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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第14章「されど地に這う日々」
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Lv294「銀の雫を剣に受けて」





 タンガニカが「竜」とその名に冠される真骨頂。それは、伝説の地竜が用いたのと同じく、小規模ながら大地を揺り動かし地震を起こす特性に由来されていた。

 彼は、形勢が己にわずかでも不利と見るや、素早く身体のほとんどをゆるやかな土のなかに埋没させ、下顎と上顎に生えた強靭な六本の口髭を土のなかへ広がらせた。

 同時に、彼の巨大な肉体は細かな振動から徐々にアクセルを上げていき、数秒ほどで半径数キロメートルに及ぶ広範囲に地震を起こさせたのだ。

 蔵人たちが戦っていた見晴らしのよい平野から、水精霊(セイレーン)の宮殿は目と鼻の先である。ぐわらぐわらと、波紋状に広がっていくエネルギーは、地べたに乗っかっている建築物を根元から揺れ動かし、無慈悲に根本から破壊を行った。

 めし、と。

 地盤が、瞬間的に下がるのを感じて蔵人は軽い浮遊感を身に覚えた。

 遊園地の絶叫マシンで味わうような、身体中が座席から離れて背筋がこわばり微妙に胃のなかが空恐ろしくなるあれ、である。

 なにかを考える暇もない。目の前でポルディナの身体が宙に浮いたのが網膜に一瞬だけ映ったがなにもできなかった。身体が毬のように大地に叩きつけられ何度も跳ね上がった。

 激しい衝撃に全身の血管が逆流し、天地がひっくり返った。

(し、死ぬ――これは、やばい!)

 咄嗟に衝撃をやわらげるために、身体を丸くして目をつむった。あちこちが、ぶつかって身体の感覚が希薄になっていく。

 地震はそれほど長くは続かなかった。タンガニカの力が蔵人たちの攻撃によってかなりの割合で減殺されていたことも功を奏したのだろう。しばらく転がったまま、土煙が濛々と立つ灰色の世界でゆっくりと呼吸を整えた。さいわいにも不死の紋章イモータリティ・レッドの力は効力を発揮し続けている。白い輝きが全身に行きわたり、痺れが徐々にほぐれていくと、蔵人は無理やり立ち上がってよろけながら、ポルディナの、リーチャの、ミリアの名を順番に呼び続けた。

「おまえらっ!」

 土埃が徐々に晴れていくと同時に、目を覆いたくなるような惨状が飛び込んできた。

 リーチャとミリアが並んで転がっている。ふたりは身体じゅうを土塗れにしてぐったりとしていた。

「ご、ご主人さま、お怪我は……」

「ポルディナ、無理に動くなっ」

「私は、平気です、このくらいは」

 蔵人が手を貸すまでもなくポルディナは呻きながらもすぐに立って見せた。さすがは強靭な肉体を誇る戦狼族(ウェアウルフ)だ。元々が人間と作りが違う上に、耐久力もずば抜けていた。一方、リーチャとミリアは致命傷ではないにしろ、全身のあちこちを強く打ってすぐに起き上がることはできない状態だった。

「すんでのところで……保護結界を張ったのだが……」

 いわれて彼女たちの身体を子細に見ると、体表にはうっすらと水の被膜のようなものが皮一枚で覆っていた。リーチャが機転を利かせて自分とすぐそばのミリアに張ったらしかったのだが、ほとんど戦闘不能な状況にまで追い込まれていた。

 蔵人はリーチャを背負い、ポルディナにミリアを担がせると、自分たちから半キロほど離れた地点で、ドロドロに溶けた泥の海に蹲っているタンガニカを見て顔をしかめた。

 今ならやつも疲れている。追い込んでトドメを刺せるだろうか。蔵人は自分の性格がカッと熱くなりやすいことは重々承知していた。今もこうしてリーチャたちを背負って、少しでも忌々しいオオナマズから遠ざかっているが、罪もない水精霊(セイレーン)たちを傷つけ平和だった街を粉微塵にした怒りは収まるどころか、ますますもって火の粉を上げ燃え盛っている。

 が、今の身体では得物を構えて駆け寄っても、あの巨大な肉をどこまで引き裂けるか甚だ疑問なほど疲れ切っていた。

「クランド――悔しいのはわかるが、私やミリアを見捨てないで欲しい」

 背中のリーチャが弱々しげにいった。彼女はかような弱音を吐くような性格ではない。つまり、自分ではなく傷ついてぐったりしたミリアや蔵人たちを慮って、わざと断れないような言辞を用いたのだ。

「とりあえず、距離を取ろう。俺たちは戦えるが、ミリアが心配だ」

 直ちに追撃はないと判断し、蔵人は戦場を離れた。屈辱だった。

「この先に姉上と水精霊(セイレーン)騎士団が陣を敷いていると聞いた。一旦、そこまで引いて策を練ろう」

 よろばうように移動すると余震が起きて足元を小さく波立たせた。

 たいして移動しないうちに、蔵人たちはバルバラが敷いている瓦礫地帯の陣営に到着した。

「クランドさまっ。それにリーチャ、その傷は……!」

「すみませぬ姉上。あのような暴言を吐いておきながら、臆面もなくかように舞い戻る仕儀となりまして。私の罪は、万死に値します」

「ばかっ。今は、そんなことどうでもいいでしょうっ! リーチャもクランドさまも、その傷はタンガニカに立ち向かっての手傷でしょうに……。もうっ」

 バルバラのなかにはもはや一片の憤りも怒りもなかった。元々、純真な性格だ。蔵人たちが水精霊(セイレーン)一族のために血を流して戦ったと知るや、もはや感謝の念しか湧かないのが根底にある素直さだ。バルバラはリーチャと蔵人の手を取ると、ボロボロと涙をこぼして、やがて地面に両膝を突くと、赤子のようにうぇーんうぇーんとはばかりもせず喚き出した。

「女王さま、よかったね」

「リーチャさまも戻ったし、ニンゲンさんも力を貸してくれるよ」

「あたちたちも頑張らなきゃ」

「やるよ、やるよー」

 水精霊(セイレーン)の乙女たちももらい泣きをして、頬を濡らしている。女たちが感情を爆発させているのとは対照的に蔵人は無表情になっていた。彼女たちが無事なのはよろこばしいことだが、さりとてそれらと差し迫った現実はなんら関係ない。数こそ、ざっと見て百名を超える集団だが、タンガニカはなんの策もなしに突っ込んでいって斃せる相手ではないと身をもって痛感していた。

「バルバラ。このあたり一帯の地図はないのか」

「クランドさま。ないわけではないのですが、先ほどの地震で書物庫ごと瓦礫に埋まってしまいました。ですが、地理は頭のなかに入っていますゆえ」

 バルバラはそういうと、地面に木の枝で宮殿周辺の地図を大雑把に書きはじめた。蔵人は次々と書き加えられていく、建築物の要点を聞きながら顎に手をやったまま深く考え込んだ。そして、とある地点に焦点を合わせた際、蔵人の黒々とした瞳が強い輝きを帯びた。

「この橋はなんだ」

「そこは、すでに使われていない木造のものです。あ、でも、あれほど強い揺れがあったのであれば、もう崩落している可能性も――」

 蔵人の脳裏にひとつの考えが浮かび、それはくっきりとした輪郭を持って形作られた。

「この手しかない。バルバラ。今から俺がいうものを準備してくれ」






 タンガニカは酷く傷ついていた。遊び半分のエサたちに、身体の大部分を焼かれたうえ、片目を抉られ、看過できないほどの手傷を負わされたのだ。

 得意の「ぶるぶる」を使って地面を揺らし、羽虫のようにまとわりつく、特に威勢のよい数匹を追い払ったが、そんなことくらいでは痛みも胸のなかのムカムカも遠ざけることはできなかった。

 逃げるという決断は彼のなかになかった。しばらく、土に身を隠してジッとしていたものの、ジクジクと身体を苛んでいる痛みは弱まるどころか、骨の髄まで響くように大きくなっている。

 エサたちが逃げていった方向はそれほど遠くない。あの大きな熱でこの身を焼かれた巣の近くに気配はまだあると、タンガニカは土中に這わせた口髭で敏感に察知し、腹の底から湧き上がってくるいいようのないカッカしたものを冷まさせるため、重たげな身体を引き上げ、再び前進をはじめた。

 しばらくゆくと、尾びれをぴちぴちさせている魚が目の前に立ちふさがった。

 タンガニカは先ほどの戦闘を思い出し、いささか躊躇した。

 エサたちは、みな同じように食われるためだけにあると思っていたが、なかには多少トゲを持つ厄介なやつもいるのだ。タンガニカは自分の力に圧倒的過信を抱いていたが、ただ一度の攻防でそれは若干揺らぎ、また学習をしていた。十八番の「ぶるぶる」は地面がやわらかく、使える場所に向き不向きがありどこでもやれるというわけでもない。

 が、魚はこれ見よがしに腹を見せてこちらを挑発しかかってこいといわんばかりだ。

 手傷を負うてもそこはタンガニカ。強者として、また高みにある生物としての矜持は消え去ったわけでもない。

 ようしこの魚め。この舌で巻き取ってぺろんと呑み込み格の違いというやつを見せつけてやろう。

 タンガニカは口髭を宙に浮かせて周囲から発散させる生物の気配を敏感に嗅ぎ取っていた。

 どうやら、姿は隠しているがエサの一味は見えない位置へと巧妙に姿を潜めジッとこちらの様子を窺っていやがる。

 魚は、身体の大きさとは不釣り合いな鳴き声できいきいと喚きながら、意外や意外にすばしこい。

 ぴょんぴょん跳ねながら後退していくが、やがて疲れを見せはじめたのか、動きは鈍くなってゆく。

 タンガニカは、目の前で死の踊りを懸命に舞い続ける魚を存分に嘲笑って見下すと、ぶおうぶおうと口を大きく開いてできるだけ自分を強そうに飾ってから、トドメとばかりに弾みをつけて襲いかかった。






 蔵人たちは、マーメイドのチョコラッタが健気にも身を挺してタンガニカを誘導するのを近くの草場に伏せて懸命に見守っていた。

「ああ、チョコラッタ……」

 バルバラがはらはらとすぐそばで身を硬くしてつぶやくのが聞こえたが、今となってはチョコラッタが魔竜の腹へと納められぬよう神仏に祈るだけだ。そもそも囮に限っては誰がやっても危険度はいっしょなのだからそこは割り切るしか道はない。

 蔵人の建てた作戦は単純極まりない。タンガニカを、すぐ近くの使用不能となっていた木橋までおびき寄せ、橋脚に仕込んだ油や火薬樽といっしょに焼き払うというものだ。

 もっとも橋から真下の河川までは二十メートルほどしか高さはなく、墜落による打撃や炎による奇襲がどれほど有効なのかは皆目見当がつかなかった。

 それに不安要素としては、タンガニカが罠に気づいて地震を起こせば、この作戦は瞬時に根本から覆される。究極的な危険を孕んだ作戦だった。

「鬼さんこっちら、手っの鳴るほうへっ」

 チョコラッタは緩急織りまぜた意外に熟練した作法で、魔竜の嗜虐心や本能的な食欲を煽って誘導を成功させていた。リーチャがいうには、かの魔竜は生物の気配に聡く、当然ながらこちらの気配にも気づいているのだが、その巨体から天敵というものが存在せず、危機に対する警戒心が弱いとのことだ。

(引っかかってくれよ、ナマズちゃんよう……)

 タンガニカが今は廃棄された木橋に到達しかけたとき、チョコラッタが誘いを強くするためわざと動きを緩慢にさせ、仰向けに寝転がって腹を見せたのがわかった。

 木橋は幅が広くタンガニカが身体をぐいと乗せても余裕で進めるほど巨大なものだった。

 蔵人は、橋の向こう側でチョコラッタが一世一代の芝居を打って、獲物を釣ろうとしているのを息を詰めて見守り続けた。それは非常に根気がいる作業であり、精神は著しく摩耗してゆく。

(隙だらけだぜ。タンガニカ)

 不意にタンガニカが勢いづいて前にのめって唸り声を上げた。心臓が止まりそうになる。魔竜の動きは一際早く、チョコラッタをひと飲みにできる位置まで来ていたが、彼はあろうことか獲物の捕獲機である舌を、わざとチョコラッタからはずして嘲笑うかのように、すんでの場所に叩きつけ、べったりとしたよだれを残すのに留まっている。これは、いつでもおまえを食えるんだぜという、彼なりの示威行動だろう。

 今のタンガニカは、こちらが伏せさせている水精霊(セイレーン)などまったく気にしていない。散漫というどころか、まるで注意を払っていないのだ。おまけに動作も鈍くゆるみきっていた。

「今だ!」

 蔵人はかたわらを振り返って合図を出すように指示した。水精霊(セイレーン)騎士のなかで赤い旗を用意していた騎士が立ち上がりざま、二度三度ばっばっと素早く左右に振ると、チョコラッタは尾びれで木橋の羽目板を打って、くるりんと華麗に宙返りを行うと、そのまま横合いの河へと身を躍らせた。

「火――!」

 リーチャがレイピアを引き抜いて騎士たちに命ずると、草むらに弓を持って折り敷いていた乙女たちが一糸乱れぬ動きで木橋に向かって火矢を放った。

 火箭は放物線を描くとしゅるしゅると音を立て、橋に向かって終結してゆく。

 すでにタンガニカは橋の中央部にいる。逃げることはできないし、許さない。

 オレンジだの赤だのの塊は、たちまち仕込んであった油や火薬樽に吸い込まれ、もの凄い音を立てて燃え上がった。

 すでにほとんど腐れ切っていた橋脚は「ごうん」と妙に鈍くくぐもった音を鳴らし、やがてめきめきと崩れ去り、なかほどにいたタンガニカの巨体をふわりと宙に浮かせた。

 水の都は火勢の弱まる地でもあったが、これだけ準備を整えてあれば、腐れた橋のひとつやふたつを焼くことは不可能でもない。タンガニカは怪獣映画よろしく耳を覆いたくなるような唸り声を上げながら落下していく。

 どずぅん、と。

 腹の底に響く重低音と、少なくない水飛沫が立ち昇った。

 タンガニカは半ば身体を焼かれながらも、浅い河川の底に立ちながら激しく苦悶している。

「いけいっ、ポルディナッ!」

「了解しました、ご主人さま(マイマスター)

 蔵人が叫ぶとそばに控えていたポルディナが用意しておいた巨岩を担ぎ、超人的な膂力でタンガニカに向かって投擲をはじめた。ゆるい放物線を描き、岩は空を飛翔しタンガニカにぶつかると、粉々に砕けてその肉を大いに打って弱らせることに成功した。

「残った目! 目を狙うのですっ!」

 バルバラが扇を指し示して全軍に通達を下した。騎士たちは数は多いが、先ほどの地震攻撃もあり、まともに戦えるのは百のうち半分ほどだ。

 が、彼女らは疲れた身体に鞭打って、懸命に弓を引く。矢を打つ。すべては勝利のために。

 火箭は瞬く間に、タンガニカの唯一残っていた左目を潰すことに成功した。

 幾本もの矢が突き立った瞳は針供養の豆腐のようにハリネズミになって、どろどろと白っぽい体液を流している。

 苦し紛れにタンガニカが、口髭で巻き取った材木のカケラを弾き飛ばしてくる。巨大な丸太棒は騎士たちのど真んなかに落ち込んで、幾人もまとめて傷つけるがそのくらいではへこたれない。

「逃げてゆく――タンガニカが、ここから逃げてゆきます」

 バルバラが、身をよじって苦悶しつつきびすを返すタンガニカを見ながら茫然とした表情でつぶやく。騎士たちは緊張の糸が切れたのか、誰もが弛緩した表情でその場にぺたりと座り込んだり、手にした弓を取り落とし呆けている姿があちこあちで見られた。

「クランド、どうしたのじゃ。そのアホ面は……」

 戸板の上で目を閉じていたドロテアが身を起こしながら苦し気に唇を動かしている。

「バカ、無理すんじゃねぇ。寝てろよ」

「違うわ。ナマズは本来生き汚いものゆえ、この程度では死んだりはせぬ。ここで、逃せばこの都に禍根を残すようなもの。お主も男なら、キッチリとカタをつけて見せい」

 ドロテアは聖剣〈黒獅子〉を手渡そうと震える手で無理やり掴もうとしている。

 蔵人は彼女の手のひらを、どんぶり茶碗のようにデカい手で鞘ごと押し包むと、白い歯を剥いてニカッと笑った。

「待ってろ。今、なにもかも終わらせてやる」

「それでこそ、わらわのクランドじゃ」

 蔵人は駆けながら剣を鞘から引き抜くと、なんのためらいもなく崖からダイブした。

 狙うは魔竜タンガニカ。

 ゆるい浮遊感が全身を包むが、強い高揚感があらゆる恐怖をまとめて掻き消してゆく。

 あれほど巨大で恐ろしく思えた竜もどきも、今はことさら小さく思える。

 〈黒獅子〉を両手で握り込むと、胸に宿った紋章が一際力強く輝きを増した。

 この敵はなんだ。この敵の弱点はなんだ――。

 考えずともよい。妙に冴え冴えとした思考のなか、自分ではないもうひとりの誰かが、タンガニカの扁平な身体の一点。額の部分を指し示している。

 迷わなかった。蔵人は天啓に打たれた気分で、そのわずかな一点に〈黒獅子〉の切っ先を向けた。

 ずぐり、と。〈黒獅子〉を額の急所部分へピンポイントに突き立てた。垂直に貫き通した長剣はツバ元まで容易にめり込むと、確かにタンガニカの命を破壊したと感じ取れた。

 蔵人の身体を焼き尽くすような発光がさらに強まってゆく。光のうずは、胸から伝って刃に流れ、そしてタンガニカの身体へとすべて吸い込まれていった。

 剣から手を放して虚空に身を委ねる。

 ぐらりと魔竜の身体が揺れて、自然に抜け落ちた長剣が蔵人のあとを追った。

 蔵人はどぶんと飛沫を上げて川に水没しながら、落ちてゆくタンガニカのゆるやかな破滅の音に酔いしれた。






「だいじょぶですかっ。しっかりしてくださいっ!」

 蔵人は朦朧とする意識のなか、チョコラッタに抱きかかえられて運ばれ、岸辺に半身を投げ出すと、ようやっと一息つけた。

 力を使い過ぎたのだった。石ころの転がる河畔で仰向けになって、ぜいぜいと全身で呼吸を行う。

 頭のなかで白い光が盛んに明滅を繰り返している。軽い頭痛を覚えながらも上半身を起こすと、崩落した木橋の残骸のなかに崩れ落ちるようにして横たわっているタンガニカの身体が目に映った。

「にしても、こんな化け物どっからやってきたんだか……」

「そうですね。タンガニカは、都のはずれの塚へ厳重に封印されていたはずなのですけど」

 隣でエプロンをぎゅっぎゅっと絞っていたチョコラッタが不思議そうに小首をかしげた。

「封印?」

「ええ。タンガニカは、女王さま……バルバラさまの先代が多大な被害を出してようやく封印した伝説の魔獣です。この怪物は石造りの祠に固く封じられていて、都の者たちも容易には近づかないほどだったのですが」

「それは、誰でも知っていることなのか?」

「え、ええ。別段、秘密にしているわけでもありませんよう」

 ――なにか、人為的な悪意を感じる。

 蔵人は揺すり上げるようにして立ち上がったまま目の前に走る影を見て、身体を硬直させた。

「あぶねぇ!」

「ひゃ?」

 水面を波立たせて巨大な鞭が走る。それは斃したはずのタンガニカが悔し紛れに振るった鼬の最後っ屁ならぬ一撃だった。

 チョコラッタを突き飛ばすのがせいぜいだった。蔵人はどてっぱらに強烈な一撃を喰らって悶絶しながら切り立った岸壁まで吹っ飛ばされた。

 全身が粉々になったような正確無比な打撃だった。手にしていた〈黒獅子〉を無我夢中で振るうと、口髭はすっぱりと切断され宙に弧を描いて飛んでゆく。

 岩肌に叩きつけられた身体じゅうの骨が無理強情にも分解された気がした。

 目の前にチカチカ火花が散って電流のように激しい痛みがつま先から腰骨を通って脳天を貫いてゆく。

 ごぼ、と。鉄臭い臭いが口中に広がり桶の中身を撒いたように血が喉元から吐き出された。

「クランドさまっ、クランドさまっ!」

「ば、バカ。無理やり揺するな。でーじょぶだよ、こんくれぇは……」

「今、チョコラッタめが上に参りまして騎士のみなさまをお呼びいたしますのでっ」

「ンな、おおごとにしなくてもいーよ。それより肩貸してくれ。上がるぞ」

 蔵人はチョコラッタの肩を借りて、岩肌をくり抜いて作った階段をゆっくりと上って橋の前に出たが、そこには想像もしていなかった光景が広がっていた。

 水精霊(セイレーン)の騎士たちは投網を身体の上にかけられ、必死にもがいていた。蔵人は咄嗟にチョコラッタの頭を押さえつけてその場に伏せると、彼女たちを漁どっている武装した男たちの一団を見た。

 パッと見でも、三十人は超えている。水精霊(セイレーン)騎士団は百人を超え、数こそ多いが誰もが手負いであり、その上奇襲を受けたせいかほとんどが網のなかでもがき、ロクに反抗もできない状況だった。

「クランドさま。あの網、我ら水精霊(セイレーン)の嫌う火属性の魔術がかけられているみたいでございます。あれでは、さしもの彼女たちも――」

「ヒドゥン……! どうして、ここに」

 男たちの集団で明らかに大将格らしき優男にバルバラが声をかけていた。

「会いたかったぜ、バルバラぁ」

 まだ若く、顔の右半分に大きな刀傷の痛々しい男は、甘えるような声で女王の名を呼ぶと、親し気に近づき肩を抱こうと手を伸ばしたが、かばうように前に出たリーチャに気づき後方に素早く飛ぶと、忌々しげに舌打ちをした。

「リーチャ。テメェにもだよ。よくも、この自慢の顔に傷をつけてくれやがったな。礼はあとでたっぷりしてやるから、楽しみにしてろよ」

「そんなことよりも! どうして、みなにこのような酷いことをっ」

「まーだわっかんねぇのかなぁ、この頭と股のゆるーいお魚さんはァ……。もっとも、あのタンガニカまでぶち殺しちまうなんて、想定の範囲外だったが。どちらにしても、策は図に当たったみてぇで結果オーライなんだが」

「まさか、あなたは! タンガニカの封印を……!」

「いまさら気づくなんて、血の巡りが悪いバカ女だぜ。ここーのお魚さんたちはよう。俺が改心した様子を見せて、仲直りするためにみぃんなが怖がってる魔竜の様子を見に行きたいのっていったらよ。ご丁寧に塚の位置どころか壊す道具までそろえて貸し出してくれるなんてぇ、まったくチョロ過ぎてたまんねーぜ! もっともそのバカなお魚ちゃんはよ。ここにいるみんなで輪姦(まわ)したあとバラシて埋めました!」

 ヒドゥンが下卑た顔で腹を抱えると、その場の男たちが倣ったように哄笑した。

「あの女ときたら、俺らがやってる途中で、どうしてどうしてってそればっかだったわ」

「許してやるから俺のクソ穴舐めろやっていったら、ホントにやりやがって」

「淫売も嫌がるようなことを助けてやるからっていえば平気で信じちまうんだからなぁ」

「そんで、嘘でしたっていったときの泣き顔ったらたまんねーぜ」

「最後は首絞めながら突っ込んでやったのよ」

「最初はこんな水の底まで水精霊(セイレーン)なんてとか思ってたがよ」

「女はやり放題で報酬も切り取り勝手次第ときちゃあ熱も入るってもんよ」

 バルバラは青白い顔したまま震える声を発した。

「それでは……それではあなたは……やはり、改心などしていないのですか……酷い。あのとき、もう悪さは二度としないと誓ったから……見逃したのに!」

「姉上! それは……?」

 リーチャが愕然とした様子でバルバラに詰め寄った。バルバラは両手で顔を覆い隠すとその場に両膝を突いて、肩を激しく震わせた。

「バカ女が! まんまと騙されて俺を逃がしたのが運の尽きさっ。あの魔竜を解き放ってうざってー騎士団を嬲り殺しにさせて、生き残った一匹か二匹が手に入りゃトントンかと思ったんだが、こりゃあ入れ食いだぜ。処女の水精霊(セイレーン)たちの生き胆は高値で売れんだよ。バルバラぁ。おめーは特別に売らず、俺のおもちゃにしてやんぜッ。おう、そうそう。一度抱けば長生きできるってデマを流せば生き汚ねぇジジィどもがよだれを垂らして飛びついてくるだろうよ! 水精霊(セイレーン)の高級娼婦だ。我ながらこいつはいい思いつきだぜ。ヒャアッ!」

「私がついている以上、そんな真似をさせると思うのか?」

「ふん。テメェは立ってるのが精一杯みたいじゃねぇか。こーんなこともあろうかとよ。冒険者ギルドで大枚はたいて凄腕の剣士を雇っておいたんだ。――先生、頼んます」

 ヒドゥンが一歩下がって、大仰に手を水平に開くと、男たちの集団から岩を切り出したようなごつい面相をした巨躯の男が鋼の甲冑をカチャカチャ鳴らしながら前に出た。

「オレの名は大剣のギルス・ブロンクス。女。黙って降伏するなら、特別に命は助けてやって身の回りの世話をさせてやってもよいぞ」

「ふざけたことを……!」

「なかなか気が強そうだ。そういう女を屈服させ、オレのものをふやけるほど舐めさせるのが趣味なのでね」

 ギルスは背中に負ったグレートソードを引き抜くと正眼に構えた。長さ一メートルを超える大剣を小枝を持つように自在に抜いたその膂力はかなりのものだ。

「うおうっ!」

「くっ」

 ギルスが荒々しい気合を発し、大剣を真正面から打ち込むと、リーチャは得意の剣捌きでいなしていくが、やはり身体にいつものキレはなかった。

「ほらほらあっ、どうしたあっ! そんなことでは、すぐに勝負が終わってしまうぞおっ。もしかして、本当はこのオレの世話をしたいのかあっ。かわいがって欲しいのかぁ。あーん?」

「世迷言をッ」

「ふんっ」

 リーチャの動揺を見計らってかギルスが大剣を上段から打ち抜くと、リーチャはレイピアを弾かれ、半ば茫然としたままその場に膝を突いた。

 すかさずギルスは情け容赦なくリーチャの腹を蹴り上げると、転がった彼女の胸に足を乗せ、自分の厚い唇を太い舌でべろりと舐め上げた。

「勝負あったようだな」

「つ、手負いでさえなければ」

「むっふっふ。そういうところが、たまらないな」

 ギルスが大剣を担いだまま、膝を折ってリーチャの髪を掴んだ。その場の全員の意識がギルスの挙動にそそがれ、あらゆる注力が散漫になった瞬間だった。

 蔵人は岩場の階段から飛び出すと、凄まじい勢いで水精霊(セイレーン)の騎士たちを押しのけつつ不意に跳躍を行った。

 どづん、と。

 太い肉塊を荒々しく叩き割る豪快な音が流れた。蔵人の剣が無防備だったギルスの首を空中に撥ね上げたのだ。

 ぴゅーぴゅーと勢いよく首が飛び上がってヒドゥンの肩にぶつかった。

「ひっ!」

 ヒドゥンは情けない声を出して尻もちを突くと、目を白黒させて声を荒げた。

「なにをしやがるんだっ!」

「クランドさまっ――!」

 駆け寄ってくるバルバラを手で制し、柄にベッと唾を吐きかけて濡らした。蔵人は目の前で剣を抜き放った集団を睨んだまま、獰猛な野獣のように唸った。

「下がってろ。こいつら虫けらは一匹残らず叩き斬る」

 蔵人は〈黒獅子〉を上段に構えたまま集団に駆け入った。ほとんど狙いもつけずに刃を風車のように振りまわす。たちまち、首や胸を斬り割られた三人ほどが無様に転がった。

「なにしやがんだっ」

「たったひとりで、いい度胸だぜ」

 男たちは蔵人を囲むといっせいに飛びかかってきた。蔵人はダイブするように男たちの足元に飛び込むと無茶苦茶に長剣を使った。

 切っ先が脛を、足首を、腿を断ち割って血潮を噴き上げさせる。倒れ込んできた男の胸元を長剣で打つと、絶息した重みが伸しかかかってくる。

 素早く立ち上がって、右に左に自在に飛んだ。懸河の勢いで放たれた斬撃が、攻め寄せる男たちの首を、ひとり、ふたり――いつ、むう、ななと片っ端から刎ね飛ばした。

 背後から、大きな圧力が迫ってくるのを感じ、向き直った。巨大な斧を持った禿頭の男が歯を剥き出しにして飛び込んでくる。下から上に抜き打つと、男は顔面を真っ二つに割られ後方へと勢いよく吹っ飛んだ。

 素早く横っ飛びすると無警戒に逃げ腰になっていた男の脇腹に長剣を深々と埋めた。男の腰を蹴って剣を引き抜くと、流れるような動きで三人ほどの男たちの間をすり抜け、続けざま腰を割って斃す。

「ご主人さま――助成いたしますっ!」

「はっ。クランドばかりにいいとこどりはさせぬわっ! みなの衆もそうじゃろうっ!」

 集団の背後に回っていたのか、ポルディナとドロテアが雄叫びをあげ、未だ動ける騎士たちがそれに呼応し、乱戦がはじまった。

 疲労しきった十人ほどのまだ動ける水精霊(セイレーン)の騎士たちは、三人一組になって、巧みな連携で男たちを駆逐してゆく。

 特にポルディナの動きは際立っていた。鋭い爪を剥き出しにして、男たちのなかを暴れまわる。首筋を裂かれ、絶叫を上げ、瞬く間に五人ほどが絶命した。

「く、くそっ。そいつ、そいつをさっさと片づけやがれッ」

 蔵人は血塗られた長剣をだらりと垂れ下げながら、逃げようとしていたヒドゥンを捕捉する。

 ヒドゥンを守っていたふたりの男たちが、青ざめた顔つきで剣を構えるが、完全に臆病風に吹かれて瞳は焦点が定まっていなかった。

 ひとりが緊張に耐えきれなくなったのか、喚きながら突っかかってきた。構えもくそもなく、スピードも気迫も不十分だった。蔵人は奥歯をがちりと噛み込みながら、満身の力を込めて長剣を振り下ろした。

 刃は迫りくる男の顔面を断ち割って朱に染め、その場から二メートルほど弾き飛ばした。

 残ったひとりは背を向けて逃げようとしたところ、蔵人は駆けよって得物を握った腕を掴んで動きを封じ背後から喉笛を掻っ切った。

「なんで、なんでこんな……。俺がなにをしたっていうんだよ」

「ヒドゥン。テメェを殺す。文句はねぇだろう」

 わけがわからなくなったのか。ヒドゥンは無茶苦茶に剣を振るいながら距離を詰めてきた。

 蔵人は冷静にヒドゥンの剣に〈黒獅子〉を叩き込んで虚空に撥ね上げ、さらに前に出ると無防備な顔面へ斬撃を思うさま叩き込んだ。

 ヒドゥンは轢かれた猫のような絶叫を上げると、顔を紅に染め上げて血煙を撒き散らし、斜めに転がって激しく痙攣し、すぐに絶息した。

 刃についた血糊を懐紙で拭って剣を鞘に納めると、虚無感が身体中に広がった。周りでは、悪漢どもを見事に倒しきった水精霊(セイレーン)たちが勝鬨を上げ、蔵人のそばにバラバラと寄ってきた。

「やった! さすがニンゲンさんだねっ」

「ありがとうだよー」

「凄いよ強いよずっとこれからもいっしょにいてね」

 思えばそもそもの発端は、彼女たちが人間に対して恐ろしいほど無警戒な部分にあった。

 タンガニカのことだってそうだ。彼女たちが少しでも不信感を持って接すれば、今日のような被害は間違いなく防げたかもしれない。

 今、救いのヒーローを気取って、人間は水精霊(セイレーン)の友だちなどと刷り込んでしまえば、蔵人たちが去ったあと、どのような後難が待ち構えているかは想像力が欠如していなければ容易に思い浮かべることができた。

「あの、クランドさま。どこか痛むのですか――」

「触るな」

「あっ」

 蔵人は伸ばされたバルバラの手を払うと、くるりと背を向けていった。

「どうしたのですか? なにか、私がお気に触ることでも」

「もう、うんざりなんだよ。一度抱かれたくらいで、女房面すんじゃねぇや」

「え」

「考えてもみろ。確かに、助けてもらったことにゃ感謝するが、なにかあったときのたびに、用心棒扱いされちゃ命が幾つあっても足りやしねぇぜ。守られて当然って顔する女なんざ、こっちから御免こうむるね」

 バルバラが茫然とした表情で立ちすくんでいるのが背を向けている今でも容易に理解できた。

 純粋無垢な水精霊(セイレーン)たちもそれは同じだろう。

 蔵人の言葉の意味が徐々に浸透してきたのか、バルバラが不意に腰へとすがってきた。無言で腰を回して振り払うと、倒れた音がやけに間遠に聞こえた。

「わ、私。そんなつもりじゃ――それは、クランドさまは、いつかはこの都を出ていくと思っていましたが、こんな――こんな別れ方は、あんまりです」

「うるっせーな。うざってえんだよ。二度とまとわりつくな。それと勘違いしているみたいだからいっておくがな。ニンゲンてのは、おまえたちをよく喋る魚くらいにしか思ってねえ。まだわかんねえのか、バルバラ。俺は、おまえに飽きたっていってんだよっ!」

「やだ、そんなのやだ……」

 ほかの言葉を失ってしまったかのように、バルバラがそれだけを口にして腰に抱きついてくる。

 今度は手加減せずに突き飛ばした。リーチャが姉を気遣って叫ぶ声が聞こえる。

 蔵人はそのまま振り返りもせず、無言でその場を遠ざかっていく。慌ててドロテアとポルディナが追いかけてきた。

「待って……行かないでくださいませっ。クランドさまぁ!」

 なおも取りすがるバルバラの気配を感じ、蔵人は振り向きざま長剣を引き抜いた。無表情を心掛けていたが、どこまで取り繕えたか。

 長剣はバルバラの頭すれすれを走って、彼女の髪飾りであった小さな王冠を跳ね飛ばした。

 王冠はころころと転がって血だまりで止まった。

 黙ったまま切っ先を突きつけると、バルバラの瞳からこぼれ落ちた涙の雫が刃を伝って悲し気に光った。

「失せろ」

 それが別れの言葉になった。レイシーにそっくりな顔をした彼女は頬を涙で濡らしながら、その場にぺたと腰を下ろし、恥も外聞もなく子供のようにわんわんと泣きじゃくった。

 ――人間は怖いもの。だから、二度と近づくんじゃねぇぜバルバラ。

 耐えきれそうにない虚無感が広がっていくのを感じ、顔を上げた。

 蔵人はリーチャから受け取ったサンゴの勾玉を手のひらで弄びながら、足早にその場を離れていく。その迷いのない背中を、数歩遅れてポルディナとドロテアが追っていった。


 地下迷宮にあるとされる水精霊(セイレーン)の都。

 シルバーヴィラゴの史書に拠れば、その王道楽土、噂こそあれども実際に訪れた者はただのひとりも現れなかったと記されている。






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