花嫁の想い
ヴェリカは屋敷中で引き起こされている破壊音と悲鳴に、脅えるどころかわくわくと高揚するばかりである。
何かが壊れる音と共に、幽閉されて来た彼女の悲しみも砕かれていく。
彼女は自分が閉じ込められている扉の前に立つ。
彼女はドラゴネシア辺境伯に捧げるために白いドレスを着ている。
そのドレスも昨夜のドレスを作成した針子の手によるものだ。
「お母様の真珠で彼女は足りたかしら。お父様達を見送った葬送用のネックレスだから最後まで奪われずに済んだのは皮肉ね。それで私が逃げ出せる事が出来たのならば、亡くなったお父様達こそ喜んでくださるわよね」
ヴェリカの両目から涙が零れた。
重量がある確かな足音が彼女に向かってくる。
さあ、その足音は今や彼女の部屋の目の前だ。
「扉を破壊します。人がいるなら下がって下さい」
聞いたことの無い低い声に、ヴェリカは歯を食いしばった。
彼女は昨夜からずっと考えていたのだ。
昨夜出会ったあの男性を想ってしまう自分を、これからどうやって辺境伯から隠して生きて行こうか、と。
彼女の脳裏に、一瞬だけ傷ついたように見えた彼の表情が思い出される。
彼女はぎゅっと両目を閉じた。
どおおおおおおおおん。
彼女を閉じ込める扉は砕かれた。
鎧姿の金髪碧眼の美しい男性がヴェリカに向かって頭を下げる。
彼女は拳をぎゅっと握った。
違う、彼は近衛騎士のジュリアーノ・ギラン。
そう、先程の声は彼のもので、私の騎士じゃ無いはずよ。
ぎし。
重い足音が彼女の牢獄へと一歩入り、床を軋ませた。
黒騎士はヴェリカに右手を差し出す。
ヴェリカはその手を握ろうと手を伸ばしたが、彼の手に触れる前にそのまま引いた。
彼女は顔を隠したままの兜を見つめ、申し訳ありませんと呟いた。
なぜならば。
どうして自分が騎士の声に拘ったのかわかったのだ。
「できません。私はあなたを愚弄できません。昨夜お会いした名も知らぬ方に心を奪われてしまいました。別の誰かを想ったままあなたに嫁ぐことはできません」
黒騎士は彼女に差し出していた右手を引き、そのままその手を上へ持ち上げる。
カシャン。
黒騎士が兜のバイザーを上げた金属音が響く。
バイザーが消えたそこには、ヴェリカがもう一度見つめたかった人の顔があった。
恐ろしい鎧姿には似つかわしくない程の照れた表情をして、彼は昨夜のようにセージグリーンの瞳を嬉しそうに煌かす。
「君に名前を無理矢理語らなくて良かった。語っていたら、今みたいな告白は君から一生聞けそうも無いからな」
ヴェリカは憎たらしい男の胸を両手で突き、そのまま彼に抱きしめられた。
爪先立って目を瞑れば、唇に柔らかい彼の唇も感じた。
「君を奪いに来た。我が妻よ。嫌でも辺境に連れて行く。ただし、歩いてくれ。甲冑だと君を持ち上げられない」
「ええ。歩きます。あなたのお陰で世界への扉が開いたのだもの。私は自分の足で自分の行きたいところに参ります。どこまでも、あなたと一緒に歩かせていただきますわ」