Lv167「闇の眷属」
アルテミシアの魔の手から逃れた蔵人は、単身、街の中心部に位置するロムレス大聖堂へ身を隠すことに成功していた。
「他国じゃよくは知りませんが、ロムレス教において、キスはあいさつというより前戯に値するのですよ。ほら、クランド殿。脇をお上げなされ。うっわ! ふっさふさ」
「嘘つくな。そんなにはフサってねーよ。イチチ。おい、おっさん。頼むから人の脇をそんなに凝視しないでくれよ。おかしな気持ちになっちまう」
「うっわ! キモ! クランド殿キモすぎ! さすがの拙僧もこれにはヒくわ」
「ごめん。ちょっと、朝メシが込み上げてきたわ。あ、気色悪いから、その顔取って治療してもらえるかな」
「常識的に考えて、拙僧の顔はつけ替え不可ですよねェ!?」
蔵人は、喰らったダメージは軒並み自動復元するというチートスキルである不死の紋章を保持しているが、あろうことか転んだ拍子に刺さった釘が、微妙に手の届きにくい、肩の裏やや下の辺りへ食い込んでしまったのである。
「相変わらず、謎なスキルですねー。こんな強力な回復術、ちょっと知りませんよ」
「まあ、いいじゃん」
放っておけば、肉がせり上がってモリモリと押し出されるはずであるが、できうることなら早めに引っこ抜いておきたいと思うのが人情である。蔵人は、教会でもっとも高い位を持つとされる、いわば「ツレ」の司教マルコ自らの手で、釘を抜かせていた。
「ほい、抜けましたよー。まったく拙僧をなんと心得ているんですかねぇ」
「わがままいうなよ。俺だって若いネーチャンに治療してもらいたかったんだからさぁ」
「まるで拙僧が頼んだみたいないいかたですよねぇ! それ!?」
「そろそろ隠してないで出してよ。ほら、あのイキのいい姉ちゃんと、すぐヤらしてくれそうなトロ子ちゃん」
「それってイルゼとコルドゥラのことですか!? ウチの子なんだと思ってるんですか?ここは場末のバーじゃないんですけどぉ!! ココ、怒っていい場面ですよね!」
「いやだ。久々に来たんだから、二人の顔、久々に見たい」
「わがまま極まりないですねぇ」
「……泣くぞ。泣きながら、ケツの穴押さえて、司教に無理やり姦淫されましたって礼拝堂の中を駆け回るぞ。オラ、早く呼んでよ」
「その上ウザいと来た。まあ、いいですよ。今日は、ちょっと頼みごともありますし。少し、こちらも譲歩しますよ」
(譲歩ってなんだ?)
マルコは見るからに高そうな生地を使った豪奢な僧服をゆらしながら立ち上がると、文机に置いてあったベルを、ちりんちりんと鳴らした。今日も今日とて、年明けの礼拝客が教会に押し寄せ、引きも切らない。マルコも、かなりつき合いのいい男だった。
「しっきょー。あたし、このクッソ忙しいときに呼ばないでねって何回もいったと思ったんですけどー。茶くらい、テメェで煎れてくらっさいよー。あたし、そろそろ、マジで切れますんで。そこいらへん、理解してくださいねー」
「コルドゥラ、またあなたそのような無作法なマネを」
僧院でももっとも気の短いことで知られるシスターコルドゥラは、お盆を両手で持ちながら、細い足で扉を蹴り開けて登場した。彼女は、疲労の極みにあるのか、目元の下にうっすらとしたクマを作りながらイライラした声で登場した。
「ああん?」
コルドゥラは、すぐさまマルコの客が蔵人だと知れると、この世のあらゆる憎悪の根源を見つけたとばかりに、激しく舌打ちをした。
「よ。コルドゥラ! 元気そうじゃねえか。今日も目元の化粧がセクシーだぜ」
「これはクマだボケ。ハッ倒すぞ、このインポ野郎! ……司教。あたし、いいましたよね。今度、このクズ目の前にしたら、たぶん殺しちゃうって。あたしをそんなに犯罪者に仕立て上げたいんですか?」
「クランド殿、拙僧が知らんうちに、この子になにしたのおおおっ!?」
「ちょっと後ろから抱きついておっぱいモミモミしてケツを撫でただけだ」
「やめてくださいよねえええっ!?」
「あ、指も入れようとしたかも。拒否られたけど」
「……殺すわ」
「あああ、ちょっと待って! ちょっと待った! 刃傷沙汰はノウ! ノウなのおっ!!」
マルコは両手を左右に広げながら必死で制止する。が、ヒートアップしたふたりにはそんなものは目に入らない。
コルドゥラは、ちゃっと音を立てて菓子用のフォークを床に投げ捨てると、礼儀も糞もないといった様子で、応接用のソファにどっかと腰かけた。アバズレ女も驚くスレっぷりである。もっとも、彼女の怒りをあおっているのは、蔵人の存在そのものなのであるが。
「うう。いつもは、こんなんじゃないのにい。いい子なのにぃ」
「おっさん。こいつ、俺にちょいと預けてみねえか? 誰よりも従順な肉奴隷、違った従順なシスターに調教、もとい躾てみせますぜ」
蔵人が野盗を思わせる野太い笑みを頬に刻みながら、低く笑った。
「オホホ。あら、面白い。あんたみたいなクズに、あたしが乗りこなせるかしら」
「俺の二十八サンチ砲が火を噴くぜ」
「噛みちぎってやるッ」
「あああっ、ふたりともテーブルに乗らないでぇええ!! 買ったばっかの大理石が汚れちゃうううッ!!」
蔵人が荒ぶる鷹の構えを取ると、コルドゥラはクリスタルガラスの煙草盆を鷲掴みにして目玉をひん剥いた。彼女も澄ましていれば、楚々とした美形であるのに、一旦蔵人を前にすれば、飢えた狼のように歯を剥きだして唸るばかりである。だが、説教をさせればピカイチのマルコである、彼は、いままで習得した全話術の粋を凝らして、ふたりをどうにか説得した。ある意味凄すぎる調整力である。
「で、話を戻すんですけど。クランド殿とアルテミシア殿の喧嘩になった発端というのが、そのルーシアとかいう女性の方なんですよねぇ」
「そうだよ」
「ハン。相変わらず、女のケツばっか追っかけて。ホント、クズよね」
「ハッ、俺の指テクでヨガってたくせに」
「あんたの卑猥な手つきにゲロが出そうになってたのよ」
「ンだとこら……!」
「あああ、もおお。喧嘩しないでっ。んで、そのルーシアという女冒険者なんですが、ちと、彼女の存在、ワケアリなんですよ」
「ていうと?」
「彼女、実は王都の大聖堂で“異端認定”された人物なんです」
「異端認定?」
「はーん。クランド。あんた、こんな初歩的なことも知らないの? それで、いままでどやって生きてきたのかしら? ホントに、人類? 虫かなんかじゃないの?」
「うん。知らない。だから、その意味を教えてくれ」
「は、はぁ!?」
蔵人はソファに座り直すとコルドゥラの眼を真っ直ぐ見つめた。彼は、確かに粗暴かついい加減なきらいのある人物であるが、知らないことは素直に知らないといえ、その教えを乞うためには自分を偽ったりしない純真さがあった。
これを嘲ろうと待ち構えていたコルドゥラであったが、蔵人に真っ直ぐ見つめられ、いささかたじろいだ。
人間、あまりに真っ直ぐな感情をぶつけられると、大きく心をゆすぶられる。コルドゥラは、赤くなりながら咳払いをすると、教会で定義されている異端認定に関して、懇切丁寧に解説した。
「ま、コルドゥラの話を要約すると、ロムレス教の教えを捻じ曲げて布教する輩と、もうひとつ、あらゆる人種にカテゴライズされない別種族の支配を受けた人間のことをそう呼ぶってことなのか」
「クランド殿は理解が早い。この辺りでは、邪教に分類されるゴドラム教。あれも、元をたどれば、根源はロムレス教の枝に求められますからね。そして、もうひとつが、魔の存在。これは、ほとんど確認されていませんが、魔族のことを意味します。大きなくくりでは、闇の眷属と呼ばれているのです」
「闇の眷属だァ? まった、ファンタジー的な呼び名だなぁ」
「先ほどいいかけた譲歩とはですね。クランド殿に、ひとつ骨を折って頂きたく――」
「あの、司教。この話、あたしが聞いてもいいのですか?」
マルコがかなり重要な話を行うと気づいたのか、コルドゥラがしおらしげな態度を取り出した。彼女は、無作法に見えても、場の空気を読むスイッチのオンオフがしっかりしている。それは、特に身内に限って顕著に現れており、いうなれば蔵人のことも他人とは見ていない証拠であったが、彼女自身はそれに気づいていない節があった。
「いや、あなたにも手伝ってもらわなければなりません。なにしろ、本部からの命令なのですからね」
「本部、ですか」
本部とは、いわずと知れた王都ロムレスガーデンにおける大聖堂及びその中枢を示している。コルドゥラの背も、自然にシャキッと伸びた。
「おお、なんだ。いきなり背中に線引きでも入れたみてーだ」
「きっ」
「クランド殿もいちいち混ぜっ返さないで。ほら、コルドゥラ。彼のちょっかいは、愛情表現みたいなものだから。いちいちムキにならないであげてくださいな」
「フッ。実はそうなんだ。おまえを愛するゆえに。許せよ」
「あたし、あんただいっきらい」
「俺もだ。けど、かわいから抱けるぞ」
「ば、バカじゃないのッ!? 真顔でそんなこといわないでよね!」
「ホントは大好き。愛してんぞ、コルドゥラ」
「死ね」
「あー、話し続けていいでしょうかね」
「どうぞ」
マルコの話はこうだった。先ほどの話に出てきた、クラン“蒼の翼”のリーダーである、ルーシア・パニーラというロムレスの中流貴族は、闇の眷属であるという嫌疑を、王都の大聖堂教会の異端審議会から受けており、事実、昨年からマルコも幾人かの聖堂騎士を調査に差し向けたが、そのすべてがことごとく消息を絶っているということであった。
「なんだ? その闇の眷属の嫌疑って」
「ルーシアという女は、死徒。つまりは、ヴァンパイアという魔族と契約を結んでいる可能性が濃いのですよ」
「――ヴァンパイア。んなもんもいるんかい。こいつはたまげたな!」
「ヴァンパイアと契約を結んだ人間は死徒に変貌し、常人では持ち得ない強い不死・不老性を持つといわれております。ああ、クランド殿もあの超回復力を思えば、結構怪しげでしたが、この教会に出入りできる時点でその可能性はありえませんから。なにしろ、ココに張られた結界は超強力で、ロード以外のヴァンパイアは即死か少なくとも必ず行動不能に陥る大術法ですので」
「ま、そこまでいうのなら、確証があるってことなんだろうな」
「その、ルーシアという女性。クランド殿が見て、幾つくらいに見えましたか?」
「うん。たぶんだけど、二十にはなってないんじゃねえか? 自信ねえけど」
「王都から送られた情報によると、彼女のご両親はロムレスガーデンにいまも居住しております。事実、彼女の兄がこの街に来て確認しており、まず本人に間違いないと報告を受けています。もっとも、ルーシアの兄はさっさと街を出て王都に戻ってしまい、以後連絡は途絶えてしまいましたが」
「なんかはっきりしない口ぶりだなぁ。兄貴が会って間違いないってんなら騙りじゃねえだろうよ」
「その兄の言葉が真実ならば、ルーシア・パニーラという女性は、三十年前に失踪したときと、寸分変わらぬ姿だったそうです」
「なんだって!?」
「教会側が王都の戸籍係と照らし合わせた情報に狂いはございません。真実として、ロムレス貴族のルーシア・パニーラは、今年で齢四十九になる老年に差しかかった婦人以外の何者でもないのです。それが、調査の結果でした。拙僧も、去年、遠目で幾度か拝見しましたが、あれはどう見ても十代の少女にしか見えない。誰がなんといおうが、外見だけなら彼女の存在は異端確定なんですよ」
「けど、彼女は俺を助けてくれた。少々見た目と歳が違ったって、別にどうこういう必要ないんじゃねえか」
「異端認定は、別段、教義の押しつけや示威行為で形だけ行っているのではありません。すべては、王国民の財産と生命の保護を重要視した結果なのです。いままでの調査において、闇の眷属が人間社会に姿を現したときは、百パーセントの確率で、無辜の民を殺傷しています。ただ、証拠がそろっても自白がない限り、異端審問にはかけられない。おまけに、ルーシアは平民ではなく爵位を持つ貴族の子弟なのですから。無理やり押し入って捕獲すれば、密殺は難しい。手続きとして王都の法律院に送れば、存命の一族はメンツのためなりふり構わず教会を批判するでしょう。建前と本音が錯綜しているのです。どちらにしろ、ルーシアという婦人の平安は春まで続かないでしょうね」
蔵人は、ごくりと生唾を呑み込むと、目を白黒させた。
「ルーシアが、そんな……」
思えば彼女は善意の塊のような人物であった。なんのゆかりもない蔵人を、助けてダンジョンを潜り、無償で武器を貸し与えて、ときには迫り来るモンスターの露ばらいを行って道を切り拓いてくれた。いま、思えば彼女が瀕死のリースにかけてくれたやさしい言葉にはなんの嘘偽りもなく、ただ真っ白な誠意がこもっていたのだ。
「彼女が、その魔族とかだったら、どうするつもりなんだ」
「それなら話は簡単です。王都にいる彼女の親はお咎めなし。死徒化していると認定されれば、もはや人間としての地位はすべて剥奪されます。波風が立たないとわかれば、上はすぐさま手を回してくる。間違いなく。本部から名うての執行者が派遣されて終わりです。なにも、クランド殿が手を汚す必要はありません。ただ、ひとつ道があるとすれば」
「すれば?」
「もし、彼女がいまだこの領内で人を傷つけていないのであれば、拙僧の権限で目をつむることもできなくは、ないです」
「司教!? なにをいっているんですか! それは、立派な背信行為ですよ!」
コルドゥラは青ざめた表情で立ち上がり、胸のロムレス十字をギュッと握り締めた。
「拙僧もそう思いますよ。けど、彼女がまだ悪の道に落ちていないのであれば、手を差し伸べるのが、宗教者じゃありませんか」
「なにを、バカな。魔族が、あたしたちと同じ天にゆけるわけがないっ」
「落ち着きなさい。クランド殿も、彼女に助けられたといっています。ルーシアという存在が、この国に害をなすかどうか確かめてからでも、報告するのは遅くありませんよ」
「それじゃ、遅すぎるんですよ! 余計な庇い立ては不要です。司教も、あちら側の容赦のなさは知っておられるでしょうに! よくて司教の地位は解任。下手をすれば、眷属と見られて火炙りにされてしまう! 確信なんかなくってもいいじゃないですか! いますぐ、報告するべきですっ」
「待ちなさい!」
マルコの制止。コルドゥラは短く叫びながら、両耳を押さえると、表に向かって飛び出していった。
「……おっさんは、ここでちょっと待っててくれよ」
蔵人は、飛び出したコルドゥラのあとを追って、応接室を出ていった。
白く美しい石が均等に敷き詰められた渡り廊下を走って辺りを見回した。見れば、コルドゥラは、人気のない潅木のそばにしゃがみこんで啜り泣いている。彼女は、感情が高ぶりすぎたせいか、自己抑制が利かないまま激しく爆発させてしまったのだ。
気の強い女ほど、一旦、強固な殻が破れれば、中身がドロっと垂れ落ちてくる。
熟した柿が自然ともげ落ちるように、収穫のときがやってきた。
蔵人は薄くほくそ笑んだ。
(ククク。あとは、苦労せずに口を開けて、その果実を貪るのみよ)
――この勝負、もろたで工藤!
「コルドゥラ」
「あんた……」
蔵人は慈愛あふれる表情で彼女の肩にそっと手を置き、いいんだ、とばかりに顔を左右に振った。
――決まった。
が、彼女は怨敵を目にしたようにキッと睨みつけると、腕を振り払って立ち上がった。
――あるぇー? 想像と違うやん。
「なによ、笑いに来たの?」
「バカだな。心配で様子を見にきたんじゃないか。マイハニー」
「ドタマかち割られるまえに消えなさい、クズ」
「かわいくねー女だな」
「ふんだ。どーせ、あたしはかわいげなんか、なにひとつない女よ」
コルドゥラは背を向けると、耳を澄まさなければ聞こえないような声でいった。
「でも、司教はそんなあたしを拾ってくれたんだ……」
「拾った?」
「あたしはね。ヒルダや、ほかの子たちとは違う。貴族のお嬢さまのように、行儀見習いで僧院に出されたわけじゃない。六つのときに、司教に拾われたの。あの人は、女性の信徒を見ればすぐに目尻を下げて、平気で女遊びもするけど、こんなことで地位を失ったりするべき人間じゃない……! わけのわからない異端に情けをかけて、彼の名誉に傷がついてしまったら、もう取り返しがつかないよ」
「おっさんに内緒で密告つもりか」
「ううん。そんな勝手なマネをしたら、司教はあたしを許さない。でも、この状況を知ったまま放っておけば、本部の執行者はきっと、遠からずルーシアという女の正体を暴き出す。あのね、司教はスケベだけど確信の持てない相手を絶対に後ろから刺すような卑怯なことはしないの。あたし、あたし、いったいどうしたらいいの」
コルドゥラは大きな瞳に涙をためて、ジッと蔵人を見やっている。
「ようやく、こっちを向いてくれたな」
「でも、あんたは結局、そのルーシアっていう女の味方なんでしょう」
「彼女には借りがある。どうしても肩入れしたくなっちまうのは仕方ねぇだろう。けどな」
「けど?」
「おっさんやおまえの気持ちだってないがしろにしたいわけじゃないんだぜ。なら、ここでグダグダいってるよか、自分の目でなにもかも確かめてから判断を下したって、遅かねえだろうよ」
蔵人はコルドゥラの肩を大きくひとつ張ると、白い歯を剥きだしにして、さも楽しそうに笑った。
後刻。日が落ちるのを待って蔵人は行動を開始した。ルーシアに招待されていた晩餐に自ら赴き、真実を見極めるためである。目的のクラウ・クラウンホテルは、シルバーヴィラゴ市内で、五本の指に入る高層の建築物である。ホテルの受付は、蔵人のいつもどおりのみすぼらしい格好に眉をひそめたが、隣を歩く婦人の美しさに対しては、客に対して礼を失するのではないかと思うくらい、あからさまな反応を見せた。
「ねえ。あたしが、そのリースって子のフリしてバレやしないかしら」
「多分平気だろ。ダンジョンの中は暗かったし、あいつはずっと背中に顔を伏せたままだから向こうもよく覚えてないだろう。それに、カラダつきも似てるしな」
「そんな、いい加減な……」
コルドゥラはいつもの僧服を白いドレスに着替えて、貴婦人然とした格好をしていた。
無論、すべては市内で整えた借り物であり、彼女自身このような礼服を身につけるのは生まれてはじめてである。どことなく、ぎこちない歩き方であるが、元々の顔立ちが整っていたせいか、化粧をすれば思った以上に映えた。
「おい。右手と右足が同時に動いてるぞ」
「うっさいわね。あたしは、こんな服着たことないんだからしょうがないでしょ!」
「お嬢さまはそんな伝法な口を利かない」
「う」
「いまのおまえはリースっていう貴族のお嬢さまなんだ。おしとやかに、おしとやかに」
「あんたは、なんでそんなボロ服で堂々としてるのよ……」
「俺は細かいことは気にしないタチなんでね」
「おかしいわよ、ぜったい」
いつもの勝気な態度は微塵も見えず、コルドゥラはホテル内の贅を尽くした調度品にキョロキョロしながら、口元をゆがませている。
「お。いいぞ、そのオドオド加減。気弱な雰囲気が出ててグッドだ」
「ひっ!」
蔵人はエスコトートをするふりをして、ここぞとばかりにコルドゥラの尻を撫でた。
彼女は、顔を真っ赤にして手を振り上げかけたが、訝しげに視線を送ってくる周りの人々の気配を察して、不承不承に矛を収めた。
「調子に乗るんじゃないわよ。あとで、あんた、ボッコボコにしてやるんだからね」
「おまえいいケツしてんなぁ。それに思ったより肉がぷにぷにだぞ。安産型だな」
「……ぜったい、ぶっ殺してやるかんね」
「お嬢さまは殺すとかいわない。ほら、ハイソな人たちが見てるぞ。スマイルスマイル」
「う。オホホ」
「そうだ、そうだ。がはは。こりゃ楽しくなってきたな」
「あたしはぜんっぜん楽しくない。ちくしょう、あとで見てなさいよ」
「そのドレス着たまま一発やらせてくれな」
「黙れ。タマとサオ、噛みちぎってやる」
「おぉ、怖い怖い」
「よくぞいらっしゃってくださいましたわ、クランドさま」
ルーシアは、蔵人が想像していた以上に歓喜の表情をあらわにして出迎えてくれた。晩餐は借り切った個室で和やかにはじまった。蔵人がいいつけるまでもなく、コルドゥラは豪華なディナーなど食べたことがないのか、作法にまごついて、ロクに受け答えもできなかったが、ルーシアにはそれが洞窟内でのおとなしかったリースの印象と重なったのか、特に不信は持たれなかった。
「ね、ねえ。これってどれ使えばいいの?」
「ナイフとフォークは外側から使うんだよ。バカ、それは指洗う盆だ。なんでもかんでも飲もうとするんじゃねえ。おまえは、猫か……」
「だって、こんなところきたことないんだもん」
「もんじゃない。ほら、あんまひっつくなって。ルーシアが不審に思うだろーが」
「だってぇ」
「大変仲のよろしいことでおうらやましいですわ。リースさま。あれから、傷のお加減はいかがでしょうか。あのときは、ずいぶんとお具合がよろしくなさそうですが」
「え、ええ。いまは、クランドに、いえ、クランドさまにずいぶんとよくして頂いて、その、まことに快調ですの」
蔵人はコルドゥラのしゃべり方にハラハラしながら、なんとか晩餐を無事に終了させた。
ルーシアも、本当に他意はなかったようで、話題は日常のことに終始し、互いが冒険者であるということもあって、それとなく冒険者組合の噂話に触れることもあったが、特に不審な点は見当たらなかった。コース料理とは、案外、時間を食うものだ。ルーシアが、中座したおかげで、ふたりはようやく仮面を脱ぐと、深く息を吐いた。
「どんな感じだ、コルドゥラ」
「うん。とっても、おいしかったわ」
「あのな。誰も料理の感想なんか聞いてねーよ。ルーシアだよ。ルーシア。あいつは、おまえの目から見て、どうだ。なにか、不審な点は見つかったか?」
「――ッ!? そうよね! あはは、あたしなにいってんだろ」
「もーし、もし。もし、もしィ!? ちょっと、ノックしますよぉコルドゥラさんのお宅にィ? あら、お留守かしら? もおええわ。俺がちっと様子見てくる。あ! デザート来たら残しとけよ。食ったら泣くかんな」
蔵人はイヤミったらしくコルドゥラの側頭部をコツコツ手の甲で叩くと、急いで部屋を出ていった。かなり冷静に観察していたが、ルーシアは軽い食前酒程度で赤い顔をしていた。つまりは、覿面に酒が弱いと推察された。中座したのは酔いをある程度覚ましに行ったと思われる。
あら、私酔ってしまいました→おぜうさん部屋までおくりませう→あら、ダメよクランドさま。あなたにはお連れの方が→いやいや、気にせずともいいんですよ。そういえば、お酒を覚ますいい方法を知っているのですが、試してみませんか試したほうがよくねいや断然試すべきというか試そう→合法的に合体。
ここまでの芸術的流れが蔵人の脳裏を凄まじい勢いで流れていく。もちろんリテイクはなしの方向で。
「待っててねェ、子猫ちゃーん。ボキが、懇切丁寧に身体検査して、なんら問題ない人間だということを証明してみせるよん。さ、どこにいったかなーん」
蔵人は、高級そうな絨毯をすべるように移動して、途中、出会ったボーイにルーシアが通らなかったかどうか聞いた。
「そのご婦人なら、あちらの方へ歩いてゆかれましたけど」
「ナイスだ、坊主。こいつは、チップだ」
ボーイは蔵人の姿が見えなくなると、握らされた掌をそっと開いた。このような高級ホテルを利用する人間だ。身なりはあまりよくなくても金回りのいい冒険者なのかもしれない。すると、自分が持っている紙片は都市銀行が近年発行したという、最新の紙幣というものかもしれない。ボーイが、クシャクシャになった紙を苦労して開くと、そこにはにじんだインクが残っており、こう書かれていた。
酒店“胡蝶”代金二千五百P。
ボーイは苦々しい顔つきで紙を丸めると、蔵人が消えていった方角へと呪詛の混じった罵り声と共に投げつけた。
一方、確信犯の蔵人である。彼は、ほどなく壁に手をついて、苦しそうにあえいでいるルーシアの姿を発見した。
「おい、でえじょうぶか? 気分でもワリーのか?」
「あ。クランドさま。すみません。飲みつけない御酒を過ごしすぎてしまったようで、少し気分が。んっ……」
「おいおい無茶すんなよ。さ、つかまって。立てるか」
「ああ、すみません。私というものが、お恥ずかしい醜態を……」
「人、酒を呑む。酒、酒を呑む。酒、人を呑む、ってことわざもあるくれぇだ。なにごとも、程々が肝心だぜ。ああ、苦しいなら無理に口を利かなくたって構わねえ」
ルーシアは、ぱっくり開いたドレスの背中まで真っ赤に染め上げながら、荒く息をしていた。アップした黒髪が、いくらかバラけて白く小さな耳にかかっている。抱きかかえた女の肌の体温と、なんともいえないいい匂いが鼻先を漂い、理性が吹っ飛びそうになるのをこらえた。まだだ。まだ、ここはホテルの踊り場だ。せめて、彼女の部屋まで、人間でいなければならない、気がする。と、蔵人は酔った美少女を介抱するフリをして、まんまとルーシアの部屋へと入り込んだ。好物と見れば、どんな隘路も抜けてスルスルと入り込んでしまうゴキブリのような動きであった。
「ほら、部屋に着いたぜ。横になって服をゆるめるといい」
「すみません、私としたことが、はしたない……」
「服をゆるめると楽になるよ」
「本当にご迷惑をかけて。私、恥ずかしいです」
「ゆ、ゆるめますよー」
ルーシアは無垢な童女のように無警戒のまま目を閉じた。蔵人に襲われるなど、微塵も心配していない顔である。さすがに、これへつけ込むのは心が痛んだ。
「おいおい。ちょっと無用心すぎるぜ。男をホイホイ部屋に連れ込んで、なんかあったら取り返しがつかないよ、おまえさん」
「クランドさまは、そんなことなさりませんよ。だって、紳士ですもの」
「紳士は紳士でも変態紳士かもな」
「本当、ご冗談がお好きな方」
ルーシアは汗ばんだ頬をゆらして、くくっと含み笑いをした。
心の底から安堵しきった表情であった。
(……ま、冗談はともかく。部屋まで送ったけど、妙な部分は特になかったな。教会の異端云々もとんだ見当違いってことじゃねえのか。さ、そろそろコルドゥラのところへ戻らねーと。子だぬきが子鬼へジョブチェンジしちまう)
天蓋つきのベッドで大の字になったルーシアは匂いたつような色気を放っていた。彼女は、蔵人にとって恩人である。白いドレスに白い長手袋は、どこなとなくウェディングドレスを思わせる意匠で、さすがに寝込みを襲うようなマネは気が咎めた。
――でも、ちょっとおっぱい揉むくらいはいいんじゃないかな。いや、なにがいいかはわからんが、せっかくここまで運んできたんだし。
これも駄賃だと、無理やり自分を納得させて、身体を近づける。不意に、ルーシアが素早く上体を起こした。
「うおっと!?」
「つーかまえましたわっ」
覗き込む格好になっていた蔵人の首ったまに、ルーシアの両腕が伸ばされ、図らずも覆いかぶさる形になってしまった。酒精の混じった息と、彼女の熱い体温がぴったりと引っついて心臓の鼓動が自然と早まった。無論、孝行息子も臨戦態勢だ。
「とんだ悪さだ」
「わたくし、今夜は悪い子ですの」
「ルーシア。あんた、酔ってんだよ。さ、悪いこといわねえから、放して」
「やーですわっ」
「あのなぁ……」
笑って身体を無理やり引き剥がそうとした瞬間、彼女と眼が合った。
とろんとした黒い瞳は夜露に濡れたようにてらてらと光っている。ぷっくりとした、ピンクの紅が引かれた唇の端。ちろちろと誘うような舌が蠢いている。淫蕩そのものといった顔つきだった。蔵人はルーシアに魅入られたように、その場から動けなくなった。
――なんだ、これは? おかしい。なにかが、おかしい!
「ねえ、クランドさま。わたくし、くるしいの。この、苦しみ。とめてくださる?」
「あ、う……」
蔵人にしては珍しいほどの、長い逡巡だった。だが、ルーシアはそんなことに頓着せず、男の首に回した腕を、グイと引きつけて、それが当たり前のように自分の唇を押しつけるだけだった。




