオケで、道生が突然、家族のことを聞いてきた。とくに弟のことが知りたいようだった。




