Lv135「やっぱり家が一番」
シルバーヴィラゴの巨大な城門を抜けて、大通りに入ると、ようやく帰ってきた、という気持ちが強くなった。車輪が石畳の上を、ガラガラと音を立てて走る。市街地は人工物の結晶体である。荒野を長く見続けてきた目には、それだけでなんとなく気持ちが落ち着いてくる。蔵人は、大都会で生まれた、現代っ子である。骨の髄まで実感できた。
「そして、長き旅の終わりに、我々はとこしえの楽園にたどり着いたのだった、まる」
「いや、全然長くないだろう。馬車で三日の行程だ」
蔵人の独白に、ルッジが極めて冷静なツッコミを入れた。なにはともあれ、討伐クエストは完了したのだった。ひとり戦陣の垢を落とした蔵人はともかく、ドロテアを除いた全員が汗と埃にまみれて一刻も早く屋敷の風呂で身体を清めたいと願っている。
「クランドさま、もうすぐお屋敷に到着いたしますので、いましばらくのご辛抱を」
スレイプニルの手綱を取るルールーが、よく通る声でいった。
「ふにゃっ」
「ほら、ヒルダ。もうすぐ屋敷だ。そろそろ降りる準備をしないとだな」
車内でガタゴトゆられながら白河夜船だったヒルダをアルテミシアがゆり起こしている。
馬車の窓から外を眺めれば見慣れた木々の風景が目に飛び込んできた。
ああ、やっと家に着いた。
(と、いうもののそれほど、感慨深くもねーんだよな。長く住んでたわけでもねぇし)
蔵人は醒めた目で久しぶりの我が家にはしゃいでいる女衆を見ながら、腕組みをした。
なにか、とてつもなく重大なことを忘れている気がするぞ。
それがなんなのかは、パッと思い出せない。
思い出せないのが余計に気持ち悪いのだ。
「うむむ」
「どうしたんだい、クランド。なにか、思い残しでもあったかな」
ルッジが長く美しい脚を組み替えながら、心配げな声を出した。ヒルダをゆすっていたアルテミシアやメリアンデールが、わずかに瞳を曇らせた。
「いや、なんといっていいのか……。ホラ、なんかあるじゃん。頭の奥に引っかかっててさ。思い出そうとすると、中々出てこなくて。あとで、実際に目にして、ああっ! そういえばっ、みたいな。なーんか、記憶の隅に引っかかってんのに、出てこないんだよなー。喉まで出かかってんのに。気持ち悪ィじゃん、そういうの」
「うむ。そういう、なにか記憶の片隅にあって思い出せないことがらほど、スッキリしないものはないからな」
アルテミシアは深刻そうな顔つきで、ふんふんとうなずく。
「でもでもでも、そういうのって、たいがいどうってことないことが多いじゃないですか! わたしも、そういうことよくありますよー。お買いものに行って、目的のものを購入したあと、お店の中をブラブラしてるんですけど、そのときは思い出せなくて、なんだろなーなんだろなーってずっと考え続けるの。それでそれで、おウチに帰ってから、あっ! そういえばあのお薬買うの忘れてました! ばか、わたしのばか。って、なること。その程度のことじゃないですかね。だから、クランドもそれほど深刻に思いこまないほうがいいかと思います」
「メリーのいうとおりだとボクも思うよ、クランド。えてして、そういうときに限ってたいして大事じゃない些細なことなのさ。それに、すぐに思い出せないのであれば、それほど重要なことではないだろうね」
「うーん。そっかなぁ。ルッジがそういうなら間違いないだろうけど」
「ずいぶんとボクを信用してくれるんだね。これじゃ、違ったときが怖いじゃないか」
ルッジは端正な顔で困ったようにほほ笑んで見せた。
「なに、ルッジのいうことを信用しないで誰を信じろっていうんだ。なぁ?」
蔵人の断定口調に、皆が同調する。さすがに少し恥ずかしいのか、ルッジは読んでいた本に顔をうずめ、ばか、とつぶやいた。
「ご主人さま、まもなく着きますので」
「ん? ああ、そかそか」
隣にかしずくポルディナが控えめに告げた。蔵人は、彼女の頭を撫でながら、ブーツのひもがゆるんでいないかどうか確かめた。以前、馬車のタラップでひもを踏んづけて頭から落下しそうになったのだ。瞬間的に、蔵人の目線を拾ったポルディナが俊敏に動いた。彼女は、さっと足元に跪くと、丹念に主の靴ひもを締め直していく。無論、ポルディナのやることにぬかりはない。蔵人がボケーっと景色を眺めている間に、それらはチェック済みだが、あえてもう一度手で触れて締め直すことによって間違いのないように再確認しているのだ。メイドの鑑であるといっていい。すぐそばでは、なんとなく手を出しそびれて世話を焼きそこなったメリアンデールが悔しそうに眉を下げている。ポルディナは注視していないとわからない程度で唇をゆるませた。戦狼族の女は実のところ、やたらと勝ち負けにこだわる性質があるのだ。
そうこうしているうちに、一行の馬車は姫屋敷の門をくぐり抜けて、入口の前の車回しに着けられた。
「うーん」
「なんですか、まだ悩んでるんですか? 考えすぎですって」
メリアンデールが、あははと口元に手を当てて軽く笑った。
それにしても、なにか、こう、頭の中から違和感がぬぐえないのだ。
「あーっ! なんかいるっ!!」
蔵人の思考は先に扉を開けたカレンの言葉でスパッと途切れた。
「なんだなんだ。いったい、なにを騒いでいるんだ……んなっ!?」
「どうしたどうした」
ヴィクトワールが間抜けな声を出してその場に硬直する。蔵人は、入口で固まっているふたりを押しのけて、扉を左右に押し開く。
「んなっ!?」
そこには、三十人を超えるエルフの子供たちが無垢な瞳でジッと皆を出迎えるように立っていた。
「うわっ、うわっ! たたた、大変ですっ。これは由々しき事態ですっ! おうちがちみっこい小エルフたちに占拠されちゃいましたっ! どうしましょ、クランドさん!」
「まあ、これは、なんともかわいらしいお出迎えじゃないかい」
ヒルダはきゃあきゃあいいながら、ぴょんぴょんその場を飛び跳ねている。ルッジは子供たちの数に気圧されたのか、一歩後ろに退いた。
「まあ、かわいらしい」
母性の強いポルディナは目を輝かせてうっとりとした表情になる。
一方、主権を侵された小国の王のように、カレンはなぜか憤慨していた。
「こらっ、あんたたちっ! いったい、どこから入ってきたのっ。ここは、あたしの領土、もとい屋敷なんだからねっ。うーっ」
「おいおい、待てやカレン」
「ここはご主人さまのお屋敷です」
「こらあっ、おちびたちっ。あたしの話を無視するんじゃないのっ。大人を舐めると、怖いんだからね」
カレンはつかつかと子供たちの前に進み出ると、腰に両手を当てながら、鋭く威嚇した。
だが、小エルフたちは微動だにせず、まるで新種の動物を観察するような目でカレンにひたすら見入っていた。
「うーっ」
しばし、睨み合いが続く。
「う、うううっ」
カレンの瞳に怯えの色がにじむ。それもそのはず。子供たちは、彫像のようにピクリとも動かない。怖くなってきたのか、左右のツインテールが、へなっと崩れる。
「うううううっ、がうっ」
カレンは最後に一声吠えると、ささっとその場を後退して蔵人の背に隠れた。
幼児の群れに負けたのだ。情けなさすぎること請け合いである。
「……なにがしたいんだよ、おまえは」
「ううっ。だって、あいつらぜんぜんしゃべんないんだもんっ。クランド、やっつけて」
「いやいやいや」
「なんでよっ! 不法侵入者よっ! あたしのこと無視したのよっ! 愛する妻の仇を討たないつもりなのっ!」
カレンはぷんすか怒りながら、右手をグルグルと回して抗議している。
その後ろで、リザがハン、と鼻でせせら笑った。
「そこで思い出したように女房設定出さんでも。っておわっ!?」
蔵人が意識を一瞬だけそらした刹那、突撃の口火は切って下ろされた。小エルフたちは、それまでの無表情さもかくやといった体で、一斉に蔵人へと飛びかかってきた。
「くらんどっ」
「クリャンドッだあっ」
「クランドおおっ」
「きいいっ! やめてええっ。のっかってこないでええっ」
甲高いキイキイ声と共に、蔵人の姿が小エルフの群れに沈んでいく。さながら、角砂糖にたかるアリの群れだ。女たちは、しばし呆然としながら、目の前の光景に呆気に取られていた。考えてみて欲しい。久々に帰宅した家の入口で正体不明の幼女の群れが、自分の夫に群がり集まっているのだ。脳みそが一瞬、機能停止しても不可抗力といえよう。
「……というか、これはどう考えてもクランドの存じ寄りの者たちでは?」
最初に硬直から解放されたのはヴィクトワールであった。
「ああっ!? なにを軒先でウロウロしとると思うておれば、またジャレついておったのかの!」
荷物の入った柳行李のような箱を抱えていたドロテアが、入口のドアからひょいと顔を覗かせていった。
「ちょっと待ってくださいな! ドロテアさんは、あの子たちのこと知っているのですか?」
ヒルダがジト目でにじり寄った。一同、振り返るとドロテアに視線を一斉に向けた。
「えええ、と。知っているもなにも、あれは、わらわとクランドの子じゃよ。ぽ」
ドロテアは豊満な身体をわざとくねくねさせながら、恥ずかしげに人差し指を咥える。
「はああああっ!?」
全員から一斉に怒りと猜疑心に満ちた声が放たれた。懸命にのしかかられた小エルフの山から脱出しようとしていた蔵人がピタリと動きを止めた。
「あの、お客さんですか?」
騒ぎを聞きつけたのか、廊下の向こう側から、おずおずとした様子でリネットが姿を現した。料理の途中であったのか、湯気の立つお玉を片手にしている。軽くウェーブのかかった髪が美しい、はかなげな風情の少女だ。蔵人に群がる、文字通りのお子さまとは違って大人の階段に足を踏み入れかけている、若い女の出現に、全員がすわライバルかと警戒アンテナをビンビンに立てていく。場の雰囲気が和やかな帰宅まったりムードから、煮詰めたドロドロのスープのように濁ったものへと変わっていく。気にしていないのは、子供たちだけだ。蔵人は、般若のように目を見開いた女たちの視線を避けようと、這いつくばったまま、毛足の長いカーペットに顔をうずめるが、すぐさまほっそりとした指で引き起こされた。
「説明、してくださいますよね」
「……イエス、マイハニー」
メリアンデールの表情。形容し難いほどのものだった。
蔵人は犯行を自供した。
もとい、群がる小エルフたちと、自分の関係を一から懇切丁寧に説明をした。ドロテアとの出会い。彼女が、ハーフエルフの子供たちを引き取って育てていた理由。奴隷商会との激闘。そして、今後は彼女らの面倒を見ていきたいという願い。
「わらわからも頼む。新参者がこんなワガママをいうのは無茶だとわかっておるが、もう、この子たちと離れて生きていくなどと考えられないのじゃ。面倒は、どんなことがあっても最後まで見る。石にかじりついてでも育ててみせる。クランドに対して、妻の役目も立派に果たしてみせるのじゃ。だから、どうか、この子らをここに住まわせてやってくれんか」
「……あのぉ、一応、俺の屋敷なんだけどね」
蔵人が正座したまま応接間でつぶやく。その言葉に反応して、隣にちょこんと正座していたポルディナがひくひくと頭上の犬耳を蠢かせた。
「いいんじゃないでしょうか」
「追い出すのはかわいそうだよー」
「ま、仕方がないのではないか。クランドがそうしたいというのであれば、ボクからいうことは特にないよ」
「ハナは賛成ですよ」
「リザも特に問題ないぞ」
「なんだ? おまえは反対なのか。こんな年端もいかぬ子らを追い出そうとは。つくづく呆れ果てた女だ」
「私はまだ、にゃにもいってないだろー!?」
おおよその同意は得られたらしい。それにしても、これだけ多数の人数がひと部屋に集まるとさすがに手狭に感じる。蔵人は平静を装ったまま、乾いた声で笑った。
「ははは。ま、これだけいれば皆もさびしくないだろ」
「……本当に、事態を認識していますか?」
ネリーが表情のない顔で目の前にしゃがみこんだ。
「う」
「私たち大人が十四人。手のかかる子供が三十二人。クランドはこれから、計四十六人の口を養っていかねばならないのですよ。ちゃんと、現実を認識しています?」
「ま、まあ。昔から一口食えれば、二口食えるっていってな。なんとかなるもんだよ」
「はあっ。でも、ここで見捨てないって、当然のようにいってしまうところが、あなたの数少ない、いいところなんですけどね」
「お褒めに与り恐悦至極」
「冗談じゃなくて! 犬の子を拾って育てるようにはいかないんです。ドロテアの言葉ではありませんが、これから……。もとい、明日からでもさっそく馬車馬のように働いてもらわなければなりませんよ」
「わ、わーってるよ。男の誇りにかけて、おまえたちを飢えさせたりしないっ」
「はあっ。そこでいい切ってしまうから頼りたくなるんじゃありませんか。家計簿の方はしっかりつけさせてもらいますからね。あなたたちに任せておいては、あっという間に破産しそうな予感です」
「はは。ネリー、なんか主婦みたいだな」
「なにをいっているんですか。私はこれでも、あなたの奥さんなんですからね」
皆が互いの存在に少しだけ慣れだした頃、夕食をとった。とはいえ、五十人近くがいっせいに食事のできる部屋はいくらなんでも存在しない。蔵人は空いている、一番広い一室に上等のカーペットを敷かせてその場に座るピクニック形式を採用した。
元々、あまり上手く食器を扱えない年齢の子供たちがほとんどだ。大人ひとりが、小エルフ三名を見る勘定で夕食がはじまった。女たちは、ほとんどが作法にうるさい貴族階級出身であるので、最初はいささか面食らった様子であったが、次第に慣れていった。とにかく、やかましい。蔵人を除けば、全員が女なのだ。きゃあきゃあ、どころか戦場もかくやというわめき具合である。
「ご主人さま」
「んー、なんだポル」
蔵人がルシルを膝に乗せて、スープを匙ですくって飲ませていると、両手にふたりの小エルフをぶら下げたポルディナが近づいてきた。
「あの、当初より予定したものより、はるかに消費量が多く、すぐにでも底を尽きそうなのですが」
ほんの短時間でポルディナになついたのか、ふたりの幼女エルフはまるで母親に甘えるようにしてすがりついてる。よく見れば、彼女の背中には虫のように、もう一匹小ぶりな小エルフが張りついている。ほとんど、背後霊憑依状態である。
「うーん。困ったな。おまえたち、もっとおごはん食べたいよな」
「はーい!」
「おかわりーっ」
「ミラもミラも!」
小エルフたちは匙やフォークを突き上げると旺盛な食欲を誇示した。奴隷牧場での監禁生活で、よほどロクなものを口にさせてもらえなかったのだろう。恒常的に飢えを押しつけられると、人間、食べられるときには腹いっぱい詰め込みたくなるのが人情である。飽食の国から来た蔵人は、彼女たちの食に対する渇望が痛いほどわかった。とにかく、際限なく飢えると、人間は理性が崩壊する。スポーツ選手などで、大会に出場するため、極度な減量を行った者ならわかることだが、人間は五日以上、固形物をカケラも口にせず水だけで過ごすと、まったく力がでなくなる。朝、布団から立ち上がれなくなるほどの脱力加減は、当たり前の生活をしている人間では中々味わえない衝撃的なものなのだ。蔵人は、目を細めていった。
「金のこととか明日以降のことは心配するな。俺がなんとかしてやるから。だから、子供たちには腹いっぱい食わせてやってくれ」
「……はいっ」
ポルディナは可憐な花が咲くようにやわらかく笑うと、すべるようにして部屋を出ていった。炊事場で追加の分を作るのだろう。無言で目線をハナに合わせる。一部始終を近くで耳にしていた彼女は、にっこり笑うと部屋を出ていった。ハナは年若いが、細かいところの気配りは群を抜いている。それは、幼い頃から貴族に侍女として仕えてきたキャリアの差であろう。一方、奉仕される側の人間であるヴィクトワールは群がりながら食事をねだる幼女たちに振り回されて青い顔をしていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、君たち。まず、基本的なところから間違っている。ボクは公平的に接すると最初に、そう申し伝え――あっ!? こら! お皿に指を入れてはダメだと先程から、何度もっ。こらこらこら、それでは犬食いではないか、リリー。君は淑女なんだぞ、仮にも。淑女が食事どきに音を立ててスープを飲んだりしたら、殿方に一度で軽蔑されてしまうぞ! ああっ、パンで遊んではいけないと!」
慌てたような声に視線を移すと、案の定声の主であるルッジが幼女相手に苦戦していた。
ルッジは、三人の小エルフを並べて、あくまでひとりの人間として接しようとしているが、それは誤りである。自我の確立されていない彼女たちは小動物に近いのだ。スプーンもロクに扱えない子供に淑女の道を説くのは少し早すぎるだろう。ルッジが慌てれば慌てるほど面白いのか、子供たちはキャッキャッと余計に楽しげな声を上げながら食事をとり続けている。
「あ、ルッジの眼鏡がスープの中にダイブした……」
蔵人は、心の中でルッジに手を合わせると、じゃれつく小エルフの脇腹をくすぐりながら、さらに視点を移していく。残念ながら、この男、子供に食事を養うのに飽きはじめていた。スープを飲み終わったルシルがちょっとお姉さんぶって、年下の子へとパンを千切って口に入れてあげている。
「ようし、ルシルはできる女だ。うん、そうだ。母性本能の強い女はポイント高いぞ」
「うん、そうだぞ。食べ物はよく噛んで飲み込むのだ」
蔵人が次に注視したのはアルテミシアであった。鎧兜を脱いだ彼女は、ゆったりとした白いローブを着たまま、小エルフの世話をやっていた。アルテミシアに群がる幼女たちの数は五人。一番人気である。
「巨乳か? やっぱ巨乳なのか?」
小エルフたちは、アルテミシアの身体にぶつかったり、しがみついたり、髪を引っ張ったりして離れようとしない。子供はおっきなものが好きなのだ。幼女を膝に抱えて口元にスープを運ぶアルテミシアの目は、いつも以上にデレっと垂れ下がっていた。子供たちは、奴隷牧場で虐待されていただけに、大人の心には敏感であった。人間は感情を互いに読み合う生き物である。どうやらアルテミシアは極度の子供好きらしい。お互いにいい感情を持っていれば、仲が深まるのは早くて当たり前なのである。
「ま、別に女だからって、必ずしも子供好きだとは限らないしな」
蔵人は膝に顎を乗せてくる小エルフたちの頭を撫でながらいった。
(とりあえず、ネグレクトしそうなやつはいなそうだな。ほっ)
嫁たちの育児適性の一端を垣間見ることとなった、ひとときは、とりあえずなんの問題もなく終了し、安堵の息をつくのであった。
リネットの言葉によれば、蔵人たちが姫屋敷に帰るまでは、無断で個人の部屋を使うのもどうかと思い、小エルフたちはまとめて大広間の隅に毛布を敷いて固まって寝ていたらしい。難民キャンプではないし、いくらなんでもこれから先ずっとそうやって生活するわけにもいかない。そのうち、子供たちのための建物を増設する予定ではあるが、それまで就寝時は、各自一名につき、三人の小エルフたちと同衾する運びとなった。無論、各自女性たちの部屋に設えられたベッドは、蔵人がアクロバティックな体位を取ることを想定してかなり大きめなものを用意してあるので問題はない。
「それから、おまえら。残念ながらその子たち、確実にする。だから、その辺りは覚悟してくれ」
無論、オネショである。三分の一がおしめの取れない年齢なのだ。
かわいいだけでは、生きていけないのが子育ての難しい部分である。
各自、子供たちの手を引いて自室に戻っていった。
当分のこと、夫婦生活はお預けであった。蔵人としては、ちょっと悲しかった。
蔵人が面倒を見ることになったのは、ルシル、リリス、マリセラの三名である。下から、三、四、五、と歳が並んでいる。リネットが気を回して、できるだけおとなしくて手のかからない子を選んでくれたのであった。
たぶん、一名は違うが。
「わっ、わわっ!? なんだよ? 別に、なんもいってねえだろ! え? わたしはメンドくさい女じゃない? だから、ルシルのことは別に口に出してねぇだろ。え? 邪悪な波動を感じたの? し、知るか!」
蔵人の心を敏感に読んだルシルが手にした枕をばふばふと叩きつけてくる。
「わー」
「マリもやるぅ」
こうなれば所詮、幼児である。なにか面白いことがはじまれば、黙っていられないのが幼児の幼児たるゆえんである。リリスとマリセラは一緒になって、枕叩きつけ合いごっこに参戦した。しばらく、ばふばふ、もふもふ、きゃっきゃっが続く。
「はーい、はいはい。ストップ。遊びは、ここまで。早く寝ないと、怖いオバケが出るぞぉー。……マジもんがいたしな。さ、寝る前にトイレは大丈夫か? もし、行きたい人がいれば、みんなの大好きなクランドお兄さんに恥ずかしがらずいってみよー!」
それにしてもこの蔵人、ノリノリである。
「わー、クランドはだいすきじゃないけど、トイレにいくいくー」
「マリもマリもっ」
「ハッハー! リリスは正直だなー。でも、男はときに正直な女に恨みを抱くから、滅多なことを口にしないよーにねっ。よく考えてからしゃべるくせつけような。お兄さんからの忠告だよっ。え? ガキのいうことにイチイチ反応するなだって? ……ごめんね、ルシルさん。クランドくんのマインドはすごーく繊細なんだよ」
「あ……」
「どした」
突如として、ベッドの上ではしゃいでいたマリセラが三つ編みの銀髪をゆらしながら、視線をあちこちにさまよわせはじめた。切なそうな瞳が、涙でみるみるうちに盛り上がっていく。ルシルが口をアルファベットのオーの字にして驚きを表現した。
「マリ、もうでちゃうかも」
「全軍出撃!!」
号令一下、蔵人隊はご不浄に向けて果敢に突撃を開始した。扉を蹴り開けると、一番近いトイレに向かって走り出す。ルシルとリリスがそれに続く。
「頼む、間に合ってくれ!」
「マリ、がんばる」
「いや、気張るなよ。ああ、でも我慢するのは身体によくねぇし。とか、いってる間にもう着いたー! そら、クロスアウッ!!」
蔵人はマリセラをM字開脚させたまま、ルシルにおしめを剥ぎ取らせた。
「はううっ」
マリセラがしばし恍惚の表情を浮かべる。じょぼじょぼじょびじょば、と水流が便器を叩いた。しーしーをさせる蔵人の背で、ルシルとリリスがジャンプしながらハイタッチを行っている。
「なにを騒いでいるのだ、こんな夜更けに」
「へ?」
蔵人がマリセラをしーしースタイルさせたまま振り返る。
そこには、目を閉じて寝息を立てた小エルフを抱いたシズカの姿があった。
「え、あ? しょ、小用をさ、ささささ、させていたのだなっ!!」
「お、おおうっ」
かつての恥部を思い出したのか、彼女の雪のように白い顔が一瞬で朱に染まった。
耳たぶまで、真っ赤である。額にプツプツを汗まで湧いているのが見えた。
「あ、あはははっ! よ、夜だから、ね眠いな」
「おい、シズカ。おまえ、顔がエラいことになってんぞ」
「そ、そうか。自分では普通だと思うぞ。う、うん、至極普通だ。平静極まりない」
「どこがだよ」
蔵人は、真横にマリセラを置くと、シズカに向かってゆっくりと歩み寄る。
彼女は、ぴょんと後方にジャンプすると、視線をそらし続けた。
「た、たたたた、大変だな! 子供の面倒を見るというのはっ。わ、私はこの子を寝かしつけなくてはならないので、それではな! また、明日だ! おやすみっ!!」
「あ、ちょっ――!」
シズカは慌ててズダダッと廊下を走ると、自分のスリッパを踏んづけて後方にひっくり返った。きゃんっ、と甲高い悲鳴が響く。蔵人は、ダイビングしながらすぽーんと放られた寝こける幼女をなんとかキャッチするのであった。
「んん、なんだったんだ。さっきのは……。ん? 女性にはいろいろある。だから、しつこく詮索するのはよくない。それが夫婦であっても? そっか、忠告ありがとうよ、ルシル。でも、俺の腹の上で潮吹きはやめてくれよな。あっ。いたっ!? じょ、冗談だって叩くなよ、もお。さ、そろそろ遅いから遊んでないで寝るぞ。電気消しますからな、お嬢さま方」
「はーい!」
「はいはいはーい!」
「ふむ、返事はよろしい」
蔵人は毛布の中に三人の淑女候補を引っ張り込むと、腕を伸ばして、枕元のランタンを消した。脇腹の部分や、毛布のあちこちで、小さな生物たちがしきりにもそもそ身体を動かしている。どうやら、各々自分が寝やすい位置を決めに入っているらしい。彼女たちの身体が引っつく度に、ミルクのような甘ったるい匂いが鼻先を漂う。それはけして、嫌なものではなく、むしろかつてあったはずの、記憶の底にあるしあわせの残滓のようなものを蔵人に思い起こさせた。
「ね、クランド」
「なんだよお。寝れないのか」
マリセラが甘ったるい声を出す。その中に確かな不安を感じ、なだめるようにぽんぽんと小さな背中を叩いてやった。
「あしたはわたしたち、どこにゆくの?」
闇の中で、青い瞳がゆらぐのが見えた。
この歳で、どれだけの絶望を見てきたのだろうか。
親から売られ、家畜のようにひとところに纏められ、モノのように扱われてきた。
彼女たちに必要なのは、華麗な衣服でも、飢えを満たす山海の珍味でもない。
ありったけの愛情なのだ。
「おまえたちは、もう、どこにもゆかない。ずっと、俺たちと、いっしょだ」
蔵人は、子供たちをまとめて抱きしめると、目頭が熱くなるのをこらえ切れそうになかった。




