あの頃の恋
「立花は今、何しているの。」
今年の始め、数年ぶりに開催される同窓会通知のハガキが届いた。
私宛の手紙なんて、久しくなかった。高校以来会っていない人ばかりで、そのハガキが過去に引き戻してくれる様だった。
夫に、そのハガキを見せる。
「何だ、行けばいいじゃないか。たまにはゆっくりしてこい。」
夫は否定しない。優しいからではなく、私に興味がないからだ。
私がここで浮気したって、どっちでもいいのだ。夫にとって、私は家政婦の様なものだった。
「じゃあ、何を着ていこうかな…」
もう、夫は私の話を聞いていない。
同居人でも、もう少し私に興味を持って欲しかった。こんなすれ違いが、あと何年続くのだろうか。
私は独り言の様に、あれやこれやと話した。返事なんて、ない。
夫は「少し静かにしてくれないか」と一言だけ言った。
私は「ごめんなさい」とだけ言って、寝室で声を殺して泣いた。
数年ぶりの同窓会は、懐かしい顔ばかりで、心から楽しかった。
そんな時に、彼に再会した。
「千葉くん、久しぶりやね。」
私たちの年齢は丁度分かれ目で、くたびれたオジサンになるか、若々しいオジサンになるかが出てくる。
千葉は、東京勤務で仕事が忙しいらしく、今回初めて同窓会に参加した。千葉は、洗練されたスーツを着こなしていて、周りの同窓生とは違って見えた。
「立花、久しぶり。元気してた?」
昔と変わらない笑顔で、私に話しかける。返事があるだけで、泣きたくなる程、嬉しかった。
「元気しとるよ。千葉くんは何か都会の人みたいやね。」
自分のグラスを隣へ置き、昔の面影を探した。
そんな私の心が分かったのか
「立花はあんま変わらんね。」
と、ビールを飲みながら千葉は言った。
「もう、立花やないけどね……」
小さな声で「ははは」と笑った私に、慌てて言い直す彼を見ていると、昔の千葉が甦ってきた。
「ごめん!そうか、もう結婚しとるよね。つい昔みたいに呼んでしまった。」
「いいよ、立花で。久々にその名前で呼ばれて、なんか嬉しいわ。」
二人で笑っていると、昔の記憶が嫌という程、甦ってくる。
私と千葉は、たった2ヶ月だけ付き合っていた。
奥手だった千葉は、私と手を繋ぐ事すら出来ず、お互いに変な照れが入ってしまい…そのまま自然消滅してしまった。
私は高校を卒業してから、随分引きずっていた。千葉は私の憧れだった。
その憧れだった千葉が、今、目の前にいる。
緊張というよりは、不思議な感覚だった。
「立花は今、何しているの。」
空になったグラスに、急かさず私はビールを注ぐ。
「何って………普通の専業主婦よ。」
千葉は、私の言葉にひどく驚いていた。
「なんで?絵を描く事は辞めたの?」
千葉の言葉を聞いて、今度は私が驚いた。覚えていた人がいたのだ。
「私くらいのレベルなんて沢山いたのよ。美大に行って思い知らされたんさ。なかなか難しいよ。」
美大を卒業後、小さなデザイン会社に就職して、25歳で夫とお見合い結婚し、そのまま退社した。そこから絵なんて描いていない。
誰も絵の事なんて忘れていた。覚えてくれていた人がいて、本当に嬉しかった。
「俺は立花の絵、好きやったよ。」
千葉の言葉に、ドキッとした。こんなに真っ直ぐに気持ちを伝えてくれるなんて、経験していなかった。千葉は大人になって、物事を伝えてくれる様になった。あの照れ屋だった千葉が、褒めてくれたのだ。
「千葉くんは変わったね。なんか男前になったわ。」
少し酔っ払った私は、大胆になっていた。
千葉が私を見つめる。私も目が離せなくなった。千葉の手が、軽く私の手の甲に当たった。それだけで身体が熱くなる。
「立花は、旦那と上手くいってるの?」
千葉は核心をついてきた。どう答えたらいいのか、分からない。
「………上手くいってるよ。」
千葉の目が、私を捕らえて離さない。全てを透かされそうで、私は俯いた。二人の甲が、重なった。
「二人で抜け出そう。立花をもっと知りたい。」
耳打ちする千葉の声に、私はとろけそうになった。
夫に必要とされなくなった私を、求めてくれた。私の憧れの人が。
動けない私に、千葉は続けた。
「30分後、お店を出て。高架下の交差点で待ってるから。」
そう言って、千葉は幹事に挨拶をして帰ってしまった。
高架下の交差点は、初デートで待ち合わせした場所だった。千葉は覚えていたのだ。どうしよう、すごく嬉しい。
でも、私は家庭がある。愛されているとは言えないけれど、先に進むという事は、罪を犯すという事だ。
ただ、私は愛されたかった。そうだ―――――――。
30分後、約束通り、千葉は待っていた。
高校生の頃と同じ場所で、私を待っていた。
交差点の反対側にいる私に、千葉は気付いて手を振る。
あの頃と同じだった。私が大好きだった、千葉くん。
「千葉くん、聞いて!」
車が行き交う交差点で、私の声がかき消されない様に、大きな声を出した。千葉は私を見ている。
「私は、何の取り柄もない主婦で、昔みたいな夢もない。
あの頃の様に、千葉くんに誇れるものなんて、1つもない。
だから、千葉くんが私の絵の事を覚えていてくれて、本当に嬉しかった。
私、千葉くんが好きやった。ずっと、ずっと好きやったよ。
私の青春やった。今日、逢えて本当に嬉しかった。
けど、私はもう『立花』ではなくて『村田』っていうの。
何の取り柄もない私を、守ってくれてるん。」
私は、千葉に話ながら、自分に言い聞かせていた。
想いが詰まって、声も震えるし、訳の分からない涙も溢れてきた。それでも、千葉は話を聞いてくれていた。
「千葉くんは、私の憧れでした!今までありがとう!
私は、家に帰ります!」
私は大きく頭を下げて、千葉に背を向けた。走る私の背から千葉の声が聞こえた。
「がんばれ!」
涙が溢れて止まらなかった。
大好きだった、千葉くん。自然消滅で、心の踏ん切りがつかなかったあの恋が、今やっと終わったのだ。
千葉くんありがとう。
私は、あなたが大好きでした。
家に帰ると、いつも通りの日常が待っていた。
リビングのソファーで、テレビを見ながら寛ぐ夫がいた。
私は、恐る恐る夫に声をかける。
「ただいま。」
夫は私を見ない。いつもの事だ。
私は諦めてコートを脱ぎ、お風呂へ向かおうとした。すると、夫が声をかけてきた。
「今日は楽しかったか?」
テレビから目は離さないが、夫から話しかけてきた。私は驚いて夫を見つめた。声が出なかった。
「どうした?何かあったのか。」
素っ気ない言い方だったが、私はその場で泣いてしまった。
夫はやっと私を見て、少し慌てている様だった。
「どうかしたのか?」
私に近寄る勇気すらない夫に、私の想いを伝えた。
「違うの。あなたから話かけてくれて、嬉しかったの。」
こんな小さな事で、泣くほど嬉しいなんて、夫は馬鹿にするかもしれない。それでも、私の想いは止まらなかった。
「たまには、こうやって話がしたい。少しでもいいから、あなたに愛されたい。」
夫からすれば、非情に面倒臭い事を言っているのかもしれない。でも、夫はそんな私を咎めなかった。
「いいから、早くお風呂に入ってこい。
まだ飲めるか?今夜は一緒に飲もう。」
私は、夫に愛されていると調子に乗ってもいいのだろうか。フワフワした気分で、急いでお風呂へ入る。
私は、やっぱり夫の事を愛しているんだと、痛い程わかった。
これで、私は千葉くんの事を思い出す事はないだろう。
今のこの想いを大切にしよう。
過ぎた恋は、綺麗に見えるもの。
あの頃の恋は、幻と一緒よ。




