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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第11章「トーナメント編」
248/302

Lv248「盤上の駒」




「シズカもヴィクトワールもやるなぁ……」

「見てみて、すっごい! ホラ、クランド。ふたりともあっという間に勝っちゃったよっ」

 蔵人は隣で興奮したまま叫びっぱなしのレイシーに腕を取られながら、ほぼ一瞬で勝負が決着した一回戦、二回戦の結果を胸のなかで検討していた。

 物売りから買わせた鳥の唐揚げとキンキンに冷えた麦酒を片手に、目の前で延々と先ほどの決定的シーンをエンドレスで繰り返す遠見の魔術による映像を見やる。

 シズカはほとんど突き出された棒を払いのけると、飛び上がってからの一撃で敵を仕留め、ヴィクトワールも数メートルはある敵の槍をかわしていたかと思うと、素早く間合いを詰め、速やかに昏倒せしめた。

「おい、あれってちゃんと刃が潰してあるんだろうな?」

「クランドくん。それは間違いありませんわ。なにせ、あの子にとって、鉄の棒を斬って捨てるなど造作もないことなのですから」

 ヴィクトワールの姉のヴィクトリアが扇で胸元にぱたぱたと風を送り込みながら、涼しい顔でいった。と、いうか暑がるほどに胸肉の密度はないだろーが。

「なにか?」

 ジロリと睨まれる。

「いや別に」

 別に涼を取るのは個人の自由だ。特に彼女は二十代半ばを超えたなんちゃってロリなので、これからの成長は望めない。あえて火中の栗を拾うこともないだろう。

 蔵人は、まだ熱々の唐揚げを口のなかに放り込むと、ぎゅっぎゅと強く噛み締めた。口中に、熱い脂がドッと流れ出し、旨味成分が脳みそを刺激する。なんか、紙袋のなかに転がっている天かすっぽいカリカリしたやつも好きなのだ。スナック感覚で。追っかけて麦酒を呷ると、思わず喉が鳴った。

「うーん。キクなぁ」

「クランド、クランド。ほら、あたしが作ってきたやつ。た、食べるでしょ」

「お、おう」

 見れば足元にカレンが上目遣いでしゃがみながら、バスケットから手作りのサンドイッチを取り出してきた。中身はチーズとハム。思い出の品というわけだ。

(つーかさ、なにかというと、おまえはこればっかり作ってくるよな。まあ、うまいからいいけどよう)

 カレンは、以前調理した際に、蔵人が褒めた成功体験だけを脳のなかに強く記銘しているのだろうか、なにかというと、行楽のおともには黒パンハムチーズサンドばかり作ってくる。

 実は昨晩も、ホテルの賄い所で、ルールーと今日のための秘密兵器をこそっと作っていたという情報をリザから仕入れていた。昨日は昨日で、蔵人もやや鬱モードになっていた。それを心配してくれたのだろうと思うと、ちょっと健気さが目に染みた。

 銀色の瞳が不安そうにオドオドとさまよっている。蔵人は、鯨のようにバカ口を開くと、ガブッと一呑み、瞬く間にバスケットの中身を平らげると、豪快に口元を半月にして笑った。

「うまかったよ。さすがカレンだなっ。ありがとさんっ」

「ふ、ふん。勘違いしないでね。これはルールーが作ろうっていったから、たまたま作っただけで……。でも、元気が出たみたいでよかったわ」

 蔵人はカレンの頬を両の手のひらで、ふんわり押し包むと、父親が娘にするようにやさしく撫でた。本来、髪型が崩れるので婦女子にはそれほどありがたくはない行為だと知ってはいたが、不器用な蔵人は好意を表す術のレパートリーがあまりないのでこれで勘弁してもらっている。

 隣で見ていたレイシーも、ポルディナもニコニコ顔だ。これぞ、まさしく琴瑟相和す。俺とおまえもWIN―WINの関係だ。笑顔が世界を救う。

「え! というか、あのちょうちょさんのお面をつけていたのがヴィーだったのか!」

「そうですよーリザさま。ちなみに、ハナがプロデュースしたのですよっ」

「……これは、あの格好では絶対に負けられないのだ。ちょっと正体がバレたらもう、お外を歩けないくらいのレベルなのだ」

「えー。そうですかぁ。ハナはけっこーデザインに自信がございましたのにぃ」

 離れた場所では、ダークエルフのリザと小粋な侍女姿のハナが、ヴィクトワールの衣装を品評しあっていた。というか、あの蝶のマスクは恥ずかしいと思うのだが。少し変態チックで屋敷のなかだけならともかく、これだけの観客の前であれをやるのはチョット、と蔵人は思った。

「しっかし、こんなスピード決着では、すぐに決勝でカタがついちまうんじゃないか? 興行的には上手くねえなあ」

「クランドくん。いまの、二試合は例外ですよ。うん。例年ならば、ここまで上がってくるのならば、実力は伯仲するでしょうし。第一、昨日の予選は半日近くかかってますから。あれで、ほとんどの弱者はふるい落とされたでしょうから」

「あ、あはは。そうだね。弱者は振い落されたよね」

「あ! いや、わたし。そのような意味でいったつもりではございませんのっ」

 ヴィクトリアは当然のことながら、蔵人がこっそり出場した上予選落ちしたことを知っている。

 つい、先ほどまで愉快に談笑していたふたりの間に妙な沈黙が降りたことに気づいた皆が、不審の目を向けてきた。余計なことを勘ぐられてもつまらぬと、揃って「あはは」と無理やり笑い飛ばした。なぜかリザだけは「なにか怪しいのだ」と訝しんでいたが、力技で話題を切り替えた。

「おい、あれ! ほら、メリーのやつの試合だぞっ」

「んんんっ。どこですか、クランドさんっ」

 ヒルダが身を乗り出し過ぎて階下に転落しそうになるのを、ギリギリで抱きとめる。眼下の円形闘技場には、メリアンデールとオリーブ色のローブを着込んだ小柄な人物の姿があった。

「ふむん。よもや、初回で我がすべてを叩き込んだ愛弟子メリーが負けるとは思わなんだが。コンセントレーションじゃぞ、メリーよ。持てる力を発揮すれば必ず勝てる!」

「てか、ドロテアよ。オメーが無理やり引き込んだんだからよ。下でセコンドについてやれや」

「んにゅ?」

 ドロテアはちゃっかり骨つき肉にかぶりつきながら、大ジョッキの麦酒をぐびぐびとやっていた。口元にはシュワシュワした泡がくっつき髭のようになっている。彼女は、手の甲で泡を乱暴に拭うっと「んげふっ」と百年の恋も冷めるようなゲップをした。

「わらわはもう疲れた。今は、心ゆくまで観戦したいのじゃ」

「……おい、カレン。リザ。逆さにしてやりなさい」

「ちょ! おい、やめるのじゃっ!」

 蔵人は、ふたりに命じて太平楽を決め込んでいるドロテアの両足を掴ませ、スタンドの突端で宙ぶらりんに吊るしてやった。ブルンブルンと上下運動を行うたびに、ドロテアの身体もたわわな果実もぶるぶる震える。しばし振るったところで満足したので許してやった。

「お主は、わらわに対する愛がないのかっ」

「愛、という言葉は口にするたびに色あせるものさ……」

 ドロテアがカッと牙を剥いて襲いかかる。それを止めようとする、ポルディナ&レイシー勢とたちまち混戦となった。

 アルテミシアはさすがに身内の恥を見ていられないのか、深くうつむいている。

 一方、ヴィクトリアは蔵人たちのじゃれあいを鷹揚に目を細め鑑賞していた。自ら止める気はないようだ。

「君たち。喧嘩もそのくらいにしておいたらどうなんだ。次のメリーの試合。はじまるぞ」

 ルッジの仲裁で、ひとまず勝負はお預け。蔵人はドロテアにチョークスリーパーをかけられながらも微動だにせず、眼下の試合に見入った。

 鍛えに鍛えた太い猪首では、ドロテアが魔術を使って筋力を底上げしない限り、後頭部に押しつけられる豊かな乳房の感触しかないのだ。ビバ、おっぱい。ジーク、パイオツ。

「なにかさ、おかしくね?」

 蔵人が疑問を投げかける前に、闘技場でピクリとも動かないふたり、すなわちメリアンデールとシトラスに業を煮やした観客たちがたちまち罵声のブーイングを飛ばしはじめた。

「いや、クランド。よく見るのじゃ。メリーは、小刻みに動き出した。相手を誘い出そうとしているのじゃ。けれど、あのローブの男はまるで動かん。いや、ここからでもわかる。まるで、戦おうとする意思が感じられん」

「どうでもいいけど首締めんのと解説するのとどっちかにしてくれよな」

 ドロテアのいったとおり、まもなくローブの対戦者は、スッときびすを返すと、自分で闘技場を降りてしまった。この時点で審判員がメリアンデールの勝利を宣誓するが、罵倒の嵐は収まるわけもない。蟻んどのように小さなふたつの影はもつれ合うようにして控え室のほうへと歩き去ってゆく。リザが、ポカンとした顔で首をかしげていた。

「おい、ドロテア」

「わかっておる。ちと、メリーのやつが気になるんで様子を見てくる」

「あ、じゃああたしも」

 レイシーが腰を上げかけるがドロテアは右手を上げて「いらんいらん」と軽くいった。

「これでも一応あやつの師匠じゃからな。わらわのトピア流はアフターサービスもバッチリじゃ」

「んー。今の今まで酒かっくらってたやつがいっても締まらんセリフだがなぁ。ま、なにかあるとは思えないが気をつけていけよ。一応、おまえ飲んでるんだからな」

「むふん。心配ないない。クランドよ。わらわが、これしきの酒で酔うおなごじゃとでも思うておるのかの」

「それでもアルコールが入っているのにゃ変わりねーだろ。古来より無敵の豪傑も酔ったところで不覚を取ったやつはゴマンといるぜ。ああ、なんか心配になってきた。ポル。送ってけ」

「はい、ご主人さま」

 従順なポルディナが手を貸そうとするが、ドロテアはほんのりと赤くなった顔をぶるるっと濡れた犬のように震わせると、吠えながら手を払う。彼女は、このなかでももっとも気が短いのだ。

「いらんわ! ……じゃが、酒は顔を洗って覚ましてからゆく。これでいいじゃろ」

「わかった」

 蔵人も、しいてドロテアの剣士としてのプライドを傷つけないように、それ以上は言葉を控えた。彼女は、情に熱く感情表現が豊かだ、いうなればお天気屋だ。怒ったと思えば、次の瞬間けろりと笑っている。扱いやすいといえば扱いやすいのだが、自分と似た性格なので、蔵人も少し複雑な気持ちで彼女に接するのが常だった。






 蔵人の思惑をよそに試合は淡々とこなされてゆく。

 四回戦は、王者ヴェイセル・ブロムストランドとレジス流格闘術創始者であるレジス・ドパルドンとの好カードであった。

 王者ヴェイセルは周知のごとく、本銀星杯舞踏大会の第二十一回、第二十二回、第二十三回を三期連続優勝している折り紙つきの優勝候補である。

 対するレジスは、並み居る剣士を薙ぎ倒して本戦の出場を果たした、この大会では珍しい徒手格闘の戦士であった。

 これには理由がある。通常、ロムレスにおいて、貴族の技というものは、いちにも剣、ににも剣と相場が決まっていた。これは、建国の父初代ロムレス王が武技のなかでもっとも剣技を尊んだという故事にならい、騎士たるものあらゆる武芸においては、まず基本として剣に習熟することが最低限のマナーとして奨励されたことによるものだった。

 それに比べて、徒手格闘術というもの自体、この世界ではあまり歴史が古くなく、下衆下民の扱う、いわゆる剣すら買えない貧者の武器として蔑まれる対象であった。

 古代からの歴史を紐解けば、王の一族によって召喚された勇者のうちに異世界の徒手格闘技術を伝承させ、一部の秘技、つまり「御留流」として、他流の者には稽古すら見せない流派も多々あった。蔵人のパーティーでいえば、ハナの使うロムレス独自にカスタマイズされた八極拳の流れを汲む拳法もそれである。

 この禿頭の好漢レジス・ドパルドンもまた、ロムレスに数少ない、己の肉体のみであらゆる敵を打倒すると魂に誓った、一個の求道者であった。

 レジスの身長は百九十六センチ。体重は百二十キロと見るからの偉丈夫である。

「お手柔らかに頼むよ」

 ヴェイセルがまるで十年来の友に呼びかける気安さでいうが、レジスは目をつむったまま、闘技場の中央で静かに立って、毛ほどの反応も見せない。

 じゃん、と銅鑼が打ち鳴らされた。戦いの合図である。審判が、はじめの声を張り上げると、レジスはようやく閉じていた目蓋を開き、構えを取った。

 ――強い。

 レジスは一見して目の前にいる男の強さを感じ取った。彼の構えはありふれたオーソドックスなものだ。右足を気持ち前に出し、身体の正中線を隠すように刀身をピタリとこちらに向けている。闘気を感じないわけではない。

 最初、かすかだと思ったそれは、こうして対峙しているうちに、極めて研ぎ澄まされた鋭いものだと理解できた。脳に水が染み込んでゆくように、目前の敵、ヴェイセルに対する恐怖が広がってゆく。

 段違い、という言葉がある。レジスは、予選における無慈悲な乱戦において、同時の四方から斬り込まれても容易に捌く自信があった。

 が、この男は違う。隙がないのだ。いや、ちょっと見にはわからないが、するような足さばきや、ほんの少し手足に篭められてゆく力のバランス配分が尋常ではないレベルで完成されている。

 力は、たぶん自分のほうが上だろう。組み合ってしまえば容易に地べたへと押さえつける自信はある。手にした得物も刃引きだ。よもや、腕で受けたとしても、切断される心配はない。徒手格闘を使う自分の方が、はるかにこの中年男よりも有利なはずだ。だが、動けない。蛇に睨まれた蛙のようだ。

 ここまでは、わずが数秒の攻防に満たないだろうが、すでに心身ともにエネルギーを絞り尽くしそうな勢いで減退している。

 レジスよ。おまえは黙って突っ立っているためだけに、この銀星杯に出場したのか?

 いや、そうではない。勝つ。勝って優勝し、己の武名を天下に知らしめるためだ。そのためだけに、今日の今日まで、二十年間。この身を変質するほどに、猛訓練、猛稽古を重ねてきたのだ。

 風刃が身を切り刻む厳寒の冬の夜に、大樹を敵に見立て、太陽が昇る朝まで突きを繰り返し、熱波で地上の生物が焼け焦げる夏の日も、大地を駆けて筋力を養った。

 ――俺は強い。そう、勝つために、刻苦練磨してきたのだ。

「来ないのであれあば、私からゆこうか」

 するすると。小川に流れる水のような自然さでヴェイセルが距離を詰めてきた。

 戦いの潮合はここに極限を迎える。

 レジスは怪鳥のような声を甲高く立てながら、大空へと飛翔した。だんっ、と。蹴り込んだ右足の下。石畳が加重で割れて、パッと飛び散った。

 渾身の飛び蹴りだ。

 決まった、と思った。

 スピード、パワー、タイミング。すべてにおいて完璧だった。

 捉えたり。レジスのつま先がヴェイセルの右目を抉らんとして流星と化した。

 ふわり、とした羽毛が、ホコリが、光ある宙へスローモーで舞うような、そんな自然な動き。

 消えた。ヴェイセルが消えたとしか思えなかった。

 反射的に眼球を周囲へと無茶苦茶に動かした。

 どこだ、と。おまえはどこにいる。

 次に脳を襲った感覚は、灼ける、であった。

 右足が脛から先が燃え立ったように、激しい火が走ったのだ。確かめる必要はない。己の蹴りをかわして、無防備な側面に回ったヴェイセルの剣がレジスの脚を打ったのだ。

 脚が弾け飛んだような気がした。が、ここで終わらない。終わるわけにはいかない。獣のような咆哮を放って左腕を伸ばした。伸ばしたと思った。

 ああ、今度は確かに目に見えた。ヴェイセルが姿勢をただし、まるで稽古の型を見せるような正確さで、己の小手を打ったのだ。

 ぼめきゃ、と。聞いたことのないような、音が鳴った。鳴っている。骨が奏でたのだ。

 天上の音楽を聴くような心持ちだった。鉄棒がなめらかに胴へと迫ってくる。

 宙に浮いたまま。ほぼ、なんの反応もできない動きで、ヴェイセルは淡々と打ってくる。

 もがけ、もがけよ。

 レジスは記憶の最後に、丸く広がった蒼天の極みを目に焼きつけ、ブラックアウトした。






 ヴェイセルが華麗にレジスを完膚なきまで打ちのめしている最中。三回戦を放棄したシトラスは、人気のない通路の端で、同教団の十三司祭第五位のフンベルトによって打擲を受けていた。

「テメェは舐めてるのか? あんな勝てる勝負をわざと負けやがって。これじゃあ、銀星杯を受け取るときに、ヴィクトリアをぶっ殺す千載一遇のチャンスを逃しちまったじゃねえか!」

「これはフンベルトさまのいうとおり、明らかな利敵行為ですねえ。どう弁明なさいます」

 巨漢のフンベルトの脇に立つ男は、どうという特徴のない痩せた中年であるが、なにを隠そうゴドラム教団十三司祭における、階位第十一位のアポカセリである。彼は、明確にフンベルトの腰巾着を努め、常に彼の意のまま動き、サポート役をこなしていた。

「カスが。できもしねえのにしゃしゃり出るからこんなことになるんだよっ! この落としまえはどうつけるつもりなんだっ。オラっ!」

 フンベルトは小柄なシトラスを片手で掴み上げ、まるで猫の子をいたぶるようにガンガンと壁際に打ちつける。シトラスは後頭部を、嫌というほど壁に叩きつけられ、真っ赤な血をバケツでおん撒いたように散らかすが、一言もなかった。

「チッ。だんまりかよ。まあ、いい。あとはおれのやりかたでやらせてもらうぜ! いいか。今日以降は、二度とおれのやりかたに泥を塗るような真似をするんじゃねえぜ。これで、どうせおまえも、お偉方にゃ干されるに決まってるが、ま。おれも鬼じゃねえ。改めて、おれの靴を舐めて詫びを入れる気があれば、ま、三下仕事程度には使ってやるよ」

「さすが、フンベルトさま。なんという慈悲深いお方よ。シトラス。感謝するのだぞ。よいか」

 尻馬に乗ってアポカセリは、壁際でぐったりとなったまま動かないシトラスに向かって、痰を吐きかけた。黄色いそれは、シトラスの頬を伝って流れ落ちる。白髪の少年は、汚れ切ったローブを揺らしながら、なんとか起き上がると、よろばうようにして歩き出した。

「なぜ、反撃しないのですか。あなたの力はフンベルトと遜色はないはずだが」

「……出てくるなといったはずだ」

 傷ついたシトラスの影から、湧き出るようにして、ゴドラム教団の異端者にして十三司祭第十三位のアースペインが佇立していた。

「まさか、姉を失ったごときで、我らゴドラムの尊い大義を見失ったとでもいうのですかな」

「アースペイン」

「なんでしょう?」

「次、いったら、僕は殺す」

「おお怖い怖い。私は、ただ、あなたの身を案じて助言しているというだけなのに」

 シトラスは凄絶な表情でアースペインを睨みつけた。影の男は、奇妙な哄笑だけを残すと、霧が目を離した隙に大気へと溶けてゆくよう、散じていった。

「く、そ」

 自分でもどうして闘技場を降りたのかはわからなかった。いや、本当は理解していたのだ。

 姉によく似ていた彼女とは、どうしても剣をまじえることができなかった。

 たとえ、それが別人だと分かっていても。この状態では。

 やらなくてはならない。宗敵のヴィクトリアはなにがあっても討たなくてはならない。

 だが、なんのために? どうして? なぜいまさら?

 フンベルトの遊び半分の拳など、どうということもない。痛いのは、身体などよりも、このジクジクと疼く胸のほうが重症だった。ふらりと、身体が揺れた。

 ――ああ、もう、なにもかもが面倒だ。

「シトラスくんっ」

 すべてを投げ出そうと、意識をゆるめたとき。また、シトラスを引き戻したのは、あのとき彼を気にかけてくれて。そして、今、一番会いたかった不思議な少女であった。






「なんのかんのいって様子を見にゆかれるやさしい勇者さまがハナは大好きですよー」

「るっさいな。あれだ。俺はただ、メリーのことが気になったからであってな。うんうん。それに、さっきの試合はあっちゅう間に決まっちまってなんだか肩透かしだったしなぁ」

 蔵人は、元いた観覧席を降りると、ハナを連れて地下にある参加者控え室に向かっていた。様子を見に行くといったきりドロテアは戻ってこない。それに、なんとはなくではあるが、この闘技場に立ち篭めている空気が徐々に嫌なものへと変わっていることを、蔵人は本能的に感じとっていたのであった。なにか、胸騒ぎがする。言葉ではうまくいい表せないのであるが。

「それに、シズカやヴィクトワールたちのこともあるしな。なーんであいつらあんなに仲悪いんだろうな。こりゃ、もう、生まれつきウマが合わないんだろうな」

 蔵人がなんの気なしに呟くと、明るい顔で相槌を打っていたハナが表情を曇らせた。

「どした?」

「あのですね」

 いいかけてハナがやめた。

 この顔は、一度だけ見たことがある。そう。かつて蔵人が、ステップエルフ戦争にて数十万の敵兵のなかへとカレンを送り届けるといった、あのときのものと同じだった。

「な。ハナ。俺は確かに無作法で神経が雑で、まーったくもっていいかげんで頼りになんねェやつかも知んねぇけどよ。なんか、あったらいうだけいってみろよ。俺さ。バカだから、上手い名案なんてたぶん考えつかねぇし、意味ないかもだけど。腹んなかは晴れるぜ」

「勇者さま。それってまったく解決になってないです」

「う。それは」

「でも、いっちゃいます。ハナ。世界で一番信用している男の人は勇者さまだけですから」

「お、おう。でも、あんまそーいうこというなよ。軽く見られんぞ」

「軽くないですよ。勇者さまは、ハナのすべてですから」

「だから恥ずかしいって。で、いいたいことがあんだろ」

「はい。それは、あのおふたりのことです」

「ふたりって、シズカとヴィクトワールのことだよな」

「そうです。ひとつ、勇者さまは勘違いされていますが――」

 あのふたり、以前は姉妹のように仲がよろしかったのです、とハナはゆるりと語りだした。







 ヴィクトワールは控え室で瞑目したまま静かに頭のなかで数をかぞえていた。呼吸を一定に。

 心音は常日頃と変わらぬ速度を保つ。身体は先ほど、適度に素振りしてあたためておいた。

 同じ部屋にシズカがいるが、彼女は気配すら感じさせない。考えれば、衆目がある公式の場で打ち合うのは、あれ以来かもしれない。

 かつての日々を思えば、チクリと胸が痛むが、今のシズカが自分と同じように考えていてくれるか、まるで自信はない。一時期は、確かに心が通った気がしたが、それが幻想と気づかされれば、これほど憎悪をかき立てるものもなかった。

 なぜ、自分たちはこんなふうになってしまったのだろうか。完全に、仲がもつれてしまった。

 ヴィクトワール自身が絡み合った複雑な恋情に己が身を縛られ四苦八苦したことはないが、男女間のもつれなどよりも、女同士の感情の行き違いのほうが、はるかに深刻で修正不可能なもののような気がするのだ。

 男と女ではまるで違う生き物だと最初からわかっているだけあって、割り切ることは可能だが、女同士ではまた違うのだろう。お互いの、黒く濁った影をどうしてもそこに見てしまうのだ。ヴィクトワールは悶えながらも声を押し殺して心の内で叫んだ。

 ゆらりと。陽炎のような動きで、片隅の影が立った。シズカだ。彼女は、自分がまるでいないようなものとして前を通ってゆく。横顔をチラと盗み見た。断じて小憎らしい顔ではない。むしろ、どこか守ってあげたくなるような、童女のような儚さを感じることができる稀有なものだ。 それは同性である自分にも有効だった。

 実のところヴィクトワールは妹が欲しかった。姉は、朗らかにしてその実、巌のように固く剛かった。ヴィクトワールは、己が抱きしめて、ときには泣きそうになったときは慰めてあげられるようなか弱く、小さな花のような存在を欲していたのだ。

「どうした。時間だぞ。それとも――怖気づいたか」

「黙れ。今、ゆくつもりだ」

 シズカはお人形のような形のいい目鼻を歪ませて嘲るようにいった。その鈴の鳴るような甘やかな声も、表情もすべてが厭わしく感じる。自分が女だからそう感じるのだろうか。

 いいや、そうではない。彼女を憎むような欲するような気持ちを、なにひとつ消化できていないことに起因するのだろう。

 椅子を立った。全身の肉は燃えたっており、今から全力でどれほど打ち合い続けても果てることなく闘争を続けらそうなほど、高い地点で極まっている。

 先の階段を上る、シズカの無防備な姿が目に入った。手にした刃引きの剣へと、知らず、剛力が篭められた。

 あの、細く小さな背を。思いきり打ち据えたら、こいつはどんな顔をするだろうか、と。

 紅蓮の炎のように燃え立つ闘気に反応したかのように、シズカはひゅっと素早く飛ぶと、音も立てず、地に立った。そして――。

 にこり、と。いいようもない、やわらかみのある顔で笑ったのだ。

 見事に美しい、森の妖精のような透明感のある微笑みだった。

 潰してやりたい。引き裂いてやりたい。壊したい。喰らいたい。捻りたい。あの身体をズタズタにして、内蔵を引きずり出し、撒き散らした血の池で、シズカに捧げる詩を吟じよう。

「そう、急くな。いま、きちんと殺してやるから」

 腹の底で日輪が輝いている。全身の毛穴という毛穴から、火が噴き出しそうだ。

 ヴィクトワールは痛みを覚えるほどに、己の左の乳房をぎゅうと鷲掴みにして、叫び出したい衝動をなんとかこらえた。こらえることができた。それは、小さな小さな奇跡に思えた。

 そして、シズカに負けないくらい、美しくきらびやかな顔で笑ってみせた。






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