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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第12章「クラン戦:黄金の狼」
253/302

Lv253「リザのガーデニング」






 朝食に焼きたてのパンと熱いミルクも悪くはない。悪くはないのだが。蔵人は目蓋をこすりながら、皿の上にある半熟の黄身とにらめっこを続け、知らず「米が食いたい」と呟いていた。

「ご主人さま、お気に召しませんでしたでしょうか?」

 狭くもない食堂だ。ポルディナはかなり離れた位置で食器用台車を押していたというのに、ひとりごとを耳にすると、パタパタと駆け寄ってきて悲壮な顔をした。

「いや、別にそういうわけじゃなくてだな……」

 蔵人は半熟の黄身をフォークでぶちぶち潰しながら言葉を濁した。

「オコメ、でしょうか? 私は、情けなくもよく知りませんが、直ちに市で買い求めて参りますゆえ、しばしお待ちくださいませ」

 ぱたぱたと駆け去ろうとしたポルディナのしっぽを思わず掴んだ。彼女は「ぎゅん!」と奇妙な悲鳴を上げながら涙目になる。涙目わんこかわいい。

「だからな、なんとなく呟いただけであって無理にメニューを変える必要はねえよ」

 ポルディナは犬耳を伏せながら、オロオロしどおしである。自慢のしっぽもくるりんと垂れながらどこか悲しそうだ。さて、どうしたものかなと眉根を寄せていると、足元に小さな生き物の気配を感じとった。ツンツンと膝をつつかれ視線をテーブルの下に向ける。

 そこには、子猫の前足を持ってダンスをさせている小エルフのルシルが、非難がましい目でジッと見つめていた。なにか、責められているようで気分が落ち込む。蔵人が脚を伸ばすとルシルは猫を放り投げて絡みついてきた。小さい子はやたらと大人に触れ合いたがるのだ。

 ポルディナの献身的な行為は純粋に嬉しいのだが、自分はそこまで暴君ではない。彼女の心底申し訳ないという顔を目にすれば、今から三秒以内にコンビニでおにぎり買ってこい、とか無茶な命令もいえないだろう。いう気もないが。

 主たるもの不満があっても、おいそれと顔にすら浮かべてはならぬものだ。

 蔵人は、ポルディナをなだめすかしてなんとか納得させると、いささか消化に悪そうな朝食をようやく終えた。

「ふあーあ。いい天気だ」

 昨晩も午前さまであったゆえ、もう、朝と呼ぶのはおこがましい時間帯だった。庭に出ると、ちょうどよい木陰の下にあるベンチに腰を下ろして、緑が燃えるように照り映えている芝生を眺めた。きゃうきゃうと、子供たちが飛び回って遊んでいる。カラフルな布で包んだ鞠を全員で投げ合っている。微笑ましい光景だった。子供たちの面倒を見ているアルテミシアとカレンがこちらに気づいて手を振った。蔵人は片手を上げて小さく答えると、あくびを噛み殺して胸元の懐中時計を振り回しはじめる。果てしなく手持ち無沙汰だった。

 本日は特に予定なし。銀星杯武闘大会の激闘終結からまだ日も浅い。ヴィクトワールとシズカも傷を癒すためにこんこんと寝入っている。

 ダンジョン攻略に戻るのは、もう少し休養してからでいいだろう。昨晩はたっぷりと眠ったため、眠気はまるでないはずなのだが、どこか身体がシャンとしない。連戦の疲れがドッと出たのかなと思えば肩のあたりが途端に重くなった気もしないではない。なんでも気の持ちようだ。

 暇を持て余すのにも理由があった。レイシーから密かに受けていた資金提供が、ついにネリーの知れるところとなり、昨晩の帰宅時に断たれたのだ。今の蔵人は素寒貧である。

「出歩くための銭もなし、か」

 頭上の空を流れゆく白い雲を無心に眺めていると、視界の端をリザが横切ったのがわかった。

 チョコレート色の肌をしたダークエルフの少女は、ジョウロを手にしながら小走りに駆けてゆく。特にやることもない。腰を上げて肩の関節を伸ばすと、リザの背を追った。

 彼女は、庭の一角、レンガで仕切られた場所に着くと、せっせと土を掘り返し種を植えていた。

「なにやってんだ?」

 近寄って隣にしゃがむと、リザはくりくりした瞳を丸くしてにこっと口元をゆるめた。

「あ、クランド。おはようなのだー。リザはね。こうしてお花の種を植えているのだっ」

 元気よく両手を左右に広げるのでスコップの先に付着した土がパッと舞った。蔵人は腕を上げて土埃を遮ると目を細くしてリザの手のひらにある花の種を見やった。

「お花ねえ……。なんの花だよ」

「知らないのだー。門の前をウロウロしていたおっちゃんにもらったのだっ」

「おいおい。知らない人からものをもらうんじゃないよ。ったく」

「でも、これはいい花が咲く。密かにリザは自信があるのだっ」

 リザはスコップとジョウロを頭の上にかざすと、えっへんと自慢げに胸を張った。つか、知らないで植えてんのかよ、と蔵人は少しこの子の将来が心配になる。

「なんのお花が咲くのか今から楽しみっ」

「まあ、そういう楽しみ方もあるかぁ。夏くらいには咲くのかなぁ」

「七日くらいで花をつけるっていってたのだ」

「早いな! ま、子供たちの情操教育にもいいかもな」

「クランドはお花さん好きなのかー?」

「別に嫌いではないがな」

 そういえばまたそんな季節が来た。この屋敷にも沙羅双樹が植わっている。ナツツバキの雪のように白い花弁を見るたびに、胸が疼く。そして、あの寂しがり屋のハイエルフを思い出す。こんな生き方をしていて、また、あの花を見られるとは思わなかった。切った張ったが日常の世界で生きているのだ。来年、再びナツツバキの白さを目にすることはないのかもしれない。そう思えば感傷的にもなろうものだ。

「どうしたのだ……」

 知らず、どこか昏い目をしていたのだろうか。リザは蔵人のなかにある闇を敏感に感じ取ると立ち上がって腕にすがってきた。

「なんでもねえよ。それと、どさくさに紛れて泥をなすりつけるな」

「ばれたか、なのだ。でも、クランドはときどき、すごく寂しそうな顔をするから……。なんか、放っておけないというか心配なのだ」

 リザは胸元に顔を埋めてすんすん鼻を鳴らしている。どこかかわいらしい仔犬を思わせる動作に蔵人は苦笑した。

「とにかく平気だから。種、植えるんだろ。手伝ってやるから、半分寄越せ」

「うんっ」

 蔵人は外套を脱いで四つ折りにして脇にどけると、腕まくりをして土いじりを手伝った。

 花壇の土はあらかじめ捏ねられていたのか、やわらかく掘りやすかった。等間隔に小さな穴を作って種を置き、やさしく土をかぶせてやる。作業はすぐ終わった。

 蔵人はリザに別れを告げると、手を洗うため井戸に向かって移動した。ポカポカを通り越して、汗ばむほどに気温が上がっている。

 井戸の周りには、小エルフたちが水を使うため順番に並んでいた。

「あ、クランドだー」

「だー」

「おう、クランドさんだぞ。なあ、ちっと水をいっぺえもらえねえか」

「ん」

 小エルフのなかでも際立って背の高いユリヤという少女が、桶からコップで水をすくい差し出してきた。彼女は数えで八歳のはずだが、もはや背丈は普通の大人の女性と変わらないくらい高い。顔を見れば子供子供しているのだが、妙に細い手足と大人びた仕草のアンバランスにときどき調子が狂う。蔵人は受け取った水をひと息に飲み込むと、白い歯を見せて快活に笑った。

「うめえな。ありがとな、ユリヤ」

「ん」

 ユリヤは言葉少なげに汚れた手を指摘してきた。

「んん。ああ、これはさっき土いじりしたからな、ドロドロだぁな」

「手、洗わないと。リネットが怒るよ」

「まあ、そうだなぁ」

「洗ったげるよ」

「おいおい。そんくらい自分でやるからいいって……」

「やる」

 ユリヤは蔵人の手を引っ張ると井戸口まで連れて行き、桶の水を使って丹念に洗いはじめた。

 彼女なりの好意なのだろうか。蔵人は、自分の指と指の股を這い回るユリヤのなめらかな指の動きくすぐったさを覚え、「いひひ」と妙な笑い声を出した。

「綺麗になった」

「おう、そうだな。ありがとな!」

「別に、ついで」

 ユリヤはそっぽをむくと背中を丸めてモジモジしだした。

「あのねーあのねークランドー。ユリヤはクランドのことすきーなの」

「ちゅきちゅき、なの」

「はあ……」

 親切なのだろうか。小エルフのひとりが両手を広げて大きな声で教えてくれた。瞬間、ユリヤはボッと頬を熟れたリンゴのように赤らめ、小エルフに掴みかかろうとする。

 小エルフたちは、蜘蛛の子を散らしたように、パッと散り散りになるとわあわあ喚きながら、どこかへ駆け去っていった。

「なんというか、平和だなぁ」

 特にやることもなくなったので、食堂で昼飯を食う。先ほど食ったばかりだと思うが、蔵人は若いので幾らでも食えた。

 子供が大多数といえど、数十人の女が一堂に会するのでそのやかましさは並大抵のものではない。蔵人は特にうるさいなどと小言をいったりはしない。いうだけ無駄なのだ。第一、口喧嘩で女に勝てるはずもない。

 それにしても意味もなくよくもしゃべる子たちだな。まさしく女は口から生まれてきたかと思うほどである。

 公の場所であるならば、彼女たちも少しは気にもしようがここでは咎めるものなど誰もいない。

 無心だ。お地蔵さんになるのだ。意識を凍結することで喧騒から身を守った。

 蔵人はたらふくポルディナが作った昼食を胃のなかに収めると自室で午睡をとった。くうくう、といびきをかいて寝る。先日の戦いの疲れが残っていたのか。

 とにかくよく寝れば寝るほど傷の治りが早いような気もする。おてんとさまがやや陰りはじめた頃にポルディナが起こしに来た。無論、おやつの時間だ。

「なんじゃ。わらわの顔になにかついておるのかの」

「いや、なんでもないよ」

 それにしてもよく動く口だ。蔵人は至福の表情でプリンを平らげてゆくドロテアの健啖さに軽い驚きを感じながらスプーンを素早く動かした。

 食後の運動に散歩をしていると、花壇で件の花の種に水をやっているリザの姿が見えた。

 しゃがんでいるので、マイクロビキニの食い込んだケツへと自然に目が行く。リザの尻は鍛え抜かれているのか、素晴らしい張りがあり、みずみずしい採れたての桃を想起させる。

「なんだ。まだ、水やってんのか。あんまやりすぎると根腐れ起こすぞ」

「うん。でも、早く大きくなって欲しいから……」

「ま、やめろとはいわんが」

 それから数日経った。

 蔵人は、その日の夕方、誰にも知られず屋敷をこっそり抜け出すと、夜の街へ繰り込もうと足取りを速めていた。蔵人の泣き落としに辟易したのか、ついにネリーが財布の紐をゆるめたのだ。軍資金は十二分。朝までフィーバーだぜ、とニヤついているとリザがとことこジョウロを持って裏庭へと向かう姿が見えた。

 まだ、あのお花を育ててるのかしらん。

 リザにしてはなかなかに根気が続くじゃないかと思い、そっとあとをつけた。

「うっわ、なにこれ! デカすぎだろ!」

「へへー、まいったか! なのだっ」

 そこにあったのは二メートルをはるかに超えると思われる巨大な植物であった。緑の葉が団扇を広げたように左右へと配され、上部には大きな分厚いカスタネットのような補虫葉が存在している。赤字に白斑点があるそれは異常に禍々しく、蔵人の怯えを誘うには充分なものだった。

「……よし、倒そう」

 蔵人は即座に決断した。

「わー、ダメなのだっ。リザがこの五日間丹精込めて育てたお花なのだ」

「こんなもん花じゃねえよっ。ってか、おぞましすぎるわっ。どけって」

 蔵人が腰に抱きつくリザを押しのけようと、荒っぽく手を伸ばす。すると、奇怪な植物はふるふると小刻みに震えたかと思うと、素早く蔵人の頭を巨大な二枚皿にも似た補虫葉にパックリと咥え込んだ。

「ももっ? むももっー」

「おまえ。ママのピンチを助けようとしてくれたのだなっ」

 犬も三日飼えば恩を忘れぬという。この健気な植物は母たるリザが襲われたのかと判断したのか、敢然と蔵人に向かって立ち向かったのであった。

 リザが我が子の勇姿に目蓋を潤ませている間にも、蔵人の動きは徐々に激しくなってゆく。苦痛というわけではないが、でろでろした粘液がとにかく気持ち悪い。ただその一語に尽きた。

 不毛な小芝居を続けていると、収穫したハーブを籠いっぱいに下げたメリアンデールが通りがかり、目をまん丸に見開いて叫んだ。

「あれ、これって食虫植物のギガロユキノシタじゃないですかっ」

 ――そんなんどうでもいいから、さっさと助けてくれよ。蔵人は呻きながらもがいた。

 博学なメリアンデールによれば、この奇怪な植物は主に虫やネズミを捕食して栄養価に変換できる被子植物であるらしい。

 大陸の南部に位置するシルバーヴィラゴではわりと珍しいらしく、メリアンデール自体ギガロユキノシタの実物を見るのははじめてだということだった。

「にしても、コイツ本当にリザを親とでも認識してるっていうんかい」

 蔵人はハンカチで顔面にべっとりこびりついた食虫植物の粘液を拭き取りながら、物憂げに訊ねた。気分はぶっかけ専門AV女優である。

「ギガロユキノシタは犬猫程度の知性を持っているらしいですから。でも、基本は虫しか食べないそうですから。今のは威嚇行動ですね。でもね、クランド。ほら、見てください。咬筋力自体はそれほど強くありませんから」

 メリアンデールはギガロユキノシタの補虫葉を軽くこじ開けてみせる。どうやら落ち着いてみれば、たいした脅威はないことが判明し、ちょっとだけホッとした。

「んー。でもなぁ。間違えて子供たちが噛まれでもしたら大変だしなぁ」

「そんなことこの子は、うちのヴィッキーに限って絶対にしないのだっ。リザからもちゃんとよくいって聞かせるから処分はしないで欲しいのだっ」

「もう名前つけてんのかよ。てか、ほかのは育たたなかったのな……」

 種はそれなりの数を蒔いたのに、芽が出たのはこの一輪だけ。そう思えば、リザが執着するのもわかる気はする。

「この花壇狭すぎたんですね。一番生命力が強いヴィッキーが生き残ったってところですか」

 メリアンデールがしゃがみながら花壇の土の色を見ていった。旺盛なヴィッキーの生命力によって吸い取られたのだろう、土壌はややパサつき色あせて見えた。

「お願いなのだ、クランド」

 食虫植物のヴィッキーも「ごめんなさいなの」といったふうに、捕虫葉をリザの肩の上に乗せて反省のポーズをとっている。そんな人間じみた態度を取られて蔵人が鬼のような判決を下せるわけもない。

「しょうがないな。ちゃんと面倒見るんだぞ」

 リザは太陽のような微笑みを見せるとガバっと抱きついてきた。ヴィッキーも嬉しいのか、しゅるしゅると茎を伸ばすと絡みつかせてくる。

「ははは。大げさだな。うん。おまえも嬉しいか。こうやってみると、なかなかなかわいげがあるじゃねぇ、か。……ん。まった。……ちょ、ホント……マジで、締まるからっ……やめ、て」

 蔵人はヴィッキーの太い茎によって、喉をグイグイ締めつけられながら、危うく三途の川を渡り損ねるのだった。

 こうしてリザのささやかな趣味であるガーデニングがはじまった。彼女は歌を聴かせるのがよいと聞けば、レイシーを呼んで声が枯れるまで日がな一日じゅう美しい音色を聞かせ、栄養が不安だといって、自分の食事の半分をヴィッキーに分け与えポルディナのクールな表情を歪ませた。

 さらに、数日が経過した。

「うーん。これは、さすがによく育ったなーといわざるを得ない」

 食虫植物のヴィッキーはリザの献身的な養育のおかげで見事に成長しきった。

 蔵人がはじめて目にしてから確実にひと回りは大きくなったし、茎の色もみずみずしく細かな産毛は赤ん坊のようにやわらかで繊細だ。

 リザとそろって花壇の前にしゃがみ、ヴィッキーが燦々と降りそそぐ陽光を一身に浴びるのを眺めていると、小エルフを抱いたカレンとルールーが通りがかった。

「あんたもおかしなもん育てるわね」

「むっ。変だとはなんなのだっ」

 カレンは半ば呆れかえるようにヴィッキーとリザを交互に見やると、隣に控えているルールーに意味ありげな目線を送った。暗に自分の意見に同意せよ、といっているのだ。主筋たるカレンの意思に逆らえないルールーは曖昧に笑うと困ったように蔵人を見てきた。

「おいカレン。自分が理解できない趣味だからってバカにしちゃダメだぞ」

「へー、はー、ふーん。クランドはあたしよりその黒っ子を贔屓するんだー。ふーん、そうなんだそうなんだ。こーんな、おかしな花なんかよりノエミのほうがずっとお利口さんだもんね」

 カレンは秘蔵っ子である小エルフのノエミを抱き上げると、「ほほほ」と上品そうに口元へ手を当てて笑った。まあ、人間と植物の知能を比べるのがおかしな話なのだが……。

「むかむかむかっ。ははーん。カレンはアホなのだなぁ。リザのヴィッキーはおまえが猫っかわいがりしている泣き虫が一ダースまとめてかかってもかなわないすぐれた知識を有しているのだ。ま、勝手に勝ち誇るのは本人の自由なのだが、よそに行ってあまり吹聴しないで欲しいのだ。己の愚かさ加減を……!」

「なんですってえ! ふうん、勝負するっての? あたしが育てたノエミとその雑草風情が!」

「あとで吠え面かくなよ、なのだっ」

 リザとカレンはバックの心象風景に龍虎を背負って相対した。ルールーは本気で困っているのか、ほぼパニック状態に陥っている。蔵人も、一秒でも早くこの場を立ち去りポルディナの胸にダイブしてもふもふ癒されたかったが、運命は彼を手放さない。

「クランド。リザたちにお題を。勝負はそれでつけるっ」

「……わーったよ。幼稚園児レベルの足し算でいいか。ここにオレンジがむっつあります。食いしん坊なヴィクトワールちゃんは、お昼前だというのにいつつも食べてしまいました。そこに親切なルッジ先生がお土産に、ここのつオレンジを持ってきました。さあ、今、お台所にあるオレンジの残りは幾つでしょーか。はいっ。シンキングタイムッ」

「いくのよノエミっ。あたしが教えた通りにやればできるわっ」

「え、えと。むっつ、いつつ。ええ、ここのつぅ?」

「ほらっ。あれよあれ。指の数が足りないなら、あたしが貸すからっ」

 ノエミは一生懸命計算しているが、横合いからカレンが邪魔をするので捗らないらしい。一方、リザは両腕を組んだまま、軽く顎を引くと余裕の表情でヴィッキーに指示を下した。ヴィッキーは器用に枝を伸ばすと、石ころを使って足したり引いたりを行なっている。明らかに加減の理を悟った知性あふれる動作だった。

「ああっ。もおおっ、だから、そこでなんで指を折り曲げるかなあっ」

「え、だって。うっく、ノエミがんばってるもおん」

 対するカレン&ノエミ組は原始人よろしく指を使っての計算方法である。これにはさすがの蔵人も微笑ましさに顔を綻ばせてしまう。

 そうこうしているうちに、ヴィッキーは地面へと十の石ころを置き、拾った木の枝でアンダーラインまで引く始末。リザがニヤリと口元を釣り上げ、白い歯を覗かせた。蔵人はよろばうようにしてヴィッキーの枝と葉っぱを持ち上げて告げた。

「勝負ありっ。答えは十個でヴィッキー選手の勝利」

「はっはーん。リザたちの勝ちなのだっ」

 リザはぴょんと飛び上がってヴィッキーがうねうねと動かす枝葉とハイタッチをかわす。カレンは与えられた屈辱に顔を火照らせながら地団駄を踏んだ。

「ああーん。カレンままのばかぁー。ノエミわかってたのにぃ、ままがじゃまするからあーっ」

「やるわねリザ。けど、次こそは見てなさいよっ。絶対、ギャフンっていわせてやるんだからっ」

「おまえがギャフンというのだ」

「……ぎゃっふん」

 カレンは顔を真っ赤にするとノエミを肩に担いで半泣きのまま走り去っていった。そのあとをルールーが疲れた足取りで追ってゆく。それにしても植物に負けるとは人類のプライドはないのか、と深く思い悩む蔵人であった。






 蔵人は夕食を済ませると必ずといっていいほど露天風呂に浸かって汗を流すのが習慣となっていた。脱衣所で籠に衣服を脱いでぶち込んでおけば、ポルディナが湯から出る前に回収して、綺麗に洗った清潔な寝巻きと交換しておいてくれてある。

 現代日本に比べればはるかに粗末な作りであるが石鹸はきちんとあった。蔵人は手拭いに石鹸をこすりつけると身体を丹念にこすって垢を落とした。ボトルに入った特殊な薬液で頭髪もキチンと洗う。と、いっても一週間に一度程度であるが。

 蔵人は粗雑な言葉や行動で誤解されがちだがかなりの綺麗好きである。迷宮探索中や長旅のときならば仕方ないが、時間さえあれば身繕いには余念がなかった。ある意味女性以上に身体を清潔に保つことに関しては執着していた。

 ひととおり身体を洗い終えると露天の湯に浸かった。入浴時間が誰かと重なれば状況によっては艶っぽい雰囲気になったりもするのだが、今夜は珍しく誰も居合わせない。

「ふうっ。やっぱ風呂は一番の馳走だな。あー。なんかジジィになった気分だ。うあー」

 頭の上に手拭いを乗せたまま唸っていると、不意に後方の柵から物音が聞こえたような気がした。蔵人は熱い湯から立ち上がると、ゴツゴツした岩をよじ登って闇に目を凝らした。柵の向こうはリザの花壇がある裏庭に通じている。

 しばらくそうやって様子を探っていたが、別段怪しげな気配は感じられなかった。そういえば、最近はやたらと野良猫が多いとヒルダが愚痴っていたことを思い出す。ルッジやヴィクトワールがやたらに野良猫へと残飯をやるので、数匹居着いてしまったのが真実なのだ。

(猫は夜行性だしウロウロしてても不思議はねぇ。そもそも、この屋敷に賊が入っても一網打尽だろうな……)

 蔵人は湯船のなかで胡座をかきながら、不意に軽い掻痒感を覚えて左腿に視線を落とした。そこには月明かりでもわかるほど、ザックリした長い切り傷の跡があった。傷口自体は完全に塞がっているのだが、よく見ると怪我の周囲が青黒く変色している。思い当たるところはただひとつしかない。ゴドラム教団の司祭と名乗ったアースペインという男にやられた毒攻撃の名残だった。

 アースペインは奇妙な男だった。あとでわかったことだが闘技場で戦ったフンベルトのほうが、あの事件の実質的な黒幕で間違いなかった。が、蔵人が受けた印象は一度手合わせをしてみてわかる脅威としては、アースペインのほうが何倍も強いのだ。

(特に、やつの使う憑霊術。身体を自在に液体化させる能力……! しかも、付随した強力な毒攻撃。正直、あのとき戦っていたら破る手立ては考えつかなかったな)

 あの男の毒攻撃は妙に尾を引く部分がある。それだけに強力なのだ。

 ――クソ。ひとりになると、余計なことばかり気になってしまう。

 身体は充分にあたたまった。これ以上うだうだしていればのぼせてしまうだろう。蔵人が湯船から出ると、脱衣所で服を脱ぎかけていたヴィクトワールとハナにばったりと鉢合わせした。

「ん、ななっ。おまっ、おまえっ。ななな、なんでここにっ!」

「きゃー。やだー。勇者さまのえっちー」

「いや、今出たところだし。そもそもここは俺んちだぞ。いて当然だ」

 ふたりとも半裸状態である。特にヴィクトワールは髪をアップにし、なまめかしいうなじを露わにしていた。よほど恥ずかしかったのか、呂律が回っていない。ハナに至っては完全に胸が見えていたが、さすがに守備範囲外なのでスルーだ。

「あのー、勇者さま。これからお嬢さまの背中を流すのですが、ごいっしょにいかがですか」

「ハナッ。乙女の背中を、ごいっしょにお茶でもいかが? みたいな軽い感じでいうなっ」

「うーん。まことに魅力的な提案だが、そこで唸ってる猛獣に噛まれたくなからやめとくわ」

「もうっ。お嬢さま素直じゃないから、こんな結末に……」

「悪いのか? 私が悪いのかっ?」

 蔵人はふたりの声から遠ざかると自室を目指していた。熱い湯の次は、軽く部屋で冷えたやつを一杯飲るのが数少ない異世界の楽しみである。

 きっとどこかで見張っているのだろう。蔵人が部屋に戻ってからしばらくするとポルディナがキンキンに冷やした酒を持ってきた。彼女は、今夜にどこか期待していたのだろうか、化粧を直し熱っぽい瞳でこちらを見つめている。

 蔵人はしばらく彼女に酌をさせ、瓶の中身が残り少なくなったところでベッドの上に引き上げ隣に座らせ、おもむろに胸をもみしだいた。

「ああ、ご主人さま……」

 彼女の熱い吐息が耳にかかるのを感じ覆いかぶさろうと腰を浮かしかけたとき、なにか硬い音が強烈に鳴る音が響き渡った。

「いくぜっ!」

「……はい」

 ポルディナの声。感情を抑えきれず怒りがにじみだしていた。気持ちはわかる。こちらとていいところを邪魔されて股間の孝行息子も収まりがつかない。

 玄関口に向かっていると、屋敷の住人たちが手明かりを持って三々五々集結しつつあった。

 蔵人が裸足のまま庭を突っ切ると、花壇の方角から剣の切り結ぶ金属音が聞こえてきた。目を凝らせば、ローブ姿のアルテミシアが六人の男とやりあっている。

「クランドぉ……!」

 女の泣き出しそうな声が耳朶を打った。ランタンを差し向ける。そこには無残にも横倒しになった食虫植物のヴィッキーを抱きかかえたまま、頬を涙で濡らすリザの姿があった。

「物取りだ、クランド!」

 アルテミシアが目の前の男を蹴倒すと鋭く吠えた。

 賊たちの目的がなんなのかはわからない。

 ただ、一瞬にして蔵人の胸のなかへと熱く燃えたぎる炎が火の粉を撒き散らして音を立てた。

 猛然と突進してくる蔵人に気づくと男たちは左右に大きく広がった。蔵人は流れるような動きで足元にある赤ん坊の頭くらいの石を拾うと、跳躍して目の前の男へと投げつけた。

 重い頭蓋骨が鳴る音が闇夜に響いた。蔵人は男が手放した剣を空中で掴むと、ほとんど相手も見据えずに上段から力任せに打ち下ろした。肉を鋭く断つ音とともに絶叫が流れる。

 蔵人は左右から迫り来るふたりに対して風車のような勢いで剣を右に左に素早く振るった。ひとりは目鼻の中央を激しく割られ、ひとりは顔面を水平に削ぎ取られてひっくり返った。血煙を真正面から浴びてその場に縫い止められたように動かなくなった男。その男めがけて蔵人は長剣を腰だめにして突っ込んだ。胴をズブリと貫く感触。長剣はツバ元まで埋まると男の背中から血に塗れた刀身を覗かせた。

 蔵人が四人を討ち取る間に残りはアルテミシアが斬り捨てていた。蔵人は倒れた男の死骸を蹴りつけると、激しく毒づいてリザの元に向かった。リザはヴィッキーを膝に抱えたまま、激しくしゃくりあげていた。

「ヴィッキーは頑張ったのだ。頑張って、みんなを守ろうとしたのだ……」

「そうだな」

 応ずると同時にカレンがわっと声を上げて顔を両手で覆った。なんの力もないただの植物である。それでもヴィッキーはリザから受けた恩を忘れずに、死力を振り絞って賊を防ごうと最後まで戦ったのだ。

 肩を震わせて泣くリザの肩に、しゅるると伸びた枝が触れた。泣くな、とヴィッキーが慰めているように思えた。

 リザはかすかに降りそそぐ月光の下で眠るように倒れているヴィッキーを、いつまでも強く抱きとめ、かすれた声ですすり泣いていた。






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