Lv231「耐え難きを耐えよ」
「それではかわいいかわいいメイドさん。僕の食事を手伝っておくれ」
「あのメイドはどうしたのですか」
「ナタリヤは下がらせた。君と僕との愛の語らいを邪魔されたくないのでね」
あの無愛想なメイドはナタリヤという名前であったのか。たぶん、あれほど美しいメイドにロバートが手をつけていないはずもない。どうでもいいが。
要するに、今日からは趣向を変えて自分に給仕をさせて悦に入るつもりなのだ。メリアンデールは、はあっ、と小さくため息を吐いてすべてを割り切ろうと努めた。
「もお、どおでもいいです。わたしが食べさせればいいのでしょう。ふんっ」
「怒った顔もかわいいよ、メリー」
「気安く呼ばないでください」
四角い長テーブルに座ったロバートの真横に立ち給仕を行なう。男は、白く綺麗な歯を見せながら、目で「スープを飲ませろ」と要求している。メリアンデールは、注意深く、ロバートからなるたけ視線をそらしながら、スプーンでスープをすくって、口元に運んだ。
(ううっ。見てる。すっごい目でこっち見てるよおっ)
スプーンを移動させる際に、どうしても胸元がロバートの顔の前に近づいてゆく。普段通りの格好であるならば、まだ耐えられようもあるが、現在はロバートに命じられて強制的に着せられたマイクロビキニのみ、という姿である。
特に、乳房の先端をわずかに覆っているだけの胸は無防備そのものである。肌には一切触れないという約束であるが、自分が身体を寄せるたびに、ロバートの瞳が食い入るように、ブラの布地に突き刺さるたび、鎖骨の部分から首筋までが恥ずかしさで紅潮してしまう。
「メリー。こうしてみると、かなり迫力があるね。ふふ、こんなところにホクロがある。実にセクシーだよ。これは、君の夫もちゃんと気づいているのかな」
「黙って口だけ動かしてください」
「胸の谷間が汗をかいている。興奮しているのかい」
「次は、なにを」
「そうだな。次は、ゆで卵をもらおうか。ちゃんとカラを剥いてね」
メリアンデールは顔を真っ赤にさせながら乱暴な手つきで卵を裸にすると、ロバートの口へと無理やり押し込んだ。一瞬だけ、ギョッと目を丸くしたが、男はなにごともなかったかのように咀嚼すると、リゾット、魚料理と順番に命じてくる。その都度、
「おっぱいが汗をかいているよ……」
「乳首が立っている。摘んで欲しいのかい」
「メリー。唇がぷるぷるしているね。キスをしていいかい」
などと噴飯物のセクハラ発言を連発してきた。
(石。石になるのよ……。わたしは石)
メリアンデールは蔵人にも行ったことのない奉仕の強要によって、魂の怒りゲージをぎゅるんぎゅるんと音をさせながら貯めていった。苦痛の食事時間が終わると、ロバートは口元を拭って、一時間後に工房へ来るよう命じ、さっさと食堂をあとにした。
「どっ、と疲れちゃったよ。はふう」
メリアンデールは、ゲッソリした様子で椅子に腰かけると、胸元をパタパタと手で仰いだ。
春の陽気であるとはいえ、まるで娼婦同然の恥辱を与えられ続けたのだ。
ロバートの姿が消えてからしばらくすると、くう、と腹の虫が鳴った。やはり強がりをいってはみたが、飯抜きではかなり堪えるのだ。キョロキョロとテーブルの上を見回すと、籐籠に入ったラスクが目に入った。確か、あれはロバートも平然と口にしていた。まさか、自分が食べるようなものまでおかしなものを混入させている可能性は低いだろう。
(ちょ、ちょっとだけ、ちょっとくらい、食べてもいいよね……)
そっとラスクに手を伸ばすと、影のように入ってきたメイドのナタリヤが素早く籠を奪った。
「ああっ!」
「なにか」
ジロリと睨みつけられる。あからさまな敵愾心に、瞬間、気圧された。
「いえ、なんでもないです」
「そうですか。それでは、ご主人さまをお待たせせぬよう、部屋に戻って支度にかかってくださいませ」
「はい……」
これはあれだ。主人の寵愛を奪われたメイドの激しい妬気が発散されている。
「とほほだよ」
メリアンデールはきゅるきゅる空腹で鳴るお腹を抱えながら、与えられた自室へと戻った。
空腹を噛み締めて、時間が経つのを待つ。なんというか、すでにこの時点であらゆることがいっぱいいっぱいであったが、ある意味、いよいよロバートの本拠地に乗り込むのも同然と思えば、行かざるを得なかった。
「よしっ。いきますよっ」
メリアンデールは、自分の平手で両頬をぱんぱんっと打って気合を入れ直すと、ロバートの工房に向かった。
「よく来たね。それではさっそく作業を手伝ってもらうよ」
「ふわー」
錬金術師という者は、基本、余程信頼している人間でなければ、己の研究を集めた核心部でもある工房には絶対に立ち入らせない。
ロバートが金に糸目をつけずに集めた、ありとあらゆる鉱物や薬剤が部屋一面を埋め尽くさんとする棚のすべてに、分類されてところ狭しと並んでいる姿は圧巻であった。
(すごい。やっぱり、久しぶりに見ても壮観です)
かつて一度だけこの部屋に足を踏み入れたときは、ロバートこそ自分の運命の人であると信じて疑わなかった。ときは過ぎて、立場は変わった今。ひとりの求道者として彼の収集物をフラットな立場からの目で見ても、その凄さは圧倒的であった。瓶詰めにされた希少価値の高い鉱石や素材の数々はメリアンデールを魅了するのに充分すぎるほどである。しばし、我を忘れて見入ってしまうが、ニヤニヤとしたいやらしい視線を背に受けて、我に返った。
(いけないっ。こんなものを見に来たわけじゃないのにっ。でも見ちゃうっ!)
「どうしたんだい、メリー。君が僕のものになれば、ここにあるものはすべて、好きなだけ使って構わないよ」
「……で。わたしはなにをすればいいのでしょうか」
「意外と自制心が強いのだね。ま、それだけ君も成長したというところか。寂しいな」
「なにをすればいいんでしょうかねっ」
「怖いよ。そんなに怒ってばかりいると、シワになるよ」
メリアンデールは顔をこれでもかとばかりに歪ませながら、せめて怒鳴り散らすのだけはやめようと、両手の五指を蠢かせてなんとかこらえた。
「これ以上はかわいそうだから、ここまでにしておくよ。さ、実験をはじめよう」
ロバートは錬金の実験に移ると、それまでのふざけた態度は微塵も取らず、実に真摯に臨んだ。
ふたりの間に会話はない。時間だけが、過ぎてゆく。メリアンデールは、マイクロビキニに羽帽子、白いブーツという良識派が眉をひそめそうなふざけた格好で頑張り続けた。
だが、予想通りにロバートはちょくちょくと作業中にも小さなセクハラを挟みつつ、メリアンデールの神経を苛立たせた。
わざとものを落として、胸の谷間を覗き込む。狭い場所にある薬品を取らせるため、四つん這いにさせて臀部の色合いを批評する。夫婦生活の頻度を事細かに訊ねる。ミスをするたびに、卑猥な文言を長々といわせて悦に入る。
よくぞここまで、というような手を変え品を変えた嫌がらせが続いた。
一日の終わりにはさすがにぐったりときて、泥のようにベッドに飛び込むが、いくら鍵をかけても、巧みに開錠して寝姿を見聞するなど、暴挙は三日に渡って続いた。
メリアンデールは、見かけよりもはるかに強靭な体力を持っていたが、ダンジョンでの冒険の疲れも癒えぬまま、忍従の極みに達する生活を続けたせいか、疲労はいわゆる極限状態に達していた。
(終わる。今日一日。夜まで耐え凌げば、なんとか……)
よろばうようにして、調合の道具を片づけ、時折、壁に手を突いて小刻みに息を荒げている。
顔色は死人のように真っ青で、表情は乏しく、肌の艶もどことなく失われた感じであった。
「辛いかね。メリー」
「いいえ、ちっとも」
無理をしてニッコリと笑って見せた。女の意地というものだ。唇に痺れが走り、背中の毛穴から細かな汗が吹き出してくる。
頭がぼんやりとして、眠っているか起きているのか判然としない心持ちだ。手にしたビーカーを落としそうになり、前のめりに倒れた。ぷぎゅ、と屠殺された豚のような妙ちくりんな声が出た。えへへ、と照れ隠しに笑うと、視線が合ったロバートがいたましいものを見るような目をした。
「どうしてそこまでする」
「え」
ロバートは唇を真一文字に引き結んで拗ねた子供のような顔をしていた。
「君がそこまで耐えるほどの男なのか。今の夫は!」
整った顔がシワくちゃに歪む。ああ、そうだった。あの日。彼と決別した夜もこんな風だった。
初めて会ったときは、優しくて紳士で、頼り甲斐があった。見るからに洗練されていて、話しかけられる度にのぼせ上がっていた。メリアンデールは思う。あの頃の自分は本当に男を見る目がなかった、と。
だから、長い間、冒険をする相棒を見つけることができなかった。ルイーゼの酒場で蔵人と組むと決めたのは、彼程度ならば我を失うことなど、もう二度とないと思ったからだ。
石になってしまった蔵人を想う。白くぼやけるように曇っていた頭のなかが、スッと晴れ渡ってゆく。耐える。いいや、耐えているつもりなど毛頭ない。なぜなら。
「だって、大好きですから」
男の表情。巨大ななにかに押し潰されたように、圧壊した。ロバートは意味の取れない言葉を喉からほとばしらせると、獣のように覆いかぶさってきた。汗と体臭が入り混じった強烈な臭いが吹きつけてくる。メリアンデールは遮二無二身体を動かして抵抗するが、驚くほどの膂力を発揮したロバートを押し返すことは到底できなかった。
「正気ですか! 約束を破るなんて! 指一本触れないって!」
「ハハッ! この期に及んでそんなことを律儀に守る馬鹿がいるはずないだろおおっ!」
微妙なバランスでひっかかっていた程度のブラは簡単に剥ぎ取られ、乳房を強く鷲掴みにされた。敏感な部分に痛みが走る。恐怖や恥辱よりも怒りが勝った。メリアンデールは、勢いよくロバートの顎に向かって頭突きをかましたが、右手で上手く制されてしまう。
「卑怯者、卑怯者ッ! これで、あなたももうおしまいですよっ。人妻に手を出すなんて、錬金術師ギルドが許しても、教会があなたを許しませんっ」
「もおどうだっていいんだよ、そんなことは。それにね、メリー。大体が、こんな娼婦も嫌がるような破廉恥な格好で、夫以外の男の屋敷に何日も滞在して不審に思わない人間がいるはずないだろうっ。訴えるならば訴えればいいさ! だが、本当にいいのかい。君の不貞が市内に知れ渡れば、もうシルバーヴィラゴに住み続けることなんてできないだろう。このっ、おとなしく僕のいうことを聞くんだあああっ」
「どこまでクズなんですかっ。あなたはっ」
「潔く股を開けええっ!」
メリアンデールが最後に残った気力を振り絞ってロバートの顎にかけた右手を押し上げていると、不意に、窓ガラスが割れてふたつほどの小瓶が飛び込んできた。
「なんだあっ!」
小瓶は床にぶつかって割れるとあたりに液体を撒き散らせて、あっという間にオレンジ色の炎を燃え立たせた。部屋中に火が走る。伸しかかっていた圧力が減じた。
「うあああっ。僕のコレクションがあああっ!」
「こん、のっ!」
千載一遇のチャンスだった。メリアンデールは、動揺で浮き上がって離れたロバートの股ぐら目がけて渾身の膝蹴りを叩き込んだ。
ぐにゅり、と睾丸が膝の皿の硬い部分で確かに潰れる感触を得た。ロバートはカッと両眼を見開くと、絶叫を上げながらあたりをゴロゴロと転がって悶絶する。
反撃の刻はきた。薬品の詰まった壺を両手で持ち上げると、無防備なまま顔を上げたロバートに向かって振り下ろした。
「あんまり女をバカにしないでくださいっ!」
「にぎいっ!」
ゴッ、と鈍い音がして壺にヒビが入った。身が厚いのでそう簡単には割れないのだ。結果、振り下ろされた衝撃のエネルギーは拡散されることなく、ロバートの頭部に向かって集中した。
手汗ですべった壺が転がり落ちる。苦悶の表情で頭を押さえるロバートの顔に向かって、メリアンデールは回し蹴りを放った。足刀が半円を描いてロバートの鼻面に決まった。ゴキリ、と鼻の軟骨が潰れる感触。微塵の情も残さず足を振り抜くと、ロバートは壁際に吹っ飛んで背中をしたたかに打ちつけて呻く。
メリアンデールは薬品や錬金術の機材が乗っていたテーブルをロバート目がけてひっくり返すと、即座に目をつけていた奥の小部屋に突入し、手文庫のなかからギリヤギリ草の乾燥粉末を見事に入手した。
「やりました。ギリヤギリ草ゲットです!」
ぴょんぴょん嬉しさのあまり飛び跳ねていると、いまだダメージから立ち直れずによろめいているロバートの姿が目に入った。かまうものか。この三日間の報いだ。
「くそ、この……」
「べーっだ!」
メリアンデールはようやく身を起こしかけたロバートに向かってあかんべえをすると、一度も振り返ることなく工房を走り去っていった。
畜生が畜生が畜生が。ロバートは苦痛をこらえながら、燃え盛る工房のなかをゆっくりと移動していた。苦心して収集した素材のコレクションがオレンジ色の炎に舐められながら、音を立て消え去ってゆく。
白煙と、熱によって蒸発した薬剤が異様に目に染みた。激しく咳き込みながら、身体を引きずるようにして、奥の部屋へ向かう。ほかのすべてを失ったとしても、アレだけはなんとしても確保しなければならない。メリーに対する復讐はそのあとでいい。
「待っていろよ。生まれてこなかったほうがいい、というくらいの目にあわせてやるう」
左目が見えづらい。メリアンデールがひっくり返したテーブルに乗っていた機材の一部で目蓋の上を激しく切り裂いたのだ。流れ出る血がひっきりなしに口元まですべり落ちてくる。
ロバートは舌なめずりをして、鉄錆に似た臭いごとそれを口中に取り入れると、唾液と混ぜ合わせながら念入りに味わった。
決めた。最初の拷問は、メリーの夫を吊るしたまま切り刻んで、その血を一杯にしたグラスの中身を時間をかけて飲み下させてやる。
恥辱責めは、我ながら甘いやり方だった。初日から有無をいわさず押し倒して肉壷奴隷に仕上げればよかったのだ。次こそは迷わない。
ロバートは思考を千々に乱しながらも、アレの核心に迫ったレシピの所在を白煙のなかで懸命に探した。この炎もメリアンデールが誰かに命じて行なわせたのだろう。別にそれはいい。あいつを追い込む理由が増えただけだ。
「メリーぃいい! 犯して、四肢を切り刻んでダルマにしてやるううっ」
完全に睾丸を破壊された。が、この程度は回復薬を調合すればすぐに治る。もっとも大切なことは屈辱を忘れないこと。
さて、そろそろ残り時間もあまりないようだ。熱源が迫っている。ボヤボヤしていたら、この楽しい計画を実行できないうちに、この世とおさらばするハメになる。それだけは御免被りたい。
抽斗を順番にまさぐっているうちに、レシピを仕舞っておいた手帳にようやくたどり着いた。安堵のため息を漏らしながら迫る煙をさけようと身をかがめたところ、首筋に、グサリと冷たいなにかが侵入してきた。
「え、あ? え?」
咄嗟に手をやってまさぐった。なにか硬いものが引っかかっている。ぬるりとした液体の手触り。顔の前に持ってきて、ジッと目を凝らす。真っ赤な血潮がべっとりとついていた。
同時に、炎と氷が全身を交互に駆け回る感覚。立っていられなくなり、その場にへたり込んだ。炎だ。炎が間近に迫っている。
逃げなければと思っていると、煙のなかから、細身の女と思われる影が見えた。お仕着せのメイド服に白いエプロン。ナタリヤだ。ナタリヤが助けに来てくれた。
考えれば、幾度も抱いてやった女だ。人の妻であったとしても、女などは一度肌を合わせてしまえば、理屈抜きに男に従わざるを得ないものなんだ。
ロバートは、不意に差し込んできた一筋の希望に喜色を露わにするが、目の前で佇立しているナタリヤの様子がおかしいことに気づき、身体が硬直化した。
声をかけようと思っていると、白煙に浮き出るようにして立っていたナタリヤの唇から、真っ赤な糸のような雫が垂れた。自立していない。誰かが、ナタリヤの背後から腰に手を回して無理やり立たせているのだ。
確かめる必要もなく、ナタリヤはこと切れていた。ロバートの身体に震えが来た。それは傷によるものか、それとも恐怖によるものか。
「ただのニンゲンにしては、なかなか生き汚い」
繰り人形のように立っていたナタリヤが放り出される。ロバートの目の前に現れたのは、瞳に一片の慈悲も感じさせない、氷のような冷たい雰囲気を持つ、若く美しい女エルフであった。
逃げなければいけない。そう感じたときにはすべてが遅すぎた。女エルフは、目にも止まらない動きで、腰から短剣を抜き出すと、手元も見せないスピードで放った。
命乞いをする暇もない。喉元に刺さった刃の感触を噛み締めながら、急速に意識が遠のいてゆく。レシピ。ようやく手に入れた。これさえ完成すれば世界を手に入れたも同然なのに。
「近頃はニンゲンもなかなかうるさいからな。証拠は回収させてもらおうか。失火のはずなのに、死体に得物が残っていてはおかしなものだからな」
ロバートが今際の際に見たものは、己の喉元から短剣を引き抜く女エルフの震えが来るような壮絶な美貌と、白く細長い指先の残影だった。
「ふえあ?」
動画の停止ボタンを解除したかのように、蔵人はなんの前触れもなく意識を取り戻した。
酷い二日酔いみたいに、頭がガンガン鳴っている。
「なに、これ。浴槽?」
腫れぼったい目蓋をこすりながらあたりを見回すと、よく見知った自室のなかである。蔵人は、自分が服を着たままバスタブに浸かっていることにはじめて気づき、半ば呆然としていた。
鼻をヒクヒクと動かすと、妙な薬品臭さが漂っている。周囲に、人の気配はない。途切れた記憶の糸を手繰っていくと、最後の部分は、ダンジョンのボス部屋でコカトリスに一撃を加えたところで終了していた。激しい喉の渇きがあった。ひりついた舌が上顎にくっつく。同時に、異常なまでの空腹感があった。
「つか、うえっ。なにこれ気持ちわる。え、なんで俺服着たまんま風呂に入ってんの。それに剣も。よくわかんね……」
右手には聖剣“黒獅子”を抜身で握っていた。水に浸かったままではどうにも具合が悪い。
蔵人は濡れそぼった髪を、ドブに落ちた野良犬のようにぶるるっと震わせて水気を切った。
見れば湯船のなかも清潔とはいい難い色合いに澱んでいる。前後関係がわからないだけに、余計に気分が悪くなった。
「とりあえず、あがるか」
だばー、とお湯を撒き散らしながらバスタブから出ると、開いた扉からパタパタと小刻みに近づく足音が聞こえてくる。
「ご主人さま……!」
「あ、クランドさんが解凍されてるっ」
「クランド――」
「お。やっほー。なあ、おまえらなんでそんなカッコしてんの」
蔵人の目の前には、揃ってマイクロビキニを着込んだ、ポルディナ、ヒルダ、メリアンデールたち三人娘がヘチマスポンジやタオルを持って立ち尽くしていた。それぞれが、青、黄、赤、と三色揃って目にも楽しい。これはどういった趣向だと、問い尋ねる前に、メリアンデールが弾丸のごとく床を蹴ってバスタブに飛び込んできた。
「クランド、クランドっ!」
「うわっぷ! な、なんだ、なんだ? こりゃあ、いったいどうなってんだ」
「わたし、がんばりましたっ。がんばったんですよー!」
「うぬぬ。ポルディナ姉さん、こりゃあ私たちも負けちゃいられませんよ。って、あっずるっこ!」
「ご主人さまっ」
メリアンデールに負けじと狭いバスタブのなかにポルディナがダイブしてきた。遅れちゃならんとヒルダもそのあとに続く。蔵人はバスタブに残っていた残り湯に沈まりながら、ぎゅうぎゅう押し寄せてくる柔らかな肉の暴力に屈しつつあった。いわゆる肉風呂である。
(ちょ! おっぱいとかケツとか、腿とかお尻とかやらかいけど、息ができなっ……)
蔵人があとで聞いた話によると、メリアンデールが調合した抗石化薬アクアプルスの投与はギリギリのタイミングだったらしい。盛夏でしか手に入れられない、素材のひとつであるギリヤギリ草の入手は困難を極めたが、メリアンデールの尽力によってなんとか見つけられたのも僥倖だった。蔵人は涙目で胸元に顔を寄せてくる女たちをギュッと抱きしめると、その功をねぎらった。
「あー。ずっと石になっていたせいか身体が硬い」
翌朝。快癒した蔵人は屋敷の前庭で全身の骨をほぐしていた。隣では、早朝訓練で剣を振るっていたヴィクトワールが乱れた呼吸を整えながら、汗の滲んだうなじをハンカチで拭いていた。
「まったく油断しすぎだ、おまえは」
「うるっさいな。ちったあ、心配してましたわ愛しのアナタ。くらい、いってみろよ」
蔵人の言葉にヴィクトワールがそっぽを向く。ツンと澄ました顔は、ときどきその場に押し倒して「ひぎいいっ」とか叫ばせたくなる。そのくらい捉えようにとっては高慢ちきなものだ。
「でも、勇者さま。お嬢さまってばすっごーく心配してらしたんですよ。そんなせつない女心をわかってあげてくださいな」
ハナがヴィクトワールに水の入ったカップを渡しながらにこにこ微笑んだ。
「そうなん?」
「誰が……! ま、まあ、それなりに心配はしたが。してないといったら嘘になるが。い、一応は、私もクランドの妻、という形ではあるからな。そんなことより、守護獣はどうするのだ。まさか、このまま黙ってしっぽを巻いて逃げ出す腹ではなかろう。やはり、ここは私の剣が必要みたいなようだな」
「直訳すると、私もさみしーのでダンジョンに連れてって、くふんっ。て感じです」
「そんなことはいってない!」
ヴィクトワールは顔を真っ赤にして手にした抜身をブンブン振り回した。正直、危なすぎる。
「ルッジがいうには、コカトリスはまだ生きてるようだ。半死半生みたいだけどな」
蔵人はストレッチを続けながら答えた。石化する直前にヤケクソで放った攻撃は、守護獣であるコカトリスを仕留められないまでも、多大なダメージを与えていたのだった。
「とにかくこのままじゃ腹の虫がおさまんねぇよ。お宝も取り損ねてるしな」
「ほらほら、お嬢さま。勇者さまにアピールしないとっ。私もダンジョンに連れてって!」
「リゾートに連れてってみたいにいうな。ふ。それに、コイツはどうしようもなければ、この私に頼らざるを得んのだ。まったく仕方のないやつだ」
「あ。別に、今回は追加人員は募集してないから。前回と同じパーティーで行きます」
「なんだとっ」
「あははっ」
「なんで笑うんだっ! ハナ、笑いすぎだっ」
「ご、ごめんなさい。お嬢さまが滑稽、もとい一生懸命すぎて。つい」
「それ、フォローににゃってないいいっ」
「まあ、ヴィクトワールの顔芸は置いといて。問題はトサカ野郎の石化攻撃なんだよなぁ」
ネックはそこにいきあたる。いまや、最大の難問は、コカトリスの魔眼から放たれる石化の呪力であった。通常、閉じている両眼は、ひとたび開いたときに強力な魔力を発揮して対象者の身体を死に至らしめる。瞬間的な死ではなくてもかなり厄介であるといえた。幸い、メリアンデールが抗石化薬を調合したので、あらかじめ服薬しておけば、ある程度は持ちこたえられる。もっとも、その効果は実地で試したわけではないのでどこまで信が置けるかとえいば、疑問だ。
「顔芸とはなんだ」
「あ、そこは気になるんですね」
「ううう、うるさいなっ。とにかく、強がるのもいいかげんにしろ! 私抜きで、おまえらにそのコカなんとかが倒せると思っているのか!」
ヴィクトワールは顔にかかった髪を振り払いながら、人差し指を突きつけてきた。
なんというドヤ顔だろうか。でも、おまえは連れてかないもんね。
「というかコカトリスっていったばっかなのに。おまえの脳みその容量は八ビットなの?」
「む。なんだかわからないが、バカにされている気がするぞ」
「そのへんにしておいてもらおうかな、ヴィー。別に君の手を借りなくたって、コカトリスくらい始末できるさ」
蔵人がヴィクトワールといちゃついていると、門のある方角からメリアンデールとリザを従えてルッジが颯爽と姿を現した。リザは白い歯を輝かせながら、ひと抱えくらいの布包みを大事そうに抱きしめていた。
「ルッジよ。それは大言壮語というものだ。別に私はイヤミをいっているわけではないのだ。だが、人間、ときにはできないことをできないと正直にいうことも必要だぞ」
「ヴィクトワールの力は借りない。必要ない。コカトリスはボクたちだけで斃す」
「以上なのだ!」
「む、むかー!」
「擬音を声に出しちゃうお嬢さまアホ可愛い。でもでも、勇者さま。弱っているとはいえ、ここはひとつ全員で総攻めにするのが安全だと思いますよ。また、石へとおなりになったら、正直ハナは悲しいですー」
「ふふ。そのために秘密兵器を用意させたのだよ、ベイビー」
蔵人はハナの頭を乱暴に撫でると、ほとんど悪党にしか見えないツラでふてぶてしく笑った。
「でもでも。勇者さまのお言葉を疑うわけではないのですが……」
「おいおい、楽勝だよ」
蔵人は両腕を組むと、高々とバカ笑いを上げるのであった。




