Lv241「迷宮攻略はお任せあれ」
ダンジョン二十一階層である。蔵人は充分な装備を整えると、ルッジ、ポルディナ、レイシー、ヒルダ、ルールー、カレンを引き連れて、陰鬱な臭いの立ち篭める、暗く物悲しい迷宮へと再び足を踏み入れたのであった。前衛は、蔵人とポルディナが務める。中衛にヒーラーのヒルダと指揮系統を務めるルッジを置き、後衛にはレイシーとカレンを配置した。ルールーはいつものように、その身軽さを活かして、前方の索敵を行なっている。
(そういえば正月にギルドが発表した各クランの戦績じゃ、このあたりにゃかなり有力なチームがバラついたよな。ま、あれからもう五ヶ月近く経ってるし、いつまでも同じとこでグズグズしてるとは思えねぇが)
なんやかんやあったのだが、十層程度攻略するのに、半年近くかかっている。冷静に考えると、下へ下へと進むごとに、罠やモンスターなどの手ごわさは増しているだろう。蔵人の顔に焦燥の影を見たのか、ルッジがそばに来て囁くようにいった。
「それほど焦る必要はない。むしろ、これからは、あっという間に他クランへと追いつくぞ」
「なんだよ。スゲェ自信じゃないか」
「もう忘れたのかい。ボクたちにはこれがあるじゃないか」
ルッジは手のひらサイズに収まる、台座つきの異世界ポータブルナビを取り出すと、唇に人差し指を当てながら片目をつむってみせた。
この二十階層で手に入れた超アイテム“天元分儀”は、冒険の最後まで圧倒的に蔵人たちを有利に導いてくれるのだが、彼らはまだその真価を知らない。
「ま、なんでもいいや。使えるもんはドンドン活用していこうってことで、ルッジ隊長よろしく!」
「なんだかなぁ。君はホントにこれの凄さを理解してないみたいだ」
ぶっちゃけていえばチートアイテムである。他クランが、シコシコ手書きでマッピングしながらぬるぬる進むのを尻目に、蔵人たちは天元分儀が示すルートを歩けばいいだけのことである。
一行は、足取りも軽く、暗いダンジョンのなかを、天元分儀が示す光点を目印に進んでいった。
「クランドさま。きますっ」
「よしきたどっこい!」
索敵を行っていたルールーが素早く戻って報告を行う。久方ぶりのダンジョンでお目にかかったのは、別段珍しくもないゲル種といわれる不定形生命体モンスターの一群であった。
「レッドゲルだ。こいつらは状況で自己を硬化させるらしい。みんな、気をつけて戦ってくれ」
ルッジが魔道書を紐解きながら叫んだ。
レッドゲル。全身が赤黒いダンジョン全域に分布する魔物である。
大きさは中型犬程度であるが、一同に立ち塞がった数は多かった。ザッと見て、その数二十。
今回は前衛が蔵人とポルディナだけと、かなり心細い。
「ご主人さま。ここはお任せ下さい。露ばらいはこの私めが――!」
「待ったっ。ひとりで突出するな!」
蔵人の制止も聞かずにポルディナはいいところを見せようと、巨大なウォーハンマーを振り上げると、レッドゲルが密集するド真ん中に叩きつけた。一撃必殺。
そもそもがゲル系統の魔物はダンジョン内の生態系でいうとピラミッドの最下部に値する弱層である。ただの一発でやっつけたる、との勢いでポルディナは頭上の犬耳をピンと立てながら、勇んで攻撃を加えたのだが、戦鎚の平面がレッドゲルにブチ当たった瞬間、ガキッ、と鋼鉄を叩いたような鈍い音が鳴った。
「んなっ?」
「ポルディナッ!」
蔵人の叫びも虚しく、身体を危機的状況によって硬化させたレッドゲルは、まるで弾丸が地面から打ち出されたように、凄まじい跳躍力でポルディナに向かって滑空した。
モロにエプロンの上からタックルを受けたポルディナの眉間に激しいシワが寄った。レッドブルは身体を鉛同様の硬さに変えて、外敵を攻撃するのである。
続けざま、二の矢三の矢と無数の弾丸と化したモンスターたちが無防備なポルディナを襲う。
このまま黙って見ていれば、ポルディナの全身の骨は残らず砕かれてクラゲのようになってしまうだろう。蔵人はポルディナの腰に横っ飛びに抱きついて位置を入れ替えた。同時に剣を持ったまま両手を前面でクロスさせる。
(こりゃ、両腕の骨はイカレたな――!)
「風王連弾!」
「偽・火炎弾!」
蔵人を救ったのは後方に控えていたルッジとカレンが放った、風と火の魔術によってだった。
強風に煽られて勢いを増した炎の弾丸が目前に迫る黒いレッドブルを飲み込むと、間一髪、というところでそれらを地面に叩き落とした。
「今だクランド! そやつらは表皮を熱せられるとしばらくの間は硬化できないっ」
「情報サンクス、ルッジ」
なるほど。見れば、飛びついてきたときには表面上を真っ黒に変色させていたゲルどもも、今は魔術の火で炙られて、元の赤っぽい色に戻っている。
「こんのやろっ」
蔵人は長剣“黒獅子”をすらと抜くと、当たるを幸いに片っ端から撫で斬りにした。そして、さすがにポルディナは丈夫だった。彼女はエプロンの上から顔をしかめて腹のあたりを撫でさすると、獣性を剥き出しにしてハンマーをゲルどもに叩きつけはじめた。
モグラ叩きの要領で、ゲルたちはぷちぷちと潰されてゆく。これに、ルールーやカレンによる援護射撃が加わって、またたく間に死骸をそこいらじゅうに撒き散らしてレッドブルの群れは潰乱した。
「ポルディナ、だいじょぶかっ」
「ご主人さま、これくらい、なんのことは」
「おーい。傷薬っ、早くポルディナを治してやってくれようっ」
「あーはいはいクランドさん。それと、私を呼ぶときにはちゃーんとヒルダちゃんってかわいく呼んだげてね。さもないとやる気が削がれてしまうので。さ、痛いの痛いのとんでけー」
ヒルダは杖を振ってポルディナに治癒の神聖魔術を行使する。青白い、あたたかな神の恩寵の力が、片膝を突いて痛みをこらえていたポルディナから打ち身を取り払った。
「すごい。これが、魔術の力ですか……!」
「へへーん。ヒルダちゃんってば超有能!」
ポルディナは立ち上がるとしっぽを左右にフリフリさせながら瞳をパチクリさせた。しっぽは次第に揺れ幅を大きくして「元気、元気」と自己主張をしていた。
「痛くないか? 歩けるか? もしダメだったら、なんならもう帰って病院行くか?」
「ご迷惑おかけしました。でも、もう平気ですから」
「ごめんなー。あんなにぴょんぴょんするとは知らなかったんだよー。よしよし」
「あっ……」
蔵人はポルディナを抱きしめるとムツゴロウさんも顔負けのスキンシップを取った。彼女は、耳を寝かせて甘えた鼻声を「くふぃーん」と鳴らした。
「ちょっと、ちょっと。まだ、ちょこっと戦っただけなのに、それは甘やかしすぎじゃないですかねぇ。オイコラ」
ヒルダが蔵人のあまりなえこひいきに噛みついた。ほかのメンバーも、白けた表情で抱き合った自分たちを見ていることに気づき、蔵人はパッとポルディナから離れた。彼女は名残惜しげに、手を伸ばすと、しっぽをだらりと垂らした。
わずかばかりの休息を取ると、再び行動を開始した。狭隘な道がしばらく続くと、天元分儀はやがて、ある行き止まりに一同を導いた。
「なんだこりゃ。この機械ブッ壊れてんじゃねえんの?」
「いや、ルートはこの先をゆけと指示が出ている」
ルッジは至極冷静に目の前の岩壁に張りつき、仔細に調べだした。
「ね。ここ、なにか風の音が聞こえるけど」
エルフのカレンが長耳をピクピクさせながら壁の一点を指差した。ポルディナも鼻を岩肌に近づけてなにごとかを感じ取ったのか、神妙な顔つきをした。亜人であるエルフ族や戦狼族は感覚が普通の人間よりもはるかにすぐれている。
「よし、ポルディナ。壁をぶっ叩いてみろ」
「了解、我が主よ」
ポルディナは巨大な戦鎚を振り上げると、違和感を覚えた一点に勢いよく叩き込んだ。
どごん、と鈍い音が鳴って土くれが四方に飛び散った。蔵人の背中にヒルダやレイシーがきゃあきゃあいいながら身を隠す。そこには、ルッジがいったとおり、確かに先へと続く隠し通路がぽっかりと口を開けているのだった。
「な、ボクのいったとおりだ」
「疑ってわーるかったよ。じゃ、進むべえか」
道は、ひとりづつ程度しか歩けない幅と高さであった。ゆるやかなカーブが、小一時間ほど続いただろうか。先を歩いていたルールーが、小走りに駆け戻ってきて、すぐこの先に階下へ続く石造りの階段があることを興奮気味に伝えてきた。
「おおい、マジかよ。まだ昼前だぞ」
「え! うそ。もう、ついちゃったの? はやーい」
レイシーが大きな瞳をまばたきさせながら呆然としている。今までのダンジョンにおける悪戦苦闘がなんであったのか、というくらい迅速な動きで蔵人たちは、たちまちに二十一階層を通り抜けたのであった。
「じゃあ、ドンドンいくよ!」
「おっしゃ。みんな、ルッジに続け」
えいやあ、ほいさとばかりに二十二階層を示す入口の古代文字を尻目に突き進む。いつもならば、一層降りるのに、最低一晩は泊まらざるを得ないのであるが、このスピードならば、まだまだ全員に体力が残っており進むのに問題はない。
「ふぎゃう!」
そう思っていると、後方を鼻歌まじりで歩いていたカレンが、車に轢かれた猫のような情けない声を上げてすっ転んだ。いや、振り返ってみれば転んだのではない。二足歩行で飛びかかってきた奇妙なハゲタカに似た鳥によって、脚首をブーツごと嘴で噛まれているのだ。
このグレーヘッドという怪鳥はダンジョンにのみ生息するモンスターである。大きさは百六十センチ程度あり、固い岩盤を嘴で掘り割って巣を作り、小動物を狩って主食にする習性を持っていた。
「放しなさいよっ。このっ!」
「姫さまッ」
主であるカレンのピンチにルールーが血相を変えてナイフを投げつける。
が、グレーヘッドは翼を音を立てて広げると、鋭い刃先などものともせずに、幾本ものナイフをたちまちに地面へと叩き落とした。
「バックアタックかよ。スイッチだ!」
前衛を務めていた蔵人とポルディナが慌てふためくヒルダやレイシーと入れ替わる。蔵人が宙吊りになっているカレンを救おうと、果敢に切り込んでゆくと、側面の闇からぬっと首を突き出したグレーヘッドの突きを脇腹に食らって、惨めにも顔面から転倒した。
「クランドッ。こいつ、これでも喰らえ――!」
ルッジは魔道書を片手にすかさず水属性魔術である偽・水流の剣をグレーヘッドの頭部に向かって開放した。清らかな精霊の恩寵を受けた水流が、切れ味鋭い剣の奔流となってモンスターを襲った。グレーヘッドは高密度の水の刃によって、これでもかというくらい粉微塵に切り刻まれると、赤黒い血潮と、肉と、脳髄の断片をあふれさせながらドッとその場に倒れ伏した。
「ふにっ!」
蔵人が地面でもがいているうちに、カレンはなんとかブーツから脚を引っこ抜くと、宙ぶらりんの状態から逃れることができた。
先ほどの失態を挽回しようと、ポルディナがウォーハンマーを振るってグレーヘッドに打ちかかる。重く、強大な破壊力を有する戦鎚は、身を守ろうと翼で身体を覆い隠したグレーヘッドを砂の城を打ち崩すような容易さで破壊した。ミンチである。猛ったポルディナは一切の慈悲を見せずに、鬼神と化して攻撃を加え続けた。
一撃、二擊、三擊、と。怪鳥は戦鎚の餌食となると、攻撃が終わったあとは、泥田を踏みにじられたかのごとく、肉塊を血と脂とで捏ねられたような状態で機能を停止した。
さて。二体のグレーヘッドを屠ったのち、蔵人一行は被害が軽微なのを確認すると(※わずかにカレンが擦り傷)さらに奥地へと潜っていった。
(それにしても、この世界の人間は、感心なくらいによく歩く)
ダンジョンを探索するときは、起きている間はほぼ動いているとしても、彼らまたは彼女らは日常的によく歩くのだ。幼少時からありとあらゆる移動を己の足一本に頼っているので、基本的なスペックからして別物だ。
いや、ゆとり世代の蔵人からしてみれば、ほとんど違う種類の生物と思ってもいいくらいであった。足腰の強さは、常に重労働をしいられる百姓を別にしても、ケタ外れに鍛えられている。
おしめがとれたか取れない程度の子供でも、平気で十キロは日がな歩く。メタボとは無縁の人類圏でああった。
最近ようやく異常なまでの日常的歩行時間の長さに慣れた蔵人では、ときどき「キツい」と思うことが、たまにはある。だが、彼女たちにはそれがない。いちいち「足がいたーい」だの「もう歩けなーい」などといわれないだけ好都合ではあった。
てくてくぽくぽく歩いていると、開けた空間に出た。あたりには、密生する特殊なコケの明かりで、ランタンを使わずとも視界が確保できるほどである。
蔵人たちの目の前に広がっていたのは、ギリシャのパルテノン神殿にも似た、巨大な古代遺跡の残骸であった。空間いっぱいに、それこそ気が遠くなるような数の石柱が林立している。白い柱が目の前をすべて埋め尽くしており、向こう側を見通すことができないほどだ。
「なんだこりゃ、頭がおかしくなりそうだ」
「方向感覚がおかしくなっちゃいますね」
ヒルダが杖の先で柱をコツコツ叩きながら、ふうっと長く息を吐いた。
「でも、大丈夫だ。ボクらにはこれがあるからね」
ルッジが天元分儀を取り出して、タップをはじめる。
「マジでそれには感謝だよな。つーことで、みなさんルッジお姉さんから離れないよーにしてねー。では、気を取り直して、突入」
規則正しく並んだ石柱の間と間を延々と歩く。はじめは、姦しくおしゃべりをしていた女たちですら、そのうちに無言になった。空気は乾いている。足元には、朽ちたりひび割れた石の床がところどころ飛び散っており、集中力が散漫になった数人が転びそうになった。
「見ろ、クランド」
「おう、こりゃようけあるな」
ルッジが魔道書を向けた柱の影に、背を預けたまま白骨化した冒険者たちの屍が幾つも見えた。
「たぶん、道に迷って餓死したんだろうね。ホラ、見てごらんよ。彼らのドッグタグ。ずいぶんと年代物だ。今から、二十年くらい前のものかな。ここは、よほど方向感覚に優れたマッパーを擁していない限り、かなり簡単に迷ってしまう不毛地帯だね」
「ゾッとしねえな」
「その代わりといってはなんだが、モンスターもほとんどいないみたいだ。常食にする獲物がほとんど居着かないからだろうね。さて、今日も結構な距離を頑張ったのだし、そろそろ野営の準備に取りかかることをオススメするけど。どうかな」
「うーし。じゃ、今日はこのへんでお泊りするかな。それでは皆の者。テン泊の準備にとりかかれーい」
蔵人の指示で、全員が野営の準備をてきぱきとはじめた。大テントを設営すると、ポルディナとレイシー、それにカレンが率先して夕食の準備に取りかかった。
「うむむ。とっても、申し訳ないです。私にできるのは、こうしてクランドさんをあやすことくらいしかっ」
「おまえもさっさと手伝うんだよ」
「あいたっ。冗談じゃないですかぁ。ぽかっとやることないでしょー。うう、最近クランドさんがDVだよう。教会に訴えてやるう」
「ほらっ。ヒルダ! 遊んでないでカマドに火でもつけておいてっ」
「ぴいっ」
ヒルダはなんとか理屈をつけて炊事をサボろうとしていたが、タオルを姉さんかぶりにしたレイシーにずるずると引っ張られていった。蔵人は、床几に腰かけると、足元に小さな焚き火を作って、小型の携帯用ケトルをかけてお湯を作った。
「カップラーメンがあれば、繋ぎに食べちゃうんだけど。まずは、お茶でもしようかなっと」
蔵人は、マイカップに白湯を作ると、袋のなかからコニコニ草という、ココアにそっくりな茶色い粉と砂糖を入れて、ダミーココアを作成した。あくまでダミーなので味は果てしなくチープだった。
そうこうしているうちに、夕食は完成する。
蔵人はがはがは笑いながら、とりスープとチーズリゾット、干鱈の焼き物ときのこと乾燥野菜の炒め物、特大ハムを炙ったものをぺろりと平らげた。
「がはは。この豚さんの太さ、ヒルダの腹に似てるな」
「うううっ、嘘ですー! 私のおなかはそんなに丸々としてませんっ。訂正を要求しますっ」
適当にヒルダをイジってから眠りについた。多数の石柱があるので、簡易的な結界は貼りやすかった。なにものかが近づけば、柱の影に貼った特殊な魔石が鳴り響く仕掛けである。
不寝番はふたりひと組で交代に行う。蔵人は、シュラフが隣り合った、ポルディナの胸に顔をうずめたり、カレンの下ろした髪に顔を突っ込んで匂いを嗅いだりして、しばしじゃれたあとおとなしく眠った。
特に、休む時間というのは一定ではないが、全員最低でも七時間は眠れるように設定した。
翌日、テント撤収中の一行を襲ったのは、巨大なひとつ目を持つ巨人であった。
サイクロプス。それも、以前蔵人がシルバーヴィラゴ市中で戦った個体とは、贔屓目に見て倍近くの大きさがあった。サイクロプスは七メートルには達する巨体からは似つかわしくない素早さで、ポカンとしているポルディナを片手で掴み上げた。
「おい、ふざけんなコノヤロー! ポルディナを放しやがれッ!」
蔵人が激しく吠えながら突っ込んでいくが、頭に血が上っていたため、ほとんど瞬間的に蹴転がされてしまう。蔵人は、無体にいじめられた仔犬のような容易さでコロコロと回転すると、石柱のひとつに頭を叩きつけて、目を回した。
そうこうしているうちにも、頭上ではサイクロプスの手のなかから逃れようとポルディナがうんうん唸っている。
ルールーが素早くナイフを投擲するも、分厚い筋肉の鎧に覆われた腹筋は、刃の半ばが刺さった状態でも毛ほどの痛みを感じないのかケロリとしていた。
サイクロプスはまとわりつく蔵人たちを鬱陶しそうに咆哮しながら牽制すると、そのままポルディナを抱えてくるりと反転した。
ひとつ目の巨人は器用に石柱をよけながら徐々にスピードを上げて遠ざかっていく。見失ってはマズいと判断したルッジが、魔道書を素早くめくりあげると、サイクロプスの足元へと魔術でもってして泥池を形成させた。土属性に類する魔術である。白っぽい足元の石畳はたちまち焦げ茶色の粘った泥の海に変化して、サイクロプスの右足を膝のあたりまで飲み込んだ。
今がチャンスと、蔵人は外套を翻しながら大きく跳躍すると、巨人のたてがみのような毛が生えた背中を真一文字に斬りつけた。ギギッと骨をこするような音が鳴り響く。巨人もさすがにこれにはこたえたのか、手元からポルディナを落としてしまった。
巨人はバランスを崩すと石柱に倒れかかって、ついにはメリメリと目の前のそれを押し倒してしまう。白っぽい粉塵が濛々とあたりに立ち篭め視界が白く濁っていく。
ぐおう、と憤った雄叫びがサイクロプスから上がる。巨人は憤懣やるかたないといった表情を作り、恨みの篭ったひとつ目で凝視してきた。
「カレン、今だ! 目だ、目を狙えっ!」
「任せて、ようっ」
カレンは得意のエルフィンボウに矢をつがえると、巨人の無防備な瞳に向かって速射した。
風の魔力を帯びた矢は、羽がかろうじて残る程度までサイクロプスの眼球に突き刺さった。
これにはたまらず、巨人も両手で顔の中心部を押さえながら激しく絶叫した。
胴体を押さえつけられていたため、咳き込んでいたポルディナは今がチャンスとばかりにすぐさま倒れていた石柱を全身を使って両手で頭上に差し上げた。常軌を逸した膂力で持ち上げた石柱は、えいやっ、とばかりにサイクロプスの禿頭に激しく叩きつけられた。
ごおおん、と大型トレーラーが正面衝突したような破砕音が轟いた。蔵人は、今や、両膝を地に着けてあえいでいる巨人の背を一気に駆け上がると、黒獅子を閃かせて、ただの一度で首根を叩き斬った。間欠泉のように多量の血潮が巨人の切断面から噴出する。蔵人は巧みにトンボを切って巨人から離れると、額に湧いた汗を平手で拭って、ふうと、大きく息を吐きだした。
「なんでいきなりあんなのが湧いて出んの? ホント、迷宮って無法地帯だわー」
「つべこべいわずに歩く。ホラ、もう着いたぞ」
蔵人がグチグチいいながら歩いていると、いつの間にやら石柱地帯を抜けて、階下へ続く階段の見える場所に到着していた。サイクロプスとの激闘から小一時間も経っていない。恐るべき天元分儀のナビゲーション能力であった。
引き続き、潜りに潜る。二十三階層である。今度は、珍しくも、整った通路がある区画であった。と、いうかはじめてのような気がしないでもない。
「敵影発見しました! 八体ほどまとめてやってきます」
「今度はカニさんかよ」
ルールーの報告を受けて一同が敵に備える。蔵人たちのゆくてを阻んだのは、グレートクラブという、体高百六十センチほどのカニ系モンスターであった。
ルッジ曰く、口から吐き出す「痺れ系」泡にさえ気をつければそれほど凶悪な特性は持ち合わせていない、とのことだ。
ここでは、打撃系のウォーハンマーを装備しているポルディナが八面六臂の大活躍を見せた。真っ赤な甲羅が目にも鮮やかなカニの軍団を、ぼこりぼこりと叩き潰してゆく。カレン、ルッジが後方から魔術と弓矢の援護射撃を行い、レイシーが「ねむりのうた」の呪歌を唄って、敵の進撃を著しく減退させた。
水精霊とのハーフであるレイシーの歌は、文言にある意味合いよりも、音律に込められた魔力によって、敵の身体に作用するらしい。この際、敵モンスターの知力が高ければ高いほど効果は極めて高く、軟体系のゲル種などには比較的効きにくいということが理解できる。
泥のような眠りで動きを止めた八体のグレートクラブは、素早く殲滅された。
「はーいいたいのいたいのなおるなおるー」
ヒルダがほとんど前面で敵の攻撃を引き受けたポルディナの打ち身をヒールで回復させる。
どうなることと思ったが、ヒーラーとしての彼女は実に有能かつ献身的であった。
「あれ? どうしました。ははん、さては私の慈母愛あふれる清楚な物腰にきゅんとしちゃいましたかね」
「いや、いつもこのくらい働いてくれると嬉しいかなって思っていたんだが」
「ひどっ」
「いやいや、ちゃんと俺は評価してるからな。ハナ丸を上げよう。なでこなでこ」
「えへへ」
蔵人はヒルダの頭を頭巾の上から撫でてあげると、彼女は目を細めて微笑んだ。
「しかしなんだな……」
「なになにー」
隣を歩いていたレイシーがクリッとした目を輝かせて聞く態勢を作る。こういうことに関して彼女は本当に上手いと思う。ぷっくりしたつややかな唇をセクシーだ。
「あいつらがいなくてもけっこう、俺たちだけでイケるもんなんだな、と」
「そんなふうにいわなくてもクランドはすごいよっ! きっと、クランドひとりだけだってダンジョン攻略できちゃうんじゃないかなっ」
「んんん。うへへ、そうかな。そうかもな。がははっ」
「単純なやつう」
カレンがジト目でぼそっと呟くが、調子に乗った蔵人にはまるで聞こえていない様子だ。
「レイシーのいうとおりです。ご主人さまのご威光があれば、無知蒙昧な魔物どもも、競って退散、帰順するでしょう」
「……ポルディナ、君は本気でそんなことを。ヤバイな。これはかなり本気だ」
ルッジが太鼓持ちよろしく主人をヨイショする犬耳メイドに語りかけるが、彼女の瞳は狂信者と同じく透き通った輝きを強く放っていたのでそれ以上はなにもいえなくなった。
「しかし、このポータブルナビはホントによくできてるよなぁ」
「ん。ポータブルナビってなんだい?」
「いや、こっちの話です」
「そうか」
ルッジはそれだけいうと、再び手元の天元分儀に熱中しだした。まるで、スマホに精神を乗っ取られた女子高生かのような傾倒ぶりである。よく磨かれた水晶球の表面をしきりになぞっては、「おお」とか「あっ」などと漏らしている。ほかのメンバーはあまりこういった込み入った機器には興味が惹かれないらしく、耳を傾けるとファッションや最近見つけた食べ物屋、街で見かけたイケメン騎士の話に熱中している。
まあ、それが普通だよなぁ。ルッジから、コレ取り上げたら泣いちゃうかなぁ。
ぼうっとしながらひたすら歩く。特に敵にも出会わなかったので、ルールーに剣の手入れに関して少し聞いたら、彼女はほとんど二時間ほど蔵人にひとことも口を挟ませず怒涛のごとく持論を展開させた。
正直、もうお腹いっぱいだったり、途中で見かねたカレンが「アンタ、もうそんくらいにしときなさいよ」と制してくれたのだが、ルールーはなにかに取り憑かれたかのように、ナイフの話から脱線して、故郷の村や最近食事が旨すぎて少しばかり肥えたことなどを延々と話し続けるのだった。蔵人は、途中で全自動うなずきマシーンと化すのだった。
こうして、蔵人が地球の成り立ちと世界の興亡に思いを馳せていると、二十四階層に続く降り口に到着した。サイクロプスに壊された装備や、二日で三層も攻略できたこともあって、近場の目立たないところに転移陣を張り巡らせると、今回の冒険に区切りをつけるのだった。




