Lv271「学校とテロリストの親和性は異常」
まず生徒たちは持っている杖や護身用具のたぐいを没収された。魔術師は、基本、杖を用いなくとも、術を行使することはできる。
杖は、魔力の増幅装置である。高価で威力を倍加させる宝玉が嵌め込まれたものなどは、本人の能力を最大限に引き出す力を持っている。
髑髏騎士団は万が一に備えて武器になりそうなあらゆる道具を取り上げると、生徒たちをクラスごと分けて、手足を動けぬよう荒縄で縛り上げた。
あちこちで、すすり泣く声が聞こえてくる。蔵人たち使用人は脅威ではないと思われていたのか、これらの縛めを受けることはなかった。
代わりに雑用をさせる気なのだろう。監禁が長引けば、食事から寝床の用意、用便までの雑多な仕事が増える。
髑髏騎士団の数は、集会場にいる数だけでザッと見ても五十人はくだらない。学院の要所要所に仲間が配備されていると考えれば、少なくとも倍は見積もらなければならないだろう。
だが、蔵人たちも苦心したように、門の前には警備兵が常に詰めている。白昼の正面突破は危険が伴い、すぐさま街に駐屯する騎士団に通報されて、ジ・エンドだ。なかからの手引きがなければ、これだけの人数が安易に入れるとは思えなかった。
また、あまりに数が多すぎれば、学院周辺に住んでいる人々が不審に思うだろう。
これを同時にクリアするのはかなり難易度が高い。現に、今の状態を考えれば、学院のなかと外とは完全に隔離されているはずだ。
野外演習に赴いた二、三年や教師たちは、少なくとも十日は戻らないと聞いている。
(普通に考えれば、これほど多数の人間を人質にとる意味はあまりない。金が目的であるならば、犯行声明を出し、生徒たちの親である貴族たちに要求を伝えなければ意味がない。しかし、そうなれば親たちは黙っていないだろう。水が高きから低きに流れるよう、兵たちで学院は囲まれる。そうなれば、脱出は難しい。遅かれ早かれ、髑髏騎士団の連中がここを占拠していることは外に知られてしまう。それとも、もう要求は出しているのだろうか。が、それが違うとなると、目的はやはり……)
みくまりの書だ。
この一件にはやはりゴドラムが絡んでいると考えるのが妥当であろう。しかし、今現在、やつらの姿は表に出ていない。
魔術学院は領主が経営する重要な施設のひとつだ。それを、ユーロティア――クリマコスはそういっていた――他国の人間が占拠し、あまつさえロムレスの貴族である子弟たちを捕らえてしまえば戦争すら起きかねない可能性を孕んでいる。
――目的は単純に金品であるはずがない。これだけ多人数の人質を抱えること自体愚かなことだ。今の蔵人は懐に忍ばせたナイフも取り上げられ、完全に無力化されている。
(けど逆に考えれば、今の俺はただのメイドとしか思われていない。どうにか、やつらの隙をついて、レイシーだけでも逃がさないと)
非情に思えるだろうが、蔵人は完全無欠の超人ではなかった。髑髏騎士団の物腰ひとつとっても油断がならない連中だ。これだけのお荷物を抱えて誰ひとり生徒を傷つけず逃げ出すことは、まず無理だ。
蔵人ははじめて戦い、苦戦した魔術師ペラダンのことを思い出した。幾多の経験を積んだ魔術師ほど危険な存在はまずいない。
この世界に魔術特性のある人間の少なさを思えば、ここにいるひとりひとりが「金のタマゴ」であるのは間違いない。
だが、これらの逸材が正しく術を運用できるようになるまで、やはりかなりの時間がかかるだろう。これほど特殊な施設でなければ、これほどの魔術師がそろうことはまずない。
蔵人は、彼らを煽り立ててなんとか反攻作戦を行えないかどうか、あたりに視線を巡らせたが、すぐさまその考えを廃棄した。
(ダメだこりゃあ。男どもは残らず金玉を抜かれちまってるし、女どもはぴぃぴぃ泣き喚いてるだけ。使用人たちのほうが、よっぽど腹が据わってやがる)
ダメ。ダメなのだ。彼らは揃って先ほど教師の惨殺死体を見たことによって、抗おうという牙を失っていた。たとえ、未熟な雛の集まりであろうと組織立って反攻作戦を開始できれば、魔術師でない傭兵を蹴散らすことは不可能ではないはずだ。
現に、まだこの学院に来て、ひと月も経っていないレイシーですら水魔術の基本である攻撃系の「氷の矢」と治癒系の「水の癒し」を習得している。
(いや、術がどうとかではない。戦う気構えからして違う――!)
むしろ、貴族である生徒たちよりも、彼らが日頃顎で使っていた使用人の下男下女たちのほうが、よほどしっかりしていた。
数少ない従者たちは、自分の主のもとへぴったりとくっつき、親鳥が雛を守るようにして、あたりを囲んでいる強盗騎士たちからかたときも目を離さず挙動を窺っている。
その忠誠心は、こんな場所までついてくるところからわかるように、代々仕えてきた主を守るという強い意志が見受けられた。
――ともあれ。
蔵人は持久戦の構えに入った。髑髏騎士団の連中は、生徒たちを縛って転がすと、特に指示を出さず、頭立った者たちだけでぼそぼそと喋っている。
蔵人は縛られたレイシーの隣に座ると目を閉じてできるだけ、無駄なエネルギーを消耗しないように心がけた。
そして、時節が来れば、一気に力を解放してやつらを蹴散らすのだ。第一、ゴドラムが校内に潜ませたスパイの存在も気になるところである。
「シャーリー、それとハナ。あなたたちは、必ずなにがあってもクランドのところまで送り届けるからね」
レイシーは縛られてイモムシになった状態でも、まだ自分たちのことを案じていた。
「レイシーさま」
ハナが眉をわずかに曲げながら呻くような声を出した。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから……」
レイシーはそういいながらも、ジタバタ身体を動かしながら蔵人とハナのいるほうに寄ってくる。不安なときは誰かの体温を感じたいのだ。日ごろ仲よくしていても、レイシーが最後に信じられるのは、やはり長くひとつ屋根で暮らしたハナたちのほうらしい。蔵人はレイシーの頭をギュッと胸のなかに抱きかかえた。
しばらくすると、クリマコスは十人ほどの見張りを配置し、集会場を出て行った。
この場所は、本館の地下に位置するので通常、夏季に使用することは考えられていない。
熱が異様に籠るのだ。
それは森に包まれている、大陸のなかでも比較的過ごしやすい土地柄でも避けることはできない。
従って、風ひとつそよがない部屋は、徐々に茹だるような暑さになっていった。なかは全校生徒三百人が余裕で入れる広さがあるが、熱気は徐々に密度を増してゆく。
集団の放つ熱気というものは相当なものだ。屋外が氷点下を下回る厳冬期でも、狭い部屋に数十人単位で詰め込まれれば、それこそシーツ一枚ですら耐え難い苦痛になる。蔵人は平手で額に浮き出た汗を拭うと、胸のなかに湧いてくる、かすかな黒いものを飲み下した。
それでも、今がまだ朝方だから耐えられるのであろう。
――日が昇れば、どうなってしまうんだろうか。
蔵人たちの長い一日がはじまる。
「とりあえずは作戦第一段階おめでとう、といっておきましょうか」
クリマコスは僧衣を着たゴドラムの十三司祭、階位第十位であるゴッドフリートを前にグラスを傾けていた。
薄気味の悪いやつだ。ゴッドフリートに対する第一印象はそれだった。ウッドレスの酒場で出会った際に、まずこの男から話しかけてきた。
いつもならば、このような生理的に受け入れられない男の、つまりは虫の好かない野郎なんかには耳も貸さずに殴り倒すというのが、髑髏騎士団の長である自分のやりかたではあったが、あいにくのこと、団は金が尽きていた。
髑髏騎士団。騎士とは名乗っているがつまるところは――なんでも屋だった。殺しも請け負えば盗みもやる。傭兵の真似事をやって他国の小いくさに顔も出す。
そうさせる根本的な問題はいつもで金であった。ゴッドフリートはいけ好かない蛇みたいな男であるが、こいつが提示する報酬金は喉から手が出るほど金欠気味であった髑髏騎士団にとって「気に入らねぇ」のひとことで断れるたぐいのものではなかった。
そもそも、やりたい放題をやってきた食い詰めものの集まりだ。解散したからといって、ほかの非合法ギルドの連中には腹の底から嫌われきっている。
ここより行き場のない者ども。群れを離れれば途端に狙われ、潰されてゆく。そういう集団を維持していくにも、とにかく金が必要だった。
クリマコスが目の前の骸骨のような男に頼まれた依頼は「魔術学院の占拠」であった。はじめは、まず断った。できるできないではなく、不可能であるからだ。
クリマコスが率いる髑髏騎士団の団員八十七名は、金のためなら命を惜しまぬ戦闘狂であるが、貴族の子弟を集めた領主の施設を襲えば、城のなかで駐屯する一万五千の常備軍にまたたく間に殲滅されるであろう。
「まあまあ、そう悲観なさらずに」
そういってゴッドフリートが渡してきたのは、学院の地下から幾重にも伸びる地下道の見取り図であった。
これは、学院を創設したステイ伯爵の曽祖父である領主が、秘密の脱出口として用意した、今や現領主ですら知ることのない「秘中の秘」であるらしい。
なぜ、そのようなことができるかといえば、邪教で知られるゴドラム教団のシンパ―は常備兵のなかにも、学院側にも無数の根を張っているとのことだった。常備兵たちは、来る決起に備えてあからさまな命令無視こそできないが、過剰なサボタージュは可能であった。
それを可能としたのはロムレス全土を覆っていた慢性的な不況である。政治の中心地である王都の大臣たちは権力闘争に明け暮れ、王は病がちで強固なリーダーシップは取れずにいた。
また、ステイ伯爵が治めるパラチオン州は、前年度記録的な不作であった。作物が取れず、税収は年々目減りする。兵士も、国境で他国と紛争が起きない限りにおいては無駄飯くらいでしかない。
が、かなりの人間がその飯にも困るありさまなのだった。職能を持つ工人ならばいざ知らず、城塞都市内で兵団を形成する下っ端たちの俸給遅配は今や恒常化していた。
それでもやめないのは、少なくとも軍隊には最低限の「食」があったからだ。また、これら兵の取り締まりを行うべき下士官の士気も、他領に比べて著しく劣ったものであり、多彩な商業を抱えているアンドリュー州とはあらゆる面で劣っていた。
「この街の兵隊の動きを遅らせるのは、それほど難しくありません。我らを信じてください」
クリマコスは阿呆ではない。テーブルに積まれた金貨の箱を見つめながらゴッドフリートに向かって、しつこいほど愚直に訊ね続けた挙句、ついに教団の狙いが「みくまりの書」という魔道書であることを聞き出すことに成功した。
彼ら宗教者が金に糸目をつけず手に入れようとするものは、その物自体が持っている本質的な力よりも、それが纏っている権威や象徴であることが多い。
クリマコスは魔道書になど興味はないが、ある程度自分でも下調べを終え、こちらの旨みの確率が五分五分と見ることができた時点で、引き受けることにしたのだった。
「――余計な世辞はやめろ。それよりも、目的のものは見つかったんだろうな」
クリマコスは長い夢想から意識を浮かび上がらせると、じろりとゴッドフリート凝視しつついった。
「これはこれは手厳しい。現在、鋭意捜索中といったところですかな」
「ガキどもを片っ端から締め上げて聞き出せばいい」
「いやいや、下手にそんなことをして大切な魔道書に傷でもつけてしまえば、百年の悔恨が残ります。今、わたくしどもの敬虔な信者たちが徹底的に家探しを行っております」
「目星くらいはあるのだろうな」
「――件の書があるといわれる迷宮に、我が腕利きを送り込みましたのですが、いやはや」
「どうした?」
「残らず消されました。まったく不甲斐ない」
クリマコスは困ったように額を平手でぴしゃんと打つゴッドフリートの悔しそうな顔を見ながらほくそ笑んだ。それなりに、面白いやつもいるらしい。
「まあ、勝手にしろ。どちらにせよ、やることがなくなれば、方法はひとつしか残らない。それは、どんな世界でも同じだろう」
「それは――どんな?」
クリマコスは平手で喉笛を掻っ切る真似をすると、頑丈そうな顎を激しく揺らして、愉快そうに哄笑した。
「おい、メイドども。おまえたちを徴発する。任務は雄々しいオレさまたちのお世話係だ。喜べ。ん? ああん? 嬉しすぎて、ションベンちびっちまったかあ! なはは!」
蔵人たちメイド(蔵人はなんちゃってであるが)は髑髏騎士団の副隊長、ポテコンという真っ黒な鎧を着た男に無理やり集会場から連れ出され、訓示を聞かされていた。
(なんだぁ、この尊大かつ傲慢臭あふれたイカ臭い勘違い野郎は……。コイツ、絶対粗野とワイルドの意味をはき違えているよなぁ。死ねばいいのに。そこの壁に頭ぶつけて死ねばいいのに)
ポテコンはこれみよがしに腰にぶら下げた大剣を拳で叩くと、ずらりと並んだ蔵人たちメイド軍を、まるで精肉工場で解体された豚の肉塊を見るような目線で品定めしている。
無論、その魂胆は自分の鼻をつまむよりも容易に分かった。彼は、メイドを明らかに容姿で選別していた。ここには、肉でいえばグレードAランク以下の女はいない。集会場で最初に選別された際、体つきはいいのだが、顔は蒲田行進曲における池田屋の階段落ちを一晩中繰り返したような残念無念な二十代前半のメイドが除外されたことでも理解できた。
(つーか、俺はあえてあのブスを選ぶぞ。顔さえ見なきゃ、乳といいケツといい、なかなかのグラマラスボディでござったよ)
隣を見ると同じく徴発されたハナが能面のようにのっぺりとした顔つきで存在を消すことに終始していた。ズルいやつだよホント、と蔵人は嘆息した。
「あの、水を分けていただけないでしょうか……? あの部屋は暑すぎます」
栗色の髪を引っ詰めにしたメイドが声を震わせながらいった。
「わたしの主人は身体があまりお強くないんです。あのような暑い場所で、水なしに長時間耐えられません。お願いしますっ」
(おお。やったじゃないか。なかなか勇気のある姉ちゃんだ)
メイドの声は上ずっている。恐怖を押さえ込んで主のためを思い、必死に前に出た心根はたいした忠義だといわざるを得ない。
「んん。そうか。おまえは主人のために水を要求しているのか。そうか、そうだな。たいした心がけだ、今からこのオレさま自ら飲み水を用意してやろう。感心なおまえの忠義心にこたえてな」
「ありがとうございますっ」
「ただし、ひとつ約束してもらう」
「え――?」
「隊長は水を人質どもに飲ませることを許可していない。だから、これから行うことは、このオレさまの独断だ。やれるものは限りがある。おまえたちには、オレたちがただの荒くれ者に映るだろうが、髑髏騎士団には髑髏騎士団の流儀があってだな、めったやたらに数少ない貴重な物品を分け与える――というわけにはいかぬ。わかるな? おまえにやれるものは水だけだ。おまえはその水を、ただの一滴もこぼさず確かに主へ飲ませてやるんだぞ。いいな? 約束しろ」
「ええ、それはもうっ。確かにお約束いたしますっ」
メイドはうっすら目元に浮かんだ涙を指先で拭いながら「よかった……」と呟いている。
ポテコンはそれを満足そうに見届けると、部下に命じてバケツを目の前に運ばせた。メイドはなかを覗き込んで、空であることに気づき、激しく困惑した。
「え、あ……えっと」
「ようし、待ってろよおおっ。今、新鮮なやつを用意してやるからなぁ。ほうりゃっ」
「ひいっ」
ポテコンは下穿きをめくりあげるとなんともグロテスクなイチモツをさらけ出し、バケツのなかへと気持ちよさそうに放尿した。
とたたたっ、と。バケツのなかに豆を弾くような軽やかな音が反響して、たちまち琥珀色の液体で満たされていった。
男は酒を多飲するせいか、尿にはとつてつもない量の泡が入り混じっていた。健康診断時なら再検査確定である。メイドは両手で顔を覆ったままペタンとその場に座り込んでしまった。
「おいおい、姉ちゃん。なにを知らんぷりしてるんだよ。このオレさまが用意してやったせっかくの飲み水をいらねえっていうのかよ……。あ?」
ポテコンはメイドの頭をグッと掴むと、顔をバケツの上へと突きつけた。メイドは苦渋に満ちた顔で、必死にかぶりを振る。
「で、でも。こんなのぉ酷いですぅ……」
「約束したよなぁ。一滴残さず主に飲ませるとよぉ。それを、なんだ? おまえは一方的に反古にするっていうのかよお! そんなことが許されるとでも思っているのかあ? ああん?」
メイドは今や蒼白だった。病弱な主の喉を少しでも潤してやりたいという彼女の願いは、目の前の邪悪極まりない野卑な男によって完全に踏みにじられてしまった。
おまけに、ポテコンは先ほどの約束を口実にメイドを嬲ろうとしている。最初から力関係は決まっており、メイドたちは猫に嬲り殺しにされるネズミのようなものだったのだ。
それをわかっていたはずなのに、つけ込まれるような要求をしてしまったのが彼女の運の尽きだったのか。
メイドは両手を床に突くと、「それだけはご勘弁を」と必死に、詫びずともよい侘びを、ひたすら入れるばかりであった。
「おおおっと。足がすべっちまったあ!」
ポテコンは尿の入ったバケツをわざと蹴り倒すと、中身をあたりにぶち撒けて卑猥な笑みを浮かべた。
「誰かさんがよう。くだらねえことで約束を破るからだぜえ。さあ、メイドの責任は主の責任と決まっていらあな。おまえが、なにひとつ責任を取れないっていのなら、今からおまえの主をここに連れてきて責任を取ってもらおうかなぁ。無論、最初にやるのはこの部屋の掃除だ……!」
「そ、それだけはご勘弁を……! 掃除は、わたしがやりますっ。やりますからっ!」
「ふうん。じゃあ、メイドさんよう。早速、このションベンまみれになった床を綺麗にしてもらおうか。ああ、もちろんここには清掃道具などはないからな。お嬢ちゃんのぉ、そのかわいい舌でぺーろぺろして、すべて舐め取ってもらうぜェ?」
ポテコンは茶色く汚れてあちこちに虫食いが見える乱杭歯を剥き出しにして目を細めた。
「うっ……」
メイドは観念したのか、目を閉じて尿まみれになった床へと顔を近づけた。彼女は身につけている衣服のよさからもわかるとおり、かなり位の高い貴族の子弟に仕えていた。
つまりは、彼女が屋敷のなかで常に見ていたレベルよりもはるかに低い、ほとんど別種の人間に貶められているのだ。その屈辱度合いはなおいっそう酷いものである。
このような、最下等の娼婦ですらどれだけ銭を積んでも断るような行為を強要させられ、彼女の心はどれほどの苦痛と恥辱に苛まれたことであろうか。
それでも彼女は大粒の涙をこぼしながら、顔を床へと近づけていく。己の排泄物を美少女メイドに舐め取らせるという事実に興奮しているのか、ポテコンは目玉を血走らせて鼻息を荒くしていた。
「助けて――ご主人さま」
小便を舐めたくらいじゃ死んだりはしない。下手に目をつけられても無意味だと努めて平静を保とうとしていた蔵人の堪忍袋は、その魔法のような言葉を聞いただけであっさりと吹き飛んだ。
彼女のなかに蔵人はポルディナの姿を二重写しに見た。ならば、もう我慢などできようはない。
「おい、そこの間抜け野郎。掃除なら俺がしてやるぞ」
「ああん?」
蔵人はこちらを向いたポテコンの顔面に頭突きを思うさま食らわせた。ぐしゃり、と男の鼻の軟骨がひしゃげ血飛沫が舞った。男は情けない呻き声を上げ、両手で顔を抱えてしゃがみ込む。
男の後頭部を鷲掴みにするとそのまま床板へと鋭く叩きつけた。男は尿の海で四肢を突っ張らかすと、小刻みに震えながらやがて動かなくなった。
「なにをしやがんだ、このクソアマが!」
「今、自分がなにをしたかわかっているのか!」
「たたっ殺してやるぞ、コンチクショウめ!」
呆然としていた傭兵たちが抜剣してたちまち蔵人を包囲した。ハナは深くため息を吐いて、片手で顔を覆っていた。
「なにをやっているんだ、さっきから」
一触即発の状況に割り込んできたのは、黒を基調とした甲冑に身を包んだ髑髏騎士団隊長であるクリマコスの姿であった。クリマコスはまず小便の海に沈んでいるポテコンをチラリと見ると、抜剣している男たちに視線を巡らせた。
「隊長、このアマッ子が副隊長のことを……!」
「俺はなにをしているんだと、聞いたつもりだが。おまえには、耳がないのか」
「それは、そのう」
「ここにいるメイドたちはなんなんだ。俺は彼女たちに貴族たちの世話をさせろと命じたつもりだが。さっさと、答えてみせろ」
「へ、へへへ。いいじゃないですか……! メイドのひとりやふたりいただいちまっても。俺たちにもそのくれぇの役得がなきゃやってられませんぜ!」
部下のひとりが、そんなことを聞くこと自体が論外だというふうに、あからさまに不満顔を作ると黄ばみきった前歯を舌で舐め舐めいい返す。
「そうですよ、隊長。それよりも、ポテコン副隊長を見てくだせえ! そこの小娘にしてやられたんでさぁ! こいつは、是非とも報いを受けさせてやらにゃあ隊の示しがつきませんぜ――え」
「――そうか。ならば、隊長である俺自身がケリをつけてやろう」
クリマコスは鷲鼻を軽く鳴らすと腰の剣を素早く引き抜いて水平に振るった。鮮やか過ぎる剣閃はペラペラとよくしゃべる男の喉笛を切り裂いて、純白な室内の壁面を朱で汚した。
唸り声と悲鳴がたちまち室内に満ちた。クリマコスは暗い眼差しのまま逃げようとした背後の男に向かって長剣を突き出した。刃は男の脇腹を貫くと、すぐさま引き戻される。
「そんな、なんでですかァ! 隊長、俺らがなにをしたっていうんで!」
「まず、第一に最強無比の看板を謳っておきながらそこのメイドに敗れた。第二に俺の言葉を遮って手前勝手な論理を押しつけようとした。そして、第三に――これがもっとも罪深い。隊長である俺の命令を無視した。死は、愚かなおまえたち自身が生み出したものだ。納得したか?」
クリマコスは長剣を振り下ろすと怯えて座り込んでいた男の顔面を叩き割った。同時に、剣を持ったまま凝然と仲間の死体を見つめている男の胸元に刃を突き入れた。最後に、カエルのように伸びたままのポテコンの首を斬り落として制裁は完了した。
蔵人はクリマコスの水際立った腕前を自分の目で確認し、これは容易ならざる敵であると畏怖を覚えずにはいられなかった。男が全身から放つ圧倒的な気迫は他を圧倒していた。
髑髏騎士団の騎士たちは、その物腰や凶々しい瞳の力強さからとても弱敵であるとは思えなかった。その同胞たちをなんの良心の呵責もなく冷酷に殺してみせたのだ。
(この男は動きにまったく無駄がない。剣を抜いてから男たちをすべて始末するのに、三歩と動いていない。むしろ、男たちのほうが、殺されるとわかっていながら引き寄せられたみたいだ……! やばいな、武器のない俺じゃ勝負にならねえ)
「メイドよ、おまえの名はなんというのだ?」
クリマコスが語りかけてきた。蔵人は無言のままジリジリとうしろに下がると、腰を低くしていつでも飛びかかれるように構えた。ハナが追従するように隣に移動した。
「シャーリーです! その子は確かシャーリーと名乗っていました!」
十五、六くらいの肉感的なメイドが立ち上がって叫んだ。メイドはおもねるようにしてクリマコスに向かい、精一杯の愛想笑いを送った。たぶん、今現在の実力者であるクリマコスに媚態を示して少しでも己の生存率を上げようとする女の悲しい生存本能なのだろう。
「シャーリーか。その隣の娘はうりふたつだ。そうか、姉妹なのだな。シャーリー、ついてこい」
「嫌だといったら、どうなる」
「そうだな、ここにいる女たちを残らず部下たちに犯させ、殺し、その肉は引き裂き、刻んでおまえたちの主の夕餉に添えてやろう」
「――クソッタレが」
クリマコスの顔を見る。ドス黒い顔のなかに浮かぶ青い瞳はなんの感情も読み取ることができなかった。蔵人は自然とそれきり無言になった。沈黙が場に満ちる。ピンと張り詰めた緊張がふたりの間に漂った。先に動きを見せたのは鷲鼻の騎士だった。騎士は、この部屋に来てはじめて人間らしい笑みを口の端に表すと、右手で手刀を作って宙で振った。
「今のは嘘だ。そんなことはしない。おまえの反応を見たかっただけだ。だが、俺は生まれつき気が変わりやすいタチでな。次の瞬間には、なにもかもがどうでもよくなってしまう――そんなことが非常によくある。できれば、気が変わらないうちについてくることをお勧めする」
蔵人は心配そうにするハナをその場に押し止めると、「ついてくるのがあたりまえ」であるかのように振り向くこともせず部屋を出ていくクリマコスの背を追っていった。




