花嫁に捧げる砦落とし の2
ドラゴネシアはベイリーの署名が終わるや、婚姻成立となった羊皮紙をベイリーの手から奪い取った。それから彼は応接間の真ん中に立つと、両手を広げ、天井へと顔を向けた。
ドラゴネシアが天に向けて放ったのは、彼の領地を攻めて来た敵兵を悉く脅えさせた雄叫びである。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
すると、屋敷の内外からドラゴネシアに呼応する騎士の咆哮があがる。
うおおおおおおおおおおおおお。
わおおおおおおおおおおおおお。
ベイリーはここでようやく、自分が取り返しのつかない署名をしてしまったのでは無いのか、と脅えた。
ドオオオオオン。
破壊の大音によって、ベイリーはもの思いから覚めた。
瞬間的に、もの思いから覚めたのではなく、彼は自分が気絶したのだと考えた。
扉があったはずの応接間の戸口に、空虚な大穴が空いている。
これは夢だ、悪夢に違いない。
「扉はどこに消えた?」
ドオオオオン!!
「俺の嫁を見つけるまでドアを壊しまくれ!!」
ベイリーはドラゴネシアの声にびくっと飛び上る。
そこで自分が応接間の絨毯に座り込んでいた、否、腰が抜けた状態で座り込んでいたと気が付いた。
「だめだ。ああ。だめだ。むすめ、娘達のどちらかをとにかく着飾らせて、あ、あの男に差し出さねば」
「嫁さんは美人としか聞いてません!!ドラゴネシア様!!もっと情報を!!」
「誰よりも美人だ!!みりゃわかる!!」
「そりゃダメだろ。ダーレン」
「ギラン様、笑い事じゃ無いですって」
騎士達のざわめきにベイリーは再び考え込んだ。
ドラゴネシアが娘に会っていた? と。
彼はそんなはずはないと知っている。
娘達は遠目でさえドラゴネシアの容貌に脅え、挨拶もしたくはないと言い張ったのである。
「では、では、ドラゴネシアは誰を探しているのだ」
ドオオオオン!!
ドオオオオオオン!!
再びの破壊音にベイリーの思考は途切れる。
ぱらぱらと天井から剥がれた漆喰のかけらや埃がベイリーの頭上に降り注ぐ。
「ああああ、止めてください!!」
ベイリーは叫びながら応接間を飛び出したが、当たり前だが黒騎士は応接間の廊下にはいなかった。
二階へとあがる階段をあがっていた。
ミシ、ミシ、と鎧兜の重量で階段は軋む。
ドオオオオン!!
「きゃあああ!!お父様!!」
「こちらはおりません!!令嬢の部屋にいたのはうちのギラン団長を襲ったあばずれでした!!」
「セニリス黙れ!!」
ワハハハ。
ギランの大声に黒騎士の笑い声が重なり、続いて騎士達の野卑な掛け合いや笑い声でさらに二階は騒めく。
ベイリーはこの状況を止めることができる希望、黒騎士ではなく、狭い客間に閉じ込めてあるヴェリカに向かいはじめた。
「全部、全部、あの女のせいならば、あの女の顔を壊してやる。そうだ。化け物には化け物女を与えてやればいい」
ドオオオオオオン!!
「こちらの部屋にもおりません!!令嬢などおりません!!」
「あたしは令嬢よ!!伯爵令嬢よおおお!!」
「そう言ってますが、ドラゴネシア様?」
「見りゃわかるって言っただろ。俺の嫁では無い。ああ、もう面倒だ。壁も壊してしまえ!!大事な嫁が怪我でも負わされたら大変だ!!」
わあああああああああああ。
どおおおおん。
どごおおおおおおおん。
笑いを含んだ多くの大声が黒騎士に呼応しさらに破壊せんとする破壊音まで重なる。イスタージュ伯爵家のタウンハウスは、グラグラと大笑いしているかのように揺れる。
「やめて、ああ、止めてくれ!!お願いだからもうやめてくれ!!」
懇願の叫びをあげるベイリーをあざ笑うように、階下から破壊音が響く。
ドオオオオオオン!!
「こちらは悪趣味な伯爵夫人の部屋でした!!」
「な、なにをなさっているの!!ベイリー、あなた!!」
妻の悲鳴にベイリーの足は、ぴたりと止まった。
けれどベイリーは妻を助けに向かわずに、彼が向かっていた先へと足を動かす。
彼に降りかかったこの不幸、それら全ての鬱憤を受け取るべき相手へと、彼はヴェリカのもとへと向かっていたのだ。
「殴ってやる。あの小生意気な顔をぐしゃぐしゃにしてやる。あのババアと同じ顔をしたあの娘をぶちのめしてやる」
「尊敬すべき亡き侯爵夫人を侮辱するのは如何と思いますよ。旦那様。厳しい方でしたが、あなたのお母様でいらっしゃったでしょうに」
ベイリーは前にも後ろにも行けなくなった。
ヴェリカがいるはずの部屋の前には、ベイリーのお情けで雇っているはずの使用人達が並んでいた。
彼らは全て旅装束である。
そして無礼にも彼に苦言を突きつけたのは、昨日辞職して消えた執事ではなく、マナーハウスを統括する方の執事だった。
「エヴァンス……貴様、裏切るのか!!」
「私はイスタージュ伯爵家に仕える者です。爵位があるだけの役立たずにではありません。領地と伯爵位が危機となった場合、使い物にならなくなった当主はどうなるのかご存じですか? ビゴー子爵家の当主は、ベッドから出られない長患いでお辛いまま亡くなりましたね」
ベイリーは執事の言葉に言葉を失い、そしてヴェリカの部屋を守るように立っている使用人達が自分に向ける笑顔に固まった。
屋敷のそこかしこで起こる娘や妻の悲鳴と破壊音は、そのまま彼の終焉を知らせる音である。
歴史あるタウンハウス。
彼の現在の財政では直すことはできない。
今後のベイリーは、住めなくなった館を捨てて領地に戻り、借金ばかりとなった領地の建て直しをせねばならない、ということだ。
伯爵である彼は、必死に働いて義務を果たさねばならなくなった。
さあ貴様の教育の時間だ、と、マナーハウスの執事が笑っている。
どごおおおおおおおん。
どこおおおおん。
「ベイリー!!どうしたの!!きゃああ、やめて!!」
「妻が助けを求めているぞ。助けに行かないのか?」
小馬鹿にする声にベイリーは振り返る。
ベイリーの後ろに立つのは、ベイリーが決して敵わない黒騎士だ。
ベイリーの膝は力を失い、へなへなと床に跪く。
「助けて、助けてください」
「助ける? ハハハ。俺は嫁を探しているだけだ。お前こそ俺の邪魔をするな」
辺境伯はベイリーの横を通り過ぎざま、彼をゴミのように蹴り払った。
ベイリーは床に倒れたが、彼が考えたのは、意識を失えて良かったな、である




