Lv140「小隊長マルク」
ここちよいまどろみを半長靴の一撃で破られ、マルクは吊床から落下すると目蓋の裏に瞬く日輪の顕現を見た。
「おい、マルク坊や。起きるんだよォ! 今日は、テメェんとこの班だろうがよ! 小隊長が寝坊してどうすんだ!!」
「ルイス、おまえ……。もし、起きれなかったらそんときは頼むといったが、これぁいくらなんでもないよ」
マルクは床へとしたたかに打ち据えた後頭部を押さえながら、自分を見下ろす同期のルイス少尉を見上げた。
窓から差し込む月光に照らされたルイスの顔は青白く、カビのような髭がまばらに浮いている。苛立っているのは常のことだ。寝不足はお互いさま。反論する気も起きず、灰色の髪を掻きむしる。どう考えても寝足りないが、戦場で熟睡を望むのは自殺行為だろう。
頭の上でハンモックがぎいぎいと鳴っている。悪いな、と思っても、自然とあくびが漏れる。ルイスが悪鬼さながらの表情で、激しく舌打ちをしたのが見えた。
「ブツクサいわねぇでとっとと行けや。おらぁ、とっとと寝てぇんだよ、ちくしょうめ」
マルクは部下に軍装を手伝ってもらうと、あくびを噛み殺しながら兵舎を出た。かがり火に照らし出されて、すでに勢ぞろいした小隊の面々は直立不動で指示を待っている。
副官のハルゼイが点呼を滞りなく終えると、軍靴のそろった音が大地を踏み鳴らしつつ兵営の門を出発した。
マルクがぼんやりと覇気のない顔で口をもごもごさせていると、気を使ったのか横に並んだ従兵が慰めるようにいった。
「小隊長、気にすることないですよ。ルイス少尉は先日の博打の負けが尾を引いてるだけですから」
「だと思ったよ。まったく、男のくせに終わったことをグジグジと」
エトリア共和国軍第三師団歩兵三十四連隊小隊長であるマルク・ラングレー少尉は、延々と続く長対陣にうんざりしながら、今日も軍務をこなしつつあった。
時刻は、おおよそ午後九時を過ぎたころであろうか。
兵営の外。
防御柵を巡らした周辺の盛り場は、まさに宴もたけなわといったところであった。
軍隊には、物売りや娼婦はつきものだし、百日を超えるこの戦いにより、辺境の一地域であるヴィルヘルム山のふもとはちょっとした繁栄を見せていた。
むろん、一時的な好景気である。いくさが終わって軍団が消えれば、この周辺は以前のようになにもないただのありふれた僻地に変わるのであるが、それまでは商人たちにすれば絶好の稼ぎ場所でもあった。物売りたちの、主な客は軍規に縛られ乱痴気騒ぎのできない正規兵ではない。共和国軍が使役する流れの傭兵である。
その数は、三千強。
彼らは、日割りで軍から賃金を受け取りつつ、この包囲作戦に参加しているのであった。
基本は手柄に応じた金を、いくさが終わったあと配分するのだが、十年前のいくさで旧王朝の莫大な財宝を接収した革命政府は比較的に資金に恵まれていた。
「とはいえ、いくさに金はかかるもの」
エトリアはそもそも、農産物の出荷で食ってきた国で、比較的兵隊の強さは他国より劣った。人口数も、諸王国の中では下から二番目ほどであり、慢性的に人手不足の感が否めない。傭兵たちが手にする金は、微々たるものだが、日々この即席で作られた盛り場で消費され、それなりにこの場所は潤いが循環していた。兵士たちは、基本夜間の外出は禁じられているが、唯一例外なのがこの夜回りの時間であった。
「んじゃあ、適当に散開して巡回開始。おまえら、あまり羽の伸ばしすぎ、もとい、軍務に手を抜かずしっかりやるよーに」
兵士たちはマルクの声を聞くと、歓声を上げて三々五々散っていった。張り詰めた弓もそのままでは使い物にならなくなってしまう。適度に弦をゆるめることも必要で、上層部も暗黙の了解として、毎夜の行事は黙認していた。マルクの側には、副官メダルドと数人の護衛が残った。マルクは適度に、盛り場を見回ると、メダルドと護衛も適当な場所で開放した。彼らにも骨抜きが必要であった。
「少尉、自分がいなくてもだいじょうぶですかねえ」
「だいじょうぶだよ。いったい、オレをなんだと思っているんだ」
「え? それはもちろん、手のかかる坊や、もとい上官かと」
「おい……」
マルクはメダルドが揶揄するのも当然の風貌であった。彼の背丈は百六十に満たず、今年で二十五になると思われぬほど童顔であった。彼は、散っていく部下を見ながら、再びあくびを噛み殺す。
「ねえ、兵隊さん。遊んでいかなかい?」
「いや、オレは……」
マルクは腕を引く娼婦のむっちりとした胸の感触に目を白黒させた。脂粉の濃い香りにむせそうになった。夜目にもわかるほどの厚化粧である。歳は、十七、八だろうか、化粧を落とせば、たぶん地味な顔立ちの百姓娘だろう。ここには、周辺地域一帯から娼婦の群れが押し寄せているのだ。訛りの強い言葉の端々にそれを感じられた。女が嫌いなわけではない。ただでさえ、潤いは少ない。女性兵は皆無ではないが、手を出したら、後が恐ろしい。できれば、女房は軍属以外がいいのは隊では常識である。
「兵隊さん、かわいいいから、ちょんの間、千でいいよ」
「千P? そいつはすごい!!」
貧しいエトリアでは、安い娼婦の相場は百Pだ。それも、一晩の値段である。わずかの交わりに、千とはほとんど法外な値段だった。
マルクは、値段の高さにも驚いたが、安ごしらえの狭いテントの中で、短い時間、それも極めて不衛生な娼婦と寝る気にはならなかった。丁重に断りの言葉を述べると、恥をかかせたとばかりに娼婦は下品な金切り声を上げた。
「なによ! 文無し、不能野郎!! 共和国の兵隊はケチくさいね。傭兵のほうがよっぽどきっぷがいいってもんよ!!」
「あー、はいはい」
マルクは両耳を押さえながら、背後から投げつけられる娼婦の聞くに耐えない罵倒を遮断した。
「みんなも、あんな女と寝てなにが楽しいんだか。……うん、別にオレは不能でも女嫌いでもないぞ。セカセカことを行うのが好きじゃないってだけだ」
盛り場の屋台からは、雑多な鎧を身に纏った傭兵たちが、質の悪い酒をあおりながら、聞いたことのない言語で故郷の歌らしきものをがなり立てている。肉や香辛料、ニンニクの焦げる匂いが鼻先を漂い、腹の虫が悲鳴を上げた。起き抜けには、たいていなにか詰め込むのだが、今日は寝坊したせいで水すら口にしていない。どうせ、巡回などしても、敵影ははるか山の上だ。手足を引っ込めた亀は惰眠を貪るがごとく、ピクリともしない。
「はあ、やってらんねぇ」
マルクが、屋台のオヤジを呼び止めて肉の串焼きを頼もうと、腰の革袋に手をやったとき、狭い路地の向こうで歓声が上がった。
どうせ、酔っ払った傭兵同士の喧嘩だろうと、タカをくくっていると、風に乗って興奮しきった声が耳に飛び込んでくる。
「おい、どうしたね!」
「喧嘩だ、喧嘩だ。それも、本身を抜いてるぞ!」
「別に傭兵同士のいさかいなんぞは珍しくもなかろうに」
「いや、相手は若い女のエルフだ。でっかい方は荒れくれ者のナサニエルだぜ」
「こりゃ、血を見るな」
「血を見るどころか、ナサニエルのことだ。足の二三本も折ったところで、女を娼家にでも売り飛ばすんじゃねえか?」
「にしてもすげえベッピンだな。おこぼれのひとつもいただきてぇもんだぜ!!」
「マジかよ、乳のひとつも拝ましてもらえりゃ、今夜のオカズになるって寸法よ!」
「淫売を買う金もねえのか?」
「おたがいさま、おたがいさま! そら、詰めろ詰めろ、つめとくれよう!」
マルクは、ため息をつきながら串焼きをあきらめて、騒動の中へと歩いて行った。
名目上は盛り場の巡回である。こうも堂々と、秩序を目の前で破壊されたのでは小隊長として職務を放棄するわけにもいかない。
「はいはいはい、ちょっとどいてくださいね。共和国軍が通りますよーっと」
いかめしい男たちの肩を押しながら、人垣を割って進む。マルクの腕力は、日頃の練兵で鬼のように鍛えられており、小柄とはいえ、その辺りの傭兵には引けをとらない。ぐいぐいと押しながら前に進む。
「だから、わらわも悪いといっておるではないか。いいかげんにしてくれぬかの」
「うるせええっ!! この俺をコケにしやがってぇええ!! どうあっても、今夜はつきあってもらわなきゃあ、俺も、俺の自慢のムスコもおさまりがつかねえってもんだ!!」
「そもそも勝手にわらわを娼婦と勘違いしたのは、そちらじゃろう」
「るせえっ!! お高くとまりやがってェ!! イヤってほど責め抜いてやるうう!」
「あの、聞いてるのかの。わらわの話?」
そうこうしているうちにも、口論はヒートアップしていく。いや、よく聞けば、ナサニエルという男が一方的にいいがかりをつけているだけのことだった。
小柄なマルクが苦労して揉め事のど真ん中に進み出ると、巨漢の傭兵がひとりの女エルフを前にして目をぎらつかせていた。男の体は壁のように厚い。エルフの顔は、この位置では肉壁に遮られよく見えなかった。
これも仕事か、不運だね。
大きくため息をつく。それから、手のひらを打ち鳴らして注意を引きつける。
「さあさあ、君たち。喧嘩はやめましょうね、共和国軍が来ましたよ」
「ああン? うるせえんだよ、このクソちびが! ひねり潰されたくなければ、黙ってすっこんでな!」
「人の身体的特徴を――」
マルクが唇を突き出して反論しようと顔を突き出すと、はじめて女の顔が目に入った。
その女エルフの美しさに息を呑んだ。
雪のように白い肌。
大きく深い青の瞳は、澄み切った湖面のように清々しかった。
艶やかな金色の髪を、後方にくるくるとシニヨンでまとめてある。
エルフ族を表す長耳が左右にピンと張っていた。耳の形もすばらしい。
それから、目もくらみそうなほど、張り出した大きな胸。
それをささえるすっきりとした腰のくびれ。
いくらなんでも、彼女を娼婦として見間違えるのは無理があるだろう。野卑な傭兵にからまれたにしては、動揺や怯えは微塵も感じられず、気品と育ちの良さを感じられる端正な相貌であった。マルクは、彼女を見ているだけ胸が詰まりそうな酩酊感を味わった。
天使。
彼女はこの地上に舞い降りた天使だ。
「と、とにかくやめないか。ここで揉め事は厳禁だ」
「ああああっ!! ざけんじゃねえッ!!」
男がなにか吠えている。
ええい、クソ。壁野郎が邪魔で、オレのエルフちゃんが見えない。
「俺を無視するんじゃねえッ!! この野郎があああっ!!」
ああ、いとしのエルフちゃんの顔が悲しみにじむ。
この胸の高鳴りはいったい。そう、これがあの伝説の――。
マルクは斬りつけてきたナサニエルの大剣を半身をひらいてかわすと、手首を取った。
遠心力を利用して投げを打つ。二メートル近い壁男は、ゴムまりのように吹き飛ぶと、横合いへと乱雑に並んでいた食いもの屋の屋台に頭から突っ込んで破壊した。娼婦の悲鳴や見物人たちの怒声がたちまち辺りにうずを巻く。板や食器、モノ壊れる音に混じって、犬の鳴き声が響き渡った。
ああ、いとしのエルフちゃん。そんな、かなしい顔をしないでおくれ。
マルクは気づけば、日頃の昼行灯ぶりをかなぐり捨て、積極的にズンズンと女エルフの方に突き進んでいた。
自分でも驚くべき積極性と素早さで、女エルフの手を握った。
ああ、なんというかぐわしい花のような香り。ツルツルした肌の手触り。驚く程長く美しいまつ毛。一点のシミもないその顔は、降り積もったばかりの新雪のようだ。
――うひょおおっ。どさくさに紛れてお手手握っちゃったよおおおっ。やらけえっ、すべすべえ! ついてるッ。オレ、ついてるううっ!!
などと、不謹慎にマルクは鼻腔をふくらませた。
「ケガはなかったかい、君」
「んん? あ、ああ。わらわは特に問題ないが」
女エルフはやんわりと礼を失しない程度に、手を離した。おそらくこういうことに慣れているのだろう。マルクは、名残惜しげに指を離すと、できるだけ毅然な態度を取り繕う。
「そうかい。そいつはよかった。ボクは共和国軍歩兵三十四連隊小隊長のマルク・ラングレーだ」
「そうか。わらわはドロテアじゃ。なあ、それよりも後ろ――ッ!!」
「ん、あははっ。ドロテアさんかっ! いいお名前ですね。ドロテアさんは、それよりもここには観光かなにかですか――なッ!」
マルクは背後を振り返りもせず、左手で軍刀を抜き放つと背後に繰り出した。
「おえぶっ!」
奇妙な呻き声と共に、巨体が崩れ落ちる音がする。マルクは、背後から駆け寄ってきたナサニエルの腹に深々と軍刀を突き込んだのであった。ややそりかえった白い刃は、革の胸当ての間を縫って真っ直ぐナサニエルの脾腹を割った。マルクは若干二十五でありながら、軍の主催する剣術大会で、この三年のうち二度も優勝するほどの剣の腕を誇っていた。
もっとも、出自は卑しく、また勤務態度の悪さから、軍功を幾度も上げながらも目だった昇進は見送らていた。
マルクが背後に目をやると、ナサニエルは地面にうつ伏せになりながら、荒く息を吐いていた。汚れた乱杭歯の隙間から、でろでろと血の混じった吐瀉物が漏れる。ナサニエルの顔。すでに死相が浮かんでいた。
「い、いでえええっ。いでえっ。た、助けて、助けてええ」
「美しい貴婦人を襲うとは、なんたる非道。天に代わりて、このマルクが天誅を加える。えいえい」
マルクは手にした軍刀を素早く二度振るった。ほとんど虫の息であったナサニエルの顔面は、切り分けられたケーキのように綺麗に裁断された。絶叫を上げながら、ナサニエルが悶絶する。殺虫剤をかけられたハエのように四肢を激しく動かすが、やがて動かなくなった。完全に無意味な死だった。
「お主、中々の腕じゃな。驚いたぞ」
「え? あははは。そりゃあ、ボカぁ毎日国の金で訓練してますからねっ。たいしたことないですよ、たいしたこと。それよりも、ドロテアさん。ここは危険ですので、どこか静かなふたりっきりになれる場所でお茶でも」
「いや、助けてもらったことはこのとおり礼をいうが、いまはちょっと急いでおってな。兵隊さんよ、お仕事頑張っておくれなのじゃ」
「あっ! ちょ、待ってぇえええ!! せめて、住んでるところを教えてぇええ!!」
ドロテアはしゅたっと右手を上げると素早くその場を駆け去っていった。普通に考えて、これから起こるゴタゴタを避けて逃げたのだろうが、マルクの脳内で恥ずかしがってその場を立ち去ったと、勝手に認識した。たいした、ご都合変換能力である。
「フッ。オレたちはきっとまためぐり合う。ふふ、そんな気がするのさ。ちぇー」
マルクは動かなくなったナサニエルの顔を、八つ当たり気味につま先で蹴り込んだ。剥き出しの眼球がスポーンと外れて、ころころ転がる。おかしな皮膚病で半身を侵されていた野良犬が、それを咥えるとうれしげに走り去った。
開けて翌日。夜勤を終えて長めの仮眠を貪るマルクは、日の高いうちに叩き起された。
ロジオン中隊長直々のお召しである。嫌も応もなかった。
マルクは、昨晩の美人エルフを夢の中で無許可に登場させ、おまけに卑猥かつ丁寧に奉仕させている最中であり、甚だ不快であった。おまけに半勃起状態がおさまらない。迎えに来たポリーナという顔見知りの女兵士が、「だから素直に昨日抜いておけばよかったのに。小隊長殿はホモですかぁ」などと無礼なものいいをした。
当然無視だ。
中隊長の部屋に入ると、ロジオンと向かい合う。クソ面白くもない、四角いツラだ。不遜な気持ちを感づいたのだろうか、中隊長の表情が歪んだ。
ああ、どおでもいい。
とにかく、とっとと話を切り上げて、またいとしのドロテアちゃんに会いにいきたい。
「マルク小隊長。君に極秘の命令を与える。本日より、特別小隊を率いて、目前の敵要塞ヴィルヘルム山に赴き、件の遺跡に突入。山頂までの間道を調査せよ」
「あ、はい。……んなああああんですとおおっ!?」
「うるさいぞ、バカ声を出しおって」
「いやいやいやいや、でもあれですよね? それは死ねってことですよね?」
「死ねとはいっていない。調査任務を与えたまでだ」
「なんで自分なんですかぁ!? 遺跡って、あの翼人伝説があったっていう眉唾物の遺跡ですかぁ? よりにもよって? 自分はタダの、歩兵ですよぉお! そういのうに特化した連中がいるじゃないですか? ほら、あの精強無比で知られる獅子族とか虎王族を主力とした亜人中心の猛虎突撃隊とか!」
「あいつらは全滅した」
「ちょっとおおおおっ!!」
「重ねていうと、定義の三割喪失ではなく、かけ値なしで全員死んだということだ」
「なお悪いでしょおお!!」
マルクが、執務机を叩いて絶叫する。
ロジオンは書類ボードを顔の前に掲げてつばの嵐を防いだ。
「これは、軍としての命令だ。それにそう悲観するな。千人からひとりの割合で選りすぐりの勇士を編成してつけてやる。副官にポリーナもつける」
「ええええっ!! ちょ、ちょっと待ってくださいッ。中隊長、聞いてませんッ。私聞いてないからあ!」
人ごとだと思っていたポリーナは脇腹を押さえながら、キンキン声で抗議する。
「……あははは、ハァ」
「なんですか、そのため息は!? 小隊長もあきらめないでくださいよおおっ」
「なんだ、マルク自信がないのか? おまえの剣の腕は、共和国軍の中でも指折りと聞いているのだが」
「はぁ。まあ、そういわれると断ることなどできないんですけどねぇ」
「特別褒賞をボーナスとして前渡しする。それに、王軍へ真正面からぶつかって来いといってるわけじゃない。今回の調査は、砦の裏手に回れる可能性のある翼人遺跡の調査が主だ」
「えええ、それこそ無理すぎじゃないですかぁ」
共和国軍ではヴィルヘルムの山裾にある古代遺跡のどこかに、世界樹へと通じる間道があると長い調査の末に判明したのだが、それは信憑度の低い伝説であった。ある意味手薄な場所といわれたその遺跡から山頂に繋がる秘密のルートが判明すれば、真正面の堅牢な陣を落とさずに、敵の背後に回って逆擊を加えることができる。つまりは、要塞の攻略は成ったも同然なのだ。
けれども、事実上、王軍も共和国軍もそれを実行しないのは、かつて翼人が住んでいたとされるその古代遺跡は、いにしえから住み着く多数の強力なモンスターたちが跳梁跋扈しているという理由があった。
特に、伝説ではその遺跡の奥深くには、古代に翼人の英雄が封じたといわれる青竜がいるとされ、わざわざ禁忌に触れたがる者もいなかったのである。
「それにこの任務を命ずるのはおまえの前職にも関係してくる。そうだろう、元冒険者」
「ええっ!? 小隊長、軍に入る前は冒険者だったんですかぁ?」
「あれは若気の至りで。それに食うに困ってたんですよ」
マルクは任官以前、四年ほどエトリアの冒険者組合に所属していた歴とした冒険者であった。
「我が軍は対人戦闘の訓練を積んだ将官は多くても、ほとんどがモンスターと戦った経験者が皆無に近い。よって、今回の任務は辺境地域を出身とする者を中心に選定した。おまえたちの調査は、あくまで軍の通れる道の調査がメインだ。敵にあっても戦うな。むしろ、逃げろ。逃げて生き延びる。そして情報を持ち帰れ、死んでもだ。それが我が軍の勝利に繋がると信じておる」
「死んでも持ち帰れって、矛盾では」
「とにかく、これ以上議論する暇はない。準備を整え次第、本日の日付が変わる瞬間に出発してもらう。特別な同行者といっしょにな。それまでは、よく身体を休めておくように」
「んな、無理な命令を出すなら、中隊長。こちらもいわせてもらいますがね、この件は、上の裁可を得ているんですか?」
「なにを?」
「聞いてますよ。ロムレスから、大変厄介なお客さまが参っているとか。彼らの目的は世界樹の枝葉から作る妙薬で、そもそもが入山など許可できない。あそこは、反乱武装勢力である王軍の支配下ですからね。わざわざアレクセイ将軍の添え書きをたずさえてきたお客さまに世界樹の枝を分けようにも、とうに軍の物資からは枯渇している。かといって、手ぶらで彼らをロムレスに返せば、共和国政府の統治能力を疑われる。ましてや、いま山城に篭っているエトラトル一族は元を正せば、ロムレス王家から分かれた裔。これを助けると称して、一番近いアンドリュー伯領の軍が攻め込んできたら、もはやこの国は支えきれないでしょう。かの軍は、蛮軍五十万を退けて、その意気は天を突くほどと。なら、お客人をこっそり自分たちと同行させて、不慮の事故を装えば、一挙に悩みの種も解決するとのお考えでは? 視察に来たクレメンティナ委員には目を離した隙に山に入られた、とでもいっておけばいい。違いますか?」
「ただの昼行灯ではなかったか。そこまで情報を集めているとは」
「情報は最後の命綱ですから」
「穿って考えすぎだ。失敗を根底に置いた作戦などありえない。おまえは、自分を低く見積りすぎだ、マルク。私は、おまえの能力を誰よりも買っている。なんだ、その顔は? 世間では、この私を出世欲に駆られた餓鬼と称しているが、そんなことはどうでもいいのさ。私の主眼はあくまでこの戦争に勝つ。同時に、出世にして栄達を求める。男が己の踏んできた足取りに自信を持たずして、どうして胸を張って勲章をつけられようか」
「はあ、そりゃ決定なら、やりますけど。やりますけどぉ」
マルクは、深くため息をつくと、己の運命を受け入れて兵舎に重い足を向けた。
ラッキーデイの次は、やはり厄日なのだ。
幸運と不運は、表裏一体。くるくると常に回りつつある。
マルクは指定された時刻に、兵営から離れた前線駐屯地の一角で、吹きつける烈風をものともせず、ロムレスからの合流者を待ち続けた。寒さしのぎに焚かれた特別製のかがり火がゴオゴオと音を立て、唸っている。間もなく、真っ赤な炎と、差し込む淡い月光の光に照らされながら近づく人間たちの輪郭がくっきり見えてきた。寒気の激しいエトリア人ならばともかく、温暖な気候の元に生まれたロムレス人にはさぞかしこたえるだろう。
マルクは、特殊任務に選抜された分隊の仲間を見やった。誰もが、無言のまま微動だにしない。どこかで見たような顔つきではあるが、どれもが一様にこれから行う軍務に緊張して身体をこわばらせていた。魔術によって火種を維持されているかがり火の前で、今回の作戦に副官として任命されたポリーナが激しく愚痴っていた。ちょっと、かわいそうかな、と同情の念が起きるが、どうしようもない。
「ポリーナ」
「なんです、小隊長」
「あきらめろ」
「……鬼」
「いやあ、悪ィ悪ィ。ちっと寝坊しちまって遅れちゃったよん」
マルクは先頭にいた男に声をかけられ、片頬を引きつらせた。
(思ってた以上に、若い)
男は、見るところ、二十そこそこだろう、かなり体格のいい男であった。珍しいことに、黒髪の上、黒い目をしている。ご丁寧に、真っ黒な外套を羽織って、頭にはウサギ皮で作ったあたたかそうな帽子をかぶっていた。その後ろを、これまたエトリアでは珍しい戦狼族のメイドがつき従っていた。
「あのな、君。下女は連れていけんぞ」
「えー。ダメだって、ポルディナを置いてくなんてそんなかわいそうなことできねーよ」
男はメイドの白い頬に手をあてがって、撫でている。相当にかわいがっていることが見て取れた。
「これは物見遊山じゃない。ハッキリいって危険だ。もちろん、オブザーバー扱いで戦闘は共和国軍の兵士が行うが。できれば、同行者は男の君だけにして欲しいんだが」
「でーじょぶだって、なあ」
男が仲間であろう背後の数人に声をかける。驚いたことに全員がエルフかつ女性であり、その中のひとりを目にしたとき、マルクは文字通り心臓が止まりそうになった。
「どどどどど、ドロテアしゃんじゃないですかァ!!」
「おう、お主は先日の」
ドロテアは驚いたように口を開けると、青い瞳をしばたかせた。
なんちゅうキュートさなんですかねぇ。
マルクが感動に打ち震えていると、大柄な男が気安げにドロテアに顔を寄せる。
一瞬で、脳みそが沸騰しそうになった。
――近ェんだよ、カスが!! てめぇ、オレのドロテアさんに馴れ馴れしいぞッ!!
マルクの怒りが内面で膨張し、炸裂した。
「なんだぁ、ドロテア。あいつと知り合いなんか?」
「ああ、クランドに頼まれて、昨日酒を外に買いに行ったときにのう。この兵隊さんに世話になったのじゃ。ほら、礼をせぬと」
「おおっ、それはそれは、えーと田口さんでしたっけ? うちのドロテアが世話になったそうで、その節はどーも」
「ええ、いやいや、タグチさん? 誰? ええと、ロムレスの客人、自分は今回の潜入作戦の指揮を執るマルク・ラングレー少尉であります。あなたが、このパーティの責任者ってことでいいのですか?」
「ああ、俺は志門蔵人だ。ロムレスからわざわざ足を運んだお客さまだ。もっと、きっちりもてなしていいんやで」
「は、はあ」
男はニヤつきながら、そり返った。尊大というには、どこかガキ大将を思わせるえばりようである。たぶん、この男は生粋の支配階級ではないのだろう。ごっこの域を出ない幼稚な芝居に毒気を抜かれた。
「こらっ、アホなこといって兵隊さんを困らせるなっ。もう、すまんな。マルクとかいったか。ウチの阿呆が、たぶん、絶対迷惑をかけると思うので先に謝っておく。許して欲しいのじゃ」
「いえいえいえいえ、ぜんぜんこんなこと気にしてませんよ。あはは。自分は、度量の大きな男と自負しているので」
「そーいうこというやつに限ってすぐにメッキが剥がれるのだ」
「リザぁあっ。ああ、スマンのじゃ、スマンのじゃ」
「あ、あはは」
リザと呼ばれた年若いダークエルフも中々の美人であった。アーモンド型の大きな瞳がクリクリとせわしなく動いている。毛皮で全身をモコモコさせ、なにやら動きにくそうな姿をしていた。その背後では、スレンダーで冷たい感じのエルフと、これまた育ちの良さそうな銀髪エルフが離れて視線だけを送っている。あきらかに警戒心が強い部類だった。
「なあ、兄ちゃんそろそろ出発しよーぜ! もう、飽きたよ、ここ」
男が馴れ馴れしげに肩を叩いてくる。マルクはどこか調子が狂うのを感じていた。
「は、はあ。それでは、自分についてきてください。我ら分隊が、先行しますので極力危険は排除しますが、身の危険を感じたらすぐに申し出てくださいね」
「え? 危ないの? やだなあ」
「ご心配なく、私がおりますゆえ」
「おおっ、そうかそーか。ポルわんはかわゆいのう、かわゆいのう」
「んなっ!?」
マルクの見ている前で、男はメイドにいきなり抱きついて頬ずりをしだす。かがり火に照らし出された戦狼族の少女は、それこそ異様なくらい美しい相貌をしていた。チラリと光る首輪を見れば、彼女が奴隷だということはすぐにわかった。この男は、日頃寵愛する妾同然の女を非日常に連れ込んでいるのだ。
たぶん、男女の関係なのだろう。マルクは苦々しい気持ちがこみ上げてくるのを抑えられない。エトリアは、国策上において奴隷を否定している。貴族至上主義の奴隷文化は、信条として受け入れられないのだ。
もっとも、戦狼族の強さは人間など及ぶところではない。そういった意味では、護衛の意味合いもあるのだろうと、マルクはとりあえず納得した。
(といっても、こんな野郎はイチイチ気にする必用はない。オレは、いとしのドロテアさんだけ見てれば満足なのだ――ってええええ!?)
マルクが視線を転じた先。ドロテアの表情はきゅっと口がへの字型になっている。あきらかに目の前のふたりの行為を妬いている様子であった。彼女は、つかつかと歩み寄ると、身体をすりわせるふたりをバリッと引き剥がし、男の腰に腕を絡めた。
「なーに、弱っちいクランドは必ず、このわらわが守ってやるでの。安心せい」
「おほほほ」
「あはは、クランドがまた変な声で笑ってるのだ」
(オレのドロテアさんをたぶらかしやがって。この男、今回の作戦中に、絶対密殺してやるううっ!! そんで、そんでええ。ドロテアさんをオレのものにす、する。してやるっ)
「おー、あったかい、あったかい。小隊長、全部漏れてますがな」
マルクは嫉妬の炎に全身をたぎらせ、目を光らせる。すぐそばでは、ポリーナがマルクの背に手をかざしながら、全力で小馬鹿にしていた。




