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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第13章「魔術学院編」
270/302

Lv270「鳥かごで跳ねている」





「まあ、そんなこんなでいろいろあってだな。俺は寂しい人妻に巣食う冷たい魂をキッチリ救ってやったわけだ」

「はあ……」

 蔵人は女子寮のベッドに腰かけながら、今回の顛末をハナに語って聞かせていた。時刻は、午前十時頃。レイシーたちは絶賛授業中なので邪魔が入る暇もない。

「勇者さま。でも、レイシーさまもハナも、すっごくすっごく心配したんですよ。黙って、二日もいなくなったら、困ってしまいます。ハナはもしかして飽きて帰っちゃったんじゃないかって、お屋敷のほうに早馬まで飛ばしちゃったんですから」

「おまえは俺をなんだと思ってんだよ」

「それに、だいたい事件は解決してないですよね? まだ、ゴドラム教の皆さんがたは、学院のなかに潜んで、そのみくまりの書を探しているわけですし。あ、エマニュエルさまは、今はどうされてるんですか?」

「そのくれーちゃんと考えてるよ。エマニュエルは街に身を隠すよう指示してある。どっちにしろ、学院のなかのドブネズミどもを洗い出さにゃ、話にならねえしな」

「でも、どうやってゴドラムさんたちを探し出すおつもりですか? エマニュエルさまがご存命とわかれば、血眼になってそちらを探すと思われますが」

「――だからな、ハナ。おまえはこっそりと学院中に、伝説の書が見つかったという噂を流すんだ。それらしい、人物や場所が特定できそうな偽情報を院内に蔓延させろ。ネズミどもは必ず動き出す」

「はい、わかりましたー」

「なんだ、拍子抜けだな。少しは、ほかの学生さんたちが危険ですよ、とかなんとかブチブチ文句垂れるかと思ったのによう」

「ハナは、勇者さまとレイシーさまの安全が図られれば、ほかの方はわりとどうでも。第一、他人じゃないですか」

「……お、おう」

「とにかく勇者さまはレイシーさまにぴったり張りついて離れないようにしてくださいましね」

「わかった。ってか、なぜか途中で立場が逆転してるような気が」

 とにかくほかに建設的な考えも思い浮かばなかったので、蔵人はこの作戦で行くことに決めた。

 レイシーの安全を考えれば、とっとと自分の正体を明かして、横っ面を張り倒してでも連れ帰ればことはすむのだろうが、なんとなくゴドラムが素知らぬ顔をして善良な学院に紛れ込んでいるという事実をほっぽりだしていくのも癪に障る。

「ね、ねえ。今日はやけにくっついてくるね。なにか、あったの?」

「お気になさらず」

 とりあえず男は有言実行だ。蔵人は女子寮での作戦会議が終わると、レイシーのそばに強力なマグネットのように張りついて片時も離れないよう心がけた。

 授業中において、使用人は原則として教室の最後部にある座席で待機することが暗黙の了解で義務づけられていたが、そんなものは無視だ。レイシーと生徒の間に割り込む形で座っている。蔵人はやるときは徹底的にやる主義だった。

「あのお、君。そこのメイドくん。できれば、授業中は……うしろの席で……」

「びゅっ」

「ひっ!」

 気の弱そうな三十そこそこの教師が小生意気にも注意してくるので、蔵人はわざと口中の唾を鋭く前方に吐き出して威嚇した。

 つばきは前に座っていた男子学生の後頭部にぬちゃっと張りついて、だらりと垂れてくる。教師は蔵人の瞳に宿った必殺の気合に気圧され、そのまま授業に戻った。不自然極まりない行為だった。どうやら、彼のなかでは今のやりとりはなかったことにしたらしい。

(やった。最強、俺)

「ん、あだだだっ!」

 心のなかで一方的に勝利宣言をしていると、隣のレイシーに耳たぶを引っ張られた。

「ダメだよー、シャーリー。先生にそんな失礼なことしちゃっ。めっ」

「しかし……」

「謝りなさいっ!」

「……はい」

 目上の人間には敬意を払うレイシーに促されて、蔵人は壇上へと移動した。

「な、なんですかっ?」

 教師はあからさまに怯えながら、教卓をがたつかせて後退する。

「どぉもすんませんでしたねぇ」

 蔵人は地の底から響くような怨念の塊を吐き出しながら、教師を睨んだ。

「ひいいいっ!」

「悪かったですねぇ」

「やだああっ!」

 どうしてこんな青瓢箪に謝らなきゃならんのだ、と怒りを込めて謝罪すると教師は額にプツプツと細かな汗を滲ませながら勢いよく下がって背中を壁にぶつけた。

「もおっ。なんで、あんなことするのかなぁ。ダメでしょ!」

「すみません。しかし」

「しかし、なに?」

「あのおっさんの顔ってムカつきません? なんか、小憎たらしい愛玩犬みたいに卑屈で」

「あのねぇ」

「そういう部分が知らず知らず、私の邪悪な部分を引き出しているのです。いわば、私も被害者みたいなもので……ああ、嘘です。ごめんなさい。今後は静かにしていますから」

 悶着はあったがレイシーはどこまでも寛大な女だった。蔵人は、俺ならとっくにこんなクソメイド実際にいたらケツ穴をこんがり焼いて窓から放り出してるぜと思いながら、忠実に彼女の傍らにはべり続ける。

 座学はやはり退屈の極みだった。小中高(大学はほぼ講義に出ていない)とそれこそ膨大な時間を椅子の上で浪費してきた蔵人にとって、時間を潰すという作業は慣れ親しんだものだ。

 皆、真剣に教師の言葉に耳を傾けながら教科書に目を走らせている。

(レイシー、まつ毛なげえなぁ……。それに真剣に授業に打ち込んでるところ、かわいい)

 午前の苦痛の時間が終わるとようやく昼食だ。

 メシだメシだ、とついつい小躍りにもなろうものだ。

「ふふ。そんなにお腹がすいてたの? かわいい」

 レイシーと手を繋いで食堂に急ぐ。蔵人は通常の三人前を頼むと、お預けをくらっていた犬コロのようにむっしゃむっしゃとせわしなく掻き込んだ。

「これがかわいいって。おねーさんは、目の検査をしたほうがいいみたいだ」

 いっしょに食事をとっていたメロディ以下女生徒たちが呆れたようにスプーンを置いて呟いた。

 午後になればようやく実技に入る。蔵人は戸外で教師たちにシゴかれながら、魔術の実践を行うレイシーたちをじっくり観察した。

 やはり、まだ一年時というだけあって、ほとんどの人間がまともに術を扱えていない。誰も彼も、十二、三歳程度なので蔵人にとっては中学生の授業を見守るような気持ちである。

 夏なので、日中、外は気温が結構高くなる。それぞれが休憩時に分厚いローブを脱いでシャツだけになると、なかにはなかなか発育のいい女生徒もおり、「これはなかな……」という子もチラホラいるが、下手に目を奪われるとハナが無言の殺気を送ってくるので注意しなければならない。彼女がどういう点でヤキモチを焼くのかは、よくわからないのだ。

「ふうっ。やっぱり、動いたりすると暑いね……」

 女生徒のなかでもレイシーの存在は格別だった。女盛りの十八歳である。彼女の肉体は、女性としてほぼ完成されつつあった。

 汗の玉が光る胸元へと風を送るために、大きくくつろげると、男たちは教師も生徒も残らず釘づけとなった。白い首筋に銀色のネックレスが官能的に踊っている。

 匂い立つような色香に、男どもが残らず発情しているのに気づき、女生徒たちから侮蔑の眼差しを受けているのだが、まったくもって眼中にないといったふうだった。

「すっげええ」「マジエロぃいい」「やりてぇえ」「すっげ、おっぱいやらかそう!」「ちゅっちゅしたいよう」「ちんちん爆発するうう!」「ちょ、マジホント、マジ、どけよ。見えねんだってば」

 歳上のお姉さんとは、童貞たちの妄想を逞しくするのに充分な素材だった。レイシーという存在が、このガキどもの精液を夜な夜などれだけ搾り取っているのかと思うと、蔵人は怒りと同時に胸がきゅぅっと締めつけられるのを感じ、ちょっと股間の部分が切なくなった。

 レイシーが自分をガン見している男子生徒に気づき、小さく手を振ると、ワッと歓声が上がった。女子生徒たちが、ジッと陰湿な熱の籠った目で睨んでくるが、女として踏んだ場数が違いすぎるのか、サラリとかわしてみせる。大人の女の余裕というやつだった。

 建前上は異性との交際を禁じてはいるし、レイシーは休日でも学院から一歩も出ずに魔術の研鑽に余念がないため、男子生徒たちは余計に悶々とした思いを抱え鬱屈している。

 そういった意味でも蔵人はレイシーから目を離していた時間を悔いた。

 午後の授業が終われば自由時間となる。レイシーは蔵人が知らぬ間にコミュニティを形成しているのか、男子からも女子からもモテモテであった。

 純粋に、魔術に対する学術的知識を論じ合うレイシーは、蔵人の目から見ても輝いているように見えた。

 蔵人は魔術のことなどまったくわからないので、そばにいてジッと聞き耳を立てているだけだ。

 ハナはときどき席を外しては、いつの間にか戻って隣で寄り添うように腰かけていた。きっと蔵人の命令を忠実に遂行するため、あちこちで噂をバラ撒いているのだろう。

 事実、「秘伝の魔道書」の噂は、あちこちでささやかれるようになっていた。あるという噂は前々からこの魔術学院内にまことしやかに伝えられていたが、ここに至ってはっきりと形をとるようになっていた。

 図書館では警備兵が幾人も殺害されていたが、格闘の痕跡なども誰かが手を回したのだろうか、完全に隠蔽されて一切噂にすらなっていなかった。現在では、図書館は厳重な封印がされ使用不能となっている。

 学院の誰かが「みくまりの書」を持っている。この事実は、ハナの手によって学院中に流布されていた。

 ――真実、みくまりの書は俺が持っているんだよなぁ。

 エマニュエルは、あのあとようやくのこと立ち直ると、瞳に生気を取り戻した。生き甲斐をなくした人間はあらゆるものから執着をなくしてしまうことが多い。

 蔵人は彼女の落下しきった心理につけ込んで、対象を自分へと変換させたのだ。気分はあまりよくないが、ボヤボヤしていたらエマニュエルはあっさりとゴドラムの手に落ちてしまうだろう。

 だが、彼女の潜伏もそう長いことは続かない。その前にこちらでヤツらを炙り出し、逆撃をかけるしか生き残る手はない。

「だからぁ……早くしっぽを出せよお……ゴドラムぅう」

「シャーリー? もう、遅いから早く寝る支度をしなさい」

 ベッドでペネロペと話していたレイシーが、窓際に突っ立って外を眺めている蔵人に声をかけてきた。

「それではお姉さま。今宵はここまでということで。また、明日続きをお話しましょう」

「うん。おやすみー」

 同じクラスのペネロペはぺこりと優雅に一礼すると部屋を出ていった。

「もう、随分と仲よしなんですね」

「え? うん、でも彼女、すっごく顔が広いからっ。あたしのこといつも気にかけてくれてるんだよー。いい子だよねー」

「ふうん……」

 実は、蔵人はペネロペという少女がどことなく苦手だった。向かい合っていると、値踏みされているような気分になる。それは、変化の腕輪で性別を偽っているという負い目から来ているかもしれないのだが、あとはウマが合うと合わないとか直感的なものに過ぎない。

「もう、遅いから寝ようよー」

「わかりました」

 特にしたいことがないのでベッドに潜り込んだ。なんとなくではあるが、最初の日からピヨネットとハナ、蔵人とレイシーが同衾するパターンが確立されていた。

 とうに、追加のベッドが運び込まれているというのにだ。ハナはなにもいわないが、本心では蔵人と新しいベッドで寝たいらしく、時折寂しそうな目を向けてくるが、そこはスルーだ。

「ふわ、おやすみー」

「おやすみなさいませ」

 近頃、レイシーの精神は安定しつつあった。が、時々込み上げてくる性欲を抑えきれないのか、ベッドのなかでうんうん唸っている。

 淫らな声と音を耳にすると、やたらと興奮して目がギンギンに冴えてしまう。

 が、身体はあくまで女なので発散することができない。モヤモヤしているうちに、昼間の疲れかスッと意識が落ちてゆく。

 こういう場合は夢など見ないものであるが、よほどヤれる状態でヤれないフラストレーションが溜まっていたのか、蔵人は妙ちきりんな夢を見た。

「ご主人さまぁ」

「クランドさんっ」

「クランド……」

「おおっ! なんだ、おまえらその破廉恥な格好は!」

 ポルディナとヒルダとシズカの三人がお花畑の向こうから素っ裸で駆けてきた。

 ふむん。一瞬で理解した。これは夢だな、と。

 三人は全身にローションをまぶしてあるのか、ぬらぬらと陽光に健康的な身体を晒しながら迫り、身構える暇もなく絡みついてきた。

「おおっ。ちょっ、そんな……。いいぞ、もっと奉仕しろ!」

「ぺーろぺろぺろ」

 三人は裸のまま蔵人に伸しかかると、身体のどことはいわず舐めだした。なんだか、気持ちいいというよりかは、薄らくすぐったい。手を伸ばせば、やわらかく熱い肉がまとわりついてくる。

「う、うわはははっ!」

 おかしくもないのにバカ笑いが口から飛び出した。なんだか、薬をキメたみたいに頭のなかが激しく多幸感で満ちている。

「オラッ、もっとだよ!」

「うぶっ」

 凶暴な気分になってシズカの頭を鷲掴みにして股間に押しつけた。視界が激しく明滅して、世界がたっぷり火であぶられた飴のようにぐんにゃりしてくる。

 ――リー。

 なんだよ、うるさいなぁ。

 ――シャリー。

「シャーリーってば。もう、朝よ。起きなさいな」

「……ふにゃ?」

「おはよ。いつまで寝ぼけているの。もう、朝だってば」

「ん、あ。朝、か」

 目蓋を開けるとレイシーが寝巻き姿で肩を揺すっていた。蔵人はむっくり起き上がると、デカイあくびをしてから後ろ頭をわしわしと掻きむしった。

「ふふ。おっきなあくびー。まだ、眠いの? ダメだよ、起きなくちゃ。ね」

「うん」

「じゃ、シャーリーお着替えしましょうか。ほらほら」

 蔵人は黙ったままレイシーのいうとおり、ベッドの上でいうがままに腕を上げたり下げたりした。黙っていても、彼女は蔵人の髪を丹念に梳いて服まで着せてくれる。特に能動的に行動しなくても、しばらくするとかっちりと身なりを整えたお人形さんのような姿が完成していた。

「ほら、今日もかわいくできたよ。ね」

「……メイドが主に世話させるなんて、主客が転倒しているじゃない。まったく」

 ピヨネットがあきれ果てた口調でいった。

「あはー。まあ、まあ。それはそれで、シャリーのいいところですから。あ、シャーリー。おはようございますですー」

 蔵人が完全に目を覚ますと、すでに準備を終えたピヨネットとハナが思い思いの感想を口にして、部屋の入口に立っていた。

「け、喧嘩はしないで。ね。あたしは、別にひとりでだいじょぶだし。それに、こういうお世話するのって、なんかけっこう好きだし」

「はあっ。主にフォローまでさせて。レイシー、あなた! 少し、メイドを甘やかしすぎじゃないですのっ。今はよくとも、長い目で見ればこの子のためになりませんことよっ」

「あははっ」

「笑ってるんじゃありませんの!」

「皆さまー。それよりも早く朝食をいただかないと、授業に遅れてしまいますよー」






 ヒバリやクツワムシですら夢を見るというのに、万物の霊長である人間さまのこの自分が夢を見てなにが悪い――。

 そうだ! そもそもあんな淫らな夢を見るから寝坊したわけであって、いつもであれば、神経は研ぎ澄まされた剣のようにピンと鋭くどんな些細な物音も聞き逃さない忍者ばりの聴覚を誇っているこの俺が、不覚をとってしまったのも慣れない環境と身体によって疲れが溜まっていたからに決まっている――。

 と、蔵人は十二分に自己弁護を心のなかで執り行うと、ようやく人心地ついて教室のなかを見回す余裕ができた。

 今日も今日とて、午前は魔術の座学である。教壇には、件の陰陰滅滅とした男の教師が、ぼそぼそとやけに聞き取りにくい声で喋っている。時折、チラと目が合う。

 ふふん、わかっているんだ。そのひねこびた目は。どうせ、メイド風情が図々しく生徒用の席に着くなと無言の圧力をかけているのだろう。

 蔵人は、もごもごと口中に頑張って唾を貯めると「ぶびゅう!」と勢いよくチンピラ風に吐き出してみせた。唾液は勢いよく、前に座っていた男子学生の耳元にかかった。

 教師は、青ざめた顔で視線を下方に修正すると、ビビりきったチワワのように目玉だけをギョロギョロ動かしはじめた。

 ――おもしれぇ。そのうち泡吐くんじゃねえの。

 立派な授業妨害である。隣ではレイシーが小声で「女の子がそんなふしだらなことしちゃダメでしょ」と注意してくる。

 け、そんなもん関係ねぇぞ、とむしろ冷笑で迎え撃ったが、唾を浴びせられた男子学生の様子がおかしいことに気づいた。

 彼は、発情しきったチンパンジーのように耳に吐きかけられた唾を人差し指ですくい、ジッと見つめると躊躇なく舐めとった。長い舌がべろべろと動き回り、自分の唇を舐め回している。幼児が目撃すれば心身によくない影響を確実に与え、成人したあとに己の子供へと虐待を必ず加えるであろうほどのいかがわしさを煮詰めたようなおぞましさだった。

 これを目撃した、周囲の生徒がザザっと波が引くように距離を開ける。その心底、察して余りあるものだ。というか、普通に気持ち悪い。

(げ! マジかよ、こいつ。めっちゃ気持ち悪い!)

 男子学生は、蔵人に向かって熱っぽい視線を向けると、しばし机に向かいペンを走らす。それからおもむろに、腕を伸ばしてメモ紙を手渡してきた。

「えーと、なになに……」

 蔵人は無表情でメモを読むと、無言で隣の学生のペンを奪って紙にぶっ刺し、ぽーいと遠くへ投げ捨てた。そこには、男である蔵人ですら感情を失うとてもではないが人間の想像できないレベルのいかがわしい要望が、それに応じた対価とともに書かれていた。

(やばいやばいやばい。俺はとんでもない変態鉱脈を掘り当ててしまった! まさか、こんな逸材が世界に現存するとは――)

 蔵人が世界の闇の深さに新鮮な驚きを感じつつあるとき、事件は起こった。

 どん、どどどん、どん、と。自衛隊の演習で野砲が裾野の丘に木霊すような轟音とともに、教室へとひとりの教師がよろばうようにして駆け込んできた。

 男の教師は、入口の扉にもたれるようにして背を預けると、もう動けぬといった様子で腰を下ろした。真っ赤な血が扉のあたりへとなすりつけられ、鮮明な赤が目にまぶしい。教室からは、生徒たちの甲高い声がワッとあふれ、たちまち平和な世界を混乱へと突き落とした。

「ど、どうしたのですか! その格好は!」

「に、ににに、逃げてくださいブランドン先生……。学院に、兇賊どもが――」

 が、の部分までしか喋れなかった。廊下から鋭い斧が振り下ろされ、教師の顔を頭頂部から顎のあたりまで深く割ったのだ。

「誰が兇賊だと。人聞きの悪いことを」

 粘ついた中年男の声が室内に響いた。男は使い込んだ甲冑を着込み、今しがた教師の頭を潰れたスイカに変えてしまった手斧を手のひらでぴしゃぴしゃと叩いていた。

 ひとりではない。男たちはいずれも胸元に「髑髏」を模した紋章を刻んでおり、どう見ても代用教師には見えなかった。

「ほっ」

 あっという間に入口から入ってきた男たちは、手にした包みを勢いよく広げてなかの物を全員に見せつけた。

 ――首。血のしたたる生首である。

 男のひとりはギラついた目でそれを取り上げると、ボーリングの玉を放るようにして、妙に整ったフォームで転がしてみせた。

 ごろごろごろ、と。

 首は音を立てて壁際にぶつかると、跳ね返って戻ってくる。男は右脚をグイと胸の前に引きつけたまま待ち構え、生首ボールが足元に来た瞬間、ぐじゃりと踏み潰してみせた。ピピっと茶色の液体があたりかまわず飛んだ。

 硬直の呪いが解けたように、生徒たちはいっせいに喚き、狂乱の坩堝へと陥った。

「ひいいっ、なんだよあいつらあっ!」

「人殺しよおおおっ!」

「いやあああっ!」

「静かにしろ」

 男たちのなかでも、もっとも凶暴そうでいてドラム缶のようにデカイ男がドスの利いた声でいった。もっとも、混乱のさなかにある生徒たちにはなにひとつ届いていない。

「おい、ここをどこだと思っているんだ。ゲスどもが!」

 男子生徒のひとり、ギザール・サスーンという少年が、まったく空気を読まずにつかつかと靴音を鳴らしながら歩み寄る。

 このギザールという少年は、二つ名を「ホラ吹き」と名づけられるような、日頃から大言壮語の止まない少年だった。

 曰く、「僕は十歳のときにななつの盗賊団をひとりで平らげた」曰く、「僕は五歳のときにはあまりに膨大すぎる魔力量によって王都から王女の近衛騎士になるよう懇願された」などである。

 こういうホラは、普通、誰も信じないものである。しかし、彼ひとりはクラスメイトに否定されるたび頑迷固陋に己のありもしない才能に執着し、他を見下すことがしばしあり、ランベールやピヨネットと違った意味で敬遠される人物であった。

 いわば、彼は夢想と現実の境目がわからない「夢の国の住人」だった。

(アイツ、アホか。あの男の目を見てみろ。ジョークが通じねえタイプのやつだぞ)

「なんだ、貴様は」

「僕は、学院にその人ありと知られたギザール・サスーン。地水火風の四元素魔術を自由自在に使いこなす、どこにでもいるありふれた学生さ。ははんっ」

「――へえ。で、そのすごい学生さんは今の状況をなんと見るんだね」

 男の冷え切った声に気づかないのか、ギザールは頬を桜色に染めながら、自分に酔いまくったセリフをぺらぺらと喋りだした。蔵人はギザールの頭上に信号がついているのであれば、間違いなく今は、テカテカした赤が不吉なまでにまたたいているのだろうと夢想する。

「ふん。あまりの僕のオーラに言葉もないか。いっておくが、僕が本気を出せば、おまえらのような有象無象は蟻を手のひらで転がすよりもたやすくのせるのだよ! いっておくが、今のうちだ。今すぐ、誇り高い大貴族である僕に降伏するのであれば、貴様ら賊どもが名誉ある死で最後を迎えられるよう法律院にかけ合ってもいいが――ね」

 ね、の部分で男の手にしていた鉈のように身の厚い剣がギザールの喉元を薙いだ。

 それは、主婦がサラダのつけ合わせにきゅうりを切るような手馴れた動きだった。

「か、かぺ」

 ギザールはパックリと開いた喉の裂け目を手で押さえようとして、ちょっと間抜けな声を出した。ぴゅうぴゅうと、開口部から真っ赤な血液が噴き出し床板を汚している。

 男は「おらよっ」とギザールの腰を蹴りつけた。ギザールは、自分の喉に両手を当てながら、膝を深く折ると、そのまま顔を床に叩きつけ、広がる血の海に沈んでいった。

「と、まあとりあえず、おまえらは余計な口を叩くのはやめて、部屋の一番後ろで整列しろ。いっておくが、魔術で対抗しようなどと思うなよ? こっちはおまえらが、今年の春に入学したばかりのひよっこだと知っていてやっているんだからな」

 学生と蔵人たちは、有無をいわさず部屋の隅に押しやられると、武装した一団に囲まれるようにして、別棟の集会場へと移動させられた。

「ううっ」

「怖いよう……」

「ママぁ、パパぁ」

 集会場には、おおよそ百人近い生徒が集められていた。どこを見回しても、まだ幼い顔ぶればかり。早熟とはいっても、貴族や富裕商人の子弟ばかりで、ほとんどの構成員は十代前半が主だった。

 たぶん、武装集団は今日という日を狙って襲撃を敢行したのだろう。今日という日は、よりにもよって、二年生三年生が揃って野外合同演習を行っている。二年、三年ともなればかなり専門的な攻撃魔術を習得している。

 彼らがプロだといっても相当の被害を覚悟しなければ虜にすることはおぼつかないだろう。ただ、春に入学して四ヶ月程度の学生であれば、習った技も初級程度であると推察できる。武装集団が魔術に長けていなくとも、個人の力で充分対処できるとわかっての犯行だった。

(おあつらえ向きに腕っこきの教師もほとんどいない。学院に残っているのは、まだぺいぺいの甘ちゃんか、詠唱も忘れちまったようなロートルばかり。これは、なかからの手引きがなければできない……。けど、やつらはパッと見、ゴドラムのにおいがしねぇ。盗賊……いや、やけに系統だった動きがカタにハマってるとこを見ると、食い詰めものの傭兵か?)

 蔵人が深く、思考の淵に落ちていると、レイシーが強く腕を掴んできた。顔を上げると視線がかち合った。

「シャーリー、だいじょうぶだよ。あたしが、守ってあげるからね」

 レイシーは震えながらそういうと、今度は隣にいた子たちにも順々に声をかけている。

 ――自分だって怖いくせに、クソ。

 鋭く舌打ちをすると、生徒たちを包囲していた集団のなかから、二十代半ばくらいの男が前に進み出た。整った容貌に意志の強固さを表すような鷲鼻。腰には、長く丈夫な剣を佩いており、左腕には円形状のバックラーを装着していた。

「よし、全員揃ったようだな。我らは賊ではない。ユーロティアからやってきた、由緒ある騎士団だ! 俺は、髑髏騎士団の隊長でクリマコスという。君たちがおかしな行動を取らなければ、身の安全は保証しよう。が、君たちが我らの行動に支障をきたすような真似をするというのであれば、心ならずも我々も剣を抜かなければならない。そして、結果は――これを見てもらえればわかるだろう」

 鷲鼻のクリマコスは右手を上げると部下に命じてむしろの束を持ってこさせた。ずりずりとなにかを引きずる耳障りな音が集会場に響き渡る。生徒たちの前へと、あっという間に八つばかりのむしろが均等に並べられた。蔵人はよく嗅ぎなれた鉄錆のに似た臭いでその存在に思いあたり、スッと瞳を細くして、鼻にシワを寄せた。

 男たちがいっせいにむしろを剥ぐ。そこには、原型を止めないほど切り刻まれた、たぶん元人間であっただろう肉塊が凄まじい臭いを漂わせ横たわっていた。






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