Lv238「ヴィクトリア暗殺指令」
「次はない。そういっておいたはずだ」
その声は、地の底から響く悪魔の囀りのように、闇のなかへと広がっていった。壁際にかけられた蝋燭の仄かな灯りのみが、男の青く冷え切った横顔をわずかに照らしている。
狭い一室には、十三の椅子がぐるりと円形に並べられており、男はその椅子に座っている人々から静かな糾弾を受けていた。男がなにごとかを反論しようとしたときに、小さな音が鳴った。
次の瞬間、サークルの中央にいた男は、自分の喉元から生えている短剣の柄を握り締めながら、ゴボゴボと多量の赤黒い血泡を吐きだした。瞳は今にも裂けそうなくらいに見開かれており、ギョロリと張り出した眼球の白い部分が、あっという間に無数の朱線で埋め尽くされた。
どう、と膝から崩れ落ちると横合いにいた僧形の老爺がしなびているが、太く、力強い腕で男の喉元に生えていた短剣を抜き取った。血塗れた刃は灯火に映し出されて、鈍く輝いた。
「また、失敗か」
ゴドラム教団大司祭リュック・ゴドラムは、胸まで届く白い顎鬚を撫でながら、今しがた神の意思に背いた「背教者」が粛清されて生まれた血の海を、無機質な灰色の瞳で凝視していた。
ロムレス大陸最大の邪教と呼ばれるゴドラム教団は、「預言者」を別格とすれば、彼の弟に当たる大司祭リュックを頂点とし、それを支える十三人の司祭の手によって統括されていた。
かの教団が、現在最優先で的にかけているのは、宗敵代表ともいえるアンドリュー伯の長女にして、今もなお代理領主として絶大的な権限を振るうヴィクトリア・ド・バルテルミーだった。
「女狐め。案外とガードを崩さん」
「なにが手練だ。これで今月に入って七人目か」
「おまけに、教団一と謳われた隠形の達人がこのザマだ。話にならん」
「ならば正攻法はどうだ。奴隷解放同盟ではないが。適当に、幾つか煽ってその隙に」
「我らとて資金は無尽蔵ではない。それに、解放同盟には入れ込みすぎた」
「とうに足は出ているということか。金をドブに撒いたようなものだな。情けない」
「静粛に。いまさら、終わってしまったことに拘泥しても意味がない。司祭のお歴々よ。かの宗敵を駆除せんと名乗りを上げる者はおりませぬかな」
大司祭が批判の声を遮って周囲を睥睨すると司祭たちは揃って押し黙った。ガードの固いヴィクトリアは尋常一様な手立てで殺せないことを知っていたからだった。
下手に名乗りを上げて、再び失敗、ということにでもなれば、ここにいるほかの司祭に水をあけられてしまう。まずは、様子見。というのが賢いやり方ではあるだろう。
リュックは椅子に腰かけたままの集団をジロリと睥睨すると、これもまた押し黙った。異様に張り詰めた緊張感が室内に漂った。魚油の焦げる臭いが不快なまでに立ち篭めている。
「誰もいない。とあらば、此度の一件は僕に任せてもらえないでしょうか」
最初に沈黙を破ったのは、まだ年若い少年の声であった。
「司祭シトラス。貴君はなにか秘策でもあるというのか」
リュックは小柄な司祭に向き直ると乾いた声で問うた。
「秘策、というほどではありませんが。すべてはゴドラムが教え導いてくれるでしょう」
リュックは白い顎鬚を節くれだった長い手でしごきながら、まだ年若い、少年といっていいほどの健気な殉教者をジッと凝視し、厳かに告げた。
「特に問題はない、かと思う。今回の宗的排除の任は、第八位のシトラス卿に命ずる」
「ゴドラムの名のもとに」
会議は幕を下ろし、十三人の司祭は、それぞれ席を立って部屋の出口へと歩み寄っていく。
大司祭が部屋を出たところで、我慢の限界だというようにひとりの男が低く唸った。
「認めねえ。認められねえぞ! なんで、あんな若造に……!」
「ならば、先ほどの会議の際にそういえばよろしかったのでは」
ローブをかぶった大柄な男へと飄々とした声が投げかけられた。大男は、フードの下から凶暴な両眼に怒りの炎を燃え立たせながら、両手を組んだままの男へ感情を爆発させながら吠えた。
「アースペイン! テメェ、このおれに喧嘩を売っているのかよ! 十三司祭第五位である、このフンベルトさまによう……!」
階位第五位、“憤怒”の二つ名を持つゴドラム教団司祭フンベルトは、背のひょろりとした男の胸ぐらを掴むと、壁際に片手で押さえつけた。
「喧嘩? まさか! 私は、所詮、下っ端の第十三位。滅相もございません」
ひょろりとした男の名はアースペイン。
ゴドラム教団における十三人しかいない司祭のひとりであった。
「テメェも、あのシトラスとかいうガキもよ! なんで名誉あるゴドラム教の司祭になれたのか意味がわからねぇぜ。おれは認めねえ、認めねえよ。そもそもが、このシルバーヴィラゴでルメイさま直々に命を受けたのはこのおれさまなんだぜ! それを横から人の飯櫃に顔を突っ込むような真似をしやがって」
フンベルトがいうルメイとは「神の代言人」「預言者」と称されるゴドラム教団のナンバーワンの存在である。
「けれど、その預言者さまもそろそろ痺れを切らしているようで。現に、あなたさまが差し向けた刺客はことごとく失敗するありさま。あのシトラスはともかく、そろそろ結果を出さねばまずいのではありませんかねぇ」
フンベルトは、グッと息を詰まらせると恨みがましい目でアースペインを睨んだ。先ほど粛清された刺客は、フンベルトの子飼いのひとりである。度重なる失敗のため、先ほどはシトラスの差し出がましい行為にもさすがに口を挟むことを躊躇したのであろう。痛いところを突かれた、といった形のフンベルトは太い両手を振り回しながら、ゴツく節くれだった指先をアースペインに向かって突きつけた。
「アースペイン、おまえは俺の味方か? それとも反目に回るつもりなのか」
「いえいえ。私はいつでもフンベルトさまの味方にございます。よろしければ、此度のシトラスの行動。調べ上げた上、逐一報告させていただきます」
「フン。おまえも、それほど愚かではないということか。アースペイン、いいか。これから先、あの小僧に張りついて、なにもかもをおれさまに報告しろ。それこそ、シトラスの一日の行動から、便所に流した糞の色までなぁ。わかっているだろうが、おれを怒らせるってことは、イコールおまえの人生も終わりってことだからなぁ」
「心得ました。けれど、これだけは覚えておいてください。私は脅されて従うのではなく、すべては教団のためだということを」
アースペインは、空座になっていた席のひとつ。“狂牛”の二つ名を持っていたラファエロが座っていた、第九位の席をぺたぺた触った。
「――いいぜ。それがテメェの矜持ってやつならなぁ。シトラスみてぇな、ポッと出のガキにおれの縄張りを荒らされてたまるか。領主の娘、いけすかないヴィクトリアの首をとるのは、ほかの誰でもないこのおれさまなんだよ」
「まったくいつまで寝こけているつもりだ! もう昼になってしまうぞ!」
ヴィクトワールは勢いよく部屋の扉をノックもせずに開くと、プリプリした口調でベッドの上を乱雑にうず巻いている毛布の塊に突進した。
聞こえている。そんなデカイ声を出さなくても。とっとと起きるんだ、と頭上でヴィクトワールが毛布を取り除けている声が聞こえた。蔵人は、鼻先で無防備に動く艶かしい脚首に向かって鼠のような俊敏さで飛びつこうと、ベッドの下から両手を突き出して襲いかかった。
(むふふふ。このために、二時間も狭いなかに潜んでおったのよ! さあ、そのかわいらしい悲鳴を聞かせておくんなっ!)
予想では「きゃっ」とか「にゃああっ」などの間の抜けた悲鳴が聞こえるはずであったが、蔵人の脳天を揺るがしたのは、凄まじいスピードで振り下ろされた強烈な一撃だった。
んづっ、とおかしな声が口から飛び出た。視線を上げると、肘打ちを決めたメイド服姿の美女が、冷たい目でこちらを睨んでいた。
「なんども同じ手を食うと思ったか。愚か者め」
気配を読まれていた。蔵人は明滅する脳裏の端で後悔しながら、火の出る痛みに耐えかねその場に蹲ると、すぐに五体を投げ出し、熱湯をかけられた毛虫のように絨毯の上でうねりだした。
「いってーな。軽いスキンシップじゃねえか。マジで殴んなよ」
「うるさい! どーでもいいが、私が起こしにくるのを狙ってセクハラ行為に励むのはやめろ!」
「いちち。いいじゃねえか。俺は、おまえが恥ずかしがったりするのが楽しいんだから」
「私はぜんっぜん楽しくないっ。これっぽっちもな」
ヴィクトワールは目を三角にすると、イーッとばかりに白い歯を剥き出しにし、胸の前で両手を交差させてバッテンを作った。
「ふん。そんなこといっちゃってまあ。ふふ。無理するなよ」
蔵人はベッドに這い上がると、顔の前で人差し指を左右に振ってニヒルな口調でいった。
「なにが無理だ」
「俺のことが好きなくせに」
「冗談は顔と存在と魂魄だけにしてくれ」
「それってかなり酷いこといってますよねぇ?」
「……もしかして、そのためだけに寝坊したのか?」
「たりめーよ。三回に一回はポルディナがおまえを寄越すからな」
「なんという呆れ果てた男だ」
蔵人はとうっと叫びながらベッドから飛び降りると、ヴィクトワールに向かって顔を近づけた。
当然、ヴィクトワールは両手で顔を押し返しながらガードだ。
「なんだ。その唇は。タコの形態模写か?」
「おはようのチュウ」
「私は便器にキスをする習慣はない。臭いぞ」
「ひでぇな。俺が気が弱かったら百回くらい自殺してるぜ」
「どうでもいいから、さっさと洗面とうがいを済ませろ。紳士の嗜みだ」
「ちぇー」
蔵人は、差し出された洗面器に張ってあるお湯で顔を洗って目ヤニを落とし、起き抜けで粘ついた口中を洗浄して気持ちを清らかにした。懲りずに唇を突き出すと、はあ、とため息を吐きながら鼻先を捻られた。ひたすら痛い。
「髪がボサボサじゃないか。とても人前には出せんぞ」
「ん。いいよ、メンドくせぇ。それに、これってかなりワイルドじゃん」
「ほとんど浮浪者だ。仕方のないやつだ、そこに座れ。私が梳いてやる」
蔵人はいわれるままにベッドに腰かけると、側に立ったヴィクトワールが櫛を使って寝癖を整えるのをおとなしく待った。
時折、ふわあ、とあくびが漏れる。あれだけ寝たのにしょうのないやつだ、と口ではたしなめるようなこというヴィクトワールの顔もどこかやわらいでいる。
蔵人は隙をついて右手を胸元に伸ばすたび、容赦なくはたき落される。しかし、ヴィクトワールも全力というわけではなく、どことなく蔵人を許容する甘さらしきものが垣間見えた。
「んー」
「なにをやっているのだ。両手を左右に広げてバカみたいに突っ立って」
「お着替えもさせてくれよう」
「……なんという甘ったれだ。まさか、この私が大の男の着替えを手伝うとはな」
「おいおい。俺はメイドさんに当然の責務を果たさせるよう協力してやってるだけだっての」
ヴィクトワールは観念したかのように蔵人の着替えを手伝いはじめた。蔵人が時折、ヴィクトワールの手を導いて変なところを触らせようとするが、その都度チョップが首筋に入る。蔵人は、普通に目の前が暗くなったり明るくなったりして命の危機を感じた。
「あー、はいはい。ホラ、変に動くな。ベルトが上手く巻けないじゃないか」
「無視するなよう」
「わっ。いきなり抱きつくな! バカッ。胸を触るな尻を触るな、あっ。バカ、ん。ダメだ、ダメだったら。朝食が、冷めて、しまう……」
蔵人が勢いに任せてヴィクトワールの身体をまさぐりはじめた。物事には波というものが明確に存在し、いつもならばこのあたりで肘鉄を食らっているところであるが、彼女の抵抗は想像以上に弱くなっていた。
いけるぞ、と心のなかで念じながらも、遮二無二押しつつ真正面からギュッと抱きしめると、ついに引き剥がそうと込められていたヴィクトワールの力が、ガクンと落ちた気がした。
――勝った!
目の端で、ヴィクトワールのぷっくりとした唇がわずかに震えているのが見えた。勝利は近いと確信しながら、右手で彼女の頭を引き寄せたとき、不意に部屋のなかが翳ったような気がした。
「シ、シズカ」
圧倒的な「陰」の気を放っているのは、いつの間にやら戸口に立っていた彼女の存在だった。
小柄な彼女は上目遣いで仰ぐように睨んでいる。蔵人は壮絶過ぎる負のオーラに気圧されながら、舌が乾いて上顎にくっつくのを感じた。
「なにを、やっている」
ただ普通にしゃべっているだけなのに、地の底から響くように暗い。
蔵人が、あわわと狼狽するよりも前に、抱きしめられるままであったヴィクトワールが、不意に力を込めて抱き返してきた。シズカの瞳。昏さがさらに深く濁った。
「……なにをやっているのだと? 見てわからないのか。まったく空気の読めないやつめ」
ヴィクトワールはシズカに見せつけるように、自ら蔵人の首ったまに両手を回すと勝ち誇ったように、ふふんと鼻を鳴らして目を細めてみせた。
――うん、わかります。君、わざとこれやっているよね。
「おまえは、クランドのことが嫌いなのではなかったのか?」
シズカが瞳に暗い炎をメラメラと燃やしながら、音を立てない歩法で徐々に距離を詰めてくる。見れば腰の位置は絶妙に低くなっており、無造作に配置された利き腕はいつでも腰の曲刀を引き抜けるように、握りに添えられている。蔵人は、歯の根をカチカチと打ち合わせて怯えた。
「そんなこといちいち聞かなければわからないほど頭がカラッポなのか。仮にも、私とこいつは夫婦なのだぞ。ちょっとばかり、仲よくしたところでキャンキャン吠えかけられる理由はないな」
ヴィクトワールはフッと微笑むと、後ろ髪をサッとかき上げながら人差し指で乳房のあたりをつつっと艶かしくなぞってくる。蔵人はシャツ越しに与えられる淫らな快感に、しばし恍惚の表情を浮かべるが、悔しそうに唇を噛んでいるシズカと目線が合って、すぐに潮垂れた。
(わかります。ただの嫌がらせで煽ってるんですよねえ……!)
幾らか緩和しかけたとはいえど、やはりこのふたりの仲は抜群に悪かった。ヴィクトワールもシズカも協調性が皆無というわけではないが、ふたりきりになるとはやり仲の悪さが目立つのだ。
「そうか、やっぱり貴様は自殺志願者だったのだな。抜け。今すぐ素っ首叩き落としてやる」
「ちょ! 嘘でしょ、シズカさーんっ」
シズカの沸点は限りなく低かった。なんとなくではあるが、最近ちょっとばかり和解したのかな、と油断していた蔵人であったが、両者の溝は少しも埋まっていなように思える。
(というか、これ、ヴィクトワールがいつものヴィクトワールじゃないっ。いつもなら、あーはいはいとかいって、この場を譲ってすぐにことは収まるパターンなのにっ。なんで、こういうときばっかり予想外にデレたりするんだよおっ。つかデレたフリですかっ)
「いやーだよ。さ、クランド。朝食だぞ。まったくお寝坊なやつだな。こんなやつは放っておいて食堂に行こう」
「えええ。あ、オイ。ちょっと待ってって、引っ張るなって」
「ちょっと待て! ――待って」
蔵人はヴィクトワールに腕を引かれながら目を白黒させて自室を出た、すれ違いざまに呆然と立ったままのシズカと視線が交錯する。彼女は完全にいい負かされた形で、まるで捨てられた仔犬のような目をしていた。チクリと胸が痛む。
すぐあとに、蔵人はポルディナとヴィクトワールの給仕を受けながら遅い朝食をとった。
長テーブルの一番端では、とっくに朝飯をすませているはずのシズカが暗い目をしたまま、フォークでゆで卵をザクザクと幾度も突き刺しているのが見えて、自分の家なのに凄まじく居心地が悪くなった。
「もうヤダ。こんなトコにいらんないよっ」
蔵人は半泣き状態でメシをかき込むと、屋敷の外に出た。手入れの行き届いた庭を散策していると、幾人かの小エルフとダークエルフのリザが楽しげに遊んでいる姿が見えた。
なんかホッと心がなごみますなぁ。
「ばーんっ」
「やたーっ」
見れば小エルフたちは、地面に突き立てた木切れに向かって鞠を投げつけている。かなりエキサイトしているのか、リザにいたっては蔵人が背後に近づいてきたことすら気づいていない。
「君たちはなにをして遊んでいるのかな」
「ああっ。クランド、クランドなのだっ。今、リザはおちびたちと遊んであげてるのだっ」
声をかけると、ようやく気づいたリザがぴょんこぴょんこ跳ねながら抱きついてきた。相変わらず季節感のない軽装備。マイクロビキニからむっちりこぼれそうな胸が腕に押しつけられて、蔵人は弛緩した表情になった。
「で、なにして遊んでんだよ」
「あのねー、あのねー。ここに、こうしてぼうをたてておくのー」
「そんでねー、そんでねっ。こうして、たまをコロコローってすると」
「ぼうがたおれるのー」
「とってもたのしいんだよー。クランドもやろー」
「やろー」
「えーと。すまん、リザ。なにをいっているのか解説頼む」
「あのなー。棒をぐいっとやって、たまをドカーンとやって、とっても楽しいのだっ」
「スマン。おまえに説明を頼んだ俺がバカだった」
リザはマイクロビキニのブラが外れるそうになるほど、熱意を込めて語ってくれたが、蔵人にとっては、あまり納得のいかない遊戯説明であった。というか、これでホントに十六歳になのかとちょっとリザの将来が不安になる語り口であった。
(だが、ここでコミュニケーションを放棄してはこの子のためにもならない。蔵人よ、勘違いするんじゃねえ。理解させるように強いるんじゃねえ。おまえが、理解するんだ……!)
蔵人は根気よくリザたちと意思疎通を図って、要するに彼女たちがやっている遊びは「ボーリング」に似たものだと納得できた。
(と、いうかこの棒の立てかた、あきらかにおかしいだろ。根元まで埋まってるし。バラバラだ。棒に向かって全員が玉をいっせいに投げつけてるし。これをひと目で見破るのは至難の業)
「なー、クランド。クランドもこれいっしょに遊ぶのだっ」
「――そんな未開人の君たちのために、僕がルールというものを与えて進ぜよう」
蔵人はリザたちのために、まず玉の通る「レーン」と「ピン」を作成しようと思い立った。
さいわいなことに、リザは土属性魔術の使い手である。蔵人は、まず、泥を押し固めて高い硬度を誇る一流ボウリング場並みのレーンを作らせた。その次には、手ずから木を削ってピンを作った。ボールは元々あった鞠を改良して、なかに重しを入れた。道具は準備完了。小さな子供たちが怪我をしないようにという配慮であり重みは調整してある。
レーンの向こう側にピンを並べて、なんとか格好だけを取り繕ったのだが、リザたちの興奮はあっという間に頂点に達した。
「なにこれっ、なにこれっ。凄いのだっ。凄すぎるのだっ!」
「ふふ。人類の英知のほどを知るがいい、未開の蛮族どもよ」
リザたちは、蔵人が作り上げた即席のボウリング場に酔いしれ、その日から、ほとんど時間の許す限りこの遊戯に酔いしれた。蔵人は、昼くらいまで小エルフとリザが玉遊びに耽溺するのを見学すると満足した顔つきで屋敷のなかに戻った。
「神は蛮族に愉しみを与えた……」
「なにをいっているか相変わらず理解はできないが、手を休めない」
蔵人は昼食をすませたのち、図書室の一角でルッジにロムレス語の手ほどきを受けていた。
「だいたい、字を教えて欲しいといったのは君自身じゃないか。まともに字を書けないのがバカにされて悔しいって」
「だってよ。カレンのやつが酷いんだぜ。自分だって最近書けるようになったくせにさ」
「彼女は君と違って向学心の塊だからな。そもそも、ステップエルフとロムレスの文字は共通点がほとんどないのに、短期間であそこまで習得できるなんてなかなかのものだぞ。クランドも少しは見習ったらどうだい。さ、しのごのいわず、ペンを動かす」
「はいはーい。ったく、女教師といえば、エロスの権化のはずなのに、この厳しさはなんだよ」
「あのね。ボクだってダンジョンに潜らないときは、ゆっくり自分の研究を進めたいんだよ。読みたい本だってたっくさんあるのに。その貴重な時間を割いてるのっ。わかる?」
「なにかご褒美が欲しいです」
「……ったくしょうがないな」
ルッジは顔を赤くして蔵人の耳元に顔を寄せ、囁いた。蔵人は唖然とした顔でルッジを真正面から見つめ返すと、口をあんぐり開けた。ルッジの提案した「図書室プレイ」は企画物AV監督もドン引く、かなりコアなハードプレイだった。
さすが妄想文系は想像力が豊かだぜっ、と思った。
「あのさ、自分でいっておいてなんなんだけどさ。ルッジって変態さん?」
「もうやめるっ」
ルッジは自分の提案が相当にヤバイ種類だと話している途中感づいたのか、顔を真っ赤にして部屋を出ていこうとする。だが、待って欲しい。蔵人はそのプレイに興味津々なのだ。
「ああっ。嘘嘘ッ! これ、ぜんぶ俺の強要ねー。仕方ないわー。ルッジは俺の命令で仕方なしにエロ行為を強要されるんだー。困ったわー」
蔵人は恥ずかしがり屋の妻のために泥をかぶった。モチのロン、そのあと禁忌に近いプレイをたっぷりと時間をかけて行い本末転倒したのはいうまでもない。
夕食後、蔵人は自室に戻らず、居間の絨毯の上でポルディナに膝枕をしてもらいながら、うつらうつらしていた。部屋のなかでは、ポルディナのほかに、ヒルダ、メリアンデール、ハナたちが仲よく編み物をしている。
なにせ、この世界には蔵人にとって性交以外に娯楽といったものはあまり見当たらなかった。
テレビもネットもコミックも映画もないのである。やれることといえば、女といちゃつくか酒を飲むくらいだ。ダンジョンに潜っていなければあくびが漏れるのは仕方がない。
(前にヴィクトワールが詩を作れって勧めてきたけど。大学のレポートですらネットでコピペしたポエムもどきを提出していた俺にそんな雅な遊びが向いてるはずもないしな……)
「なあ、ポルディナ」
「なんでしょうご主人さま」
蔵人はうっとりした目で自分を見つめていたポルディナに話しかけた。
「おまえってば、家事以外をしてるときは、どんなことして暇つぶししてるんだ?」
「暇つぶしといっては、ご無礼にあたるやもしれませんが」
「なんだよ。いーじゃん、いーじゃん。いってみてくりぃ」
「はい。ご主人さまをこうして眺めております」
「……」
「いつも、どこでも、可能な限りお姿を眺めております。それがすべてでございます」
蔵人は自然と自分の顔がこわばったことを理解した。
「あの、なにか不都合がありましたでしょうか」
急にポルディナは頭上の犬耳を寝かせてしゅんとなった。ポルディナわんこかわいい。
「や。別に責めてるわけではないが。ただ、ホラ。ハナとかシズカは空いた時間に手芸っぽいもんをよくやっているだろ。おまえのような若い娘は、どんなことに興味があるかなーと」
「私はご主人さま以外に興味ありません」
ポルディナは白い頬を薄ら赤く染めて真っ直ぐ目を合わせてきた。
なんというか。これは。普通に照れるんですけど。恥ずかしいんですけど。
蔵人は軽く心のなかで悶絶した。天井を向いていた顔を素早く横にする。ポルディナが、くふんと鼻を鳴らしながら上品そうに笑ったのがわかった。ちくしょう、手の内なんですね。
「あっ、見てくださいな。おふたがた。なんか、ちょこっと目を離した隙にいい感じになってますよー」
「なぬっ。私が目を離した隙になんという暴挙を! クランドさん、そういうの許されませんよ」
「……クランド」
ハナの尻馬に乗ってヒルダが、がばっと立ち上がった。メリーにいたっては編み棒の先端が小刻みに震えている。
――ヒルダ、余計なことをいうんじゃない。なんとなくメリーの目が尋常ならざるものになっているではないか。今にも食いつきそうだ。
蔵人が無言でいると、ヒルダたちがわらわらと寄ってきてあれやこれや構いだした。具体的にいうと、膝枕の状態でいた蔵人目がけて飛びついてきたのである。
一度に四人の加重を受けながらも、ポルディナはにこにこ笑顔を絶やさない。彼女はわりとこのように多人数でじゃれるのが好きであった。それは群れで暮らす戦狼族の習性であった。
その翌日である。
蔵人は、ヴィクトワールを伴いながら冒険者ギルドの事務所に向かっていた。目的は、ギルドマスターでもあるヴィクトワールの姉、ヴィクトリアに招かれた昼食会に出席するためである。
赤レンガが渋い事務所の最奥にヴィクトリア専用のスペースが大きく取られていた。蔵人たちは、事務所の職員と警護兵に送られながら、一足先に席に着いていたヴィクトリアと久闊を叙した。
「お久しぶりですわ、勇者さま。長らく執務が溜まっておりまして申し訳ございません」
ヴィクトリアはいつもどおり白地のドレスをふんわりさせながら、実にロリを惹きつける姿で軽やかに礼を行う。正直、自分の歳を考えろよなと蔵人は思ってしまうのだが、こうしてみると十代にしか見えないのでツッコミを入れるのも野暮ではと心のなかでブレーキが働くのである。
「やっほー。久しぶり。元気そうで互いになによりだな」
「ヴィクトリア姉さま。お久しゅうございます」
蔵人たちがあいさつをかわしていると、気を使ったのかヴィクトリアの近臣である僧侶のラデクが部屋を出て行った。いつもどおり不健康そうな顔色だなと蔵人は少し心配になる。
「ねえ、ヴィクトワール」
「は、なんでございましょうか」
「いつもそのカッコなの。ぷっ。なんか笑えるんですけど」
ヴィクトリアに指摘されてヴィクトワールは激しくうろたえた。彼女はいつもどおりのメイド服である。
「にゃ、にゃあっ! だ、だってこれは、クランドのやつがこれ以外着るんじゃないって、無理やり強制するから、ついっ、いつもの癖でっ!」
「ぷぷ。いつもの癖になっているんですのね。でも、その格好なかなかお似合いよ。悪くないじゃない。勇者さまのいいつけをちゃんと守っているのですね。いじらしい子」
「違うっ、違うんですううっ! なにを笑っておるのだ、クランドよっ」
「それにしても勇者さま。このワガママ放題だったヴィーをよく躾てらっしゃるのですね。この子は、昔から、こうと思ったら絶対に持論を曲げない性格で。父上も母上も、いつも困らされてばかりでしたのよ。秘訣があるならば是非にもご教授願いたいですわ」
「愛かな」
「まっ」
「んにゃああっ! 調子に乗って余計なことをいうなあああっ!」
「で、夜のほうはどうなんですの。バッチリできています」
「いやー、なかなかガードが固くてよー」
「くだらない話でも盛り上がるなあぁ! 姉さまもおやめくださいっ」
「ま、泣き虫ヴィーがああいっているから、今日はこのくらいでやめておきましょうか」
「そうだな」
蔵人はヴィクトリアとがっしと利き手を握り合わせると息の合ったコンビネーションで、狼狽するヴィクトワールにウインクを送った。
「それ絶対練習してますよねっ。ふたりとも私より息があってる!」
「で、なんだ。今日の用件は即興コントでヴィクトワールをおちょくることだったのか?」
「それもありますけど。ま、いいではないですか。本日は他意はございませんことよ。仮にも勇者さまと私は義理とはいえ姉弟なのです。たまにはこうして仲睦まじくランチをいっしょにするのも悪くはないのでは?」
「異存はないな。がはは。じゃ、仲よくメシで食うべぇか」
「クランドっ。また、姉さまに向かってそのような無礼な口の利き方を……! 姉さま、本当にいつも申し訳ございません。屋敷に戻りましたら、しっかりいい聞かせますので」
「あら? あなたもすっかり妻として形になってきたじゃない」
「なっ」
ヴィクトワールは顔を真っ赤にすると、両手のひらを胸の前でバタバタさせて、全身で否定を行ったが、傍から見れば照れ隠しにしか見えなかった。
蔵人たちは仲よく談笑しながら楽しい時間を過ごした。春の日差しはやや強く、少し汗ばむほどに気温は高まっていた。




