Lv139「栄光は遠き彼方に」
荘厳な王宮を前にして、ついに最後の決戦がはじまった。
「全部隊、アレクセイのあとに続け。こここそ、我らの死に場所ぞ」
十七歳のクレメンティナは軍帽からはみ出した長髪を振り乱して指揮刀を振り下ろし、声を枯らしてわめきつつ、自軍の歩兵隊に突貫を促した。
もとより、ここまで続いた激戦に誰もが疲労困憊。青ざめて疲れきった身体に鞭打って、いまや腐敗と汚職の象徴となった王宮に斬り込んでいく。
ここに至って大勢は決した。幾多の軍団を打ち破って王都の囲みを突破し、最強といわれた近衛の軍勢を打ち破った革命軍は最後の仕事が残っていた。
すなわち、エトリア二十二代国王、グレープ・エトリアルの首である。
旧支配者の首級を挙げて、そのしるしを民衆に晒してこそ、革命の結実を真に知らしめることができるのである。
クレメンティナは自分の青春を革命に捧げてきた。思えば、口減らしのため娼家に身売りされるところを幼なじみのアレクセイに助けられてから三年の月日が流れていた。
(この革命がなったあかつきには、きっと伝えよう。アレクセイに。私の気持ちを)
奴隷商人を討ち、追っ手の王軍を打ち払い、市民の賛同を得て民兵をかき集め、幾多の豪傑を配下に従えて、数十倍もの練度と装備のまさった敵兵を打ち破るアレクセイはクレメンティナにとって革命そのものだった。アレクセイに引きずられるようにして戦いに身を投じた彼女であったが、いつしか兵の中でも統率者としての頭角を現し、自分でも気づかなかったカリスマを放つようになっていたのであった。
エトリアの虐げられ続けた民衆は、いつしかふたりをこう呼んだ。
勇者アレクセイ、闘神クレメンティナ、と。
アレクセイのすぐれた個人技とクレメンティナの率いる無敵の軍団が揃えば、どれほどの大軍ですら紙切れのように打ち破ることができる。
現に、絶対に負けるといわれた窮地をふたりは幾度も乗り越えてきた。
アレクセイは強い。卓越した剣技もさることながら、彼の中に燃え盛る炎は特別だった。
不正を憎み、人の痛みに涙し、不条理に怒りをにぶつけるさまは、夏空に輝く太陽の如く熱く、彼に続く人々の胸の中へと火種をばらまいた。アレクセイの中にある豊かな炎が燃え移ったように、そばにいるだけで誰もが燃え上がった。転げまわる炎が枯れ草に燃え移り、人々の中で眠っていた勇気という炎はやがて国中へと燎原を焼き尽くす炎の海となった。それらが、いま、ひとところに集まって、結実しようとしている。
ならば、パートナーとして気張らざるを得ない彼女であった。累々と積まれた屍を乗り越え、死臭をものともせずひた走った。
白く磨かれた大理石の床の上を、槍隊が列をなして駆けていく。宮殿の豪奢な調度品には切り裂かれた肉片や血潮が吹き飛び、雄叫びや悲鳴が辺りを飛びかっている。軍靴の踏み鳴らす重低音を聞きながら、クレメンティナは奥へ奥へと着実に進んでいく。逃げ惑う女官が柱にすがりついたままこと切れているのを無表情に見つめながら、向かい来る近衛騎士の塊に向かって風属性の魔術を解き放った。風の刃は敵兵の鎧ごとその肉を切り刻み、迫り来る穂先は紙のように千切れて軽々と吹き飛んでいく。泥土と砂塵と血漿にまみれた軍靴は白く清潔な床石を鋭く叩き、焦げ茶色に蹂躙した。敵も最後と決めているのだろう。抵抗は激しかった。巨大な遮蔽物を見つけては飛びかう凶器を避けて、敵の手薄なところを見つけては波状攻撃を加える。勝負の決まった盤上の遊戯のように、詰めを間違えるはずもなかった。隊を前進させるほどに、敵影は厚みを欠き、薄い絹を裂くようにして、千切れるさまは、蝶の羽根を弄ぶような易しさである。王軍はすでに組織的抵抗も不可能なありさまに陥っていた。雑魚を揉み潰すようにして、革命軍の兵士がひとりを数人がかりで屠っていく。力尽き倒れ伏した、黒い装甲へと槍が隙間なく突き立てられていくさまは滑稽ですらあった。
指揮刀を持つ腕が鉛のように重い。最後に小休止を入れてから、もう半日以上過ぎている。勝ちが目の前に見えはじめ、知らず、気が抜けかけていたのだろうか。それまで意識しなかった疲労が一気に全身を蝕みはじめた。肩が重い。胸当てを、腰に吊り下げた剣を、指揮官としてのしかかっている重圧を振るい捨て、なにもかも忘れてベッドに潜り込めればすぐにでも死んでいいとさえ思える。視界が溶けた飴のように、ぐんと左右に引き伸ばされ、白茶けた奇妙な膜がすべてを覆っていく。
もうちょっと。
あと少しだ、クレメンティナ。
これだけは、どうしてもやり抜くんだ。
己を励ましながら、ひりついた喉をからして怒声を発した。それを耳にしたのか、動きが鈍っていた旗下の勇士たちが、呼応して雄叫びを上げた。真っ赤な軍服で統一した革命戦士たちが、波濤のように猛烈な勢いで黒い王軍を飲み込んでいく。強風が、か細げなロウソクのともしびを躊躇せず吹き消すように。
そして大勢は決した。水が高きから低きへと没するような、自然の流れであった。
「同士クレメンティナ。アレクセイ将軍が王を斃しました。我々の、勝利です」
かたわらの兵士が感極まった声でいった。
視界が白く歪んで激しく明滅した。嘔吐感に似た酩酊がぐらりと頭の中を駆け巡った。
「いま、なんと」
「革命軍の、勝利です!!」
こんどは、誰もが聞き逃せないほど、激しい咆哮であった。
同時にあちこちから、割れんばかりの鯨波がいちどきに放射され、雷轟のように響いて宮殿をゆるがした。
クレメンティナは手から指揮刀を取り落とすと、その場に腰を下ろした。
「勝った。勝ったのか」
現実感がない。これで終わり? あっけないほどの幕切れのようにも思えた。背中は雨で打たれたようにびっしょりと濡れている。ふっふっと絶え間なくもれる蒸気の音は、己の呼吸であることにしばらくして気づいた。
ようやく終わったのか。
よろこびよりもなぜか喪失感が大きかった。頭の中が真っ白だ。見渡せば、周りの男たちは子供のように肩を抱き合い号泣していた。
無理もない。ついに革命はなったのだ。
喧騒の中、自分ひとりが置いてきぼりにされたような気がした。無性にさびしさがこみ上げ、アレクセイの顔が見たくなった。あの男のことだ。きっと子供のようにはしゃぎまわっているに違いない。
クレメンティナは濡れた背を震わせながら、王宮の最深部へと向かった。ひときわ豪華な部屋の前で兵士たちがアリのようにひと塊になっているのが見えた。
どうして中に入らない。嫌な予感で胸がざわついた。目の前にある男の肩が巌のように立ちはだかっている。兵士の蒼白な顔が向き直った。
「どけ!」
兵士を突き飛ばして部屋に飛び込んだ。
クレメンティナが目にしたものは、首のない王の巨体と、いまにも泣きそうな顔で血まみれになった幼児を抱きかかえたまま途方に暮れている勇者の姿であった。
夢から覚めたクレメンティナが目にしたのは、殺風景なカーキ色の天幕であった。
十年前の夢だ。思わず自分の頭に手をやった。腰まで伸ばしていた髪はない。いつもどおりの現実だ。気づけば、控えていた若い衛生兵と軍医らしき年配の男が声をかけてきた。
どうやら自分は、丸一日ほど気を失っていたらしい。ここのところ疲れがたまっていたせいか、たっぷりと長い睡眠をとって、いまはむしろ調子がいいくらいである。
「お話の途中で突然お倒れになったと聞きまして。念のため、色々と調べさせてもらいましたが、疲労がよほど溜まっていただけのようです」
「うむ。心配かけてすまない。知らないうちに疲れを抱え込んでいたらしい。以後気をつけよう」
クレメンティナは起き上がると大きく瞬きをした。衛生兵が濡れたタオルを差し出してくる。受け取って額を拭く。冷えた布地がねっとりとした汗を吸い取り、スッキリとした気分になった。
「いま委員に倒れられては、政府は困ったことになります。なにとぞ、お身体をいとうてくださいませ」
「ところで、私はいったいなんの途中で倒れたのかな。記憶の前後があやふやで」
軍医は衛生兵をチラリと見るとわざとらしく咳払いをした。
「なんでもロムレスの客人とお話をしている最中だとか」
「ロムレス……?」
クレメンティナの明晰な頭脳は凄まじいスピードで記憶を掘り起こした。彼女の顔色は死人同然に青白くなり、ついで細かな泡のような汗がドッと吹き出した。瞳からは理性の光が消え、暗渠を覗き込んだ広大無辺な闇が広がっていく。彼女の全身は瘧にかかったように激しく震えだし、剥き出しの腕にはぷつぷつと鳥肌が波のように広がっていく。
「クレメンティナ委員。やはり、まだご気分がすぐれないのでは」
「ああ! いやいやいや、だいじょうぶ。大丈夫だ。私は平気だ。ふう。いやね、久しぶりに昔の話を思い出して、少しだけしんみりした気分になったわけだ。ところで、もし。もしもだよ! 軍医殿。あなたが知っていたのならで構わないのだが。その、近頃この近辺で変わった話を聞き及んではいまいか? ああ、そうか。知らないか。そうだよな。なにも起こってはいないだろう」
「いや、まだなにもいってはいませんが」
「なにかあったとでもいうのか」
軍医は衛生兵の顔を見ると困惑したように話しだした。
「そういえば、数日前にあのアレクセイ将軍が帰国したと」
「あー! ああああっ。聞こえない! 私は、疲れている。すまないが、少しひとりにさせてくれないか! させてくれるよね! させないとまずいよ! させないって法はない! いいから、出て行ってくれ! 頼むから!!」
軍医は絶大な権力を誇る彼女の狂乱に本気で怯えながら転ぶようにして医務室を飛び出していった。彼女は歴戦の勇士であり、政府の権力を担う委員であり、あのアレクセイの恋人といわれていた人物だった。この国の常識としては。
クレメンティナは肩で息をしながら、荒れ狂う自分の胸に手を当て大きく息をついた。
「そうだ。まずは、真偽を。ことの真偽を確かめないと。まずは、話はそれからだ」
アレクセイが国を出た責任は自分にもある。彼は、前王を斬ったときに、それをかばおうとした年端のいかない王子に重傷を負わせてしまったのだ。戦争が終わったあと、クレメンティナは望み通りアレクセイと暮らすことができたが、それは短かい蜜月であった。女として考えつく限りの奉仕を行なったが、傷ついたアレクセイの心はそう簡単に癒されることはなかった。尽くせば尽くすほど、彼の中にある暗渠の闇は広がっていくばかりである。最後の手段として取った方法は、アレクセイをこの国から逃がすしかなかった。本音をいえば、同行したかった。国の将来も、中央委員会における席次も、それに付随する権力すらどうでもよかった。
ただ、いつの日か彼がすべてを癒し、この国へと戻ってきたときに、英雄としてふさわしい座に空きがないのは納得ができない。委員会では、誰もが軍功第一のアレクセイを蹴落とそうと隙あらば狙っている邪悪な輩ばかりなのだ。
アレクセイは国父として民に崇められるに足る男である。
ならば、その席を守り続けるのが自分の役目であろう。
「だから、アレクセイがほかの誰かを選ぶなんてことがあってはならないんだ。そんな話はくだらない妄想でなければ、私の今日までやってきたことが、すべて無駄になってしまうではないか」
クレメンティナは世間で自分がどのように酷評されていたか知っていた。自分はとてもアレクセイに釣り合うような美人ではないし、ありていにいえば不器量だ。女としてはどう高く見積もっても及第点に達していないし、それでもこの国の人間が不平を抱かない程度には政治家としての功績を積み上げてきたつもりだった。
女として満足させられないのであれば、アレクセイにこの国のすべてを捧げよう。
会えない時間が愛を育むというが、アレクセイ不在の年月の中でクレメンティナが醸成してきたものは、いまや見るも無残なほどいびつな形に膨れ上がってしまった、彼女なりの誠意であった。クレメンティナは枕元の鈴を鳴らして、外の兵を呼んだ。無論、あのロムレスから来た客人に真相を確かめるためである。彼女の白い喉は緊張で、細かく蠢いた。
まだおやすみになりませんの、とエイミーに声をかけられて、アレクセイは我に返った。
先に休んでくれと伝えると、彼女は旅の疲れが一気に出たのかベッドに入った途端、すうすうと寝息を立てはじめた。
「それにしても」
久しぶりの実家である。両親がそのままにしておいてくれた私室の中は、十代の頃旅立ったあの日のままだった。せめて字だけは書けるようにと、父が作ってくれた机に座る。
「は。こりゃ狭いのう」
子供が座るのにちょうどいい寸法のそれは、アレクセイの足がつかえてひたすら窮屈だった。手作りの椅子も子供用なので、尻を収めると左右の肘かけが腰骨に当たって痛い。たまらず、再び立ち上がって移動した。窓際に映る風景をジッと眺める。磨かれたガラスの向こうに、山際に灯っている人工的な明かりがさびしげにぽつぽつとゆらめいていた。
アレクセイは、椅子に座りながらぼんやりと十年前のことを思い出していた。革命では数え切れないほど人を斬った。そのことに関しては、後悔などなにひとつない。そのつもりであった。
現に、エトリアの前王を斃したのはほかの誰でもないこの自分だ。
あのとき。
ほとんど浮かれるようにして前王へと獣のようにのしかかり首を斬り落とした際に自分へと向けられた幼児の目が。脳裏ににこびりついて離れなくなったのだ。そんな程度のことで自分はあっさりと逆上した。勝利の美酒を濁されたような不快感と、無抵抗な中年男を嬉々として屠った自分を心のどこかで激しく嫌悪していたのだった。それを残らず見透かされたような気がして、簡単に我を見失った。
気づけば、歩きはじめたばかりの幼子に対して無茶苦茶に剣を振るっていた。その少年が、前王の一粒種となんとなく気づいていた。腐敗したいまわしい王朝の血は郭清されねば、真に新しい時代を切り開くことはできない。目の前の男を殺すことは正しい。その子供を殺すことも正しい。己のやることはすべて肯定されるべきだ。革命とは前政権の血で洗うことでしか清められない絶対的な論理がある。ひと太刀、ふた太刀と浴びせてもその幼児は翼を毟られて地に落ちた羽虫のようにかすかに蠢いていた。
俺はこの国の勇者なのだ。
最後に大将首をあげるのは、ほかの誰でもなく自分でなければならない。
だから最後に立ちはだかるのは、こんな手応えのない中年の男やただ怯えるだけの幼児であってはならないのだ。理想と目の前の現実が合致しない。間違っているとわかっていても手は克明に目の前のできごとを網膜に落とし込んでいく。
勇者は剛勇無双の戦士と命をかけて戦った上で、至上の勝ちを拾わねばならない。
ならば、いま自分が行っていることはなんなのだ。
戦う牙を持たない弱者をいたぶっているこの姿は、かつて自分がもっとも忌み嫌っていた「悪」そのものではないか。
英雄という作られた虚像にはふさわしい舞台の幕切れであった。
そのあとのことはほとんど覚えていない。
やさしかった幼なじみのことを思い出す。彼女の身体を道具のように扱った、浴びるように酒を飲み、人とのまじわりを完全に絶った。
この国の人々が自分の名を叫ぶ度に責められている気分になり、誰とも目を合わせることができなくなった。その度に、支えてくれようとした彼女を手酷く無碍に扱った。無意味に暴言を吐き、無抵抗な彼女を殴りつけ、すぐに後悔した。剣を振るえなくなった。戦士として完全に機能しなくなったのだ。そもそも刃物が恐ろしくて握れなくなった。
誰かを助けたいと思って掲げた旗を見るたびに忌まわしい気持ちがこみ上げてきた。夜はまともに眠れなくなった。昼夜を問わず部屋を締め切りにさせて、女を抱くことでしか正気を保っていられなくなった。英雄である自分が望めば、好きにできる女などいくらでも調達できた。ときには、一緒に暮らしていた彼女の前で、呼びつけた女を抱いてみせ暗い愉悦に浸り、すぐに後悔して謝罪し泣きわめいた。
彼女の元を去ったのは、自分がもはや使い物にならないと悟ったからである。アレクセイは自分の価値を知っている。剣の使えなくなった自分は、もうなんの役にも立たない。それでも、いつか回復すると信じて一途に尽くしてくれる彼女の信頼が恐ろしかった。本当の意味で愛想をつかされる前に。自分が剣士として再起不能だと知られる前に、ただの人格破綻者として肯定され縁切りされることを望んだのだ。
せめて彼女の思い出の中だけでも輝いていたかったのだ。
エトリアを捨て逃げるようにロムレスへ渡る前日、彼女とできもしない約束をした。聞けば、彼女は現在革命政府の中で押しも押されぬ委員のひとりに出世したそうだった。もはや、過去に分かれた男のことなど思い出しもしまい。
それが、少し悲しかった。
できれば、伝説のダンジョンをこの足で攻略し、堂々とした凱旋を飾りたかったが、それは欲張りすぎとうものだろう。故郷へ錦を飾るというわけでもない。アレクセイにとっては知己であるクランドに便乗して里帰りを強行したに過ぎなかった。友人のためなんだと理由でもなければ、きっと自分はあのまま知らぬふりをして二の足をズッと踏み続けていただろう。その点に関しては、感謝している。両親に聞いたところ、ヴィルヘルム山には共和国軍の兵が駐屯しているらしい。廃れたはずの自分の名前も、ちょっとしたことなら、まだ神通力が効くであろう。剣を捨てて責務を果たさずしっぽを巻いて逃げ出したとはいえ、その程度の功績をあげてきた自負はあった。
世界樹の枝。
抜群の効果を持つ薬剤である。
かつては革命戦争のとき、自分もずいぶんと世話になった。山頂に陣取る旧王族の敗軍など、露と消えるのは時間の問題だろう。自分の手紙があれば、クランドたちは軍の糧秣から枝を手に入れることは造作もないはずだ。それまで自分は、短いながらも、懐かしの我が家で、妻のエイミーと昔語りをしながら彼らの帰りを待てばいい。いまさら自分の力を必要とする者もいないだろう。ロムレスの冒険者ギルドでは、不釣合いながらも“五英傑”とまで呼ばれる程度の男にはなったつもりだ。
アレクセイは元々、自分は多数の軍兵をぶつけ合う戦争や、小難しい政治になどまったく不向きであったと、かつての経験で骨身に染みていた。エトリアを出て、シルバーヴィラゴという街にたどり着けたのも、我が身を憐れんでくれた天の配剤だとしか思えないほどの幸運であった。
ダンジョンを冒険するのは楽しい。
見も知らぬ地の奥底へと仲間と共に潜り。
目にしたことのないモンスターや、花や、鉱石や、あらゆるマテリアルを見つけたときの感動は、単純な殺し合いの中では見いだせなかった生きがいであった。
頼りになる気の置けない仲間と出会えた。ときには、男の意地を立て通すためにほかのクランのメンバーと斬り合いになったとしても、そこには常に暗さのつきまとった戦場の陰を感じることはなかった。反吐が出そうなほどの悪党もいれば、頭が煮え立つほどの怒りを覚えたことも一度や二度ではない。それらを補って余りあるすべてのものが、あの迷宮の中にはあるのだ。
だから誰もが冒険者をやめられない。
あの街にいるすべての人間が夢を見続けたまま生きていくことができる。
「クランドのやつ早く戻って来んかのう。無性におまえと酒がくみかわしたいんじゃ」
知らず、あのとぼけた男の名前をつぶやいていた。
これはもう理屈ではないのだろう。妙な思い入れだ。たぶん、理屈はつけられないであろう。アレクセイは大きく両腕を伸ばして、大きなあくびを咬み殺すと、妻の待つベッドへするりと潜り込み、寝息を立てている彼女の肩を抱いた。ふわりとした甘い香りに包まれながら、意識は闇に呑まれていった。




