Lv117「恨みは骨髄」
蔵人の出した結論には撤退の二文字はなかった。この中途半端な状態で村を出れば、残された人々が山賊たちによって腹いせに虐殺されるのは目に見えている。これが見捨てておかりょうか。死なばもろともの精神で、最後まで戦い抜くぞと気炎を上げる。蔵人のやけっぱちの怒号に、ヴィクトワール、ポルディナ、ハナ、ヒルダが鯨波を作った。彼らにできることはそう多くない。せめてもと、村の出入り口の片方である南側を夜っぴいて作業し、完全に封鎖した。またもや、土木は村衆のマンパワーオンリーである。そもそも人力以外に頼れるものはなかった。
「よっ! さっすが、力持ち。兄ちゃんたちに土盛らせたら右に出るやつはいねえなぁ。いや、マジでマジで。感心しきりですよ」
蔵人は左右にポルディナとヴィクトワールを侍らせながら、扇を開いて褒めそやす。
無論、手伝ったりはしない。これには、さすがの村人も内心のムカつきを抑えられない様子だった。昼間の農作業で疲れきった身体に鞭打って、生活道路の一部を封鎖する作業は、肉体的にも精神的にもつらかった。
なにせ、土嚢で埋め尽くしたこのあと、首尾よく山賊どもを追い払えば再び取り除かなければならないのである。頭に霜の降りかけた老人を含めた農夫たちは、美貌のメイドを従えて太平楽にしているみすぼらしい男に対し、口に出せない怒りの澱をどんどん溜めこんでいった。
もっとも人外じみた力を要した女たちを従える男に文句をいえようはずもない。彼らは悔しさと骨身に染みる冷気をこらえながら黙々と作業に没頭した。一見すれば羊のように従順な農夫たちはいよいよとなれば、一気に爆発するのだ。それでも耐えらるまでは耐え抜く。祖先から伝わったDNAに刻まれた忍従の記憶があった。
村人たちの怒りと涙と労苦の結晶である封鎖線は夜明け前には完成した。作業に従事した農夫の半ばは、綿のように疲れきった身体を引きずりぞろぞろと己の家に戻った。比較的年かさの中年だけが見張りに残った。
どちらにせよ、村外や山野にある徴税逃れの隠し田には野良には出られない。山賊たちも馬鹿ではない。己の仲間たちが全滅したことくらいはすでに掴んでいるのだ。
そして思った以上に賢い農夫たちはそれを知っていた。ノコノコと防衛圏内の外に出れば、ひとつしかない命を害されかねない。村人たちにできるのは、柵の内側にあるわずかな田畑に手を入れるか、食料を食い延すためできるだけ身体を動かさず息を潜めていることだけであった。
「来ないな」
「来ないわね」
蔵人は夜明け前にひと眠りすると、東口の逆茂木に立ち、カレンと並んで彼方を見やっていた。草原の民であるカレンの眼はとびきりである。野獣から家畜を守るために常時遠くを見つめる生活を行っていたため、マサイ族もびっくりの視力を誇る。
蔵人も視力は両目とも視力検査時にランドルト環の一番小さな輪が見える程度にはよいが、カレンにとってその大きさは近すぎて逆に見づらいくらいである。
「あ、いま鳥さんが飛んでいったわ。いち、にい、さん、よん」
「は? いやいや、ぜんぜんわからんし」
「嘘じゃないわよ」
暇つぶしに、山の向こうを眺めて何がいるかを当てっこするが、カレンは明らかに数キロ離れた山の端から飛び立った風切羽の初列、次列、三列の数まで読み上げる始末である。
これでは最初から勝負にならない。
「クランドったらあんな近いものも見えないなんて。かわいそう、近眼なのね」
カレンは頬に手を当てて、ほろりと涙ぐむ。蔵人はくちびるを突き出し、柵にもたれかかって本を読むルッジに視線を向けた。ルッジはページから顔を上げ、高い鼻梁の上に乗った眼鏡の弦の位置を直した。
「なんだい? ちなみに、ボクから眼鏡を取ったら鼻の先のものも見えないからな」
「じゃあ、ペロペロできないな」
「それは本当にやめてくれ。レンズがべとつくと本当に困るのだよ」
「でもな、ルッジ。おまえの眼鏡似合ってるぜ。知的美人っていうのかな。すごくそそるんだよ。そのインテリジェンスさはほかの女にはない魅力だ。誇っていいぞ」
「そうか? なにか、こう、お世辞とはわかっていても、君に真正面から褒められると、照れるな」
ルッジは頬を赤らめると柵の陰に座りこんで顔を伏せた。いちゃつく空気を敏感に察したのか、カレンが焼いたもちのように頬を膨らませた。
「んんん。ねえ、ねえ、クランド! それじゃあたしはなに美人? べ、べつに張り合ってるわけじゃないのよ。ただ、あんたって意外と恥ずかしがり屋で、こうでもいわないと素直にならないから、特別に話を振ってあげたんだからねっ。感謝しなさいよっ」
「おーおー、もちみたいにほっぺた膨らませやがって。おまえは、もち肌美人だな」
「もち肌?」
「おもちみたいに真っ白でぷにぷにして手触りがいいってことさ」
蔵人はカレンの頬を指先でつつくと、小さな子をあやすように大きな手で撫でさすった。
「え、えへへ。クランドの手、おっきいな」
カレンはころころと微笑みながら、両手を蔵人の手に添えるとくすぐったそうに身をよじった。喉を鳴らして目を細めていたカレンの長耳がなにかを聞きつけたのか、左右にピンと伸びた。エルフの聴力は、獣人と比べても遜色のないほどすぐれている。
「――来たよ。馬蹄の音が聞こえる。人間の足音も。三十、四十、五十以上!!」
「ルッジッ」
蔵人は振り返って柵の下に声をかける。
「ああ!」
ルッジは書物に栞を挟むと小脇に抱え、星の魔道書を開いて小さな炎弾を空に打ち上げた。時刻は日が中天に差しかかった直後だ。昨晩とは違い、南口を完全封鎖させたため、戦力の分散を考える必要はなくなった。
天幕から飛び出してきた仲間たちがあっという間に東口に集結する。出入り口が一箇所に絞られたということは、同時に村人たちに多大な不便を強いることと同義だ。生活用水を汲むための河や、煮炊きや暖を取るための藁や薪の置いてある入会地の移動まで当然制限される。山賊との戦いが長引けば、近づきつつある冬の寒さを耐えきることは難しい。
逆茂木の上に立つ蔵人の隣りに、シズカ、ポルディナ、ヴィクトワール、アルテミシア、カレンが揃い立った。
カレンが察知した山賊の集団が、はるか山の彼方に土煙を上げて迫ってくるのが見えた。
空は突き抜けるような果てのない青さであり、幾分乾いていた。日差しは強いが、あまり温かさを感じない。昨夜に屠った賊の死骸はそのままにしてある。夜のうち、腐肉喰らい《スカベンジャー》のモンスターに食い荒らされたのか、骸は損傷が激しかった。
「騎馬二十、歩兵三十といったところか」
シズカが声を抑えてつぶやいた。土煙が視認できる場所で止まると、山賊たちは整然と隊列を組み、騎馬は一列横隊でピタリと停止した。騎兵を守るように、長槍を抱えた一隊がバラバラと前面に押し出て穂先を揃えた。
「昨晩のやつらとは一味違うみたいだ。気をつけるのだぞ、クランド」
アルテミシアは目庇を下ろすと、聖女の槍の石突きで柵の切っ先を叩いた。山賊の一団と蔵人たちは、向かい合ったまま膠着状態に陥った。
こちらが、蔵人を除きすべて若い女だと見えていても、賊たちには弛緩した雰囲気は微塵も生まれなかった。対等、もしくはそれ以上の戦闘力を有していると仮定した統率の取れた動きである。
「あああっ。もおおっ、焦れったい!! 賊なら賊でいちいち考えずに襲って来んか!!
おまえらがいかないなら、こちらから行ってやる」
「あっ、バカ! 微妙な軍事バランスが」
蔵人の制止を振り切って真っ先に柵を駆け下りたのは、もっともこらえ性のないヴィクトワールであった。
彼女は、黒を基調としたお仕着せのスカートを、ふわりと舞わせると地に降り立った。
背筋のピンと張った姿勢といい際立ってすぐれた容姿は遠目から見れば一幅の名画を切り出したように美しかった。
「我こそはヴィクトワール・ド・バルテルミーなり! 我が領内を荒らす不埒千万な賊どもを父上に変わって処断する。抵抗は許すぞ。もっとも、ひとりたりとて逃しはせんがななっ!!」
ヴィクトワールは突き出たおっぱいをぷるんっ、と震わせ、家伝の十王剣を抜き放ち果敢に走り出した。いや、猪突猛進といったほうが適当であろう。白く輝く刀身が陽光に反射して遠くの賊たちの顔を照らした。
「あいつ、本当の阿呆だったのか」
シズカが呆気にとられたように口を開いた。
「ポルディナ、ハナ、アルテミシア、ルールー!! ヴィーを死なすなっ。ええと、とにかく援護しろいっ」
「承知しました、主人さま」
「ここは任せろ!!」
「クランドさまはお下がりを」
「はあ、お嬢さまったら脳筋なんですからぁ」
「まったく世話の焼ける」
ポルディナ、シズカ、アルテミシアが柵を飛び上がると同時に、ハナとルールーが瞬時に逆茂木を踊り超えた。一同が得物を構えるのと、突出したヴィクトワールが向かい来る山賊を斬り伏せるたのは、ほぼ同時だった。
「お嬢さま。いったいなにがあなたをそうさせるのでしょうか」
ハナはつぶやくと前かけのホコリを両手で払った。蔵人が心配するようなことはなく、ヴィクトワールの剣技は冴え渡っていた。
ヴィクトワールは甲高い声で叫びながら長剣を水平に振るった。銀線は流麗に伸びると、前方で剣を振り上げた男の両肘を切断した。男は奇妙なうめき声を上げてペタンとその場に座りこむ。握り締めた剣ごと斬り飛ばされた腕は転がって大地に血を吸わせた。
ヴィクトワールは切っ先を突き出すと座ったままの男の喉笛をえぐった。素早く引き抜くと左右に迫ったふたりの男の間をくるりと回転する。踊るように振られた刃は、ふたりの脇腹と胸板を切り裂き血飛沫を撒いた。飛び退って離れ残心を取った。十王剣の先端は細かく震えたまま正面の敵影に据えられる。一部の隙もないメイドに山賊たちは呆気にとられ鋭気を削がれた。
「ええいっ、なにをまごまごしてやがるっ! まとめてかかれいっ!!」
騎乗した年かさの男があおるように吠えた。弾かれたように四人の男がヴィクトワールに向かって襲いかかる。
ヴィクトワールが剣を正眼に構え直すと、疾風のような影が脇を駆け抜けた。
特徴的な曲刀が青白く輝いて二度ほとばしった。
怪鳥のように飛び上がったシズカが男たちの顔面を下方から素早く斬り上げたのだ。
顎先から脳天を断ち割られたふたりの身体が大きく沈む。
シズカは空中で回転すると硬直した男を肩から袈裟懸けに斬りつけた。男は絶叫を響かせて両腕を突き出すと手にしていた手斧を取り落とした。
残ったひとりの股下に転がりこむ。男は手にした槍を無防備なシズカの背に振り上げた。
シズカはくちびるを尖らせると口中のふくみ針を激しく射出した。
細かい無数の針が男の両目に突き刺さり視界を奪った。
男は苦悶の声を上げて瞬間的に硬直した。
打ち下ろされた槍のケラ首をシズカの左手がつかみ、引き寄せた。
男は身体の重心を崩してわずかにふらついた。
シズカが身を低くして曲刀を上方に突き上げたのが見えた。
刃はなめらかに動くと男の喉笛を断ち切って赤黒い切断面を露出させた。
「余計なことを」
「私もそう思った」
目前の敵をよそにいまにも喧嘩を始めそうなふたりだった。
蔵人が若干焦り気味に逆茂木から飛び降りる。降下の途中で遠景の馬上にひとりの異丈夫の姿を捉えた。燃えるような赤毛に筋骨たくましい大男。あれが村長のいっていた山賊の親玉である“斑猫”のガスパールであろう。案外早くカタがつきそうだと腰の剣に手を伸ばす。蔵人が剣を引き抜く直前、ガスパールは馬首を返すと悠然とその場を去っていった。山賊たちは文句もいわず、背後のヴィクトワールたちを警戒しながら徐々に後退していった。
「逃げたのか?」
だとしたら拍子抜けだ。
こちらが倒したのはたった七人で、相手は優に四十人以上存在する。敵の武器は剣や槍だけでなく、歩兵の半分は弓を携えていた。あれらをいっせいに射られれば厄介な展開になっていただろう。早々に射られてハリネズミになることはないだろうが、昨晩のように一方的に勝つことは有り得ないだろう。命に関わる手負いすら覚悟していた蔵人は瞬間的に思考を巡らせた。
進むか退くか。
いくさの中で逃げ腰になった敵を倒すほど容易いことはない。
古今東西、あらゆる戦いの中でもっとも激しく戦死者が出るのは、互いに顔を突き合わせて噛み合っている状態よりも、どちらかがしっぽを丸めて逃げ始めたときなのである。
「どうするクランド。追撃するのか?」
「いや、一旦退こう。持久戦になれば分が悪いのは向こうだ」
アルテミシアは素直にうなずくと、ポルディナに押さえられたままギャアギャア騒いでいるヴィクトワールを拘束にかかった。視界から賊たちが消えると、柵の向こうで様子を窺っていた待機組たちがこわごわと顔を覗かせた。
「クランドさーん。もう終わりましたか? ややっ、もはや誰もいないですっ。これは、大勝利のよかーん!!」
ヒルダは身を乗り出して辺りを見渡すと、明るい声で凱歌を上げていた。
「ほんの小競り合いだ」
あまりに呆気ない幕切れである。こうも簡単に己の餌場を賊どもが見逃すはずもない。
特に敵の大将であるガスパールには怯えの色は微塵もなかった。
雲ひとつない青空の下にいまや物いわぬ冷たい骸が無数に転がっている。花崗岩の削れた特徴的な白い砂塵が吹き渡る風に乗って細かく頬を打った。蔵人は不気味に沈黙したまま去っていったガスパールの背から発する異様な空気を忘れられず、もはや影もない荒涼とした山陰をひとり魅入られたように見つめ続けた。
山寨の本営に帰陣していたガスパールの瞳は異様な輝きを帯びていた。それは、決して陽の気を持たぬ、昏い陰に傾いたものだった。
“百謀”の二つ名を持つリボルは総大将であるガスパールに命ぜられて砦を守っていたが、出撃前と今とでは確実に目の前の男が変容しているのを感じ取っていた。同行させた子飼いの男にあらましを聞いてはいるが、たかだか手下の十人やそこらが殺されたからといってガスパールがおめおめとしっぽを巻いて戻ってくるはずがない。
むしろ、手下が全滅しても、自分ひとりで目的のものは回収する。暴虐にして不羈。こうと決めたら死んでもやり通す。不屈の闘志の持ち主だった。それがどうだ。いまは、なにかを思いつめた様子で深く己の殻に閉じこもっている。なにかさびしい。リボルは思う。人間としては欠ける部分が多かったが、容易に説明できない魅力を持った男である。リボルはガスパールの変容の理由を知りたかった。
「ずいぶんと手酷くやられたようで」
リボルはテーブルの上の酒瓶を取ると、空になったカップを持っている男の手に酒精をそそいだ。ガスパールは、昏い輝きを帯びた目で酒精をにらむと、一気に中身をあおった。
「気鬱にはやはり女が一番かと。溜まった澱を吐き出せば気持ちも晴れますよ。というわけで、私は席を外します。おい、誰か――」
「いや、呼ばなくていい。リボル、見つけた。ついに見つけたんだ。あの女を」
ガスパールは太い腕をわななかせながら、憑かれたような口調で喋りだした。リボルが誘い水を手向ける。
「いくさのあらましはだいたいは聞いておりますが。もしや、タマラ村が雇った冒険者の中に昔の恋人でも見つけましたか」
「そんなものではないのだ」
ガスパールは自嘲するように頬を引きつらせて乾いた笑みを浮かべた。
「俺はな、いまはこんなだが、かつては王都で名のある貴族に仕えていた。生まれは貧しい下級軍人の家だったがガキの頃から嫌というほど剣の腕は叩きこまれ、長ずるにつれて都の剣術道場では俺に叶うやつはいなくなった。事実、仕えていた貴族は俺のいうがままに高い俸給を寄越したし、貴婦人から端女まで俺が誘えばどんな女でも一夜を共にした。ああ、この世の春ってやつだ。俺は春を謳歌していたんだ。だがな、とんだ茶番が俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ」
「茶番とは?」
「始まりは王都で行われた武闘大会ってやつだ。俺はしょせんお貴族さまのお遊びだと思って頭から馬鹿にしていた。実際、その大会で上位に入っていたやつは、俺から一本すら取ったことのないような雑魚ばかりで、決勝にまで上がってもロクに楽しめないと確信していたよ。しかし、俺を飼っていた貴族がな、どうしても一度は自分の狗を大会で優勝させて家門に箔をつけたいといいだしてな。いまかんがえれば、それが運のつきだったな。ま、軽く受けてやったんだが。そして、蓋を開けてみれば、決勝までは欠伸が出るような雑魚ばかりだったよ」
ガスパールは椅子から立ち上がると、サイドボードから酒瓶を取り出し、飲み口を手刀で割ると直接口をつけて飲み始めた。瓶の半ばまでを空にすると、大きくため息をついた。
「試合は模擬刀を使った実戦形式だ。とはいえ、木剣とはいえそれなりの重さや丈夫さがある。当たり所が悪ければ不具になること珍しくない。ああ、しかし、そんなことを誰が考えるだろうか。俺も考えれば、三年前はウブだった。まさか、あいつらがあんな卑怯な手に出るとは!!」
「卑怯な手?」
「細工だよ! 俺が決勝で使う木剣に切れこみを入れていたんだ。間違いない。そうでもなければ、この俺があんな小娘に不覚を取るはずもない。ありえない。ありえない悪夢だった。このガスパールさまが、たった十五の小娘に剣で敗れるなどという茶番がまさか現実に起きようとは。俺が放った一撃は確かにあの娘の木剣を弾き飛ばしていたはずなんだ! あんな卑怯な細工さえなければ! 木剣が折れさえしなければ、不覚を取るなどとはありえないのだよ!! 俺は、いまでも都で悠々と暮らせていたんだ! なんという汚い一族だ! 権威すら金で買えると思っていやがる!! 薄汚いバルテルミー一族が!! そして俺を破滅に追いこんだヴィクトワール・ド・バルテルミー!! まさか、こんな場所で会うとはっ。これぞ天命というものぞ」
「待ってください。そのヴィクトワールという人物は、アンドリュー伯の娘なのでは? おかしくはありませんか。そんな大貴族の娘がよりにもよってこんな寒村の賊退治にわざわざ顔を出すとは。まさか、私に対する報告は虚偽で、領主の一軍が相手だったから、引き上げてきたのでは」
「いや、領主は俺たちには気づいていないし、別にヴィクトワールを恐れたわけではない。俺が村攻めを中断したのは、冒険者の中にあの、アルテミシア・デュ・ベルクールを見たからだ」
「アルテミシア!? あの竜殺しの聖女ッ!! それこそバカなッ」
リボルは驚愕すると、顔の前で手を激しく振って否定した。
蔵人たちはまるで理解していなかったが、竜殺しを行ったとされていたアルテミシアに対する世間の輿望は尾ひれがついて広まっていた。その虚像はなまじ彼女が特定の巨大クランに加入しないことや、事績に対してなんらアクションを行わないことでさらに大きさを増していたのであった。ロクに情報伝達の要であるマスメディアがない世界では、すべてはクチコミで広がっていく。幸か不幸か、ガスパールは竜殺しを行う数ヶ月前、彼女がクラン“黄金の狼”の賊徒討伐クエストに随身していた際にその姿を見ていたという事実があった。もちろん、追われる側として。
「リボルよ。俺はあまり嘘はいわない。意味がないからだ。確かに、あの大女はアルテミシアだ。あいつが相手となれば、いまの兵数では少し心もとない。なにせ竜殺し。それに、伝え聞くところによると、蛮族どものいくさであの勇将バトルシークの股肱である蒼の四将のひとりを討ち取ったと聞いている」
「いくら強くても。相手はしょせん女なのでは?」
「なあ、リボル。いまの俺もお前も、もはや名誉ある騎士でも軍人でもない。このような僻地に流れ着いた野良犬だ。野良犬には名誉もクソもない。俺はなんとしても目的を遂げたいのだ。俺からなにもかもを奪った根源ッ。あのヴィクトワールを捕らえて俺に魂まで従属させることができればもう思い残すことはない。正々堂々とか、名誉とか、一騎打ちなどはもはや過去の遺物さ。これからは、いかに兵力と武具を備え、圧倒的な数で敵を制圧するかに重きが置かれる時代となる。つまりは、金。強さとは、金のことなのさ。そして、それはいまこの俺の手の中にある。俺は、あの小生意気な女を目の前で引き据え、穴という穴を陵辱し、すべての人間性を否定することで、過去を乗り越えることができるのだ。そうだ! その為に俺はすべてを賭けるッ。その為ならば、俺がこの三年間貯め続けてきたお宝のすべてを使い果たしてもいいと思っているッ!!」
「ガスパール殿」
「なあ、リボルよ。俺を男にしてくれ!! 俺に復讐を果たさせてくれ!!」
リボルは猛烈に感動していた。あの傲慢な塊のような男がなにひとつ隠すことなく、己をさらけ出し自分にすがっている。ここで意気に思わねば男ではない。リボルはガスパールの両手をがっしりと握り締めると力強くうなずいた。互いの視線がかち合う。
それは、男同士でなくてはわからぬ、熱い友誼のほとばしりだった。
「やりましょう。ここにある財宝をすべて使えば、荒くれの二百や三百はすぐに集められます。あなたの誇りを奪ったヴィクトワールという傲慢な貴族の娘を全力で打倒しましょうぞ!!」
転がった酒瓶は残った酒精を絨毯に飲み干させながら、部屋の隅まで転がって止まった。
男たちは狂ったように哄笑すると、部下に命じて女を呼び集め酒宴を始めるのだった。
「へ、へ、へっくちょん!!」
「なんだ風邪か。うつすなよ、というか寄るな」
ヴィクトワールの右隣に位置するシズカが片眉を下げて嫌そうな顔をする。
すでに日も暮れ、たき火を囲んで夕餉をとる蔵人一同は盛大なくしゃみをしたヴィクトワールに視線を傾けた。隣り座っていたメリアンデールは無言のままゆっくり身体を離していく。向かいのヒルダは、スプーンを咥えながら、これから起きるひと騒動に期待して瞳を輝かせた。
「うるさいな! こ、これはあれだ。私のことを誰かが噂しているのだな、うむ」
「お嬢さま。お嬢さまのことを噂するような心安いご友人などおりませんのに。よよよ」
ハナはハンカチで顔を覆うと、泣き真似をしてみせた。たき火の向かいに座っていたシズカはさもうれしそうにヴィクトワールを見ると鼻で笑ってみせた。図星を突かれたのか、ヴィクトワールの顔が一変に赤く染まった。
「なんだ、おまえ。実はかわいそうなやつだったんだな」
「ば、バカ者!! わ、私はだな、友達なんていっぱいいるわ!! え、えーとだな、エドワードにモースにブリュンヒルドに……!!」
「お嬢さま。その方たち、すべて近衛騎士団の方たちじゃないですか。同僚は友達とはいいませんよ」
「う、うるさい!! ほ、ほかにもいるぞっ。えーと、えーとジャンヌにマルスリーヌ、エヴリーヌにジスレーヌってのもいた!!」
「……いたっ! てなんですか、いたって。明らかにいま、思い出した縁薄い人たちじゃないですか。お嬢さま、その方たちが近衛騎士団を退職して嫁いだとき、自分がなんていったのかお忘れですか?」
「うっ!?」
「なんていったんだい? ボクもちょっと興味あるな」
「教えてくれ」
ルッジに続いて、珍しくアルテミシアが興味を示した。狼狽したヴィクトワールは両手をぶんぶん振って喚いた。
「ああああっ! いうなー!! いうなっ!!」
「ぷくく。なんとですね、お嬢さま、永遠の友情を誓ったのにあんな軟弱な男どもに嫁ぐなどとは途方もない裏切りだ! とかなんとかいっちゃってぇ、一方的に絶縁宣言したのですよ。まるで夢見がちな小娘の論理じゃないですか。んん、なんか笑える。それ以来というもの、元親友の彼女たちにはパーティーで会っても、道で行き会っても無視される始末。女は自立して生きねばならないとか会うたび呪文のように唱えていたお仲間が軒並みさっさと嫁いだことがよっぽど気に入らなかったのですね。ううっ、おかわいそうに。なぜ、こんなコミュ障にお育ちになられてしまったんでしょう。これもすべては教育係の……教育係の。あ、ハナは侍女だから関係ないや」
「うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ」
「それはなんと」
アルテミシアは悪いことを聞いたなと、バツの悪そうに視線をそむけた。人差し指で地面にのの字を書きながら、長身を縮こませている。しょんぼりとしたラブラドール犬のような愛くるしさだ。
「ええ、まあ、そうなんですか。えーと、えーと。ごめん、レイシー。私、フォローできない。パス」
「ええっ、ちょっ。こっちに回さないでよっ。ええとぉ、ほら。ヴィクトワール! あたしが、ほら友達じゃない? だ、だからさそんな顔しないで、ね? ねえ、メリー?」
「ええっ!? ええとお、なんていうか。頑張りましょうよ! そのうち、仲良さげな友達もできますって!!」
「地味に友であることを拒否しましたね。メリーも案外と人を選……失礼。私たちは、いわば婚姻でつながれた姉妹のようなもの。好き嫌いはダメですよ。めっ」
ネリーはめっ、とメリアンデールに対して叱ってみせた。というか、好き嫌いとかいってる時点で彼女も暗にヴィクトワールの存在を否定していた。
「えええっ! ち、ちがぅう。違うもん」
「あー、メリーいけないんだー。仲間はずれはよくないんだぞう。クランドさんにいってやろ!」
「ぜんぶ聞こえてるからな」
「ち、違うもん。私、仲間はずれなんか別に」
「てか、私らあの人とあんま絡んだことないよね」
ヒルダが切って捨てた。
「あはー。こらっ! ダメですよ。お嬢さまをイジっていいのはハナの特権なんですからねー。お嬢さまを弄ぶときはまず第一にハナの許可を得てください」
「許可制なんだ。というか、あなたたちいいかげんにしなさいっ。ほらっ、三人ともヴィクトワールに謝って!! 弱いものじめする子はあたしが許さないからねっ」
「ひっ? レイシーが怒った」
「うう、違うもん。私いじめてないもん」
「なんで私まで怒られるのでしょうか。これもぜんぶクランドのせいですね。許さん」
「ちょっ!? まったネリーのムチャぶりが? 関係ないよね? またもや俺はなんも言及してないよね?」
「また、そのような責任逃れを。妻の責めはすべて夫がかぶると世間で相場は決まっています。いいかげん理解しなさい」
「それはさすがに、クランドがかわいそうでは……あっ。こら」
「どさくさに紛れてアルテミシアの胸に飛びこむとは。女性のお乳は殿方のものではありませんよ。赤ちゃんのものです。もしくは幼児プレイも可」
「ネリー。さりげに異常な性癖を暴露しないでくれ。ボクの頭が崩壊する」
「くっだらない。どうでもいいじゃないのよ。ニンゲンてホントどうでもいいことにこだわるわよねー」
「姫さまはもう少し皆さまと仲良くしましょうね」
「やだー」
ジッと黙って見つめていたシズカの瞳が徐々に嘲笑から深い憐憫へと変わっていく。
シズカは虚ろな瞳で空の食器を眺めているヴィクトワールにそっと近づき、悄然とした背に手を置いてやさしいまなざしを投げかけた。
「……その、なんだ。悪かったな。おまえが、その、そんなにさびしい人間だったとは思いもよらず、ひどいことをいった。許せ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ」
「おまえがよければ、なってやろうか。私が。おまえのはじめての友達に」
シズカの言葉。心に染み入るような情がこもっていた。
うつむいていたヴィクトワールがハッと顔を上げる。
そこには吹き出すのをこらえながら口元を押さえている女の顔があった。
「お断りだっ!! この性悪女がっ!!」
「おやおや。友達がいない孤高の騎士さまはお手が早い」
「あー。おまえらどうでもいいから早くメシ食えよ。片付かなくってポルが困ってる」
「ご主人さま、お気になさらず」
ポルディナは蔵人の皿にたっぷりと肉のある骨つき肉をドンドンと盛っていく。健啖な蔵人は歯を鳴らして肉を噛み切ると骨をポンポン背後に投げ捨てていく。べっとりと脂のついた指先を突き出すと、ポルディナがハンカチを出して丁寧に一本ずつ拭き取っていく。あまり取れない、と見たのか、彼女はむっと眉を寄せて今度は指先を一本づつくちびるで咥えて脂を舐め取っていった、ねっとりとした舌の動きが赤い炎に照らされなんとなく淫靡である。髪をかきあげる度に覗くうなじが白く悩ましげだ。思わず生唾を飲み込むと、それが聞こえたのかポルディナが蠱惑的な瞳で誘うように見上げてきた。
「あっ、いちゃいちゃしてる! 隙をついてっ!!」
「ばっ、ヒルダ! ばか、黙ってろ!!」
「バカってなんですかー。きいいっ」
「あのな、これはただ脂のついた指先をキレイキレイしてもらってだな」
蔵人がごまかすように手羽元の骨を再び背後の草むらに投げ捨てる。
軽い音と共に、確かな人の声が漏れ聞こえた。
同時に、短刀を持ったルールーが跳躍するのを視界の端で捉え、身体をこわばらせた。




