Lv134「ダンジョン攻略編成」
蔵人が目を覚ますと枕元にはすでに身支度を終えたドロテアが立っていた。
「おはよう、久方ぶりのよい朝じゃぞ。今日はめっぽういい天気じゃ。さ、いっしょに朝食をとりにゆこう」
窓から差しこむ淡い光に照らされながら、太陽のようににっこりと微笑んでいる。
「お、おあよう」
「ノンノン。おはよう、じゃ」
「おはようごじゃます」
蔵人は、夢うつつのまま目蓋をこすり、上半身を起こした。室内は夜の冷気が残っており心持ち寒かったが、寝起きの火照った身体にはちょどよかった。壁に背中を預けたまま、目をつむる。
「こりゃ、寝ちゃダメじゃぞ。もう」
「ふににっ」
ドロテアが近寄って鼻を摘んでくる。目を開けるといたずらっ子のように寝台に膝を突いてにじり寄っている。前かがみになっているせいか、大きな乳房がゆっさゆっさと揺れながらものすごい谷間を形成していた。大脳へと一気に血が駆け上がる。男にとって最高の気付けだった。
蔵人は極めて寝起きのいいほうだが、昨日の戦いの疲れもあってか、やや身体がだるかった。対して、ドロテアは宝くじが当たってもそこまで陽気にはなれないほどご機嫌な様子である。心なしか昨日よりも肌艶がいい。潤んだ目元は、しっとりと濡れ、強い性的魅力が感じられた。
「なんでおまえは朝からそんなに元気なんだよ」
蔵人があくびをしながら首を左右に動かして音を鳴らす。昨夜は、一回しただけなので、股間の主砲はエネルギーが有り余っている。毛布を高く突き上げたそれを目にしたドロテアは、苦笑しながら指先でぺしんと弾いた。蔵人は軽く呻くと非難がましい目でドロテアの前にぽんと張り出した双丘をにらむ。自然と口元がゆるんでいく。
(おおっ、たまんねーぜ。ちょいと、起き抜けの一発を)
指先を伸ばして乳房を揉むと、ドロテアはしょうがないやつだ、といった風にされるがままになった。調子に乗って膝立ちになり、パンツの紐に指をかけると、ペチンと手の甲を叩かれた。
「なぜに?」
「だーめ、お預けじゃ。お楽しみは、その、夜に、のう。だからほら」
ドロテアは、すかさず顔を寄せてくると人差し指で自分の頬をちょんちょんとつついた。
たぶん、おはようのキスをしろとねだっているのだろう。早朝ご奉仕もせずに、そのような砂を吐きそうな甘ちゃんプレイを強要するとはいかがなものか。性欲の塊である蔵人は機嫌を損ねた。すかさずしらばっくれた。
「なんだ、虫歯が痛いんか」
蔵人はわざとすっとぼけたフリをしてあさっての方向を向く。
ふくれっ面になったドロテアがハコフグのようになって頬をグイグイと寄せてきた。
この、甘えたがりが。
「んっ。んんんっ」
「わかったよー」
蔵人は観念すると、ドロテアの左右の頬にキスをした。
流れでグイと顔を引き寄せ熱いディープキスに続く。
ドロテアは待ってましたとばかりに、抱きついてくる。
ぎゅうぎゅうとやわらかい乳房が押しつけられた。
生殺しだぜ、こいつは。
女の化粧と体臭が混じった匂いが、鼻先を漂った。
どちかからともいわずに顔を離す。蕩けきったドロテアの表情。有無もいわずに押し倒したくなるほど蠱惑的だった。
「これからは、わらわが要求する前に毎朝クランドの方からキスをすること。もお、これってば夫婦ならあたりまえのコミュニケーションじゃぞ」
「え、夫婦?」
「え?」
蔵人は真顔でドロテアの顔を数秒見つめ、それから無言で寝台を降りて着替えだした。
「ちょっと待った。なんじゃ、いまの疑問符は? なあ、クランド。なにかおかしくないかの。お主は、ちょっと不審なところが多々あるぞ。ねえってば、の!」
「あー知らん知らん。いっしょにメシ食いに行くんだろ。さー行こ行こ。さっさといかねえと冷めちまうぜ」
「こらあっ、もう。そういう意地悪なところも、大好きじゃぞ」
「俺もドロテアのおっぱいを愛しているよ」
蔵人があからさまな好意に照れて、わざと無碍にドロテアの乳房を揉みしだく。彼女は嫌がるどころか切なそうに頬を染めて歓喜を露わにした。蔵人はちょっと引いた。
「むふん。素直じゃないやつ。今夜も、わらわをかわいがってくりゃれ」
「お、おう」
蔵人が寝巻きを脱ぎ捨てると、ドロテアは甲斐甲斐しくも着替えを率先して手伝った。
「旦那の世話は妻の仕事じゃ。お主はそこでつっ立っておるだけでよい。着せ替えは子供たちの世話で慣れとる」
「俺は幼児並みかよ」
「これも妻のしあわせじゃ。観念せい」
「はいはい」
ドロテアは蔵人の衣服を着せ替えると、寝癖を梳き、椅子に座らせて髭まで丁寧にカミソリで剃り上げた。至れり尽せりである。
「ほらっ、いい男になった。さっすが、わらわの旦那じゃ。惚れ惚れするの」
「お、おう」
(ドロテアって、こんなにベタベタする性格だったっけ? 前はもっとサバサバしてたと思ったが。この世話焼き具合はポルディナ並だな)
廊下を歩いて一階の食堂に向かう際も、ドロテアは軟体動物のように蔵人にもたれかかると甘えてくる。すれ違った宿の旅商人がギョッとした顔で直視してくる。
正直、恥ずかしかった。
「おい、あんまくっつくな。歩きにくいだろが」
「やじゃやじゃ。わらわはクランドとずっと一日こうするって決めたんじゃもん」
冗談じゃねえ。これじゃあ、いい見世物だぜ。
そう思う反面、これほどの美女に好かれる自分が少し誇らしかった。
(待て、蔵人よ。女はおまえのアクセサリーじゃない。彼女は、歴とした人格を持つ一個人なのだ。彼女のパーソナリティを尊重しつつ、つき合っていくのが大人というものじゃないのか? それにしても、ドロテアのおっぱいやらかいな。超、デケェし。このパイオツはもう俺のもんなんだ。さすが、大正義ドロテア! ドロテアの乳、万歳!!)
蔵人の思考は肘へと押しつけられる魔性の乳房の感触に破綻した。
恐るべし、ドロテア。
「その、なんつーかよ。恥ずかしくねーのか、おまえは? 人目とかもあるし」
「ぜんぜん。むしろ、世界中の人たちに喧伝したい。わらわの恋が成就したことを」
「マジでか」
「マジでじゃ。なので、これからはずっとこうしていたい。おはようからおやすみまで」
「ライオンかよ」
「夜はわらわが獅子になったクランドに食べられるのじゃ。いやんいやん」
「そーいう意味じゃねえし。違いますよ、ドロテアさん」
いちゃつきながら階段を下りると、帳場の脇にある食堂に着いた。
食堂とご大層な表現をしても、そこはあまったひと部屋に四人がけのテーブルがふたつ並んであるだけであった。入ってすぐに、褐色かつ半裸のダークエルフが皿に顔を突っ込むようにしてスープを啜っているのが見えた。どう見ても、リザであった。
「おはようなのだ、クランド。先にリザは食べ始めちゃったぞ!」
「な、なんでおまえがここに!? てか、昨日は確かに馬車に乗ってただろうが!!」
「うん。あのな、やっぱやめた。リザは愛するクランドといっしょにいたいのだ」
リザがあたりまえのようにいい切った。隣のドロテア。スっと表情が消え失せた。首に回された腕がギリギリと締まってくる。蔵人は、背筋に冷や汗を浮かべながら、ドロテアの腕にそっと指をかけた。
「えっと、ドロテアさん。その、まずは話そう。話し合おう。話し合うことでしか、人は分かり合えない」
「わらわも、なるべくなら知らぬ顔ですませたかったのだが、ここでハッキリとケリをつけておいた方がよさそうじゃの。この、ダークエルフの娘は、お主の知り合い。いや、深い仲の女なのじゃな」
「……はい」
「ごまかさなかったのは男らしくて潔い。わらわも昔のことは人さまに意見できるような生き方をしておらん。ただの、これからふたりの新生活を送るに至って、過去は精算しておかねばならん。ここは、女同士で話をさせてもらわんか。妻として、あの娘に引導を渡す責任があるのじゃ」
「妻って」
「なんじゃ、わらわたちは式こそ上げずとも、その、もう結ばれたのだし。まさか、クランドは、わらわのことを弄んだわけではないじゃろ? ち、違うよな。そうじゃない、そうじゃないといっておくれ。頼む」
ドロテアは一転して青い顔をすると、悲壮な目つきで見上げてきた。
どこかへいってしまうの、と、子犬が飼い主にすがるような悲壮さである。
うっと、蔵人の胸が詰まった。
ほとんど考えることなく、ペラペラと言葉が舌先で踊った。
「バカいうな。おまえを弄んだつもりなんかねえ。俺はこれからもドロテアとずっと生きていくつもりだし、タマラ村に着いたら家族にもちゃんと紹介するつもりだ」
「そ、そうじゃよな。クランドがわらわを捨てるなどとは、ありえんものな。その、あの娘、名前はなんというのじゃ?」
「リザだ」
「リザか。ふむ。これから、少し、女同士で話してくる。悪いがお主は席を外していてくれないか? できれば見せたくないのじゃ。頼む」
「わかったよ。とりあえず、外にいる。終わったら来てくれ」
蔵人は玉子焼きを頬張るリザに向かってドロテアが近づくのを見ると、そっと表に出た。
「ああああっ、どうしよっ!」
頭を抱えこんで軒先にしゃがみこんだ。
リザがドロテアの言葉にうんとうなずくはずもない。彼女は故郷と家族を捨ててついて来てくれたのだ。今更帰れといわれても、どうしようもないだろう。
(だったら、こんなところで愚痴ってる場合じゃねぇだろ、俺! ドロテアを説得するのは俺の役目なんだ。となりゃ、こうしちゃいられねぇ!!)
蔵人は立ち上がると顔を上げて駆けだした。入口の扉を蹴り上げると、帳場でペンを手にしていたオヤジが後ずさって壁に後頭部を叩きつけ、ゆるい屁をこいた。
蔵人が目を血走らせて食堂に駆けこむと、そこには抱き合ってすすり泣く、ドロテアとリザの姿があった。
なんなんだよ、この超展開は!!
ほとんど時間経ってねえだろうが。
スキップか? 知らずにスキップモードがオンになってたのか?
未読全飛ばしなのか?
蔵人は激しく混乱した。
「ううっ、そうじゃったのか。そうじゃったのか、つらかったの。苦しかったの。わかる、わらわにはわかるぞ、リザよ」
「うん。だけど、クランドはそれでも助けに来てくれたのだ。だから、リザはクランドに一生ついていこうと決めたのだ。……あ、クランド!!」
リザはまだ涙の跡が残る顔で立ち上がると、子犬のようにたたっと走り寄って胸に飛びこんできた。避ける間もなく、リザを抱きとめると、鼻をすすって歩み寄るドロテアが真っ赤な目元で感極まったかのようにいった。
「クランドよ。こんないい子を捨てるなんぞ、男としてありえんぞ! 決めた、わらわたちは義姉妹の契りを結び一生お主と添い遂げるぞ! なあ、妹よ!!」
「うん。リザ、ドロテアもクランドも大好きだ!! 末永くお願いしますのだ」
リザはニッと白い歯を見せて笑うと、グリグリ頭を胸板にこすりつけてくる。
な、なんか知らんが助かったのか……?
蔵人たちは朝食を摂り終えると、仲良く馬車に乗りこんでタマラ村へ向かった。
古く程度のいいものではないが、ガタつく車輪で上下する車内でも、隣り合って歓談するドロテアとリザたちは終始笑顔であった。ウマが合う、というやつなのだろう。ドロテアは面倒見のいい性格だし、リザは性格的には上に従う甘えっ子タイプだ。歯車がぴったりと合うかのように、ふたりの仲は旧知のごとくしっくりしていた。蔵人が疎外感を覚えるほどに。
「ところでの、クランドよ。これから向かうタマラ村にはおまえの家族が滞在しているとおるが、特に手土産など持参せぬでも構わんかったかのう」
「え」
「ほら、わらわは超絶かわゆいじゃろうが、やはり種族という違いがあるだろうし。最初くらいはご両親やご兄弟、親族たちにもちゃんと挨拶はしておきたいしの」
ドロテアは頬に手を当てながら、目元を染めてグリングリンと頭を左右に振っている。
超絶かわいいなど、そこらの有象無象のばか女が口に出した途端、前歯にエルボーを叩きこんで総入れ歯にするほどの暴言であるが、ドロテアにはそうはさせないほどの品格と、美しさがあった。
「超絶かわゆいの部分はちょっと突っこんでもらわんと。これじゃあ、わらわが痛い勘違い女みたいじゃろう」
「は、はあ」
「う、うむ。でも、わらわはブスではないと思っているのじゃが、のう。どうじゃ? そこんところ」
「ドロテアは美しいよ。そんなことわかりきってるだろう」
「ちょ。も、もおおっ。お主というやつは、そうサラッというところが、もおっもおっ!」
「いだっ、なんで褒めたのにバシバシ殴られてるのおっ!?」
「リザも、リザも!!」
「痛いよっ!」
「それに、いきなり妾であるリザを伴うという部分も不安ではあるが。できれば、この娘に少しは行儀作法を教えておきたかったが。これ、きちんとこっちを向かんか。わらわは、夫のおまえに恥をかかせたくないのじゃよ。妻がエルフだと、やはり作法とかも違った部分は出るじゃろうし。そういえば、クランドの生まれはこの近くなのか? それに、そのタマラ村は観光するになにか珍しい景観があるのじゃろうか? 話を合わせるためにも、いろいろと教えて欲しいのじゃが。んん? どうしたのじゃ、なぜ青い顔をしておる。馬車に酔ったのか? 馭者にいっていっとき、停めようか」
ていうか、リザはあたりまえのようにおまえの下なのね。
「いや、別に気分が悪いわけじゃないんだが。あはは」
「あー、あはは。見てみて、クランド! あそこに、牛さんがいるぞっ。リザ、今夜は牛の肉が食べたいのだ」
リザが脈絡もなくはしゃぎ出す。声が遠くに聞こえてきた。
「あーあはは。空が青いな」
「どうしたのじゃ、いきなり虚ろな目をして!?」
このあとタマラ村に到着した途端、蔵人は嫁たちの泣きじゃくる歓迎を一身に受け、嫉妬に駆られたドロテアに無茶苦茶ビンタされた。
「いちちち……」
「おまえはアホだと思っていたが、本当にアホだったのだな」
蔵人は床机に座り、ポルディナの介抱を受けながら腫れ上がった頬に顔をしかめた。
目の前には呆れ顔のヴィクトワールが腰に手を当てながら、嘆息している。両脇にはシズカとメリアンデールがぴったりと寄り添って目を細めていた。
「皆がどれだけ心配したと思っているのだ、まったく。それどころか、追加でエルフを二匹も連れ帰ってくるとは。呆れてモノもいえん」
ヴィクトワールは大きくため息をつくと、凄絶な顔をした。
美人が怒ると、本当に迫力がある。丸顔で彫りの浅い日本女にはない迫力だった。こういう部分に関してはどうしても人種の違いというものを意識してしまう。アジア人である蔵人は、自ずと姿勢を正し、頭を垂れた。
「それに関しては、本当にすまないと思っている……!!」
蔵人がジャック・バウアー的に謝罪した。つまりはなんの意味もないのだ。
「嘘をつくな。おまえの言葉にはまるっきり重みがない。紙風船みたいなやつだ」
「おい、その辺にしておけ」
目をつむっていたシズカが冷え切った口調でいった。
あ、なんだ喧嘩売ってるのか。そうだ、それ以外どう見える。
あ、死ぬか?
死ぬのはお前だ。
お前が死ね。
やだ。
私もやだ。
無言のやり取りが始まった。
シズカとヴィクトワールの間に、バチバチと闘気のほとばしりがぶつかり合う。
お盆の上にカップを載せて近づいていたヒルダがたちまち回れ右をして駆け去っていく。
目ざといヤツめ。
「そうですよ。クランドがこうして無事に戻ってくれたんですから」
シズカに続けてメリアンデールがほわっとした口調で援護した。
「そうだよー。せっかく、こうして無事に合流できたんだし、喧嘩はやめようよー」
すかさずレイシーがずいずいと割りこんで仲裁に入る。
ヴィクトワールは、つまらなそうにフンと鼻を鳴らすと、地面の石を蹴った。
「まあまあまあまあ、みなさま。お嬢さまもかなり勇者さまのことをご心配なさったのですから、このくらいは愚痴らせてあげてくださいなー」
退散したヒルダに代わって人数分の茶を用意したハナが、笑顔で話に加わってきた。
「ハナ、おまえ、また余計な差し出口をッ」
「だって、本当のことじゃないですか。そうでなければ、とっとこの場を去ってテントの中でふて寝でもすればいいのに、こうして理由をつけて勇者さまの前を去らないのは、お嬢さまが勇者さまの体調を気になさってるからなんですよー」
「そうなんですか?」
メリアンデールが大きな瞳をパチパチさせると、ヴィクトワールはカッと顔を赤らめ、手のひらで覆い隠した。
「素直じゃないやつめ」
「ううう、うるさいっ」
シズカがすかさず茶々を入れるが、そこには以前あったような深刻な響きはなかった。
おや、と蔵人が不審に思うのは無理もない。
もちろん、以前と同じくシズカとヴィクトワールの関係は良好とはいえなかったが、蔵人が村を離れる前と比べて、互いの角を突き合う関係性は幾分改善に向かいつつあった。
理由は明白である。
野盗を共に攻めたという連帯感により、ふたりの仲は僅かだが良好な方面へと近づきつつあった。文字通り、命をかけて戦った仲である。
これは、連れ添った年月や、上辺だけのつきあいよりもはるかに親和性を深め合うことのできる儀式であった。
蔵人がニヤニヤしながらシズカの頭をなでる。聡い彼女はそれがなにを意味しているかすぐに気づいたのか、困ったように眉を下げると唇をへの字に曲げた。
「私だって、別にわざと嫌いたいわけじゃない」
「そうだな。急には無理だが、少しづつな」
蔵人がふと視線を転じると、ポルディナがキツイ目つきでドロテアが連れて行かれた天幕をジッと見入っていた。
忠義一途な彼女が、最初の印象でドロテアを不快に思ったのは間違いなかった。
「ポル。彼女をうらまないでやってくれ。女ってのは、男に対してワガママに振舞っていい生き物なんだ」
「……はい、ですが」
ポルディナの返答は常にイエスである。それが、今回に限って言葉尻を濁したのは、相当な怒りを溜めこんでいる証拠であった。ポルディナはシズカやヴィクトワールと違って、表に怒りを吐き出さないタイプである。かといって人間の合う合わないは、根本的には改善できるたぐいのものではないのだ。どうしたものかと腕組みをしていると、ルッジ、ネリー、アルテミシアに連れられてむすっとした顔のドロテアがバツの悪そうな様子で近づいてきた。女は女に説得させる。卑怯なようでいてかなり有効な作戦だった。
「ほら、ドロテア。クランドにいうことがあるのだろう」
ルッジに促されると、渋々といった体でドロテアがトトっと歩み寄ってくる。
「わらわは悪くないもん」
「だな」
蔵人が肯定すると思っていなかったのか、ドロテアは怯えるように身を縮こめた。
「だって、こんなこと聞いてなかったし、想像もしておらなんだ。わらわは、やっぱり悪くない、悪くないのにクランドに謝りたくなんかないのじゃ」
「あなた……」
ポルディナが怒りで血が引いた白い顔をしたまま立ち上がった。彼女にとってのクランドは愛をはるかに超えた尊崇に近い対象なのである。それを目の前でわずかでも否定することは、奴隷としても妻としても、許せることではなかった。
「よせ、黙ってろ」
「は、い」
ポルディナは吃りながら能面のような表情で下がった。握り締めた拳が極端に白くなりブルブル震えている。絶対に納得していない。彼女は、模範的な奴隷らしくいかなる命令にも喜んで従うが、それでも自分の感情までは完全に隠せていなかった。後々尾を引くのは覚悟の上で退かせたのだ。
蔵人は慰めるように、ポルディナの頭をぽんぽんとなでるが、彼女はいきりたった猛犬のように周りがまるで見えていない。ドロテアを親の敵のように冷たい目でジッとにらみつけている。ポルディナの様子に気づいたルッジがやれやれと疲れたように両手を左右に広げるジェスチュアをした。
「彼女たちがいることを黙っていたのは俺が完全に悪い。けど、その上で考えて欲しいんだ。俺がドロテアにいった言葉は全部本当だ。そして、本心から、これからもずっと共に生きていって欲しいんだ」
「クランド、お主はずるいぞ。わらわはおまえに惚れきっとる。今更、おまえから離れて生きていくなど考えられぬわ。その上でそれをいうのか」
蔵人は無言のままグイと顔を近づけた。
鼻先がぶつかりそうな位置で、互いのまつ毛が触れ合う。
女の本能なのか、ドロテアは不意に瞳をうるませながら、両手を肩に回してくる。
「俺といっしょに来い! ドロテア!! 夢を腹いっぱい食わせてやる!!」
「……なんという口説き文句じゃ。そこまでいわれれば、ついていきますとしかいえんじゃろう」
ドロテアが感極まったかのようにむしゃぶりついてくる。
蔵人は押し倒された格好でその場にひっくり返った。激しいブーイングと共に、全員がドロテアを引き剥がそうといっせいに駆け出したのだった。
「と、まあかようなむずがゆいいちゃラブごっこはさておき、我が軍は致命的な欠点を抱えることとなりました」
ドロテアの懇親会も兼ねての夕食会も終わる頃、ネリーがたき火の前で厳かに告げた。
蔵人の肩には満腹になったヒルダが船を漕ぎながらもたれかかっている。
燃えさしで炭を掻き回しながら訊ねた。
「欠点とは?」
「先立つものです。おたからです。人生にもっとも必要不可欠なものです。端的にいえば、ここにいる全員が必要になってくる生活費です」
ネリーの瞳がカッと見開かれる。のけぞるような気迫があった。
「金か。金なぁ」
「お金は大事ですよ。もっとも、ここにいる皆さんはそれほど深刻に考えてらっしゃらないようですが」
ネリーが、ぐるりと辺りを見渡す。途端に、否定の声が幾つか上がった。
「ひどーい。わたしだって、ネリーほどじゃないけど考えてますよー」
「なに、生活資金くらい、ダンジョンに潜ればどうとでもなろう」
「またみみっちいこといって。そんなの、必要ならあたしにいいなさいよねっ」
メリアンデールが頬を膨らませ、アルテミシアは鷹揚に腕を組み、カレンは足を組み替えながらふふん、と鼻で笑い捨てる。
「見てください、あの根拠のない自信を。クランド、彼女たちの共通点わかりますか」
「え、共通点だって……そんなもんあるのか?」
「ええ、明確に」
「ええと、ええとぉ」
蔵人は三人を順番に眺めながらネリーの言葉を頭の中で咀嚼した。
「さん、にい、いち。はい、時間切れです。正解は全員貴族出身のお姫さまであるということです」
「そうかぁ?」
「なによ、あたしの顔見てそのため息は。失礼ね」
「はいはい、時間がいくらあっても足りないので、遊ばないでくださいね」
「お姫さまねぇ」
ネリーのいわんとしていることはすぐに理解できた。
要するに、蔵人の妻のほとんどは、貴族階級出身である。カレンはステップエルフの王族であり、リザやドロテアも部族の中では特権階級に位置する家柄であった。
ポルディナも奴隷として売り払われる前は、族長の娘として生まれ育った。
そして、ネリー自身も実家はかなり裕福な豪商であり、並の貴族よりもはるかに恵まれた環境で育ったのだ。ヴィクトワールは領主の娘だし、ハナは代々仕える有力貴族。シズカは、ロムレス建国の功臣の一族であるし、ヒルダもアルテミシアも貴族の家柄であった。
そういう意味で、唯一の平民といえるのは、レイシーくらいなものである。
貴族は総じて金勘定に疎い。あがりは黙っていても領地からあたりまえのように届くし、真の意味で困窮した経験はないだろう。現代日本で育った蔵人も、食うや食わずといった極貧の生活は味わったことはない。
つまり、頭のどこかでお金はいずれどうにかなるだろうという楽観的な部分があったのだ。しかしこれからは、妻たちをはじめとして、孤児となったハーフエルフの子どもたち三十二人もの食い扶持を稼がねばならない。そもそもが、冒険者である蔵人の収入はダンジョン及びクエストを攻略して得るほか道はないのだ。
「そういえば、手持ちの金もたいして余裕はないんだっけ」
「誰かさんが、クエストを放りっぱにするだけでは飽き足らず、さらに食い扶持を増やしてくれましたからね」
「うっ。グサッ!」
「おまけに、誰にも読めない現地語の手紙を寄越してそれっきり。なんなの? 舐めてるの? 馬鹿にしてるの? 死ぬの?」
「うううっ。だーかーら悪かったって」
「なんですか。それが詫びですか。男なら、潔く、靴のひとつも舐めて誠意を見せたらどうですか? あ、その顔、みじめっぷりがすっごくいいわ」
「ちょ、ちょっと。ネリー、どうしたのよっ」
蔵人を罵倒するごとに、ネリーの瞳が血走っていくのを見かねたレイシーが指摘した。
ネリーは我に返ると、わざとらしい咳払いをして、あんたのせいよとばかりに蔵人を睨みつける。
「と、とにかく。これから、私たちはクランとしての平均的な人数も揃ったことですので、これを機会に、攻略へ臨むにあたり、編成を考えてみました。それを、クランドに目を通してもらわないと話になりませんし」
「なんだよ、随分と俺を立てるじゃねぇか」
「当然でしょう。あなたは、私たちの夫であり、クランのリーダーです。こんな重大なことを私たちだけで決められはずがないじゃないですか」
ネリーは当然といった顔つきでいった。周囲の女たちも、あたりまえだといった様子でいっせいに見つめてくる。
そう。冗談ではなく、この時代の女は男を立てるのだ。
口先では蔵人をからかったりしても、己の分をわきまえている。あくまで男の決断に意を委ねる彼女たちは、見かけこそ若くとも、現代日本からは消え失せた父権性がすべての時代に生まれ育った古代の女そのものであった。
蔵人はできるだけ動揺を表さずに、ネリーが差し出した紙片を摘まみ上げる。
そこには、ダンジョンに潜る際の編成表が記されていた。
「……読めねぇ」
蔵人はロムレス語が読めなかった。
ポルディナが、代わりに読み上げる。
〈斥候〉ルールー
〈前衛〉ヴィクトワール、シズカ、ポルディナ、ドロテア、アルテミシア
〈中衛〉クランド、ハナ、ネリー、ルッジ
〈後衛〉カレン、リザ、ヒルダ、メリアンデール、レイシー
「ドロテアは剣が得意とのことで前衛にまわっていただきました」
「うむ。先陣はわらわに任せてくりゃれ」
「なあ、ひとつ聞いていいか。ネリーは補給や雑事を任せるし、ルッジはダンジョン内のことに詳しいから俺のそばにいてもらうってのがありがたいんだが、これだ。なぜこいつがいるん。というか、この編成表はおまえが作ったんじゃないのか」
「あー、はいはい、ハナもお手伝いしましたよー」
「ふうん。んで、おまえは中衛でおもにどんなことをするんだ」
「えーとですね、ハナは勇者さまのお喉が渇いたときに、紅茶を入れて差し上げます」
「ほほう。前衛が苦戦しているときに、俺が一服するような男だと」
「それとですね、ダンジョンておそらく暗いじゃないですか? 暗いと、勇者さまのテンションが下がりますでしょう。そうすると、なんかかなしー。勇者さまが悲しいと、ハナもみんなもかなしー。ので、ハナはこの瑞々しいカラダで勇者さまをお慰めするという重大な役目が」
「待ってください。そのようなお役目はこの私にこそ」
ポルディナがずいと胸を突き出して、黒々とした瞳をキラキラさせた。
「聞き捨てならない。クランドに必要なのは私だけだ」
負けじとシズカが、黒髪を撫でながらいった。
「うーん。わらわのダイナマイトなボディの方が適役というものじゃろう」
ドロテアが意味もなく、両胸を寄せて自慢の身体を誇示した。
すでに方向性が間違っている。
「ちょっと待ってくれ。そういうことなら、私が一番慣れている。白十字は博愛と奉仕の象徴だしな」
アルテミシアが遅れじとばかりにいった。
「ん、じゃあこういう感じで、いいんかいな」
〈斥候〉ルールー
〈前衛〉ヴィクトワール
〈中衛〉クランド、シズカ、ポルディナ、ドロテア、アルテミシア、ハナ、ネリー、ルッジ
〈後衛〉カレン、リザ、ヒルダ、メリアンデール、レイシー
「おい、ちょっと待て。いきなり、前衛が薄くなったぞ」
ヴィクトワールが抗議をした。シズカが片眉を上げてすかさずいった。
「ぼっちのおまえにはうれしい限りだろう」
「にゃんだとおっ!? す、好きでぼっちになったわけじゃないっ」
「喧嘩はやめようよー。いがみあっても意味ないよ。あ、でもでも。あたしも、実は後衛よりも真ん中の方がよかったりして。みんなが疲れたときとか、お歌を歌って元気にできるよっ。らん、らららん」
「実はですね、私も回復役として重要な役割じゃないですか。だから、ですね。バックアタックとかを常に想定しなければならないと思うのですよ。そうい面も考慮していただいて、再編しなおすのも重要かと思いますが」
「てか、おまえが役立ったの見たことないんだよね」
「クランドさんのばかーっ」
「あたし、この黒いのといっしょなのイヤ。クランドかえて」
「リザはクランドのそばにいたいのだ」
「いだっ? なに、なんでいま蹴ったかーっ!!」
「蹴ってないのだ。カレンのおケツが蹴りやすい位置にあるのが悪いのだ」
「なっ、ちょっ、あっ。このおおっ、あんた、あたしをいったい誰だと思ってんのよー!!」
「やかましいのだ、おばか」
「ひっ、ふっ。ひッ――!」
「あっ、姫さまが怒りのあまり過呼吸にっ!?」
「え、あ? ちょっと、わたしひとりにしないでくださいよおっ。ひとりは、ヤですったら」
〈斥候〉ルールー
〈前衛〉ヴィクトワール
〈中衛〉クランド、シズカ、ポルディナ、ドロテア、アルテミシア、ハナ、
ネリー、ルッジ、カレン、リザ、ヒルダ、メリアンデール、レイシー
〈後衛〉
「おい。これではルールーがかわいそうだ。そう思わないか」
「ん! シズカ、あんた目のつけ所がいいじゃないっ。ルールーは当然の、あたしのそばと」
「姫さま。そのようなお優しいお言葉を。ほろり」
〈斥候〉
〈前衛〉ヴィクトワール
〈中衛〉クランド、シズカ、ポルディナ、ドロテア、アルテミシア、ハナ、
ネリー、ルッジ、カレン、ルールー、リザ、ヒルダ、メリアンデール、レイシー
〈後衛〉
「素晴らしい。最高の布陣じゃないか」
「喧嘩売ってるだろ。絶対私に喧嘩売ってるだろ」
「失礼な。崇高な騎士さまに一番槍を譲ってやったのに。恩知らずとはまさにおまえのことをいうのだな、ヴィクトワール」
「これだけいて私ひとりが前衛じゃいくらなんでもおかしいだろっ」
「まさか、気づいたのか……!?」
シズカは猿が人語を巧みに操りだしたのを目にしたように驚愕していた。
「やめろーっ。その、ありえないっ、みたいな驚きの顔をやめろーっ!」
「ひとつ、問題があるな。前衛と中衛の間をもっと開けよう。その方が、敵が現れたときわかりやすい」
「私は囮か? 囮なのか?」
「あはー。すでに陣形の意味がないですねー」
「……というか、ボクはどっから突っこんでいいのか、タイミングをあきらかに外してしまったよ」
結局のところは、ルッジの案を採用したのだった。
〈斥候〉ルールー
〈前衛〉ヴィクトワール、シズカ、ポルディナ、ドロテア、アルテミシア、ハナ
〈中衛〉クランド、ネリー、ルッジ、ヒルダ
〈後衛〉カレン、リザ、メリアンデール、レイシー




