Lv129「再会」
蔵人がエルフの少女から顔を上げる。
前方の扉に、バタバタとした足音が近づいてきた。
隣で起こるすすり泣きに視線を落とすと、妊婦の少女はガチガチと激しく上下の歯を打ち鳴らしていた。もはや声すら出せないようだ。
死人のような顔つきは、彼女が捕まって以来刻まれた忍従と絶え間なく行われた陵辱及び暴虐の傷跡をイヤでもまざまざと見せつけられた。背中が薄ら寒く冷えた。罪もない女を無理やりさらい、まるで家畜のように交配させて売り捌く。非道の一語に尽きた。
扉の影に武装した男の影が五つほど見えた。蔵人はエルフの少女の頭にそっと手を伸ばして、できるだけやさしくさすった。
「え、あ……」
「安心しろ。必ず、助けてやるからな」
少女の顔が歪み、やがて崩壊した。顔を伏せ、嗚咽を噛み殺している。蔵人が立ち上がると、五人の男たちは口々に激しく吠え立てた。
「どこのどいつか知らねえが、ここをどこだと思っていやがる!」
「ここは、ジョシュヤ商会の歴としたメシの種だ!」
「人さまのモノに手ェ出せばどうなるかわかってるんだろうな!」
「そっちの黒い長耳を見ればわかるぜ。大方、愚にもつかねえ人助けでもしようと暴れまわってる一派に違いねえや!」
「とんだ唐変木だぜ。ここは地獄の一丁目! 生きて出られると思うなよ」
蔵人は立ち上がったまま外套の前を割ると、突き出した黒獅子を上段に構えた。
「勘違いしてるのはお前らの方だ。三途の川を並べて渡してやらぁ」
蔵人は背後のリザを一瞬だけ見やると、狭い廊下を滑るように走り出した。
不意を突かれた男のひとりが躊躇しながらも勇ましく向かってくる。
長剣を相手の刃に鋭く叩きつけた。
男は斬撃のショックで柄から手を離すと、無防備に前につんのめった。
外套を巻き上げながら握った剣を突き出した。
聖剣黒獅子は男の胸元へ深々と埋まると血潮を辺りへ撒き散らした。
威勢のいい声を出していた男たちはたちまち距離を取ると、後方の部屋に下がっていく。蔵人は転がった男の骸を蹴り飛ばすと、道を開けてゆっくりとそれに続いた。
四人の男たちはそれぞれ革で出来た胸当てや篭手を思い思いにつけている。統一性がまるでないのは流れ者の証拠であった。持っている武器も、手斧、剣、槍、鉾、などまちまちである。男たちは蔵人を半包囲したままひたすら攻めあぐねていた。
「テメェら、なにを騒いでやがるんだ! さっさとやっちまわねぇか!?」
しわがれた声を枯らしながら飛びこんできた男は、義手の鉤爪を奇妙に曲げたままその場に硬直した。不死鳥と自ら名乗るアレクサンダーである。
「クランドぉ。よもやこんなところで会うとはなぁ。さすがのオレも神の導きってやつを信じずにはいられねぇって気持ちにもなるぜ」
アレクサンダーは飢えた野良犬のように目をチカチカと光らせ低く唸った。
いきり立って怯える男のひとりを蹴りつける。口の端から濁った泡が湧き出していた。
「さあ、早くかかれや! いっつも大言壮語している剣の腕ってやつをそろそろ見せてもらおうか!! 相手はひとりだ。まとめてかかりゃあ、どうってことねえ。それにここは狭い屋内だ。今度ばかりはすばしこく逃げるってわけにはいかねえ」
「別に逃げるつもりはねえよ」
蔵人は静かな表情で右足を前に出した。それが呼び水になったのか、三方を囲んでいた男たちがいっせいに飛びかかってきた。
振りかぶって長剣をなぎ払った。ガッと峰を打つ鋭い金属音が鳴った。同時に右手を斜めに断ち割られた男が後方へと勢いよく倒れた。壊れた農機具が埃を上げて散らばった。枯れきって原型をとどめていない藁が室内に立ち昇った。目潰しを受けた格好になった男たちが盲滅法に突きを繰り出してくる。
蔵人は前方に転がりながら長剣を足元で振るった。
銀線は深々と男の脛を断ち切って、霧のような血煙を撒いた。
蔵人は腹ばいなったまま、上方へと片手打ちで刃を突き出した。
前かがみになっていた男の胃袋の辺りへと、革の胸当てもろとも切っ先が吸い込まれた。
素早く長剣を引き抜くと立ち上がった。
「へ、へへ。やっぱ中々やるじゃねぇか。こんな雑魚ども相手じゃ、もはや足止めにもならねぇってようだな」
アレクサンダーは脂汗を額にしたたらせながら、かすれた声で毒づく。剣を構えているが、あきらかに腰が引けていた。チラチラと後方の扉をしきりに気にしている。ここは敵の本拠地である。ならば待っているのは、イカロスであろう。
「念仏を唱える暇くらいならくれてやるぜ」
「まあ、落ち着けよ。おまえ、夏に会ったときのオレの言葉を覚えているかよ? そのツラァ、まったく記憶にねぇってとこか。いいねえ、いいねえ。クランドよう。考えりゃ、オレらも長いつきあいだったな。先日ようやく会えたと思えば、わけのわからねぇ亜人どもの横槍で泣き別れ。オレは、おまえという男を捕らえて、この右腕の借りを返してぇ一心で今日まで生きてきたんだ。そのためには、どんな手でも使ってなぁ」
「おい、三下。口上がなげえぜ。あくびが出ちまうよ。要するに、自分じゃかなわないから助っ人を頼んだってことだろうが。引っ張りすぎだ」
「その減らず口も、こいつの顔を見てからまだ利けたら、さすがのオレも降参してやる」
アレクサンダーは、外に通じる扉からさっと横に移動すると、口元からよだれを垂れ流しながら、ヒッヒッと笑った。これから入ってくる人物によほど信を置いているのか、手にした剣をその場にグサリと埋めこみ無手になった。いよいよイカロスの登場かと、蔵人が油断なく視点を扉に転じると、入ってきた人物に目を止め、凍りついた。
黄金を流したような髪は後方でくるくるとシニヨンに巻かれている。
雪のように白い肌、整った鼻梁の下にある花弁のような唇がわなないていた。
海を溶かしたような蒼い瞳が瞬いている。白い上着の胸元はざっくりと深く切りこまれ、桃のような弾力のある肌が艶めいて光っていた。記憶の中にあるものよりも幾分痩せたように見える。エルフ特有の長耳がぴくぴくと小刻みに揺れていた。
「久々の再会に声もねえってか? そうだよ、その顔が見たかったんだ!! さあ、ドロテア! とっととクランドのやつを半殺しにするんだ。昔の女に切り刻まれるのなら、こいつも思い残すことはねえだろうよ」
アレクサンダーに肩を押されたドロテアはのろのろと長剣を引き抜くと、呆然とした表情で前に進み出た。自然、互いに向き合った。なんともいえない気分である。
蔵人は凍りついたまま剣を下げたが、目の前のドロテアは引きつった表情で苦悶すると手にした剣の切っ先を向けてきた。
「久しぶりだなドロテア。つーか、久々に会ったってのに、これはいったいどういう状況なんだ?」
ドロテアは苦しそうに眉根を寄せ、顔を伏せながらも構えを崩そうとはしなかった。
いま、こうしてドロテアと対峙する意味合いが理解できない。外套の裾を背後のリザがくいくいと引き、心配そうに横合いから顔を見上げてきた。蔵人は無意識にリザの頭を肘で押しやった。
「案外と物分りの悪いやつだなぁ、クランド。ドロテアはいまはオレさまの女になったんだよ? なあ? ああ、間違えたオレの肉奴隷だったな」
アレクサンダーは下卑た顔つきで笑いながら、背後からドロテアの乳房に右手を伸ばして鷲づかみにした。やわらかなボリュームのある美肉が捏ねられながら形を変える。
アレクサンダーは、ドロテアの首筋に顔を寄せると鼻先を突っこんで犬のように鼻を鳴らした。羞恥に燃えて真っ赤に染まる白い首筋には隷属の証である奴隷の首輪が鈍く光っていた。
「おめぇに半殺しにされてからよう。そりゃあつらかった。つらかったぜェ。この失くした右腕を見るたびに、脳みそに火かき棒を突っこまれて掻き回される気分になって、幾つの夜を超えてきたことか。んで、オレは思ったわけよ。この苦しみをいったいどこにどうぶつけてやろうかと。そこで、オレのおまえに対する鬱憤はすべて商会から逃げ出したエルフどもの捕獲に向けられたってわけさ。いやあ、このドロテアは中々に手こずらせてくれたぜ。実際、イカロスの旦那が手伝ってくれなきゃどうにもならなかっただろうな。だが、その甲斐あって、このオレにはクランドを追い詰めるための手駒として、このエルフ女が手に入ったって寸法さ。見ろよ、この爆乳を! へへ、いやあ、まったくこの女の身体のよさといったらねぇぜ。おい、ドロテア、なんだその目は? ああん。気に入らねえっていうなら。……へへ、わかりゃいいんだ、わかりゃ。こいつの乳房を見ろよ。男のモノを悦ばせるためだけに造られたとしか思えねえボリュームじゃあねえか。神さまも粋なことしなさるねえ。病みつきになっちまうぜ! ドロテアのやつを後ろから責め立てたときの征服感ってのは、男なら一度で虜になっちまうもんよ。へへ、どうしたよ、クランド。ちいっとばかり顔色が悪いぜ。なんだ、刺激が強かったんなら勘弁な。てなわけで、オレの肉奴隷がオレに従うってのはあたりまえの道理だろう? ひひひ。どうやら、おまえもとうとう年貢の納めどきってやつだな」
蔵人は黙ったまま表情をすっかり消すと手にした剣をダラリと下げた。
「どいてくれ、ドロテア」
蔵人は先ほどから一語もない正面の女の顔を見ながら一歩前に出た。ドロテアは苦痛に耐えかねたように歯を食いしばると、長剣を水平に構えた。身体を沈めたままいつでも飛びかかれる姿勢である。
アレクサンダーが語った話の審議は定かではない。事実として目の前に立ちはだかっているのは、男のいいように一語の否定もなく、ただ従うドロテアの姿であった。
頭の中がカッと熱くなり、それから胸の内には冷え冷えとしたものが広がっていった。
ドロテアがアレクサンダーのようなゲスに心底惚れるわけはないと思うが、所詮は男と女である。この数ヶ月の間になにがあったかは、表面上からは窺い知れないものだった。
特にドロテアは、取るに足らない男に入れこむ性癖があった。かつての婚約者しかり、蔵人本人しかり。世の中では、信じられないくらいの美女がクズみたいな男に入れこんで尽くしてしまうという話は事実よくあることだ。ドロテアの美貌が、アレクサンダーのような男の手によって踏みにじられたとしても、それは彼女をあのとき捨て去って出て行った蔵人にどうこういえたものではなかった。構えを見れば理解できる。ドロテアの剣は、一部の隙もない見事なものだ。地力はおそらく蔵人よりもはるかに上だろう。絶望感といい知れない屈辱が身体を満たしていった。
「クランド。ケガないか!」
心配げな表情のリザが身を寄せるようにして傍らについた。
ドロテアはサッと顔を伏せて身をこわばらせた。
「頼む。おまえとはやりあいたくないんだ」
ドロテアがうつむいたままなにかを口走った。
蔵人が聞き取ろうと身を乗り出す。
同時に閃光が瞬いた。
やにわに払ったドロテアの剣が暴風のように襲いかかってきたのだ。
峰で防げたのは奇跡だった。
蔵人は、女の力とは思えない重い一撃によって部屋の端まで吹き飛ばされた。
頭をおもいきり壁に打ちつけたせいか、ひどく目眩がした。
ひゅっと耳元を切り裂く音へと反射的に立ち上がった。
撃ち下ろしの斬撃を水平にした剣の峰で受け止めた。
殺気に満ちたドロテアの瞳。
真っ向から直視した。
「リザ、ゆけ!!」
蔵人は無防備な目の前の腹を蹴飛ばすと激しく叫んだ。ドロテアは強烈な前蹴りを喰らってたたらを踏むがほとんどダメージを受けていない様子だった。強化の魔術で保護していたのか、彼女の腹部は古タイヤのような重い感触だった。
リザがいいつけを守って姿を消すまで時間を稼がねばならない。
幸いにもアレクサンダーの目標は蔵人だけらしい。
リザが顔を歪ませ、きびすを返すのを見届けるまで戸口に立って肉壁を作った。
「昔なじみってことで、ここはひとつ逃しちゃくんねぇか?」
「おいっ。ドロテア! 妙な気は起こすんじゃねぇぞう! 万が一にでもそいつを逃がしてみろ。わかってるんだろうなああっ!!」
アレクサンダーは鉤爪を振り回しながら甲高い声で吠え立てている。ドロテアはそんな声など聞こえない風な面持ちでジッとその場に剣を構えたままただ立ち尽くしていた。
「……こうなってしまったのもすべて運命じゃ。クランド、大人しく捕まってくれんかの」
「なんだ、しゃべれんじゃねえか。おらぁ嫌われちまったかと思ったぜ」
ドロテアは傷ついたような目つきで静かに顔を左右に振り、空いた左手で顔を押さえた。
こうして話している間にも、外に続く扉から物音を聞きつけた傭兵たちが次々と入りこんできた。七人ほどの男たちは手に手に剣を構えてドロテアの後ろから及び腰で構えている。蔵人は手にした剣を鞘に収めるとドロテアの足元に放った。信じられないという表情で、ブルーの瞳が激しく揺れ動いた。
「と、まあおまえと斬り合いができるわけでもないしな。お手柔らかに頼むぜ」
蔵人の降伏宣言を聞きながら呆然とするドロテアを尻目に男たちが襲いかかった。
ドロテアは陰鬱な表情で警備詰所に戻ると、ひとつしかない椅子に腰かけ、テーブルの上にあった口の切ってある酒瓶をあおった。喉が焼けつくような酒精の熱さに激しくむせる。頭にあるのは先ほど再会したばかりの蔵人のことでいっぱいだった。
「どうして今になって顔を出すのじゃ」
自分はあの場では無防備だった。蔵人が本気で逃げようとすれば可能なはずだったが、敢えてそうしなかったのだ。ドロテアはドッドッと激しく脈打つ胸を押さえながら、熱い息をふうと吐きだした。頬がぽっと火照っているのがわかる。この数ヶ月、モノクロだった世界が一瞬にして色づいたのだった。
蔵人から別れての数ヶ月、ドロテアは幾度か隠れ家を変えて孤児のハーフエルフたちを連れて移動を行っていた。
当然のことながら、ジョシュヤ商会の追っ手から身を隠すためである。特に義兄であるフォルカーを殺されたアレクサンダーの追跡は執拗だった。何度追っ手の隊を殲滅してもどれだけ深手を負っても食い下がってくるアレクサンダーは不死鳥の二つ名に恥じないしつこさだった。
潮目が変わったのは、商会がイカロスという男を引き入れてからである。ドロテア自身も剣の腕には自信があり、魔眼を駆使して戦うイカロスとは三度引き分けにまで持ちこんだが、結局のところアレクサンダーが率いる別働隊に子どもたちを人質に取られ降伏せざるを得なかった。
もっとも商会の番頭ホレイシオは利の為なら私情を捨てることのできる人物であり、ちょうどその頃は、奴隷牧場がもっとも人手を要した時期であり、ひとりでも腕の立つ戦士が必要だったこともあり、ドロテアはその剣の腕でようやく首の皮一枚が繋がったのであった。
(傑作じゃの。このわらわが一番嫌っておったやつらの奴隷になっているとは)
ドロテアは自分の首筋に嵌められた、首輪に指をそっと伸ばして自嘲した。牧場長のコルネリウス・キッドは極度の亜人嫌いであり、そういった意味ではドロテアはまったくもってその名の通り道具同様に扱われた。
ドロテアの首に嵌められている枷は普通のものではない。外そうとした者に対してのみ毒を射出するという、古代魔術がかかった曰くつきのものである。また、術者であるコルネリウスが死ぬと同時に破損し毒を放出する特性を併せ持つ最悪の代物だった。
ハーフエルフの子どもたちを人質に取られ、ただ牧場の警備を行って襲い来る敵を斬り殺す日々の中でドロテアはひたすら孤独だった。
唯一、愛しかけていた蔵人の姿はそばになく、フリーである。
当然ながら美しい彼女に想いを寄せる男は、この牧場内でも多数存在した。中でも、雑役夫のスレイマンと同じ警備兵であったエルケルのアプローチは群を抜いていた。ふたりともドロテアと同族であり、その好意は純真だった。
ドロテアは元々が、情にほだされやすい性格であり、ほかに頼るよすがはない。芯から惚れるなどありはせぬが、単純にちやほやされるのは気分がよかった。男と同じように。
結果、スレイマンとエルケルはドロテアをめぐって決闘騒ぎを起こした。
当然のことながら武勇に長じたエルケルが勝敗を収めたのだった。思いつめたスレイマンが、その夜ドロテアの閨に忍びこんだのは切羽詰ってのことだった。
ドロテアが望んでいたのは別段腕が立つということではなく、ただそばに居てこの絶望的な状況からいっときでも目を逸らしたいという刹那的な気持ちが大きかった。心の中では蔵人に操を立て、のしかかるスレイマンを防いでいたが、悲劇はそのとき起こった。
現に、ドロテアはその瞬間まで、自分の首輪に毒の呪いがかかっていたなどとは知らなかったのだ。スレイマンは、年頃の女がうっとりとするような甘っちょろい言葉を吐きながら、ドロテアの首輪に手をかけた。そして、コルネリウスが用意した枷の効果をまざまざと思い知るハメになったのであった。
まず、最初にスレイマンの腕は煮上げた肉のように真っ白に蒸気すると、顔や身体全体へと黒点が浮かび、肌が隅々まで青黒く染まっていった。
スレイマンはドロテアの顔面に激しく血を吐き出すと、寝台から脇へと転げ落ちて悶絶する暇もなく絶息したのであった。後日確認したところによると、その首輪の呪具にかけられている毒の効果はワイバーンと同等のものであり、人間なら数秒で死に至る極めつけのものだった。子どもたちは質に取られ、自分の命は呪具によって縛られている。毒の首輪はコルネリウスの術によって遠隔操作されており、ドロテアが一定の距離で離れると、自動で発動するように仕向けられているのだった。それは彼女がひとりで逃亡せぬようにと用心深いコルネリウスが仕掛けた細工であった。未来の見えない中で、ただ漫然と過ごす日々の中、ドロテアは蔵人と過ごしたわずかな日々を思って生きていた。あのまま、蔵人が里を去らずに、皆と協力し合って暮らしていく妄想である。思い出したように農場を襲う敵を斬った夜は、蔵人の顔を思い浮かべて祈るようにして眠った。エルフの子どもたちとは引き離され、荒くれた野卑な男たちの夜這いを警戒しながら眠る毛布と寝床の冷たさは、徐々に健全な思考を奪っていった。常に食欲がなく、日中も倦怠感が離れない。ストレスでなんどか生理も止まった。頬はいくらか削げ、体重もかなり減った。
ドロテアの精神は限りなく荒廃し、ときおり寝込みを襲う男を排除することも面倒になりつつあった。コルネリウスはサドである。こうなることを予見して、わざと女であるドロテアの寝場所を男たちと一緒にしたのだ。
ひとりは寂しい。辛い、苦しい。
この農場ではドロテアが女として欲望を受け入れない限り男たちは敢えて徹底的に無視を決めこんだのである。ハーフエルフの子どもたちとは、一週間に一回、しかも限定された短い時間しか会えない。ひとりでいるときはたいして自覚はないが、真の孤独というものは多数の人間の中でこそ生まれるものだ。
(それでも頑張った。わらわは頑張ったのじゃ……)
農場に侵入者がいるとアレクサンダーに告げられたときは予想だにしなかった。
蔵人の顔を見たときは、それこそ神に感謝せずにはいられなかった。
その傍らにつき従うダークエルフの女を目にするまでは。
(なんじゃその女は! わらわを捨てたくせに、いままでずっとそれと乳繰り合っていたというか! わらわは、おまえを思って操を守り抜いたというに、ことにかいて、地虫同然のダークエルフじゃと!? 許せぬ、絶対に許せぬ!!)
チョコレートのような黒々とした肌を持つダークエルフの少女。ドロテアの脳からは、蔵人に寄り添うその少女を目にした瞬間、あらゆる一切合切が霧散して、ただ“妬ましい”という感情で頭がいっぱいになった。
「あの女ッ!!」
手入れの行き届いた金髪は汚れひとつなく編みこまれて後ろに流してある。わらわは十日に一度しか湯浴みさせてもらえないのに。
アーモンド型の大きな瞳は鳶色に輝きしっとりと濡れていた。その瞳でクランドを誘惑したのか。ムッチリとした肌は艶めいて肉づきがよく、恋しい男が幾度も抱きしめたと思えば嫉妬の炎でハラワタが煮えくりかえりそうになる。
わらわはまだ抱いてもらっておらぬのに。
アレクサンダーの戯言を否定しなかったのは、目の前の蔵人に少しでも嫉妬してもらいたかったからだ。
ドロテアはいささかなりとも自分の身体に自信があった。この張り出した乳房も尻も男の邪心を誘うには充分なもののはずである。実際、平静を装っていた蔵人の顔が引きつっていくのを見れば、昏い愉悦に全身が打ち震えた。
――クランドが妬いてくれておる。そうじゃ、もっと苦しめ。おまえが手放したものの価値を今更ながらに悔やむのじゃ! わらわが苦しんだ分だけクランドも苦しまねば割りに合わぬわ!!
ドロテアにとって蔵人が脳裏に描く妄想を推し量るのは容易いことだった。己の手から離れた美肉が他者の手によって蹂躙されるさまを思うだけで身が焼き切れるほどの妬心をあおることは実体験で知っていた。
それから、すぐさま己の行なった冷酷な仕打ちに気づき吐き気を覚えた。蔵人に会えて嬉しいのか。それとも今更ながら、あのとき捨て去ったときの恨みごとをいい募りたいのか。それとも――。
「なんだ。珍しいじゃねえか、ドロテア」
開きっぱなしの扉から姿を現したのは、すでに顔を紅潮させたままのアレクサンダーであった。男の肉欲を素直に受け入れない時点で、村八分にされていたドロテアに対して話しかけてくるのは、傭兵の中でもまるで空気の読めないアレクサンダーのみとなっていた。
牧場長のコルネリウスは商会のホレイシオに特別視されているドロテアが亜人というだけで気に入らず、わざわざ隊の中で孤立させ、ドロテア自ら男たちの肉欲を受け入れるという一点に踏み入れさせようと姑息な手を使っていたのだが、アレクサンダーはいまいちその点に関して理解できていなかった。
それどころか、アレクサンダーは他の男がドロテアを口説こうとしない一点に対して、むしろ歓迎といった風にドロテアを自分の女扱いしてはばからなかった。
「ふへへ。どうした、おまえを捨てた男をとうとうこのオレが捕らえてやったぜ。なあ」
「やめよ」
アレクサンダーは図々しくもドロテアの手をつかむと甲にキスをしようと唇を寄せるが、サッと振り払われた。
「なあ、もういいじゃねえか。元はといえば、クランドのやつがおまえを捨てたからこういうハメになったんだろう。そろそろなにもかも諦めてオレの女になれよ。へへ」
「バカを申せ。だいたい、わらわたちを捕らえたのは貴様たちではないか!」
「だーかーら、それはそれ。これはこれ。だろう? 第一、おめぇはもうこの商会から逃げられやしねえンだ。それに、オレも結構真面目にホレイシオさまに仕えてきてよう。中々認められてるんだぜ。その証拠に、ホラ。先週、ついに護衛隊の班長にまで繰り上がったじゃねえか」
「それは、上がくたばって繰り上がっただけじゃ……」
「そんなことはどうでもいいじゃねえか。オレはよう、おまえに惚れてるんだよう。心底よう。そろそろオレの気持ちに応えてくれもよさそうじゃねえか? あん? それにあのクランドは、ほら。こうしておまえが寂しいときにこうやって慰めてくれるか?」
「や。やめよ!!」
アレクサンダーはドロテアをぐいと抱き起こすと腰に手を回して顔を近づけた。どさくさに紛れて臀部に指を伸ばしてくる。おもいきり手の甲を叩くと、アレクサンダーはおどけて頭を抱えるふりをした。ドロテアは、尻肉をつかまれた指の感触を、自然蔵人のものへと脳内で変換し、胸の鼓動を早めていた。酔いも手伝って、ドロテアの脳は混濁し、すべてが投げやりな方向へと追い詰められていく。アレクサンダーには怒りや憎しみしか感じていない。常時なら切り捨ててしまう怒りが、ふと、塞き止められた。出口の見えない絶望感から、どうにでもなれと、ヤケになってしまう破滅的な自分が心の中で頭をもたげてくる。
「愛している。おまえが欲しいんだ。いいだろ、ドロテア」
「ダメじゃ。ふざけるな! 今日はしつこいぞ!!」
「吠えやがって。かわいいやつめ」
アレクサンダーはドロテアを机の上に押しつけるとのしかかった。この男のいう愛のささやきなぞすべて空虚な偽りに過ぎぬ。わかっていても、強く拒否できない自分の立ち位置や弱さが涙が出るほど悔しかった。いつも誰かに求めて欲しいと願っている。その上で理屈をつけ、あれがいいこれはいやといえるのが女の特権なのだ。
「ああん? オレを受け入れないってことは、あのガキどもがどうなったっていいってことかよう」
「卑怯な!」
今度はハッキリとアレクサンダーに向かって強い嫌悪感が浮き上がった。
そんなことはやろうと思えばいままでいくらでもできたはずだ。
(こやつはクランドとはまるで違う。口先だけの男じゃ)
断言できる。
この男はクズだ。
そして、そんな男しか寄って来ないことが悲しかった。
「卑怯でいいのさ。へへ、おまえを手に入れられるならよう。へへ。わかってんだろうなぁ。オレもここまでいうってのはそれなりの覚悟があるってことなんだぜ? おまえがこれ以上つべこべいうのなら。なぁ?」
跳ね除けなければならない。捕らわれた蔵人を牢から助け出し、なんとか皆を救い出す算段をつけねばならないと思うが、突き出したドロテアの両腕は薄いアレクサンダーの胸を押し返すにはあまりにも弱々しかった。
拒否してどうなる、という虚しさが胸の内に広がっていく。
かつての流れはどうあれ、蔵人はドロテアに手をつけず立ち去った。
そのことが、彼女の自尊心をジクジクと傷つけていることも確かだった。
万が一、この男が血迷って子供たちに手を出せば、いままで自分が耐えてきたことがすべて水泡に帰してしまう。村を捨て、我を張って生きてきたドロテアの最後の矜持まで踏みにじられることになるのだ。それを思えば、安易にアレクサンダーを突き放して怒りをあおることは上策ではないだろう。大丈夫だ。いままでも拒んできた。今日の男はたまたま大物がかかって興奮しているに過ぎない。頭に血が上った野良犬一匹程度、御せずしてどうする。
「そうだ。オレを受け入れちまえ。オレのモノを受け入れちまえば、あんな男のことなんざぜぇーんぶ忘れちまうのさ。気持ちよーくしてやるからよう。この身体で男なしじゃ、たまらねえだろう?」
「わらわの身体は、おまえになんぞやれん。わらわは、わらわは操を守る」
「ハッ! そんなこといっている間になにもかもが過ぎ去っちまう! 人生の春はみじけえもんだぜ。どうせ、おまえは一生商会の飼い犬だぁ。なら、オレに媚を売っておいて損はねえぜ? なあ、これは取引だ。そう思えよ。なあ」
「そんな取引なんぞ」
「逆らえばガキどものエサを減らすぜ? いいのかい? これ以上、ガキどもの数が減ってもよおお」
「おまえ、おまえという男は」
情に訴え聞き入れられなければ当然のように子供たちを取引の道具に使う。ドロテアにも牧場周辺の見回りという定期的な業務に携わっており、常にアレクサンダーを見張っているわけにはいかない。唾棄すべき男である。しかしながら、状況を鑑みれば一息に拒絶することができないのだ。
「わらわに指一本でも触れてみよ。死ぬ。死んでやる」
「へへ、死なねえさ。おまえはクランドに未練があるんだろ? なら、これからオレ自身でおまえという存在を塗り替えてやる。あんな男を二度と思い出せないように、オレの肉奴隷に調教してやるよおおおっ」
「ふ、ふざけるな」
「いいのかなーん。ガキどもを殺しちゃいますよーん。ふへへ。黙って乳を差し出せやっ」
「クズ、卑怯者! 人非人!!」
「おまえはその男を、これから毎日うれしがって迎えるようになるのさぁ」
ドロテアは蟻地獄の巣に嵌った哀れな地虫同然だった。
目をつぶって腰の短剣に手をやる。
どうせできないとたかをくくってアレクサンダーが卑しい笑みを浮かべた。
屈辱と、憎しみと、自分でも判然しない気持ちが渾然となって心は千々に乱れた。
クランド。クランド!! わらわをここから、ここから早く、連れ出して。
もちろんアレクサンダーの中にあるのはドロテアの豊満な身体で己の肉欲を果たしたいという一点である。腕を伸ばして大きな乳房をつかんだ。アレクサンダーがさらに身体を近づけようと身を乗り出したとき、扉の向こうにひとつの影が立った。
「へ、へへ。旦那」
「どうした、続けるんじゃなかったのか」
イカロスは扉の前で腕組みをしたまま、冷ややかな目をしたままいった。
「おぐえっ!!」
ドロテアはその言葉に我に返ると、アレクサンダーを突き飛ばして部屋から出て行った。
あとに残るのはひっくり返ったアレクサンダーを虫けらのごとく冷然と見下ろすイカロスだけだった。




