Lv240「恐怖!エルフの穴」
ことの発端はシズカが洗面所でヴィクトワールに絡みだしたのが運の尽きであった。この朝、幸か不幸か、両者の起床時間がまったく重なったのは偶然としかいいようがない。
姫屋敷は完全な女所帯に等しいため、化粧及び洗面に使用する鏡台は、露天掘りのすぐそばに特別室を設えてあった。
無論のこと、特別に樋を引いて作った水場からは豊かな水を使い放題である。近頃、改善しつつあったシズカとヴィクトワールはふたりとも大人の対応で、なるべく一緒にならないよう互いが気をつけていたのであるが、鉢合わせということもなくはない。
ちょうどその場に居合わせたメリアンデールは、最初「やだなぁ」とか「なにごとも起こりませんように」とか神に祈っていたのであるが、シズカははじめから意図があってヴィクトワールに絡んでやろうと思っていたのだろう。ヴィクトワールの姿を見かけるやいなや、いつもであるならばそこにいない者として対応するはずなのに、その日に限って自分から近づいていった。
巻き添えを食ってはと、元々がそのような諍いごとに興味のないカレンがパタパタと足早に去ってゆくと、メリアンデールだけが取り残された。悲運である。
シズカは傍から聞いていても理不尽なものいいで突っかかっていったのであった。
うわぁ、露骨ぅ。と思わないでもない。腹芸などできないふたりだ。思ったことはなんでも口に出す。ある意味、嘘のない関係といえば聞こえはいいが、こういう場合は互いの握った爆弾の導火線に火をつけ合っているようなものだった。
シズカは、昨日、ヴィクトワールが蔵人と昼食会に出たことも気に入らなければ、その帰りに彼女だけが「香水」というプレゼントをもらったことも心底気に入らなかったらしい。
こういう場合の妬心は、本人にとって腸が煮えくり返るような怒りであり、男には理解できな根の深いものであった。
「ヴィクトワールも最初は流していたんですけどっ。その、シズカの手から、香水瓶が、こうすべって落ちて、ガチャンって。シズカもはじめは謝ろうとしてたんですけど、ヴィクトワールがあまりにも口汚く罵るから。もう、止められないくらいの大喧嘩に……。ごめんなさい、わたしじゃとてもどうしようもなくて……」
「あちゃあ。ま、メリーは悪くねえよ。ぜんぶ俺のせいだからな」
蔵人は気持ち走るのを遅くして、胸にせり上がってくる重たいものを無理やり飲み下した。
凄まじいほどの恋の鞘当てであり争いの種を作った張本人が出て行ってどうにかなるものなのかと思うが、それでも黙ってそのままほっかむりというわけにもいかない。
洗面所に、蔵人及び一同が迫ると、扉の入口からものすごい声で怒鳴り合う若い女同士のキンキン声が聞こえてきた。キリリと胃の腑が痛んだ。
「今日という今日は絶対に許すことはできないっ。さっさと素っ首差し出せ!」
「それはこちらとて同じこと。成り上がりもののバルテルミーめ! 我が剣を快く受けよ!」
「誰がへっぽこエルフじゃ、舐め腐りおってからに。我が魔道剣で屋敷ごと灰にしてくれるわ!」
見れば諍いの渦中にドロテアが加わっていた。化粧の途中であったのか、いつもは綺麗に結ってある髪がザンバラに流れている。蔵人にとってはあまり嬉しくない光景である。
「……おい、変なのが一匹増えてるぞ。こーら回れ右するな」
「クランドさんの不始末でしょおおっ。私は教会で朝のお勤めがあるのですよおっ」
蔵人はヒルダの首根っこを捕まえると脇に抱えた。苦しみは分かち合わねばな。
「お祈りがっ。神聖な儀式がっ」
「だいたいよ、そんなの一回も出たことないじゃないか。チッ。こういう日に限ってアルテミシアは巡回の日なんかい」
ルッジが魔道書を開くと、いつでも詠唱に入れるよう準備を整えた。
「どうする。力づくで止めるか?」
「うーん。マジでどうしよ」
「わわわ。どどど、どーしよ。喧嘩はよくないよー!」
蔵人が悩んでる間、レイシーがテンパって洗面所に先陣切って突入した。待てと、押しとどめる暇もない。
すかさず、蔵人も続いて洗面所に入った。血走った目をした三人の女傑がギロリと睨みながらお出迎えだ。
レイシーがとにもかくにも鎮めようと、「ねむりのうた」の呪歌を唄おうとすると、素晴らしいタイミングでシズカが濡れたタオルをレイシーの顔面に放った。
んんぶっ、とレイシーは顔をタオルで塞がれもがく。そのうちに、すでに抜刀していた三人が同時に踏み込んで刃を合わせた。ギンッと硬い音が鳴って、小さな火花が散った。
「ちょーっと待った! ちょっと待ったぁ!」
蔵人はもうこれ以上はマズいと判断すると、たちまちは外套及び上着を脱ぎ捨て、諸肌を晒すと白刃のなかに身を投じた。
幾ら頭が火のように熱くなっていても、想い人まで切り刻むほど理性を失っているわけではない。シズカたちは、鼻面を無理やり引きずり回された闘犬のように、ううっと唸ると不満げに五体を震わせ、歯噛みにしながら形容し難い顔をする。
「いいかげんにしろよっ! なにやってんだ、バカヤロー!」
獅子吼とはまさにこのことだ。低く、轟雷が鳴り響いた。さすがに本気になったときの蔵人の声量は並大抵のものではない。蔵人が本気で怒っているとわかると、シズカたちは不承不承武器を鞘に収めて、互いに顔を背けて黙りこくった。
「屋敷のなかで、刃傷沙汰だなんて、冗談でも家族に刃を向けるようなやつは本気でこの家にゃ置いとけねえぞ……」
声を潜めていった。むしろ聞き取りにくいくらいだが、有無をいわさぬ迫力があった。水を頭からぶっかけられたように、言葉の意味を悟った三人の顔がみるみるうちに青くなった。
「そんな、だって! シズカが悪いんだァ……!」
最初に泣きを入れたのはヴィクトワールだった。感情を上手く塞き止めることができないのか、涙が金色の瞳に盛り上がっている。同じく強がって両腕を組んでそっぽを向いていたシズカが目尻に涙を溜めながらしゃくりあげる。
「だって、だって、私だって。わざと落としたんじゃないもんっ!」
「わらわは悪くないんじゃ! 止めようとしたのに、ふたりを止めようとしたのにっ。どうして、わらわばっかり貧乏くじを引くのぉお! 追い出されるなんて嫌じゃあああっ!」
こういうときの女同士の共感能力は目を覆うものがある。止めに来たはずの、ルッジやレイシーまで蔵人を非難するような目で、薄く涙を浮かべ、ほとんど呼応するように泣き出した。
もう止まらない。もうどうにもできない。
「あー、わかった、わかったからー。おまいら泣くのやめれよ……」
男は涙に弱いものだ。こうなれば蔵人はたちまちオロオロするだけの道化に成り下がる。
えーえー。どうせ、わたくしどもはヘタレでございますよだ。
たちまち嘆きの大合唱。蔵人が、苦心してなだめすかして、一同がまともに話せるようになる頃には、中天に太陽が登りきった時刻になっていた。
「だいたい事情はわかった。ま、なんだ。シズカが一番悪いな。人のものを勝手に取り上げて、あまつさえ割ってしまうなんて。ちゃんと反省しなさい」
三者プラスメリアンデールの話を総合すると、どう贔屓目に見ても、ヴィクトワールの香水瓶を取り上げてからかったシズカに分はなかった。彼女も、最初は謝るつもりであったが、ヴィクトワールに一方的に糾弾されて逆ギレしたということだ。
ドロテアはあくまでふたりを止めに入ったが、会話の途中、なぜか彼女の剣術の流儀がバカにされ刃傷にいたったという。理解不能。極めてしょうもない事件であった。
「だって」
シズカはいつもの凛とした表情はなく、父親に叱られた童女のような目をうるませていた。
「だってじゃないっての。コラッ」
シズカはくにゃっと顔を歪ませると、「裏切られたっ」というような悲壮な目をした。なんともいえない悲哀が色濃く滲んでいる。男であれば守ってやりたいと思う心を強くかき立てずにはいられない目だ。
赤く目を腫らしたヴィクトワールがペタンと座りながらもどこか勝ち誇った顔をした。それが気に入らないのか、シズカがすぐさま目を三角にすると、蔵人がすぐさま威圧する。再び泣きそうな顔。正直、これではキリがなかった。
「まあまあここは私に裁定させてくださいな、クランドさん」
ヒルダがお姉さんぶって、黙ったまま女の子座りをする、シズカとヴィクトワールの頭を撫で撫でしながらいった。
「遊ぶんじゃねーぞ」
「それくらい心得ておりますよ。……ふーむ、おふたりはやはりこのままでは遺恨が残る。ドロテアさんは、お流儀をバカにされて悔しい。むう。むむむ。考えまするに、ここはもう、銀星杯武闘大会に三者で出場して、その戦績で決着をつけるしかっ!」
「おーい、これはまた無理やり繋げてきたなぁ」
「そうだな。それが手っ取り早いか」
シズカが目元をゴシゴシやりながらうなずく。
「面白い。その銀星杯とやらで真の決着をつけよう」
ヴィクトワールはすっくと立ち上がると腰に手を当てて高らかに宣言する。足元ではいつの間にか駆けつけたハナが、「わーぱちぱち」と手拍子を打っていた。
「しかし、これはあまり平等ではないのう」
「ああっ、まとまりかけていたのにっ」メリアンデールが嘆いた。
「どういうことだってばよ」
蔵人の中ではもう、かなりどうでもよかった。このまま、なにごともなかったように日常に流れてゆきたい。ただひとり、レイシーだけは「やめようよ。武闘大会なんてあぶないよお」とぶつぶつ呟いていた。
「わらわのトピア流剣術は強すぎてのう。ふたりに余裕で勝っちゃうかも、なのじゃ」
聞き捨て、ならないな、とシズカとヴィクトワールが続けざまにいった。蔵人は、こいつら仲いいじゃんと思いながら首を左右にコキコキ鳴らしながら振る。
「――我がトピア流剣術は天下無敵。おまけに魔術が使えるわらわが銀星杯武闘大会に出場すればぶっちぎりで優勝しちゃうのじゃ。と、すると、これはハンデをやらねば。たとえば、わらわが仕込んだ剣士を代理で送り込む、とか」
要するにドロテアは自分の剣術の有用性を逐一示して、ふたりよりもはるか高みから「ぷぎゃー」したいとのことだった。どんだけ上目線なんだよ、と蔵人は思う。
「お、俺は関係ないからねっ」
すぐさま予防線を張った。いまさらキツい修行とかしたくないし。
「ちょっとヘタレた勇者さまはともかく開会まで、あと半月くらいしかないのですがー」
ハナが補足する。
「ふん。そやつはわらわからのマンツーマン伝授を拒否した男。もはや用はない。実はの、こんなこともあろうかと前もって、いい人材に目をつけて置いといたのじゃよ」
「どんだけ未来予測できんだよ、おまえは……」
「で、とりあえず聞いておこうか。それは外の人間かい?」
ルッジの疑問も理解できる。大会まであと半月ならば、ドロテアのいうトピア流剣術なる怪しげな技を仕込むのも、ある程度基本の土台固めができた他流の剣士ではなくては不可能。とすれば、自然と人選は外の人間となるであろう。
「まったく目のきかない人間ばかりじゃのう。わらわの骨身に染みついたエルフ一族伝説の技を受け継ぎし才能のある者は……。こやつじゃ!」
「え、あ、え?」
指名されたメリアンデールは、石合戦を行っていた猿の群れの一方が、突如として敵グループからMINIMI(小型機関銃)の一斉掃射を受けたように、魂魄離脱状態となった。
「ちょっと待った。ドロテアよ、それは本気でいっているのか?」
「当然じゃよ、シズカ。そしてわらわは入れチチではないわ。天然素材じゃ」
「いや、そんなのどうでもいいが。すまん、先ほどは私もいい過ぎた」
シズカが素直に詫びた。
「あはー。ということは、この三者。お嬢さま、シズカさま、メリアンデールさまで銀星杯武闘大会の成績を争われる、ということでよろしいでしょうかー。成績上位者が、残りのふたりにどんなことでも命令できる、という感じで」
「問題ないな」
「シズカ。半月後がおまえの命日だ」
「ふふふ。わらわの仕込んだ弟子が、お主らを残らず打ち倒してくれようぞ」
「わたし全然関係ないんですけどっ!」
「にゅふふ。してやったりですよ、これはヒルダちゃん億万長者パターンですっ」
「レイシー」
「うん、わかってる」
「みぎゃあああっ!」
こうしてほとんど収拾がつかないまま、因縁の決着は持ち越される形となった。
「残り半月。姉さまのことは頼んだぞ」
☆ヴィクトワールがパーティーから外れました。
「クランド。必ず私が勝つ。だから、祈っていてね」
☆シズカがパーティーから外れました。
「ハナはお嬢さまのお世話があるのでー」
☆ハナがパーティーから外れました。
「勝つのはわがトピア流じゃ! 見ておれよ!」
☆ドロテアがパーティーから外れました。
「わたしはだからまったくもって関係な――あああっ助けてーっ! クランド!」
☆メリアンデールがパーティーから外れました。(強制です)
「なんでだ。明日っから、ダンジョン攻略またはじめようと思った先に。なにこのクラン崩壊イベント。スターリン大粛清イベントじゃねえっての! やだっ。なにこの脳内だけで響くステータス音はっ。ううっ、ポルディナ。ルッジ。それにレイシー。おまえたちだけが心の支えじゃい」
蔵人は、メソメソしながら、三人に寄りかかった。母性本能を刺激された三人は、蔵人を代わる代わる慰めた。その影に、ひとり。この期に乗じて、祭りの日まで身を隠そうとする修道服の聖女がひとり。
「そろーり」
☆ヒルダがパーティーから外れました。
「逃がさねーよ。貴重な薬箱をっ」
「やーん。おうちでぬくぬくしたいんだよっ」
蔵人はジタバタするヒルダを拘束すると、強制的に次回のクランメンバーに組み入れた。
ことが決まればドロテアの行動は早かった。気づけばメリアンデールはわずかな着替えと荷物を持って、馬車に揺られながらシルバーヴィラゴを後にしていた。意味がわからない。
(なんだろうこれは。わたしは武闘大会になんか出たいなんてひとこともいっていない。いっていないよね? いっていないはず。あれ、でも、もしかしてボーッとしているうちに、そういうふうに取られる発言をどこかでしたのかな? かな? ああっ、もおわかんないよおっ)
メリアンデールは薄暗い馬車のなかで、膝を抱えながら昏い目をしていた。対するドロテアは鞘からよく研いだ長剣の輝きにジッと瞳を凝らしている。どこか思いつめた表情だ。重苦しい沈黙が馬車内に立ち篭めている。
気晴らしに外を見ると、ドンドンと人里離れた僻地へ移動しているようでますます気分は重くなった。全身の関節が鉛を埋め込まれたようで、鈍い音がギシギシ鳴っている。ここまで来るのに、すでに二日かかっている。無論寝ずの移動である。
銀聖杯武闘大会まで、あと十二日間しかない。メリアンデールは思う。ドロテアがなぜ自分を指名したのだろうか、と。あの場にはヒルダもいたのだ。
彼女は、一応はそれなりの師範から剣術や杖術を習っているので、ほぼ素人同然の自分を仕込むよりも可能性は高いはずだ。
自問自答を繰り返していると、軋んだ音を立てていた車輪が突如として止まった。ドロテアは目にも止まらぬ速さで納刀すると、闘志を全身からみなぎらせて、力強く叫んだ。
「ついたぞ、メリー。心して聞けい。ここが、わらわたち一族が秘伝をその身に叩き込む際に訪れる地獄の鍛錬場。通称、エルフの穴じゃ」
メリアンデールは「なにをいっちゃってんのこの人」というような目でドロテアを見た。馬車から無理やり引き摺り下ろされた場所は、実に殺風景な場所であった。まるで人気の感じられない渓谷の入口である。
メリアンデールは「神さまわたしなにか悪いことしましたか」というふうに己の信仰そのものへと疑念を抱きつつ、意気揚々と背中を押すドロテアに無理やり有無をいわさず、前へ前へと進まされた。寂しすぎる場所である。ありていにいうと、盗賊が殺した死体をポイしちゃうような場所で、わたし殺されちゃうのかな、とか思った。
頼みの綱の馬車は、中年の馭者が「ハイヨーシルバー!」などとほざきつつ、あっという間にその場を逃げ去ったので、生還率は限りなく低くなった。
というか、なにかあっても助けを呼べない。それよりもなによりも、やたらとニコニコしているドロテアの笑顔が怖かった。屏風のように切り立った崖のなかへ分け入ってゆくと、メリアンデールは徐々にお腹が緊張で痛くなってゆくのを感じた。
(ああっ。なんだろ、この感じ。そうだ、なんか苦手なことを放置しておいて、それがあとになって取り返しのつかなくなった状態でバレちゃうような感じだ……!)
「どうしたのじゃ、メリーよ。これからは、厳しくも楽しいトピア流剣術の伝承がはじまるのじゃ。楽しすぎてわくわくするじゃろう」
「もうわたし、帰ってもいいですかねぇ」
ドロテアは再びにっこり笑うと「ダメじゃ」と無機質な声でいった。メリアンデールの絶望が加速されてゆく。すでに気分は屠殺場に引かれてゆく家畜の思いだ。
もはや邪気のないドロテアの顔すら憎く思えてきた。こうなるまえに逃げ出せばよかったろうにと思うと、自分の意気地のなさがさらに悔やまれる。
そうこうしているうちに、気分をよりいっそうダウナーにさせる洞穴に到着した。
ドロテアが、腰に手を当てながら豊かな胸をぷるんと震わせ気味に「ここがエルフの穴じゃ」といい放った。
メリアンデールは近場に手頃な岩がないか探してみたが、殺気を読み取られたのか、ドロテアが器用に首を動かして背後を見やった。
うえっ、と変な声が自分の喉から飛び出た。なにがおかしいのかドロテアはかんらかんらと快活に笑い飛ばす。
猜疑心の強い狼は首を真後ろに回せると聞いたことがある。けど、今の行為はたぶん関係ないだろう、そう思いたいとメリアンデールは自分に強くいい聞かせた。
「ゆくぞ」
「いきたくないけどはい、です」
穴のなかは絶望するほど暗かった。メリアンデールは手にしたランタンに明かりを灯そうとしたらドロテアに止められた。曰く、「反射神経と直感を養うため」だそうな。
こんな日に限ってカカトのある靴を履いていたので転ぶ。転びまくった。ふええ、と泣き真似をしてみせるがドロテアは無反応のままスタスタ前をゆく。
蔵人がいればすぐさま寄ってきて大丈夫か、とか声をかけたり足をさすったりおんぶしてくれたものだが、今はいない。実に大切な存在であったのか、いないときほどよくわかる。
自分は承認欲求の塊だ。会話に返答がないだけで、無視されたのかと思って自分の存在が希薄になってしまう。
「とかなんとか考えてても手も貸してくれないんですよね。とほほ」
訳のわからない暗闇でひとりぼっちにされるのも恐怖なので歯を食いしばって後をついてゆく。
メリアンデールにとって苦しい時間が続いた。
途中、なにもかもを遮る巨大な壁が立ちはだかっていた。なんだ、ここで冒険はおしまいかな。やたっ。とメリアンデールの思うようにゆくはずもなく。巨大壁はドロテアが奇妙な呪文を唱えると、轟音を鳴らして左右の壁に吸い込まれていった。
「な、なんということを」
「ふふ。メリーよ。案ずることはない。ここは秘密の鍛練場じゃ。こうでもせねば、ほかの部族の者に容易に知られてしまうでの。もっとも、お主はわらわの妹みたいなものじゃからのう。いわば、特別じゃ」
ドロテアはかっかっと機嫌よく喉を鳴らして笑う。
だが、メリアンデールには言いたいことがあった。
――てか、わたしまだ部屋着なんですけど。
よろばうようにドロテアの後を遅れずに、なんとかついてゆくと、広い吹き抜けに出た。周囲には、岩壁に密生しているロムレスヒカリゴケが淡く光っておりまぶしいくらいだった。
次第に慣れていった目をようやく開くと、大空洞の中央には百五十センチほどの石碑がちんまりと建っているのが見えた。
ドロテアが無造作にその石碑に近づき、メリアンデールを手招きしている。内心、舌打ちしたい気分で寄ってゆくと、不意に利き腕を取られて、無理やり石碑の上部を触らされた。あっ、と思う間もなく、激しい発光が石碑から放射される。
「こ、ここは……?」
メリアンデールが目を開けると、そこにはまばゆいばかりの日差しに包まれた小高い丘の上であった。むせるようなほどの濃い緑の草木が視界の向こう側にどこまでも広がっている。小鳥がぴちちと囀り、目に染みるような花々が咲き誇っている。
「ここはわらわたち森エルフが生涯に三度だけ入ることを許された楽園。ゆえに、エルフの穴。ここでは十日過ごしたとしても、外界では一日しか時間が流れておらぬ。我らに残された時間は、銀星杯武闘大会がはじまるまで、移動時間を除けば十日ほどしかない。あとは、わかるじゃろ」
「え、あ、えと。十分の一ってことは、外の時間に換算すると、ひのふのみの、え! じゃ、じゃあ、もしかしてわたしって、こんなところで百日近くも、その、剣術のお稽古をしなきゃならないって。……あの、ドロテアさん。嘘ですよね。冗談ですよね?」
「わらわも、三ヶ月以上クランドと離れるのはさみしくてたまらぬが、それ以上我がトピア流剣術をバカにされたことが許せんのじゃ! わらわが、戦ってしまえば、シズカとヴィーに勝つことは容易いが、それでは剣術の優位性を示したことにはならぬ。あくまで、ド素人であるお主を鍛え上げることによってだな――。おい、待て! どこにゆくつもりじゃっ!」
「ひーん。放してくださいよー。わたし、そんなことこれっぽっちもやりたいなんて、いってないじゃないですかーっ!」
「メリー、お主悩んでおったのではないかのう」
「なにが、ですか」
メリアンデールは襟首を掴まれたままドロテアの言葉に逃走を一時的に中止した。
「お主はクラン内において戦闘要員ではない。あくまでサポート。ヒルダやレイシーたちは割り切っていても、どこか、こう思っていたんじゃないのかのう。わたしは、もしかしてお荷物じゃないか、とか。なになに。態度でわかるのじゃ。なあ、メリー。わらわが伊達や酔狂、あるいは意地になってお主をあのふたりにけしかけようと思っておるじゃろ」
「違うんですか?」
「――ぜんっぜんちがーう! わらわは、お主をお主以上に買っておるのじゃ。お主は、見かけの華奢さとは似つかぬほど体幹もいいし、運動神経もすぐれておる。鍛えようによっては、わらわや前衛組に次ぐ程度の近接戦闘能力を得ることも不可能ではない。
お主には、戦うための天賦の才があるのじゃ! わらわに任せよ。お主が抱えておるコンプレックスなど、十日後にはとうに消し飛んでおるわ。賭けてみてはくれぬかの。わらわの、いいや。このトピア流の剣術に」
「わ、わかりました。やります。やってみせますっ。女メリアンデール! クランドのお役に立つため、いっちょう頑張っちゃいますっ!」
「よおおしっ。それでこそわらわが見込んだメリーじゃ。じゃ、これ」
ドロテアは、素早くメリアンデールの腰に縄を結わえると、実にいい表情で、両手をパシンと打ち鳴らした。メリアンデールが縄の先を見ると、重さ百斤(約六十キロ)もありそうな鉄球がくくりつけられていた。
「なんですか、これは?」
「なにをするにしても、まず足腰。というわけなので、メリーにはまず筋骨を養うために、走り込みをしてもらおうと思うのじゃ。あっこに、ぴょこんとした大きな樹が見えるじゃろ。あそこまでな、走って木の幹に印をつけて戻ってくるのじゃ。そんでは、スタートっなのじゃ!」
「参考までに、ドロテアはあの樹から往復するのにどのくらいかかりましたかね」
「うーん。まあ、調子のいいときじゃったら、朝食をとってからすぐに出発したとして、遅くとも夕方には」
「やめますっ」
「ああっ、嘘じゃ嘘じゃっ。せいぜい半日もかからんて!」
「やだー。絶対ヤダヤダッ。わたし、馬車馬じゃありませんっ。そんなに走れるわけないじゃないですかっ。帰るううっ」
「ちょっ、こらこら。暴れるでないわっ。第一、わらわが石碑に触れねば、お主は外界には戻れぬ仕組みになっておっての! こらああっ。あ、縄抜けじゃと?」
「ふえええっ。もうやだー」
かくして、ドロテア指導する剣術の猛訓練が人知れずはじまった。
同刻。蔵人は自宅において、あっという間に半減した戦力をどのように配分してダンジョンに挑もうかと、脳に汗をかかしていた。
まず、ゴドラム教団のこともあり、子供たちがいる屋敷をカラにすることはできかねる。すると、ある程度に戦闘力があって冷静に対処できる人物を、少なくとも二、三人残す必要があった。蔵人はこれに、アルテミシア、リザ、ネリーを残し、補助としてリネットをあてた。
とすると、ダンジョンに挑むのは自ずと、蔵人、ルッジ、ポルディナ、レイシー、ヒルダ、ルールー、カレンになってしまう。
前衛は、蔵人とポルディナのふたりだけになってしまうが、いつまでも休養を続けているわけにもいかない。こうしている間にも冒険者のライバルたちは、ドンドン下に向かって階層を攻略しているだろう。不安は募った。
「てか、メリーたちはどこにいったんだっけ?」
「エルフの穴だそうです」
ダンジョン入りの荷造りをしていたポルディナが即座に答えた。
「そうか」
蔵人はなんでその名称ナチュラルに受け入れてんの? とか思ったが、これ以上思い悩んでいても意味がないので、とりあえず頭のなかの疑問スイッチを切った。




