おとぎのまち、かぶきちょう
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・メルヘン
・破戒僧
2055年、新宿。ネオ歌舞伎町の路地裏にて、重そうな足をうつらうつらと右往左往させる男が、淀んだ目で表通りを見つめた。
ネオ歌舞伎町の街並みは令和の初頭と比較すると想像できないほどの様変わりを見せている。夏休み前までは素朴で地味だった少女が、新学期を迎える頃には髪色を明るくした年頃の女に変貌したかのような違いを感じるとかつての住人は愚痴をこぼす。
パステルカラーに染まった若者向けのポップカルチャーを売り出すアパレルショップやスイーツ店が立ち並び、新大久保や原宿を彷彿とさせる様相は、かつて夜の街として君臨していた歌舞伎町の姿一切をかき消している。
髪を金髪に染める女も、昔は髪をうず高く巻いて頭上に盛っていたのがトレンドではあったものの、現代では側頭部に垂らした髪を下向きに巻いてドリルをぶら下げるように整えていた。艶やかな体にフィットするドレスももうその姿はない。今の歌舞伎町では、ドレスと言えば童話の姫君めいたものが主流である。通りそのものが舞踏会のレッドカーペットのようなものだ。
男は、路地の中からそのような世界をぼうっと眺める最中、ぐっと喉を鳴らした。
「あぁ……。酒が……飲みてぇなぁ」
ネオ歌舞伎町では禁句とされる言葉である。
AIが生み出した新型サイボーグ都知事が主導した2045年の第四次歌舞伎町浄化作戦により、歌舞伎町からは性風俗、飲酒、喫煙、喧嘩、不純異性交遊といったあらゆる裏社会に繋がる産物が消滅した。
現代では新宿のコンビニでは酒ひとつ買うことができない。
酒や煙草、薬は取り締まられ、禁止されたものを取り扱う人間を歌舞伎町から徹底的に排除した。そして、排除するための監視役として、新宿区はポッピンメルルと呼ばれる魔法生物をネオ歌舞伎町に放った。
魔法生物の仕事は完璧だった。
暴対法でも始末しきれなかった暴力団員の末端や半グレ、外国人勢力、頂き女子……。そういったものたちをポッピンメルルは「おしおき」と称して殲滅した。
次に、歌舞伎町で派手に遊び、時には喧嘩をして騒ぎ立てていた客層が興味をなくすような店構えを次々に作り始める。歌舞伎町に入り浸っていた客やそれまで普通に経営を行っていた飲食店のオーナーたちから非難の声が上がったものの、ポッピンメルルは人間でないことから人情はない。
結局、それまでの住人たちも「おしおき」の対象となった。
しかし、一方でネオ歌舞伎町から逃げ出すことができなかった難民たちは表通りから出ることも、歌舞伎町から抜け出すこともできなくなり、結果路地裏や地下で静かに暮らすことを強いられた。今ではカフェやスイーツ店で出た食べ残しを漁って食べるのがせいぜいである。
「酒……。酒が欲しい……。最後に一度だけ飲めるなら、もう死んでも……」
「おいおい、そんな言葉を口に出したら『おしおき』が待ってるぜ?」
背後から投げかけられた言葉に、男は思わず狼狽えた。
「ひっ、ひいっ!」
「おっと、落ち着け。俺は新宿区のパトロールでも妖精でもねぇ」
その言葉の正体は法衣と袈裟に包まれた大柄の男だった。
「俺ぁこのイカれた世界の裏側で行く当てのない可哀想な人を助けに来たんだ。そんな恨めしそうな目をして死なれても化けられそうだからな」
坊主は担いでいた瓢箪を開けると、腰にぶら下げていた巾着から盃を取り出して瓢箪から酒を注ぐ。
並々と注がれていく透き通った液体は、華やかな香りを立てて男の鼻腔をくすぐる。
男の口からは、粘り気を帯びた唾液と嗚咽のような声がとめどなく漏れ出していた。
「さぁ、飲め。お前は今までよく頑張った。生きることを諦めないことが、この世では美しいことだ」
そっと差し出される盃に縋りつくと、男は半狂乱になって酒を口に流し込んだ。
「うめぇ……! うめぇよぉ……!」
もはや男の顔にまとわりついているのは涎なのか、涙なのか、酒なのかわからない。
幸せな笑みを浮かべて、男は酒の後味を堪能していた。
念仏でなくとも、人の心に安らぎをもたらすのであればそれもまた救済だったのかもしれない。
「お前みたいな奴らがまた飲めるように、歌舞伎町から出られるように、歌舞伎町で飲めるようにしてやらねぇとな」
坊主は瓢箪を担ぐと、表通りに向けて歩き出す。
男は、思わず声を上げた。
「おい、やめろ! ポッピンメルルが襲ってくるぞ!!」
ネオ歌舞伎町においてポッピンメルルは救いの存在であり、反面恐怖の存在でもある。
すっかり恐怖に浸食された男の声色だったが、かえって坊主は喜色満面で口角を上げていた。
「探さなくていいぶん、好都合じゃねぇか」
坊主は表通りに出てくると、瓢箪の蓋を開けて大口を開けた。
瓢箪から流れ出す水のように透き通った液体は芳醇な香りを立てて、坊主の口に吸い込まれていく。
米の発酵した香りはやや果物の香りのような甘さを周囲に撒き散らす。その香りには少し梨のような瑞々しい潤いを持った甘さがあった。しかし、今のネオ歌舞伎町にはその甘さを率直に受け止められる人間は存在しなかった。
「キャァアアアア! 酒、酒よぉおおおおお!」
乳白色に染まったコーヒーの上でクリームを絞り出したグラスが手から零れ落ちた女性の叫びが聞こえる。
「道ゆく皆様に用はねぇ! 怪我したくなかったらここから去りな! 今からここは戦場と化すんだからよぉ!」
坊主の叫びが木霊するや否や、突如として通りに綿毛の塊のような物体がヘリウムを吸った風船みたく浮かぶように流れ込んでくる。
「メポポ〜? 歌舞伎町では、お酒は禁止メポ〜?」
「なんで、アルコール臭が漂ってるラミ〜?」
綿毛の塊の正体、宝石のように煌めいた目を埋め込んだぬいぐるみが言葉を発する。
「早速来やがったな。ぬいぐるみ野郎ども……」
男は瓢箪を担ぎ直し、空を見上げてポッピンメルルたちを凝視した。
その顔には恐怖はない。
むしろ、これからの惨劇を思い浮かべたのか楽しげにも見える。
「歌舞伎町でお酒は飲んじゃ、めっ、メポ!」
「ラミミたちのことも、そんなに乱暴な言葉を使って呼んじゃダメラミ〜!」
ぬいぐるみ達はお互いに言葉を投げかけながらぐるぐると宙を舞う。
「おしおき?」
「おしおき!」
「今日は〜悪い人を〜おしおきするマフ〜!」
突如、ぬいぐるみ達は懐から大きな棍棒を取り出した。その体のどこに入っていたんだと誰かが疑問に思うほどの大きさである。ポッピンメルルは成人女性が抱き抱えてちょうど収まる程度の大きさであるものの、対して取り出した棍棒は外国の警官が所持するであろう大型の警棒ほどの大きさを見せる。
「コットンバット〜」
バットと呼称するには乱雑に削られたと思われるほどに形状が歪であり、コットンと呼称するにはいやに角ばって見える。
そのバットが何のために使われていたのかは予想しやすい。元々はただの丸太を削っただけのようであるが、何か赤黒い液体を浴びたのか、その先端はすっかりと黒ずんでいる。普段人前で出さないことを前提としているのだろう。特に見た目に気を遣おうとは考えていないことが見て取れた。
ポッピンメルル達は宙を舞いながら坊主の頭上からコットンバットを振り下ろす。坊主はなるほどな、と口の中でつぶやいた。
頭上からの攻撃には人間は弱い。手を上げて防御をしたところで適切に攻撃を跳ね除けることは難しい。更には反撃しようにも、頭上に対して攻撃することはより困難を極める。
刺突ができるものを持っていれば話は別であるが、坊主にはそういったものは持っていなかった。
だが、坊主は意にも介さず瓢箪に括り付けられた紐の先端を握りしめて頭上目掛けて振り上げた。遠心力で加速のついた瓢箪がポッピンメルルの胴体に直撃する。瓢箪は布団を叩いたような鈍い音を立てるが、その音からしてあまり決定打になっていない様に見えた。
「メポポ〜? ダメメポよ〜。ボクたちは叩いても痛くないメポ〜!」
「まったく、人間は学ばないラミ〜」
そう気だるげに話すと、ポッピンメルルの一体が坊主の頭にコットンバットを振り下ろす。
レンガを叩いたような鈍い音が辺りに響くと、すっきりと剃髪された丸頭から、彼岸花の花弁のように赤い液体がとめどなく溢れ出す。
坊主は、舌打ちひとつ立てると、袈裟から無愛想な黒鉄を引き抜く。
「叩いてもダメなら爆ぜちまえば問題ねぇかぁ?」
坊主の右手に握られたのは拳銃だった。ポリマーフレームの鈍いプラスチックの質感を帯びたそれは、映画のように存在感を強調することはなく、ただ無機質な道具として手の中に収まっている。
袈裟から出てくる道具として、日本人が持つ想像の中では銃など選択肢にはない。
周りの人間はおろか、ポッピンメルルたちですらそれが銃と認識するまでに時間がかかった。
坊主は瓢箪の紐を握る左手の拳を土台にして拳銃を構えると、躊躇なく引き金を引く。
耳をつんざくような発破音が鳴り響いた。それと同時に、音の壁を叩いた9mm弾がぬいぐるみのふわふわとした起毛の体を捻り切って突き抜けていく。
「お酒以前にそれはそもそも犯罪ラミ」
「うるせぇぇえええええええええ!」
一度引き金に手をかけた坊主はもう止まらない。
突然のことに呆然とするポッピンメルルたちに向けて、正確に発砲を続ける。坊主は自身の叫びに呼応させるが如く、何度も執拗にポッピンメルル達の体に鉛玉を叩き込む。
綿を撒き散らした彼らは、綿埃の雨を降らせつつネオ歌舞伎町のよく掃除されたレンガ畳の上に落ちた。
坊主の進撃は止まらない。次々に現れては目の前の惨状に呆気に取られる新たなポッピンメルル達を撃ち抜いては、地面に落ちた布切れをボロ雑巾の様に踏み潰しながらネオ歌舞伎町を練り歩く。
「す、すげぇ! これまで俺たちを苦しめてきたポッピンメルルがゴミのようだ!」
戦いを坊主の背中越しに見ていた男は思わず叫んだ。それはどことなくこれまでのフラストレーションを払拭するかのような軽快さを帯びた声をしていた。
装填、照準、発砲。
坊主は一連の動作を慣れた手つきで行っていく。さながら経のひとつでもあげる時の忙しなさを感じさせない緩やかさと手際の良さは、坊主の生業はこういったものであることを確信付けた。
やがて虫のように湧き出てくるポッピンメルルは段々とその数を減らしていくが、坊主はそれを合図と言わんばかりに踵を返す。
「おい男。この歌舞伎町をどうにかしたいなら、俺に着いてこい」
「へ、どこに行くんです?」
男の問いかけに坊主が言葉を返すことはなかった。
その代わり、男は無言で歩みを向ける先は新宿駅の方向であることを男は悟る。
「ま、まさか……。都庁に行くんですかい!?」
男の問いかけに対して坊主が答えることはなかった。
続くんじゃ……。悲しいことに




