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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
45/302

Lv45「邪竜撃滅作戦」




 

 大口を叩いた割には一日でダンジョンから戻った蔵人に対し、受付のネリーは絶対零度にまで落ち切った視線で冷たく蔑んだ。

「あの、また会えたね。えへへ」

「なにかご用ですか」

「いや、別にぃ」

「……もうご帰還かよ、口だけ君」

「ぬおっ。だ、だってよ」

「今日から伝説がはじまるのだからな」

 ネリーは斜め四五度に顔を傾けると、蔵人の口真似をしてみせた。

「ちょっ」

「今日から伝説がはじまるのだからな!」

「……勘弁してください」

 これにはさすがの蔵人もいい繕うことは出来なかった。いっそう肩に深く食いこむ背負ったザックの重みを噛み締めながら、ラウンジのテーブルに戻っていく。

 そこには、先ほどダンジョン内で知り合った、冒険者のオズワルドたちが、あたたかい視線で待ち受けていた。

「おい、相棒。そんなに気を落とすなよな、へへ。まあ、彼女はわりとドSなところがあるから。いちいち、帰還するたびに自己嫌悪に陥ってたら冒険者なんかつとまらないぜ!」

「……俺は、無力だ」

 蔵人は完欝モードに陥って両手で顔を覆いながら、ブツブツとつぶやきを漏らした。

「相棒」

「別に彼は相棒じゃないと思いますよ。少し馴れ馴れしくないですかね」

 学者然としたカールのツッコミが入った。

「おまえは黙ってろ。これはな、男と男の熱い語らいなんだからなっ!」

 オズワルドは無意味に大きな声を出すと、チラチラと背後のカウンターにいるネリーを意識している。

 彼女の冷徹系の整った容姿や、氷のように美しく流れるような髪にのぼせ上がる冒険者は多かった。

 かくいうオズワルドも、はじめてギルド(冒険者組合)を訪れて以来、ネリー命の口だった。

 カールにとって、オズワルドの無駄に熱い友情ごっこの裏にある、うっすい意図がありありと見てとれ、ひどく虚しい気分が胸いっぱいに広がった。

(どうせ仲間思いのオレってどうよ? こんなオレは当然女性にもマストな存在なんだぜ、とかくだらないアピール妄想に耽っているんでしょうが。まったく、相手にされていませんよ)

「青春ごっこはそれくらいにして行きましょうよ、オズワルド。クランドもひとりになりたいみたいだし。あと、ネリーを彼女にしたいなら、こんなまだるっこいことしてないで直接交際を申しこんだらどうですか? ポーキーもそう思いますよね」

「ん、んだ」

 半ば眠りかけていた重戦士のポーキーが夢うつつのまま相槌を打った。

「は、はあああっ? なに、なにおまえら勘違いしてんのぉおお! お、オレは、ずぇんずぇん彼女になんか、いやちょーっとは、そりゃタイプかなぁと思ったりなんかしちゃったりしてるけど、いま、クランドに発破をかけているのは、冒険者である先輩としてのこころ構えというかなんというか。んもおおっ、マジでやめろよなぁ、そういうのは。不純な!」

「ネリーのこと、ドSとか誹謗してたじゃないですか」

 オズワルドは素早い動きでカールの肩に手を回すとヒソヒソ声で話しだした。

「ちょっ、てんめっ、彼女に聞こえて気を悪くしたら、オレのネリーを彼女にしてラブラブ冒険者生活を楽しむ三ヵ年計画が狂うじゃねーかよ!」

「……三年経ったら彼女は他の男と結婚して子供産んでますよ」

「もおいい! 勉強ばっかしてたおまえに繊細な女心なんかわかんねーんだよ! オレは先にいくからなっ」

 オズワルドはカールを床に突き飛ばすと肩で風を切って事務所を出ていった。

 受付のカウンターを横切る際に、さりげなくネリーに流し目を送る。

 カールは、ネリーが苦虫を噛み潰した表情になったのを見て、こりゃ脈なしだな、と思った。

「はっ! ここは」

 しばらく蔵人がトリップしている間に、かなりの時間が経過していた。ぐうと、腹が間抜けな音を出した。幸いにも、長期の迷宮探索に向けて食料と水は充分確保してあった。

 ザックから携帯食料である、干し肉と石のように硬い黒パンを出すと、生まれてから一度も虫歯になったことのない丈夫な歯で時間をかけて噛み砕いていく。

 ほぼペースト状になったところで、水筒に直接口をつけて中身を飲み干した。

 周囲に目を配ると、時計は深夜を指しているというのに、ギルド(冒険者組合)の事務所は冒険者たちで混みあっていた。

 受付には、定時で帰宅したのかネリーの姿はなく、目もとに少しだけそばかすの浮いた、ちょっと男にちやほやされなさそうな女に代わっていた。

「どおしよっ」

 蔵人は結構精神的にキていた。当初の計画では、ダンジョンに潜った時点でお宝がザクザク掘り出されるはずであったが、現実では鼻くそひとつ手に入れることは出来なかった。

 実に浅はかな計画であった。

「ちきしょうっ、真実一路に生きてきたのにっ、なんでだよっ!」

 全然そんな事実は存在しなかった。まさしく神の配剤である。

 両拳を握って、うめくが周りの冒険者たちはそれぞれのクランで盛り上がり、彼の行動は半ば無視されている。

 唯一、気弱そうな受付のそばかす娘が、蔵人のことを気にしている。ちょっとした、イタズラ心が生まれた。

「ううっ」 

 不意に胸をおさえて、椅子から崩れ落ちる。

「だ、だいじょうぶですか!」

 元々親切な性格だったのだろう、赤毛のそばかす娘は蔵人のそばまで来てしゃがみこむと、さも心配そうに覗きこんだ。

 蔵人は苦しむふりをしながら、かがむことによって突き出されたそばかす娘の、胸をチラ見した。

 厚手のローブの上からでもわかる、つりがね型の巨乳であった。

 蔵人がこの世界に来てから、ベストスリーに入るほどの逸材である。

 この巨乳ハンターである、俺としたことがなんという見落としを。

「ふう、大丈夫だ。あ……」

「はややっ、大丈夫ですか!」

 蔵人はふらついたフリをして娘の胸に顔をうずめた。彼女は、蔵人が本気で苦しんでいると思い、まったくもって気づいていない。

 やはり、ギルド(冒険者組合)も夜でしかわからないこともあるぜ、と思いつつ娘の乳房のふかふかした感触を顔面でたっぷり楽しんだ。

 受付の少女はアネッサと名乗った。

 なんでも、ネリーが深夜勤務を絶対にやりたがらないので、今年の春から臨時として入った近所の石工の娘だそうである。

 彼女は、兄弟が八人もいて、生活の助けになればと、昼間は子守をして夜はここで稼ぐことにしたらしい。

「ふーん。アネッサちゃんは働き者だねぇ。とっても、エライと思うよ」

「え、やや。そんなことはないですよぉ」

 アネッサは確かに容姿的にはパッとしないが、誰もが気づいていないほど凶暴な武器を両胸に抱えていた。男なら誰しもが惹かれる爆乳である。

 先ほど蔵人がどさくさにまぎれて腰に抱きついたが、くびれはしっかりとあり、ポチャではないといい切れた。

 この世界の女性は基本、身体の線を隠す服装をしているので、パッと見ではナイスバディかそうでないかは非常に見分けづらい。

 だが、触って確かめた。この娘は、誰にも気づかれていないっ、お買い得品。

 年を聞けば、十六だという。この世界では適齢期であった。

 そのくせ、まったく男ずれしていない部分も好感が持てた。

 蔵人がさり気なくアネッサの働きぶりや、それほど嫌味にならない程度に身体的特徴を褒めると、あっという間に彼女はいい気分になって、態度がやわらくなった。

「なーんかさ、一発でドバっと稼げる方法ってないかな」

「一発で稼げる方法ですか、うーん」

 ネリーであれば、「ドバっとその腐った脳みそ掻き出してみれば考えつくんじゃないですか」くらいの手痛い返しを送ってくるはずが、こんな無茶ぶりに対してもアネッサは、あごに人差し指を立てて、うーんと考えこんでくれる。

 蔵人は結構本気でアネッサのことが好きになりそうだった。

「通常ならば、ダンジョン深くまで潜ってレアアイテムをゲットして売却するって方法しかないんですけど、クランドさんは時間がないんですよねぇ。そういう場合って、クエスト(攻略依頼)を受けるしかないんじゃないかなぁ」

「クエスト?」

「ええ。シルバーヴィラゴのギルド(冒険者組合)では、基本ダンジョン攻略をメインに冒険者さんたちを支援していますが、通常各地のギルド(冒険者組合)ではクエスト(攻略依頼)が主な生活の糧になっているんですよ。かなり危険の伴うモンスターや名うての盗賊や賞金首の討伐ですよ。最近、結構話題になったのが、血塗れギリーっていう盗賊が仲間内のイザコザで殺されたとかなんとか。彼の賞金首は、二百万(ポンドル)だったそうですね」

「え、マジで!」

 蔵人はカウンターに両手を置いて全身を突っ張らせると、深いため息を吐いた。

「ど、どうしたんですか、クランドさん! また、どこか気分でも」

「いや、大丈夫だよ。続けて」

「他にはですね、錬金術師の方と組んで、上手く素材を集めてレアアイテムを作成するとか。ただ、錬金術師の方たちって、基本的にはどんなに危険でも単独で行動することが多いんですよ。しかも、かなり排他的で自分たちの関係者以外とは絶対にパーティーを組まないそうです。これは、もしツテがあっても時間がかかりそうですから、パスですね。あと、これはいっちゃってもいいのかな……」

「アネッサ、頼むよ」

「ううう、しょうがないなぁ。これは、秘密なんですが、明日の朝にかなり大掛かりなクエスト(攻略依頼)が発表されるらしいです。だから、早耳な一部のクランはここで夜明かしするっていう人が多いらしいです」

 アネッサは、蔵人のすぐそばまで顔を近づけると、視線を動かさずにいった。

「ほら、あそこの一番騒いでいる集団の真ん中にいる白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の騎士さん、見えます?」

「デケーな。俺と同じくらいタッパがあるぞ。……女なのか」

 ラウンジの中央で声高にしゃべる冒険者の一段の中央に、その騎士はいた。

 白銀の甲冑を身にまとい、その上から赤地に白十字を染め抜いたサーコートを羽織っている。腰には、黄金造りのグレートソード(大剣)を佩いていた。

 背丈は、蔵人より拳ひとつくらいの差しかない。人間族の女性にしては百八十近い、長身であった。屋内というのにかっちりと兜をかぶっている。兜から、はちみつ色をした綺麗な、ウェーブがかった金色の髪が覗いていた。

 女だてらに剣や鎧を着こめばさぞ、男勝りな顔つきだと思うだろうが、ややタレ目がちな瞳は慈母を思わせるほどやさしげで、深い森のように澄んだ緑色をしていた。顎先が驚くほど細く、たおやかな顔つきをしていた。

「彼女はアルテミシアといって、このギルド(冒険者組合)でも二番目の規模を持つ、クラン“黄金の狼”の副長です。槍と剣の名手だそうです。隊長のジャック・バインリヒは壮年の貴族で、いまはちょっと見当たらないですね。いずれにしても、同じクエスト(攻略依頼)を同時に受けるとなると、かなりのライバルになりますよ。なにしろ、予備人員を含めると優に二百人近いパーティですから。……あー、ところでクランドさんのお仲間はどこにいらっしゃるんですかね。ちょっと、見当たらないみたいなんですけど」

「うん。どこかに居るよ」

「どこかにって」

「どこかで、きっと僕が来るのを待っているよ」

「つまり……」

 アネッサは蔵人の気持ちを察して、そっと袖口で目頭を押さえた。






 開けて翌日。ギルド(冒険者組合)の掲示板の一番目立つところに、討伐依頼が張り出された。

 だが、蔵人はすっかり忘れていた。自分がこの世界の文字を読めないという事実を。

「よ、読めねえ。なあ、アンタ。あれ、なんて書いてあるんだ」

「うん? ああ、こう書いてあるぞ。討伐依頼、シルバーヴィラゴから南東、竜王山のふもとビスケス村にて確認された邪龍王ヴリトラを撃滅せよ。懸賞金、五百万(ポンドル)。依頼者、アンドリュー伯第二子クロヴィス、と。それにしても、貴公は文字が読めないのにも関わらず昨晩からこの依頼が張り出されるのを待っておったのかな。まったく、とぼけた御仁だ。はは。いや、けなしておるわけではないぞ。本当だぞ」

「おお情報サンクス。ってアンタは」

 蔵人は女性の快活に笑う声を聞いて隣を見ると、そこには昨夜話題にした当の人物、白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の騎士アルテミシアの姿があった。

「ふふ。そういえば、まだ名乗っていなかったな。私は、クラン“黄金の狼”の副隊長を務めるアルテミシア・デュ・ベルクールだ。貴公の名をお聞かせ願いたい」

「俺は、志門蔵人だ」

「ふむ、ではシモン殿、と呼ばせてもらおうか」

「いや、シモンは家名。名前はクランドだ」

「ほう、それはそれは。どちらも、名前に聞こえる。とても珍しいが、良き名だ」

 実に楽しそうに瞳を輝かすアルテミシアの口調は、やや堅苦しかったが、なんとも人を和やかにする明るいものだった。

「随分と若く見えるが、副隊長とは偉い方なのか? 俺も言葉遣いを改めたほうがいいか?」

「ははっ、私はそれほど若くはない。もう、今年で二十になる。とんだ行き遅れ娘で、父上も見放しておるさ。それにしても、いちいち言葉遣いを改めるかどうかと、普通その相手に聞くかね。あは」

 アルテミシアはツボに嵌ったのか、身体をくの字に折って、からからと小娘のように笑い声を響かせた。周囲の冒険者たちが、呆然とした様子で彼女を見つめている。

「ま、二十じゃ俺と同じ年だ。せいぜい仲良くやろうか」

「うふふ。これは、失礼。こんなに笑ったのは、久しぶりだよ」

 アルテミシアはそっと白手袋に包まれた右手を差し出した。

 蔵人は、外套で申し訳程度に拭うと、彼女の手をそっと握った。

 蔵人の手は、どんぶり茶碗のように一際外れて巨大である。

 女性としては大きめの彼女の右手がすっぽりと包まれると見えなくなった。

 アルテミシアは目をまん丸にして驚くと、パチパチとしばたかせた。

「貴公の手は実に大きくて男らしい。いや、なんでもない」

「しかし、なんだよ邪龍王って。いきなりラスボス的なモンスターが現れたな。これは世界が滅びる前兆なのか」

「そうか。クランド、と呼ばせてもらおうか。貴殿は、邪龍王ヴリトラに関して知らぬのだな。私も聞きかじりなのだが、それでよいのならある程度は教えることはできるが」

「頼むよ」

 僭越ながらと、アルテミシアは邪龍王ヴリトラに関して語りはじめた。

 ヴリトラが竜王山付近の村を襲いはじめたのは昨日今日の出来事ではなかった。

 かの竜が出現を確認されたのは、かれこれ十年前にさかのぼられる。

 それも、決まって冬季に限られていた。理由はすべて判明している。単純に、冬の積雪期になると、ヴリトラの主食となる中型モンスターが冬眠に入り姿を消すからだった。餌の代わりとなる小型のモンスターは、寒気の厳しい冬場になると、北に位置する凍結したクリスタルレイクの湖に向かって逃げてしまい、結果として冬眠の習慣のないヴリトラは激しい飢餓に襲われるのだった。

「ヴリトラの正体は判明している。ワイバーン(飛龍)だよ。定期的に領主の軍や、ギルドの討伐隊を派遣しているのだが、ヤツラは知能が低い割には危機を察知する能力が高く、群れを殺しきることができないらしい。だが、今回のターゲットは、いままでルーチンワークで駆除してきた奴らとは桁が違うほど強く凶暴な個体らしい。下手をしたら、付近の村々がまとめて亡地にすらなりえるほど猛威をふるいはじめている。かなりの苦戦をしいられると思うが、軍との共同作戦になるから、ヤツらをまとめて屠るのは不可能ではないだろう。賞金が、五百万(ポンドル)と高値でも、経費を差し引いて、クラン全員の精鋭百人ほどで頭割りすれば、ひとり四万Pポンドルくらいじゃないかな。ああ、そういえば今回のクエスト(攻略依頼)はウチが一括で受けると聞いているが、クランドのクランと共同作戦を行えばさらに、ひとり頭の取り分は減ってしまうが、これも社会奉仕と考えれば、たいして腹も立たないだろう。我々は、騎士だからな。で、クランド。君の仲間をそろそろ紹介して欲しいのだが」

 アルテミシアはしゃべり終わると、辺りを見回し始める。蔵人は、ややバツの悪さを感じながら、ぼそっとつぶやいた。

「ひとりだよ」

「ひとり?」

 瞬間、上品で堅苦しいアルテミシアの口調が娘らしいものに変わった。

「俺はひとりだ。だから、当然アルテミシアたち(黄金の狼)たちとは競い合いになるな。お手柔らかに頼むぜ」

「はあああっ、おまえひとりでウチと張り合おうってのぉ! 正気かよ!」

「やめないか、ステファン。無礼であるぞ!!」

 黄金の狼の団員のひとりなのだろうか、ステファンと呼ばれた巨漢の戦士はニタつきながら、蔵人を嘲笑った。アルテミシアの顔が仲間の無作法を恥じてか、大きく歪んだ。

「いーや、いわせてくださいよ。それに、副隊長。どう考えたって、ひとりでこのクエスト(攻略依頼)に挑めば犬死には確実ですぜ。冒険者の先輩として教え諭すのは、スジってもんでしょうが。副隊長がやさしいのは重々承知ですが、ときにはやさしさが余計な血を流すってこともあるんですぜ!」

「それは」

「まあ、まあいいからいから。第一こんな田舎モンに舐められてたら、ウチの品格ってやつにも関わってきますがな。ここは、“黄金の狼”の序列三位にして特攻隊長、重騎士ステファンにおまかせあれ。ってことだ、小僧よおお。てめぇ、おとなしくこの件から降りろや、ああ?」

 重騎士ステファンは背丈が二メートルを超える巨漢で、おまけに信じられないほど樽同然の体型をしていた。

 ものすごい巨デブである。

 だが、全身についた肉の太さに恥じないほどのたくましい腕をしていた。

 ピカピカ光る特注のプレートメイルが、鈍く窓から差しこむ陽光を照り返している。

 蔵人は、瞳孔に突き刺さるまぶしさに目をしかめた。

「なあ、ひとつ聞いていいか?」

「ああん、なんだよ」

「なにを食ったら、そんな身体になったんだ。樽でも丸ごと呑みこんだのか」

 ステファンの少ない脳みそに言葉が染みこむまでいくらかのタイムラグが生まれた。

「な、な、なああ、おっ、おっおまえええええっ!!」

「クランド!」

 アルテミシアの制止する声と同時に、蔵人の腹をステファンの巨木のような拳が凄まじいスピードで叩きつけられた。

 蔵人の身体はゴムまりのように軽々とラウンジ中央のテーブルをなぎ倒すと、壁際まで吹っ飛び背中をしたたかに打ちつけた。

「なんてことを……おい、ステファン!」

「副隊長、どうして俺を咎めるんですかい。その、小僧は序列三位のこの俺を侮辱した。ってことは、ひいては俺たち“黄金の狼”全員を侮辱したことになるんだああっ! なあ、おまえらもそう思うだろお! そもそもこんな一撃でくたばるような弱いやつでは、竜退治なんざできませんぜ。さ、そろそろ出発の時刻ですな。正義を盾に横紙破りの常習である副隊長も、今度の遅れは致命的じゃないですか。さすがの、バインリヒ卿も除名すらあり得るといっていましたよ。この、黄金の狼を除名されたら、それこそ困ったことになるんじゃあないですかい?」

「それは」

「ま、俺たちは先に行ってますぜ。遅れたくはないんでね。それに、あからさまに俺たちのことを馬鹿にしたその男に手を貸せば、副隊長の命令なんぞ、今後従うやつが出てくるかどうかは疑問に思われますなぁ!!」

 ステファンを先頭に、黄金の狼の隊員たちはぞろぞろと連れ立って外に出ていった。

 アルテミシアは、壁に背中を打ちつけて座りこんでいる蔵人のそばに行くと、しゃがみこんで絞り出すようにして苦しげな声で言った。

「済まない、クランド。これも、すべて私の不徳の致すところだ。今回のことは、討伐が終わったら幾重にも詫びよう。ケジメも必ずつける。だから、今回のことは目をつぶって諦めてくれないだろうか。重ねて詫びよう、すまない。まさか、こんな、こんなことになるとは」

 蔵人は無言のままジッとアルテミシアの瞳を直視した。

 そこにあるのは、ただ罪悪感に打ちひしがれたひとりの女の顔があった。

「俺ならどうってことないぜ、さ。急いでるんだろう。気にせずに行きな」

「すまない、本当に。この借りは必ず――」

「はは、本当にすまないと思うならこの次会ったときにチュウでもしてもらおうか」

 蔵人は痛みに顔をしかめながらも唇を突き出してみせた。

 アルテミシアの顔が泣き笑いのように歪んだ。

「貴殿は、本当におもしろい男だ」

 アルテミシアは後ろ髪を引かれるようにして、幾度も壁を背にして座りこむ蔵人を見ながら、頼りなげな足どりでギルド(冒険者組合)を出ていった。






「あの樽野郎、すっげえ馬鹿力だな。今度会ったら、バラバラに切り刻んでラードの材料にしてやる」

 ぺっと血の混じった唾をはくと、膝に手をついて立ち上がる。

 ふと、目の前に差し出されたハンカチの白さが眩しかった。

「まったく、出勤早々に私の手を煩わせないでくださいな」

 そこには、いつも通りの仏頂面をしたネリーの澄ました顔があった。

 蔵人がそっとハンカチに手を伸ばすと、狙いすましたように引っこめられる。

 幾度かそれが繰り返された後、うんざりしたように蔵人がいった。

「いったい、おまえはなにをしたいの」

「いや、やっぱりハンカチが汚れるかな、と」

 蔵人は横を向いて、くそっ、と吐き捨てた。

「冗談ですよ。ほらー、痛くないでちゅよークランドちゃんは強い子ですから泣かないでちゅねー」

「無表情でいわれてもなぁ」

 ネリーは口先とは違った女性らしい繊細な手つきで、蔵人の顔の汚れを拭き取ると、はっ、と目を大きく見開いた。

「大変だ。頑固な油汚れが落ちない」

「俺は生まれつき色黒だよ! それに、汚れじゃねえよ!」

「なんだ、汚れは元からだったのね。よかった」

「おい、手を胸元に組んでなんに祈ってんだよ!」

「無論、神です」

「なんの神なんだよ」

「油汚れの神。んんん、台所神?」

「もおいいよ。ったく、世話掛けちまったな、ありがとよ」

「本当です。ただの、いち冒険者にこの私がここまで配慮するなんてまずありえないですよ。感謝しなさい。崇め奉りなさいな」

「あー、へいへい。観音さま、観音さま」

 蔵人は両膝をついて目をつぶると、手を二度ほど打ち鳴らして、ネリーの股間の辺りをそっと盗み見た。

「なに、いまの非常に不快な波動は」

「気にするなよ」

「どうせクランドのことだから、土着の邪神に祈ったんでしょう。ところで、どうしてあんなビッグチームとわざわざ揉めたりしたんですか。弱いくせにイキがっちゃって。この、ネリーさまに事情を話してみなさい。思いっきり笑ってあげるから」

「笑うんじゃねーよ。その、俺がクエスト(攻略依頼)を受けようとしたら、あいつらがケチつけてきたんだよ」

「まったく、黄金の狼ともあろうものが、こんな吹けば飛ぶような男をわざわざムキになっていじめて……恥を知りなさい!」

 ネリーは平手を叩きつけた。蔵人の頬に。

「いだっ、ちょっ!? 待て、なんでいま俺ぶたれたのっ? 意味が理解できねえぞ!」

「つい義憤に駆られました。弱いものいじめとか許せない性格なんですよね」

「おまえ、俺いじめてるよね。完全にいたぶってるよね。どうしてぶったか、説明しろよ」

「んんん。だって、目の前に居るから?」

「おまえの前に立ったらデフォでぶたれるのかよ。恐怖の受付だよな」

「大サービス」

「いらんわ! ったく」

「で、なんのクエスト(攻略依頼)を受けたんですか。ダンジョン攻略以外にクランドが出来そうなものといえば、町内会のドブさらいとか、迷い犬探しとか、あとはゴミ拾いか。大変! 三種類しかレパートリーがない。でも、安心してください。次からは優先的に取り置きしておきますから」

「どんだけ、人を見下してんだよ。あれだよ、あれ」

 蔵人がヴリトラ討伐の掲示を指差す。ネリーは首を傾けてその方向を見ると、そのまま微動だにしなくなった。

 しばらくの間彼女はそうしていたが、やがて両膝を伸ばしてすっくと立ち上がると、スタスタ受付のカウンター席に向かっていつものように業務の支度をしはじめた。

「……あいつ、すべてをなかったことにしやがった」

 蔵人は呆然としたまま立ち上がると膝の埃を払った。彼に残された手は、黄金の狼という厨二臭い名前の集団を出し抜いて、邪龍王ヴリトラなるメキシコうまれっぽい化物を退治することだった。激戦が予想された。

 蔵人はザックをかつぐと、冒険者ギルドを出て、大通りの冒険道具専門店“ひろいもの”に入った。

 ここは、元冒険者だったドナテルロという老人が経営している、武器・防具・道具ならなんでも揃う総合販売店だった。

 あらゆる雑多なものを取り揃えており、素材や鉱物の買取も行っている。

 見かけは古いが、シルバーヴィラゴではもっとも老舗であった。

「いらっしゃい、ってなんでぇ、またテメェかよクランド。ウチはおまえみたいな文無しは基本お断りなんだよ」

「まあ、そういうなって。今日は、いろいろと買ってくからよ。もう少し愛想よくしろや」

「ほざけ。おまえがこの店で買ったのは、ザックと水だけじゃねえか。挙句の果てに、たいまつはサービスにつけろとか駄々こねやがって。なんだ、十日は潜るっていって、もう出てきたのか。根性のねぇ。俺がオメエくらいのころはなぁ、半年やそこら、一度潜れば帰らねえのはザラだったんだぜ」

「あーあー、もうそういうのはいいから。今日はよ、外に討伐で出かけるから、いくらか武器を見繕ってもらいてえんだよん」

「オメエ、自分にはこの剣があるから、他のはいらねえとかいってたじゃねぇか。癪に障るがよぉ、その腰に差してる剣以上のものはこの店にはねぇぜ。悔しいが、そいつは、確かに名剣だ」

 ドナテルロは、真っ白な髭をしごきながら、蔵人の腰に佩いた“白鷺”をジッとにらみつけていった。

「もしもの為に予備の武器が必要ってのはわかるが、狙う相手によっていくらでも変わってくる。相手は、ゴブリンか? それとも、トロールか? まさか、オーガってことはねえよな? ありゃ、小僧のような駆け出しにゃ手に余るぜ」

「竜だよ」

「へ?」

 ドナテルロの鼻にかけたていたメガネが、ずり落ちた。

「今度の相手は、邪竜王ヴリトラだ。それ相応の必殺武器を頼むぜ」






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