01 魔術都市、ベルメール
あ、不定期更新でーす。(最初にいうことこれかよ)
魔術燈の光は、あたたかな黄色である。アイハという王国にある、ベルメールという街には、そんなやさしい光が溢れている。
ロモモ・アルシュタインは宿屋の湯船に浸かりながら、長旅の疲れを癒していた。まったりした速度の馬車で、半日ほどの移動だった。身体中がバキバキで、お湯でどうにか、ふんにゃりしてきたところである。
すこしくせっ毛のある金髪をいじくりながら、ロモモは明日からのことを思案していた。お仕事、ほんとうに見つかるのかなぁ。
手持ちのお金は二十ベル。だいたい、七日間ほど宿屋で過ごせるていどのお金だ。だから、その間の生活は、それなりに保証されている。
逆にいうと、タイムリミットは七日間である。それまでに仕事を見つけてしまわないと、このベルメールという街で、路頭に迷うことになる。
ここ、ベルメールは、アイハが誇る魔術都市である。
王都アルベインと並び、アイハ二大都市と呼ばれ、たくさんの国民がそのふたつの街に集まる。特にベルメールには、世界最高水準といわれる魔術研究施設『アルメダの星』があるため、魔術都市と呼ばれることがある。
そういった都市に、今年で十五歳になった小柄な少女は、やってきていた。もともとは、小さな村で農業を営む一家の一人娘だったけれど、のどかな村の生活は若い少女にとって、いささか退屈なものだった。
だからロモモは、親の反対を押し切って、村を出た。両親も、最後は折れてくれた。
でも、向こうでの生活費は自分で稼ぎなさい、というのが条件だった。両親としては、きっとすぐに音を上げて帰ってくるだろうと思い、そういった条件を出したのだろう。
ベルメールは巨大な街だから、仕事を探せば、いくらでもあるだろう。と、ロモモは思っていたが、やはりそううまくはいかないらしい。都会に来たばかりの小さな田舎娘を雇ってくれるところは、案外、ないものである。
とはいえ、ロモモは少々気楽に考えていた。もともと、そういう性分なのである。あまり深刻な考え方をしない、のんびりとした娘なのだ。
まぁ、どうにかなるでしょう。
一抹だけの不安を胸に、ロモモは風呂から上がった。
◇
三日経って、ロモモは焦り始めた。
仕事の口が、見つからないのである。わかりきっていたことのような気もするが、しかし、このおっとり娘が危機感を持ったのは、三日目の夜が初めてである。
そして四日、五日と過ぎていき、六日目の朝を迎えた。
昨日までの五日間、必死にいろいろなところを回ってみたが、成果はなかった。さて、どうしたものやら。ここまで難しいものとは、思いもしなかった。
タイムリミットは刻一刻と迫ってきていた。今日と明日の二日しか、もう残っていない。もう日雇いでもブラックでも、なんでもいいから、仕事がほしかった。
で、今日もロモモは街を歩く。
くせっ毛でウェーブがかかった髪は、どことなく、下向きにくるりとしていて、元気がなさそうだ。いつもなら澄んでいる青い瞳も、くすんでいるように見える。
溜息、ひとつ。ダメだダメだ、弱気になっちゃ。
ほっぺを叩いて、気合を入れる。
よし、今日はどこへ向かおうか、とベルメールの地図を広げて、ロモモは思案した。
そういえば、魔術の研究施設がある西の方面には、まるで行っていなかったことに気が付いた。
ロモモは西向きに方向転換して、歩みを進めた。
ベルメールの人通りは尋常でない。たくさんの人々が犇めきあうさまは、まるで絨毯のようである。ロモモは肩掛けかばんをぎゅっと握りしめていた。流されないように、流されないようにと、なるべく足に力を込めて、歩いていた。
さて、この街には、二本の川が流れている。その川は、東西に一本ずつ流れていて、ベルメールを三つの区に分けている。
ふたつの川に挟まれた、真ん中の中央区は、主に宿屋や雑貨屋、食べ物屋などが軒を連ねる、いわば商業区である。東側には、おもに市民の家屋が並ぶ、居住区がある。
そしていま、ロモモが向かっている西方面は、学術区である。魔術研究をはじめ、種々ある学問を研究する施設が多く建っている。
ベルメールでは、魔術研究が抜きんでて成果を挙げているが、他の学術分野でも一定の評価を得ている。要するに、ここは学術都市であるのだが、そういったものを研究する施設は、すべて西側に設置されている。
しかし、それはベルメールの一面に過ぎず、そういった要素を引き抜いても、ベルメールはやはり発展した都市である。人口は、王都アルベインと匹敵し、市場は毎日のように賑わっている。水道の設備もあって、蛇口をひねれば、飲める水だって出てくるのである。この街は、充分住みやすい場所だ。
だから、学術に興味がないひとも、大勢この街に集まる。ベルメールの住人の、だいたい半数くらいは、学問とは縁のないひとでもある。
ロモモも、学問に興味はあまりなかった。そんなわけで、西の学術区には行くことはないだろうと思っていた。
でも、こうも仕事が見つからないと、行かざるを得ない。自分向きの仕事はないだろうと思っても、藁にもすがる思いで、いろいろ回らなくてはならないのである。
ベルメールの西に流れる川――ニロの清流に掛けられた、アーチ状の石橋を、ロモモは渡った。石畳の上を、足早に歩く。
先ほどまでひとでいっぱいだった街が、急に穏やかになった気がした。たしかに、人通りが若干減っている。
店も少なくなってきた。理知的な顔のひとたちが、気分的に、多くなった気がする。黒のローブを着た、ロモモと歳が近そうな少年のグループが通り過ぎる。学生だろうか。ベルメールには、研究施設のほかに、学校が多く設置されている。
歩けば歩くほど、ロモモには、この場所が自分に不似合いなところに思えてきた。
見つけた店も、気難しそうなお爺さんが営む、ペンとインクをずらりと並べたところだったり、不愛想なお姉さんがやっている、羊皮紙専門のところだったりと、いままでまったく無縁だった場所だ。
試しに働けないかと申し出てみたが、お爺さんには、
「おぬし、インクのにおいで種類が判別できるかや?」
といわれ、もちろん無理だった。いっぽう、お姉さんには、
「あたしひとりでやってけるから、雇う必要ないのよ」
で一蹴された。
さすがに心が折れてきた。
明らかに来る場所を間違えたな、とロモモは思った。学術区に足を運ぶだけ、むだだった気がする。もう商業区に戻ろうか、そう、ロモモが踵を返したときだった。
ちゃりん、と鈴の音が聞こえる。
何気なく音のしたほうを向くと、そこには、鈴のついた紐を首にぶらさげた、黒猫がいた。
その黒猫は、ゆっくり、ロモモのほうに歩いてくる。そろり、そろり。まるで泥棒みたいな足運びだった。
ロモモの目の前までくると、黒猫は、ちょこんと座って毛繕いを始めた。毛繕いの最中、そいつは、何度かロモモを見上げた。まだどこにも逃げてないよな、と確かめるような感じだった。
しばらくして、黒猫は立ち上がった。そして歩き出して、数歩行ったら、ロモモを振り返った。そして尻尾を、前後に振る。
「えっと……付いて来いって?」
なんとなく、そう思った。
でも、そんなことをしている時間はなかった。黒猫の相手をするよりも、もっと大事なことがある。仕事を早いこと見つけなければ、最悪、餓死である。
「ごめん、わたし、行かなきゃだしさ」
ロモモはその場を立ち去ろうとした。けれど、そんな彼女の姿を見て、黒猫は責め立てるように「にゃあ」と鳴いた。そして間髪入れずにもう一度、「ぐるにゃあ」と鳴いた。それでもロモモは、商業区に向けて歩き出した。彼女としては、生活がかかっているのである。
が、黒猫はしつこかった。
何度も何度も鳴いても、ロモモが振り返らないのを見て、最後の手段、黒猫は姿勢を低くした。このとき、ロモモがその猫の動きをきちんと見ていたら、次の瞬間、そいつが飛び掛かってくることくらい、容易に想像できただろう。
黒猫の攻撃は、不意打ちになった。背中にいきなり衝撃を感じて、ロモモは思わず、こけてしまう。なにが起こったのか、よくわからなかった。
ゆっくり起き上がって、あたりを見回す。まず、ロモモの目に飛び込んできたのは、荒らされたかばんだった。もちろん、犯人は黒猫である。そして黒猫はというと、道のすこし先で、ロモモの羽ペンをくわえて立っていた。
あの羽ペンは、両親に十五歳の誕生日祝いでもらったものである。黒猫ごときに渡すわけにはいかない。
ロモモは急いでかばんの口を閉め(どうやら羽ペン以外、すべて無事らしかった)、立ち上がって、黒猫を追った。待ってました! といわんばかりの快速で、黒猫は石畳の上を駆けていく。
黒猫を追って走っていると、川沿いに出た。しかし橋は渡らずに、そのまま川沿いを走っていく。いろんなひとと肩をぶつけたが、構ってられない。あれは大切なものだ。絶対に取り返さねばならない。
少女はレンガ造りの街並みを尻目に、どんどん走っていった。黒猫が路地裏に入り込む。ロモモも迷わず、暗い路地裏に入っていった。
入り組んだ道を、黒猫を見失わないように走っていく。右に曲がったのが見えれば、右に曲がり、左に曲がったのが見えれば、左に曲がった。そんな追いかけっこを続けていると、ついに、黒猫が袋小路に迷い込んだ。
「か、観念して……そのペン……返して……っ!」
息切れぎれになりつつも、ロモモは黒猫に、そう要求した。けれども、聞こえないねといったふうに、黒猫はペンをくわえたままロモモのほうへダッシュしてきた。捕まえてやる! ロモモは構えたが、あっさり股の下を通り抜けられてしまった。
もう、いろいろ限界だった。足は棒になってるし、追いかける気力もなかった。
それでも、羽ペンは大事だ。もう一滴もない元気を絞り出して、ロモモは黒猫を追った。
が、曲がり角から見える場所に、もう黒猫はいなかった。
ロモモはその場にへたりこんでしまった。そして、ふと思う。ここどこだろう。
その路地裏はひどく暗くて、ひとの気配もない。黒猫を追うだけで必死だったから、どこを走ってきたかなんて覚えちゃいない。ロモモはぞっとした。宿屋に帰れるのかな、と思った。わたし、ここで死ぬのかな、とまで考えてしまった。
無性に泣き出したくなる。目頭が熱を帯びて、涙が溢れそうになった。口のなかが酸っぱくなって、心なし寒くなってきた。お母さんが作った、あたたかいスープが飲みたいと感じた。お父さんの、豪快な笑い声が聞きたいと思っていた。
なんともいえない孤独が、少女の肩にのしかかっていた。
路地裏を、ムッとした風が吹く。少女を慰めるように、その風は肌を撫ぜた。金色の髪が、ゆらりと揺れる。その風に、甘い匂いを感じて、ロモモはゆっくり顔を上げた。
いつの間にか、路地裏には、甘い香りが漂っていた。この匂いは、どこからきたのだろう。不思議に思って、立ち上がる。お尻についた汚れを手で払ったとき、ロモモは、自分が緑色のワンピースを着ていたことを思い出した。足はサンダルだ。こんな格好で、わたし、よく走れたな、と思う。
そして途端に、馬鹿らしくなった。どうしてこんなに必死で、自分はよく知りもしないところまで走ってきたのだろう。もっと要領よくやりなよ。
「……さて、と」
どうしよう。
ロモモはひとまず、甘い匂いを辿っていくことにした。きっと誰かいるだろう、そう踏んだのだった。
歩き出して、足を痛めていることを知った。親指と人差し指の間が、歩くたびに痛む。
でも、我慢。
入り組んだ道を、曲がっていく。道があっているのかはわからないが、なんとなく、ロモモには自信があった。そして、だんだんと甘い香りが強くなり、ロモモはもっと自信を持ち始めた。よし、あってるよ、このまま進もう。
どれほど歩いたか、甘い香りがロモモの鼻を強く突くようになったころ、扉が見えた。暗い路地のなか、ぼんやりと浮かぶように、橙色の光を放っている。どうやら香りは、そこから漂ってきているようだった。
扉は木でできていた。その扉の前に立ち、ロモモは、二度ノックをする。「どうぞー」という女性の声が、なかから聞こえてきた。
ゆっくり、ドアノブを引いた。
甘い香りを孕んだ風が、勢いよく吹き抜けると同時に、ロモモは眩しく、またあたたかい光に照らされた。思わず、目を細める。
そこは、小さな部屋だった。左側の壁には本でびっしり埋められた棚が置いてあり、右側には薬品のようなものがたくさん並べられた戸棚がある。中央には丸い緑色の絨毯が引かれていて、ソファがふたつ、テーブルがひとつ置かれている。
天井には魔術燈が吊るされていて、部屋をあたたかな黄色で満たしている。
そして部屋の奥には、木組みの机が置いてあった。その机の上には、分厚い本がいくつも積み上げられていて、ペンスタンドに置かれた黒い羽ペンと、インクも設置されている。
その机の奥に、木組みの椅子に座った、ひとりの女性がいる。バックにある窓には、まん丸の月が浮かんでいた。あれ、おかしいな、とロモモは思った。いまはまだ、昼のはずである。
しかし、そんな疑問はすぐに霧散した。椅子に座る女性が、圧倒的な存在感を放っていたからである。
黒いローブを着ているその女性は、座っていてもわかるくらい、背が高そうだった。長くのばされた桃色の髪が、見る者の目を引く。唇は薄い桜色で、肌は透き通るように白く、そして瞳は宝石のような青い輝きを放っている。
綺麗な、ひとだ。
それがロモモの、その女性に対する、第一印象であった。
「君が」
と、女性が口を開いて、ロモモは我に返った。女性は、ゆるりと頬を緩ます。
「君が、チェムに選ばれた子なんだね」
「……チェム?」
ロモモが問い返すと、女性の膝から、一匹の猫が机の上に出てきた。思わず、ロモモは「あ!」と声を出す。
先ほど羽ペンを奪って去っていった、黒猫だった。
女性は満足そうに、驚くロモモの顔を見た。そしてやさしく、穏やかに笑って、いった。
「ようこそ、魔術研究施設『アルメダの星』へ。所長として、歓迎するよ」




