Lv147「亡国の王子」
蔵人は手にしたアイボリーのカップをふうふう吹きながら、突き出した唇にそろそろと持っていった。ほこほこと湯気が立ち昇っている。冷気を遮断した建物の中でさえ、零下の世界なのだ。ヤケドしそうなほどあたためられた酒をひと息に飲み干すと、喉をすべり落ちる灼熱の塊が脳みそをじんわりとさせる。蔵人は弛緩した表情で小鼻をピクピクと蠢かせた。
「んーんん。うまいねえ。寒いときはこいつであったまるのが一番よ」
「ご主人さま、お口をば」
「ん」
蔵人は傍らに座るポルディナがむしった乾燥肉を口に運ばせた。じっくりと時間をかけて噛み砕く。唾液を引き出して、口中に残った酒精の余韻と混ぜ合わせるのである。やや強い塩気の肉が、やわらかくほどけて、細かな繊維に立ち戻っていく。こじるように舌先で弄び、強く肉片を噛み締めた。それから、酒で洗うように続けて杯を干す。
ふと、顔を上げると、慈愛にあふれたメイドの瞳に自分の姿が映り込んでいる。
指を伸ばして、ポルディナの細い手首を取った。
引き寄せて胸に抱く。彼女の甘い吐息が首筋にかかった。
「あのねぇ。あんたたち、よくこの状況でアホみたいにいちゃつけるわね」
「あん?」
声に顔を向ける。カレンは部屋の隅にある古ぼけたベッドにうつ伏せになりながら、ジトっとした目を三角にしていた。
その隣では、リザが毛布を顔までかぶって眠りこけている。文机に腰かけて繕いものをしていたルールーが困ったように眉を八の字にしていた。
「だって、仕方ねえだろ。ほかにやることねえし」
「そうそう。クランドのいうとおりじゃ。カレン、お主も飲めばいいのに」
ドロテアがとろんとした表情でこともなげにいった。シニヨンにまとめている髪が流れている。金色の海の中で、青い瞳が熱っぽく潤んでいた。
「あたしはバカみたいに酔っ払うのがきらいなのっ」
「ほんだっ!?」
カレンの投げた枕がすぽーんと飛んで、蔵人の顔面にジャストミートした。
翼人遺跡を攻略し終えた直後、王国軍に見つかった蔵人たちは囚われの身になっていた。
マルクたちはあきらかに共和国軍の兵士のため、尋問も兼ねて別の場所に閉じ込められているらしい。
一方、蔵人たちはロムレス出身であることがわかると、普通の一室をあてがわれ、半ば軟禁状態にされたのだった。
「食物は三度三度出るし、酒はくれっていえばいくらでもくれるしよ」
「ふむ。三級品じゃがな」
ドロテアは赤くなった目元を潤ませ、酒瓶をちゃぷちゃぷとゆすってみせた。
「かといって、あんたたち飲みすぎよっ。これでもう三日も飲み続けて、あーもう。お酒の匂いで頭がヘンになりそう」
カレンはきーっと癇癪を起こして、毛布をバンバンと平手で打った。
もふもふと埃が立つ。
ポルディナが口元に手を当てて、あからさまに嫌そうな顔をした。
「あはははっ」
「笑いごとじゃないってばっ」
「アタマがおかしいのは元からでは?」
ポルディナの発言に、カレンの瞳の色がすっと冷える。
「へー、そう。犬っころの犬子ちゃん。また、あたしにケンカ売ってる気?」
カレンは腰に手を当てて立つと、精一杯睨みを利かせて挑発する。
ポルディナのしっぽが、ぶるんと震えると、逆立って天を突き、臨戦態勢に入った。
「やめろ、カレン。また、ポルディナに泣かされっぞ」
「なななな、泣いてなんかないっ。あたし、こんな犬っころになんか負けないんだもんっ」
「姫さま、もうそのあたりで」
「うるっさい、うるっさいんだからぁ! ルールーは黙って!」
「ふふん」
カレンがルールーの手を振り払うと、ポルディナが小鼻をヒクつかせて笑った。
「あー! あー! バカにしてっ。あたしは、誇り高き草原の王者の娘なのよっ。徒手格闘でも、そこいらの山出し娘に負けるはずがないじゃんっ。クランドも馬鹿にしすぎっ」
「でもなあ」
「正直、素手ではポルに誰も勝てん……と思うのじゃ」
ドロテアは酒瓶を逆さにして覗いている。心底どうでもいいらしい。
「うるっさいのよ、あんたたちはっ。とうっ」
カレンはベッドから飛び降りるとポルディナと四つに組む。
具体的にいうと、両手で指同士を絡め合いながら膂力を競うのだ。
カレンは眉間にシワを寄せながら細腕に力を込める。噛み締める白い歯が、剥き出しになってチラリと輝いた。
「んぎぎっ」
「ふん」
ポルディナは鼻を鳴らすと、まるで軽い椅子を差し上げるようにしてカレンの身体を宙に浮かせた。
「んにゃああっ!?」
「懲りない長耳ですね。そろそろ本格的に上下関係というものを思い知らせてあげましょうか」
ポルディナはカレンの身体を宙であお向けにすると、自分の肩にふわっと乗せた。
顎と太ももに手をやってギリギリと締めつける。
抜群の位置でそれは決まった。
アルゼンチンバックブリーカー。
人間を首筋で巻くように乗せることから、別名“人間マフラー”と呼ばれた大技である。
ポルディナの奥の手が、ここエトリアの地で炸裂したのであった。
「降参しますか?」
「やにゃあああっ! 降参なんかぜったいしにゃいんだからねえっ!!」
カレンはむっちりとした白い太ももをバタバタさせながら抵抗する。
蔵人の視線が、カレンの腿に集中した。
それが気に入らないのか、ポルディナの両腕に、ますます圧が込められる。
カレンの瞳が怒りで血走った。
「……意地を張りますね。ふん!」
ふん、の部分がなぜか男らしい口調になる。
カレンの絶叫が響き、扉の向こうから激しい足音が近づいてきた。
「まじぃ!? おい、ルールー。タオルだ! タオル投げ込めっ」
「え? あ、あ。はいっ」
勝負は一瞬で決した。ポルディナの勝利である。
このあと、見張りの兵士にものすごい怒られた。
「見ろ、おまえらのせいで怒られたじゃねえか」
蔵人はベッドの上で寝そべると、大の字になって愚痴った。
足元ではポルディナに伸びきった足の爪をナイフで切らせている。
ポルディナは器用に爪を切りそろえると、自分の仕事に満足したのか、しっぽを得意げに左右へと振っている。カレンはふくれっツラのまま壁際を向いて目を閉じていた。
「あたしが悪いんじゃないもん」
「そうふくれるなって。それに、捕虜とはいえけっこう寛大な扱いだぜ。爪が切りたいっていえば、ナイフくらい貸してくれるしな」
「普通は刃物など捕虜には与えないものじゃしな」
「でも、正直三日も経ってるのよ。もう、ここにいるの飽きちゃった」
カレンは腕を伸ばしながら大きくあくびをした。ピンク色の舌がよく見える。ポルディナがはしたない、とあからさまに眉をひそめた。
「休養休養。俺は逆に身体が休められたし、ちょうどよかったと思ってる」
「ねえ、犬っころ。あんたはどう思ってんの」
「私は、ご主人さまといっしょにいられれば、なんの不都合もございません」
「いってくれるのう」
ポルディナの言葉にカレンは鼻を鳴らし、ドロテアは苦笑いを浮かべた。
「んで、ドロテア。足の具合はどうだ」
「ふむ。ほどんどかさぶたが塞がりかけておる。ここの、治癒師は中々に優秀じゃの」
ドロテアの右足首のヤケドは、捕虜になってすぐに手当を受けたこともあり、大事に至らずすんでいた。
「あとは、ここから出られれば大満足なのじゃが」
ドロテアが足首を気にしてしきりに包帯の上を触っている。蔵人が頭を空っぽにして天井を見つめていると、隣で毛布をかぶっていたリザが目を覚ました。
「ふにゃ」
「なんだ。メシはまだだぞ」
リザは涎を垂らしたまま、キョロキョロ周囲を見回している。寝起きで、自分が一瞬どこにいるのかわからなくなるというアレだ。カレンがそろそろとベッドの上を四つん這いで近づき、リザの頬を両手でつまんで横に引っ張った。
「寝ぼけてるんじゃないの。このっ」
「ふにゃにゃにゃ。あれ、カレン。ここどこ? リザ、いつの間におウチに……」
「いや、帰ってないからな」
「ねねね。見てみて。ほらほら、コイツの顔おもしろいわ」
「おやめなさい」
ポルディナが呆れたようにため息をつく。止めようとしないのは、彼女もこの三日間の怠惰な生活で意識がやや緩慢になりつつあるせいだろうか。
蔵人が手枕のまま、ふたりのやりとりを眺めていると、扉の向こうからカツカツと軍靴が床板を鳴らす規則正しい行進が聞こえてきた。椅子に座っていたルールーが立ち上がって左右の長耳をピクピクと蠢かす。足音が扉の前で止まり、錠前を外す軋んだ音が鳴った。
ルールーが扉の前に進み出ると、黒い軍服を着た兵士が五人ほど並んでいた。殺気は感じない。聞けば、蔵人たちに高位の人間が面会を申し込んでいるらしい。軟禁状態で退屈しきっていた蔵人は、大きなあくびをしながら、その申し出を受けた。
「とはいっても、拒否権なんぞないんだろうがな」
蔵人が知っているのは、ここがヴィルヘルム山の砦のどこかであるということだけだ。
連行されたときには、全員が目隠しをされてかなりの距離を歩かされた。一室に叩き込まれてからは、用便のとき以外に砦の中を見る機会もなかった。
蔵人は兵士に囲まれながら、ゆったりとした歩調を取った。急造とはいえ、かなりしっかりした造りの内部は長期の篭城戦を想定して建てられている。狭い通路を屈強な兵士に囲まれて移動した。しばらくすると、ほかの部屋とはあきらかに造りの違う豪奢な扉の前に到達した。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
蔵人たちが室内に入ると、黒檀の机の前に立った少年の姿が目に入った。年の頃は十二、三だろうか。いかにも温室育ちといった線の細い身体をしている。やわらかそうな金色の髪に、鳶色の瞳が涼やかである。上質な布地を使った紺色の上下を着て、腰には黄金造りのやや不釣合なほど大仰な剣を佩いていた。少年のすぐそばには、冷たい瞳をしたフリストフォル・ロバーノフが守るように立っていた。
「ロムレスの客人を陛下が直々にお迎えしたいと仰せられてな」
「陛下?」
「誰が発言を許したか」
蔵人が反射的に訊ねるとフリストフォルがたしなめる。蔵人は幾分鼻じらんだ様子で唇を尖らせた。フリストフォルの眉間がますます険しくなった。
「フリストフォル。会いたいと願うたのは余だ。かような口の利き方は礼を失する」
「しかし」
「ほら、その坊主もそういってんだろ。あったまカテーんだな、若いのに」
「き、貴様ッ」
フリストフォルは目を見開いて腰の剣に手をかけた。同時に、少年から快活な笑い声がほとばしる。やや高いその声はいまだ変声期を迎えていない独特の危うさがあった。
「ははっ。坊主か。余が坊主呼ばわりとは、これまた痛快な。そうだろう。余を知らぬものなら、小生意気な小僧に見えてもいたしかたあるまい。ロムレスのお客人、名はなんと申すか」
「クランドだよ。よろしくな」
フリストフォルは空気を欲する金魚のように口を激しく開閉させた。背後に控えていたドロテアたちも、半ばその人物を察して残らず身を固くした。
「クランドと申すか。余は、エトリア王国二十三代当主、ニコライ・エトリアルだ。国王は仮、だがな。以後よろしく頼むぞ」
その名を聞いた途端、蔵人以外の者は全員その場に凍りついた。高位の人間が現れると想像はしていたものの、王太子本人とは思っていなかったのだ。ニコライの父である先代は革命の中で死没しており、戴冠はしていないものの、蔵人の目の前にいる少年は実質王家における最後の後継者にほかならなかった。
「さすが豪傑だ。余の名を聞いてもたじろがんとは」
「たぶん、俺がよくわかっていないだけだと思うぞ」
いつものように無礼な言葉遣いをする蔵人に対して、フリストフォルが血相を変えて斬りかからんとするが、ニコライは目の前の野放図な男を面白がって、余人をすべて部屋から下がらせた。
蔵人は、亡国の王族とはいえ、見知らぬ少年といきなりふたりきりにされて、異様な居心地の悪さを感じた。
が、王子は屈託なく笑うと、豪奢な椅子を自ら勧め、瞳を輝かせている。無視するのも無礼だろうと思い腰かける。向かい合うと、王子の端正な顔が毛穴までくっきり見える近さだ。ニコライのまつ毛は長く、全体的に見れば少女のような細い線で構成された身体のつくりだった。
「クランドよ。これでようやく落ち着いて話ができるというものだ。これ」
ニコライは鈴を鳴らして侍女を呼ぶと酒の用意をさせた。
「なんだよいきなり。酒でも飲まして、一発かまそうって手か? あいにくと、俺はそっちの気はないぜ」
ニコライは、一瞬、キョトンとした顔で瞬きする。やがて、意味を悟ったのか、口元を隠しながら、上品に身体をくねらせ悶絶した。
「まったく、どこまで余を笑わせれば気がすむのだ。心配せんでもよいぞ。余もそういう趣味は無い。もっとも、クランドにそういう趣味があるならば、フリストフォルを貸し出してもよい」
「冗談じゃねえや」
「あーわろうた。それにしても、お主の髪も目も黒いのう。まるで、闇のようだ。あれか。ロムレス人は、かように黒々とした人間が多いのか?」
「さあ、よくは知らんが。俺のように髪も目も黒い人間は少数派だったかな」
「ふーむ。奇相だ。余は、黒髪黒目の人間を間近で見たのは、生まれてはじめてだぞ」
「色が違ったって、ほかはたいして変わりねえよ。そんなことよりも、殿下さまはいったいどういうつもりで俺と話そうなんて思ったんだ。いっとくが、たいした情報なんて持っちゃあおれせんぞ」
「ふふ。余は、お主のことを間諜などとは疑っておらぬよ。要するに、退屈しのぎだな」
「退屈しのぎ」
「長対陣もこう続くとやりきれぬ。特にここは、なにもないからのう。それに外からの情報をフリストフォルは教えてくれぬ。意地悪だとは思わんか」
「世の中には知らなくていことが多いからな。あの、しかめっツラも色々と考慮した上なんだろう」
「しかめっツラとはいい得て妙。さ、話してもうらうぞ」
「なにをだよ」
「無論、ここまでの冒険をだ」
蔵人は、急かされるままに翼人遺跡の中で起きた出来事を話しだした。ニコライはよほど刺激に飢えていたのか、蔵人の話す冒険譚に一喜一憂し、ときには声を呑んで無言になり、ときには歓声を上げてダンジョン内の死闘を追体験していった。ここまで反応がよければ語る方にも熱が入るというものだ。蔵人は英雄を見るような少年王子の純真な瞳の前でたっぷりと自尊心をくすぐられ、時間が経つのも忘れて話し続けた。
「いやあ、手に汗握る冒険だった。聞くだに心躍る。クランド、お主は一流の語り手だ。余は、まるで己もその場にいたような感すらあったぞ。満足、満足」
ニコライは手元の鈴を鳴らすと、侍女を室内に呼び入れた。ほっそりとした色の白い侍女は、手にした盆を机の上に置き、目を伏せた。ニコライが鷹揚にうなずくと、上に乗せていた布が侍女の手で取り払われる。そこには、まばゆいまでに輝くズッシリとした黄金のインゴットが山と積まれていた。
「些少ではあるが、話の礼だ。受け取ってくれたまえ」
「マジで? もう、もらったぞ。あとで返せっていってもダメだかんな」
蔵人は素早く延べ棒の山を腹の中にしまい込むと、キョロキョロと周囲を見回す。ニコライは王者の寛容さで笑みを崩さなかったが、傍らの侍女は蔑みの視線を隠そうともしなかった。
「そこまでよろこんでもらえればこちらとしてもうれしい限りだ。自分に正直なのは善である。できれば、これで満足して引き取って欲しいのだが、どうだ」
「どうだ、といわれてもねえ。なんのことやら」
「クランド。お主たちが、世界樹の枝を求めてはるばるロムレスからやってきたことは知っておる。余はお主のことを気に入った。できれば力になってやりたいが、世の中にはできることとできないことがある。そして、だいたいにおいてできないことのほうが多い。悔しいことにな。さあ、お客人のお帰りじゃ。エリナ」
「おい、ちょっと待って。まだ、話の続きが」
「お帰りはこちらです」
ニコライに命じられた侍女は、その細身とは思えぬ力で蔵人を扉まで引きずっていく。
仲よく腕を組む格好である。毛足の長い絨毯に跡が残った。
「おいっ、まだ話があるっていってるんだろうがっ。スッゲー力だな」
侍女はひたすら無言。固められた右肘にプニプニした感触が残った。
「おっぱいが当たってんですけど」
侍女は鬼のような顔つきで蔵人を廊下に投げ飛ばすと、音を立てて扉を閉めた。背中を板塀に強打し、呼吸が止まる。待機していた女たちがたちまち駆け寄ってくる。
「なにをやっているのじゃ、お主は」
「まあ、なんというか。ファーストインプレッションは悪くなかったかな」
「そう思っているのは、あんただけじゃないの、実は」
そうかもしれないと、疑心暗鬼に陥る蔵人であった。
「と、いうわけで思った以上に王子さまは俺たちには好意的であったが、正攻法では許可がどうにも降りそうにないので、こっそり世界樹にいくことにしました」
「はあ」
深更、蔵人はこっそり腹痛を装って便所にゆくと偽り砦を抜け出した。介添え役としてついてきたルールーは、なんとも不安そうな顔で元気なく相槌を打っている。
ふたりは、砦のはずれにある物置小屋で身を潜めながら、肩を寄せ合っていた。吹きつける寒風をものともせず、蔵人は鼻を真っ赤にさせながら気合は充分だった。要するに精力が有り余っていたのだ。
「私たちだけでだいじょうぶでしょうか。せめて、姫さまにひとことなりとも」
「ばか。カレンにいってみろ、あいつはギャーギャー騒ぐに決まってる。リザも同じ。速攻でバレる。そしたら警戒が強まるだろ? だから、今夜しかなかったわけだ」
理由はそれだけではない。カレンもルールーも、ダンジョンの激戦で魔力を使い果たしており、疲労が完全に抜けきっていない。ドロテアは、右足の負傷。ポルディナは、残ったもののおさえに残したのである。
ルールーは、同行者にポルディナよりも自分が選ばれたことを心底不思議に思っていた。貢献度や信頼からいえば、ルールーはポルディナに比べて数段劣る。それは彼女にとって悔しいが、早々に埋まることのない大きな現実という溝であった。
「……あいつ、素振りも見せないが、けっこうダメージがデカいんだ。サラマンダーにバシバシしばかれてたからな。ああいう傷は、二、三日経ってからジワジワと効いてくる。でも、消去法でおまえを選んだわけじゃねえ。世界樹の枝はバカ高い場所にあるらしい。おまえの身軽さが頼りなんだ。やってくれるな」
「はいっ。クランドさまの命ならば、この身命を賭して!」
「ば、ばか。声が高いッ」
蔵人はルールーの唇に人差し指を当てながら、彼女の頭を押さえつける格好でしゃがみ込み、辺りを見回した。砦の外に出たとはいえ、王軍の規律は厳しく歩哨はそこかしこに見える。ちょっとした油断で見つかれば甘い顔をしていた彼らも二度目はないだろう。
「しかし、世界樹までの正確な道が分からねば、どこかで見張りの兵に見つかる恐れが」
「それなんだよなぁ。だから、君には期待しているのだよ。ルールーくん」
「はぁ?」
「情報が必要だ。我々にはな。だが、囚われの身で、どうすればそんなことができるというのだろうか?」
「はぁ」
「幸いにも、この陣にはお決まりの遊び女がたんといる。まぎれ込むのは難しくないだろう。こんな山の上でもな。……あとは、わかるな」
「は、はい」
「第二弾お色気大作戦発動。フラットなボディは、ルールーの妖艶な大人の色香でおぎなってくれたまえ」
「が、がんばりますっ」
侍女エリナは漏れ出る生あくびを噛み殺しながら、冷え切った廊下を厠に向かって歩いていた。山頂にある砦だ。屋内とはいえ、夜になれば芯まで凍えそうな寒気が襲ってくる。明かりとりのわずかな隙間から、かがり火を焚いて夜の警護に就いている兵士たちの姿が見えた。
「お仕事たいへん。みなさん、頑張ってくださいね」
はっきりいって、王軍の敗色は濃厚だ。それでも、ここに集う男たちは一兵卒に至るまでエトリア王家と運命を共にしようとする強者ぞろいだ。
死を覚悟している。
かくいうエリナも、代々王家の禄を食んできた家柄だ。叛徒たちが名づけた革命戦争という反乱で、父も兄も、弟も残らず戦死した。自分は、今年で二十六になる。もう、この歳では嫁の貰い手もないだろう。卑賤の身でありながら、高貴なる身分のお方に仕えることができるなど、恐れ多いことである。現にそう思って、今日まで勤めてきた。
「それを、あの男は」
昼間、謁見という光栄に浴したあの男。
「腹立つなあ、もう」
ニコライ王子が寛大なことをいいことに無礼千万極まる振る舞い。侍女仲間に聞けば、わざわざ酔狂なことにロムレスからやってきてのんきに薬草探しだというではないか。ボサボサの髪に汚らしい格好。そのうえ、最低限の礼儀も知らない野蛮人。エリナのもっとも嫌うタイプの男であった。
「あー、なんか頭の中熱くなってきた。明日も早いのに、眠れなくなったらどうすんのよ」
エリナは日頃見せない無作法な歩き方で厠に着くと、小用をすませて再びあてがわれている寝室に戻った。部屋は、相部屋でエリナの寝床は二段ベッドの上である。同僚を起こさないように、そうっとはしごに足をかけた。そのときだった。
「ひ、う!?」
不意に足首へと冷たい指が巻きついた。同僚のサティスかと思ったが、ゴツゴツした指先はどう考えても女性のものではない。声を上げようと首を上げると、途端に世界がぐるりと反転した。口元を塞がれたと思ったら、次の瞬間、床に転がされた自分がいた。
「むーっ、むーっ」
ダメもとでジタバタ暴れてみる。四肢はシーツをよじったもので巧みに拘束されている。
エリナが沖に上がったエビのように身体を跳ねさせていると、大きな闇がぬっと近づいてきた。
「やっほ、昼間は世話になったな、メイドちゃん」
「んんむうっ!!」
薄闇の中近づいてきた人物は、昼間王子の部屋で見たクランドとかいうロムレス人であった。
「えーと、いろいろ理由がありまして。これから、君にある場所までつきあってもらいます。反論は許さない」
エリナは冗談じゃないという意味で顔を左右に激しく振るったが、喉元に突きつけられたひんやりとした感触に身を縮めた。
「黙れ」
声の主は若い女だ。髪を掴まれて後ろに引っ張られた。
冷たいような熱いような刃物の感触。
喉首を、いまにも鋭い刃が抉らんとしている。
戸惑いと恐怖がまぜこぜになって、知らず、両の眼から涙がボロボロとこぼれた。
途端に、クランドという男の顔が困ったように歪んだ。
――チョロいわ。男ってやつは。
エリナは泣きべそをかきながら、上手くこの場から逃げ出したら、懇意の近衛兵に頼んで極刑にするよう頼みこもう、と腹の中で舌を出した。王族の侍女を務めるだけであって、エリナは美形であり、また自らの容姿にも自信があった。
このクランドって甘ちょろ男に地獄を見せたげるっ。
と、エリナの推測通り、男は目に見えてうろたえだした。
「な、泣くなよ。る、ルールー。ほら、この子も泣いてるからさ。とりあえずナイフはしまったほうがよくないんでないかい」
「クランドさま。女の涙など本気にしてはなりません。このようなものは、自分の都合でいくらでも流せますゆえ」
「け、けどさあ」
「番兵から、おまえが翼人の一族であることは下調べずみだ。こんな夜中に連れ出すのも気が引けるが、少しつきあってもらおうか」
ルールーはもう応じずに、ギリギリとエリナの髪を引き絞って冷たい声音で尋問する。
「ルールーさんは野卑な兵隊さんにケツをさわられてまでおまいさんの素性を聞き出したのだよ。と、いうことで観念なされ。いいか、これからルールーが手を離すから静かにしててね。ほらっ」
「寛大なご主人さまに感謝しろ、愚かな娘よ。そして、頼むから私がもうなにもかもどうでもいいと思うような行動は取ってくれるな。実際、おまえが喉を震わせる前に、首と胴を泣き別れにするなど、この私にとってはたやすいことなのだからな」
ルールーの低くくぐもった声。
エリナは突如として我が身に起こった悲劇にとまどいつつも、最後まで意地を張り通し、首を横に振った。ルールーの唇が酷薄に歪む。彼女の目は、拒否された憤りは微塵もなく、むしろ喜悦の色に潤んでいた。
「よほど、この首に未練がないと見える」
「ちょーっと待った! ルールー、そのまま押さえつけておけ」
「むーっ?」
「中々の根性ものだ。かといって俺も無益な殺生も無理強いはしたくない。君に恨みもないのだ。できれば自発的に協力して欲しい。ので」
「むむーっ?」
「これから協力的になれるよう、えっちな拷問をします」
エリナの痙攣が三割増しになった。
彼女は活きのいいエビのように全身をビクンビクンさせている。
だが、エロモードに入った蔵人にとっては、それらもこれから行われる拷問という名のセクハラに上乗せされるエッセンスに過ぎなかった。
「フヒヒ。かわいいメイドちゃんにお仕置きだー。そらよっと」
エリナはグルッとうつ伏せに反転させられると、臀部をまさぐられる感触を覚え、羞恥の炎で顔じゅうを真っ赤に火照らせた。
「あー。これも、メイドちゃんが同意してくれないからなー。俺としてもツラインダヨナー。こんなことしたくないんダヨナー」
「むむむー」
「なにがむむむだ。ということで、これよりもみもみを開始します。もみもみ。うひー、やらかいやらかい。うはうはですな」
蔵人の拷問と称した愛撫はかなりねちっこかった。
エリナは尻を左右に押し広げられ、うねるような手つきでやわやわと揉みしだかれる。
彼女は処女だった。もちろんペッティングの経験もない。それどころか、成人してから宮仕えが長く、男性とロクに触れ合う機会すらなかった。嫌悪感と、羞恥が頭の中でぐるぐると激しく旋回した。
無論、就寝前なのでショーツはつけていない。
エリナの性癖であった。
彼女は、寝る際に下着はつけない派であった。
蔵人にとってはご褒美でしかない。
「おおおっ、すげーやーらけー。モチみてー。指に吸いつく吸いつく」
「んんっ」
「もみもみ。うはー。やらかいやらかい」
「んんんっ!?」
「メイドちゃん、お尻けっこう大きいね。安産型かな?」
安定のセクハラ発言である。神はこの男を罰してもよい。
こいつ殺してやる、と思ったのもつかの間だった。
「もお我慢できないっす」
背後で下履きを下ろす音を聞き、エリナは己の貞操を守るためついに蔵人の軍門に下った。




