第七十七話 その日……、勇者は誕生した
ある辺境の村に、気弱な青年がいました。体格も容貌も人並みなのですが、優しい性格が災いして、人と争うのを避けることが多い人間でした。当然のように、村のみんなから馬鹿にされています。しかし、青年は怒ることもなく、毎日ニコニコとほほ笑んでいたのでした。
村の真ん中には、いつの頃からあるのか誰も知らない剣が、一本だけ地面に突き刺さった形でありました。かなりの年代、放置されているにも関わらず、錆も傷も見られない不思議な剣でした。
いつの頃からか、村の若者たちの間で、その剣を誰が先に抜くかで、軽い競争が始まりました。腕に自信を持つやんちゃな若者たちが、我こそはと、名乗りを上げては失敗し、すごすごと引き下がるのを繰り返します。
青年が、その剣の柄に手をかけたのは、ほんの気まぐれ。運命のいたずらともいえることでした。ちょうど、村の悪童から、挑戦してみろと、半ば強制に近い形で勧められたのです。おそらく挑戦に失敗した青年を、みんなで笑い者にするつもりだったのでしょう。自分も失敗しているというのに、残酷なことです。
ため息をつきながらも、彼には逆らえないと、青年は剣の柄を握りしめました。一通り頑張った振りをして、失敗したと告げるつもりでした。
すると、あら不思議。屈強な男衆が、いくら踏んばっても抜けなかった聖剣が、すんなりと地面から抜けたではありませんか。
「ぬ、抜けた!? 今まで誰が挑戦しても駄目だったのに……!」
「よ、よりによって、こんなやつが!?」
悔し紛れの心無い言葉が飛び交います。青年の成功に賛辞を贈るものはいません。終いには、彼が剣を抜いたのは何かの間違いだと言われる始末です。
「いいえ。彼が聖剣を抜いたのは偶然でも間違いでもありません。彼は聖剣に選ばれたのです」
驚くみんなの前に、純白のドレスをまとったきれいな女性がいつの間にか立っていました。彼女の美貌は飛び抜けていて、髪は流れるような長い黒髪で、まるで聖女のような神々しさを放っていました。彼女は、事態が呑み込めず呆然としている青年のことを勇者と呼び、刺さっていた剣を聖剣と呼びました。
「勇者!? 僕が?」
「はい。あなたは聖剣に選ばれました。魔王を倒し、この世界に平和を取り戻してください」
心が優しく、喧嘩もろくにしたことのない青年は、突然突きつけられた使命にうろたえます。
「自分を信じるのです。あなたには、自分も気付いていない秘められた力があります。聖剣が共鳴したのが、何よりの証拠です。今はまだ眠ったままですが、解放されれば、魔王すら凌駕することでしょう」
「僕が……、魔王を……?」
青年は聖剣と聖女を交互に見つめます。手が震えるのが、自分でも抑えられないでいます。無理もありません。いきなり強大な魔王と闘えと言われれば、どんな屈強な男でも、震えてしまうのは仕方のないことといえます。
今にも泣きだしそうな、情けない顔の青年に、聖女は温かく微笑みかけます。
「怯えることはありません。その聖剣と、いずれ目覚めるあなた自身の眠れる力が困難を切り開くでしょう。それにあなたは一人じゃありません。この者たちが、あなたの手助けをさせていただきます」
女性の後ろには、美しい女性が二人と、可愛らしい幼女が控えています。驚いたことに、彼女たちも、魔王討伐の旅に同行するというのです。
青年は慌てて危険だと止めますが、彼女たちは強力な電撃を放ってみせたり、数多の昆虫を操って見せたり、各々が自分の所持する力を存分に見せつけます。彼女たちのことを、ただのか弱い女性だと思っていた青年は、もうビックリです。
ともかく、青年は魔王討伐を決意しました。また、彼女たちが最強の使い手だと判明した以上、旅に同行することを拒否する理由はありません。
かくして、聖剣の勇者と、その三人の仲間による、魔王討伐の旅は幕を開けたのです……!
「シロちゃん。すっかり寝入っちゃっていますね。とても愛らしい寝顔をしていますよ」
「人が仕事をしている横で、馬鹿面下げて、幸せそうに寝ているよ」
俺が文句を言っている横で、城ケ崎は寝ているシロのほっぺを人差し指でつついている。幼いシロのほっぺは弾力に富んでいて、プニプ二と可愛い擬音が聞こえてきそうだ。
「次はほっぺをつまんで左右に限界に向かって引き延ばしてやるか?」
「起きますよ」
止めているつもりだろうが、顔がにやけているぞ、城ケ崎。捉えようによっては、暗にやってみろと勧めているともとれなくはない。
「起こすのも何ですし、このままにしておきましょうよ……。クク……」
確かにな。仕事をしている横で寝られるのはイラついたが、騒がれるよりはマシだと、特別に見逃してやることにした。
電気の無駄遣いになるので、シロを起こさないように、パソコンの電源を落とそうとした。そこで、シロのやっていたゲーム画面が目に入る。
ファンタジー物か。ひょんなことから勇者になった青年が、四人パーティを組んで、魔王討伐を目指すという、定番のストーリーだ。子供の頃は心が躍ったものだが、使い古されていて、これだけではそそられなくなってしまったな。
「へっへっへ……。とどめだよ~!」
夢の中で、魔物と激戦を繰り広げているのだろうか。戦いはシロの優勢らしく、ほくそ笑んでいる顔が、イラつきを倍増させる。その無防備に開いた口の中に、からしを大量に投入してやろうか~?
「穏やかですね。ここが毎日のように、襲撃を繰り返されているとは思えないくらいですよ」
「そうだな」
俺だって、悪い夢で片付けられたら、どんなに良いかと考えている。だが、現実なんだよな。窓ガラスにへばりついたままのクワガタの死骸の群れが、どうしても現実に引き戻してくれるのだ。
「『裏切り者』ね……」
シロに宛てられたと思われるこの言葉。一体、シロとやつらの間に何が起こったんだろうな。
「宇喜多さん。実は朝からずっと気になっていることがあるんです」
「うん? 何だよ、言ってみ」
「このメッセージがシロちゃんに宛てたものだとして、どうして向こうは、シロちゃんが今日ここに来ていることを知ったんでしょうね。いつもは来ていないんでしょ?」
「……」
城ケ崎の言う通りだ。俺でさえ、シロがここに来ることは、直前に知らされたのだ。それは城ケ崎だって同じ筈。というか、シロがここに来ることが決まったのは、今朝のことだ。予想など出来っこない。
「……この部屋のことが、盗聴されているのかもな。もしくは、情報を流しているスパイがいる……」
「やはりそう思いますか……」
何にせよ、向こうにこちらの情報が漏れているのは明らかだ。これから一戦交えようとしている身としては、あまりありがたい事実ではないな。
そんな俺たちの不安を加速させるかのように、窓ガラスを通して、図太い雷が、地面に落ちるのが見えた。




